「そういえば…」 夕餉の刻、手料理を美味しそうに食べていた向かい側の炭治郎が落ち着いた頃、静かに話を切り出した。 名前の横には、つまらなさそうにゴロゴロと寝転がる禰豆子の姿がある。 「さっき、炭治郎くんは私に何を聞こうとしていたの?」 「………」 目を丸くしたまま、すぐには理解出来ないという表情に続ける。 「裄丈を測っていた時、何か言いかけたでしょう?」 「…あ」 ようやく思い出したように声を上げる姿に、黙って次の言葉を待った。 「名前さんはどうして鬼殺隊の剣士なのに、仕立ての仕事をしようと思ったんですか?」 雲路の果て その質問は、これまで炭治郎以外にも何度か聞かれた事がある。 何故、甲(きのえ)という高い位であるにも関わらず。 そんな事に時間を割くのなら柱を目指すべき。 柱やお館様に擦り寄るための手段だ。 本当に、色々な雑言を陰で囁かれている。 しかし今向けられているのは真っ直ぐな瞳。 とても純粋な、ただの好奇心。 「…昔」 ポツリと出した声を、炭治郎は零さず拾うように耳を傾けた。 「まだ鬼殺隊に入ったばかりの頃、今の炭治郎くんみたいに、胡蝶様のお屋敷でお世話になった時があってね。せめてものお礼にと、助けてくれた人のほつれたボタンを縫った事があるの。その時から裁縫は得意だったから。そしたら凄く喜んでくれて…」 もうその人も、この世に居ないけれど。 「上手だと褒めてくださって、仕立てになったらいいんじゃないかっておっしゃってくださったの。…隊服は専門の方がいらっしゃるから、それ以外で必要とする方の為に…」 「…ンー」 退屈に痺れを切らしたのか、膝へ頭を乗せてくる禰豆子に微笑みながら優しく髪を撫でる。 「胡蝶様は恐らく、私の身を案じてその提案をしてくださったのでしょうね」 今はしのぶがその意志を継いで支えになっていた。 思い返すだけで沢山の人々に助けられているのだと、改めて実感する。 「炭治郎くんも知っての通り、私は左側の聴力がないから」 僅かに見開いた瞳に、やはり知っていたのかと笑顔を深めた。 先ほど止めた質問は、炭治郎なりの気遣いだったのは容易にわかる。 だからこそ、続けた。 「余程小さな音じゃなければこっちで聞こえるから気にしないでね」 極めて明るく右耳を指せば、その表情が僅かばかり安心したような気がする。 「…凄いと、思います。きっと名前さんは俺なんかが想像出来ない程、鍛錬したんですね」 片耳が聞えない。 『だけ』と言ってしまえばそうだろう。 しかしその状態でここまでの剣士になったのは、聴力を補う実力を身につけたのは、そこに言葉では語りつくせない程の苦労がある。 「俺は最近やっと常時、全集中の呼吸を出来るようになったくらいで…」 いたたまれず頭を掻く。 確かに飛躍的に体力も向上したし、強くもなったと自信も持てた。 それでも名前の努力と比べたら、天と地程の差があるだろう。 「炭治郎くんはまだまだこれからだもの!全集中・常中だけで凄い事だよ?それが本当になかなか難しいって鱗滝さ…私の師匠が言ってたし」 ふと口にした懐かしい名に炭治郎の目がキラキラと輝いた。 「あ!そうだ!名前さんも狭霧山にいたんですよね!」 「え?うん」 「俺もそうなんです!鱗滝さんに育ててもらったです!」 「ええ!?そうなの!?」 思わず目を丸くする。 鱗滝と頻繁に、とはいかずとも文をやりとりはしていたが、そんな話は一度も…と思いかけて「あ!」 と声を上げた。 「最近、最終選別を通った子がいるって鱗滝さん言ってた!その子が炭治郎くんだったのね!?」 文には詳しくは書いていなかったが、時期を考えれば完全に合点がいく。 しかし名前は自分から狭霧山の出身とは名乗っていない。 噂話から漏れた可能性もあるが考えられるのは… 「私の事も鱗滝さんから聞いたの?」 恐らく八割は肯定で返ってくるであろう問いを投げかければ、炭治郎の口から出たのは 「いえ、冨岡さんが教えてくれました!」 名前にとって一番、意外な人物だった。 (義勇が…?) ドッと一気に心音が速まる。 「はい!この間蝶屋敷で会った時に!」 頭の中で整理しようとしても情報量が余りにも少なすぎて、解釈が出来ない。 「…そう、なんだ」 自分の事を炭治郎に何て説明したのか、気にならない筈はなかったが深入りする事をやめて、頷くだけにした。 正確には聞く勇気が出なかったと言っていい。 「お茶、冷めちゃったね。入れ直そうか?」 禰豆子の髪を撫でていた左手を一旦止めて炭治郎へ差し出すと 「え!いや!大丈夫です!」 間髪入れずにそれを飲み干し、こちらに向ける。 「おかわりをお願い出来ますか!」 不器用な気遣いを見せるそのひたむきな姿に 「無理しなくていいのに」 堪え切れない笑みを零しながら、湯呑を受け取った。 * * * 夜も深まった頃、幼顔で眠る炭治郎と禰豆子を襖の隙間から確認し、そっと閉める。 剣士と鬼である事が信じられないくらい可愛らしい寝顔に自然と頬を緩めながら、居間の定位置に座った。 先ほど裁断した市松模様の布地と、予め糸を通しておいた針を持ち、呼吸を深く吸い込む。 そして息を吐き出すと同時に、針を通していく。 名前自身はそれほど意識はしていないが、それは雲の呼吸 陸ノ型 雲竜の応用技。 読んで字の如く、竜のように空を泳ぐ剣術。 常人ではその速さに追い付くのは不可能だ。 「…まぁ、呼吸の応用を裁縫に使ってるのね!凄い!」 最初にそう言って驚いたのは、胡蝶カナエだった。 ニコニコと笑みを絶やす事ないその姿はとても可愛らしく、怪我の負い目ですら彼女の前では浄化されていくような気がする程、優しい、とても優しい人だった。 当時癸(みずのと)だった名前は今まで経験した事もない鬼の強さに地面に転がるしかなく、すぐそこまで迫る死を覚悟した時、カナエに救われた。 「退院まであとどのくらいかしら?ねぇ?しのぶ?」 ほわほわとした笑顔と口調に、しのぶは眉間に皺を寄せながらしっかりとした口調で 「姉さん!その人もう今日退院よ!」 と、そんなやり取りを隣のベッドでやっていた時には、小さく笑ってしまったのも覚えている。 こういう時、決まってカナエは 「あら、そうだったかしら〜」 別段気にしない様子で微笑っていた。 名前が退院するその日、カナエとしのぶはそこへやってきて 「今日で退院です。良かったですね」 ニッコリと微笑まれる。 「…ありがとうございました。胡蝶様」 ベッドの上ながら正座をし、深々と頭を下げると同時に、カナエの左足脚絆の第一ボタンが取れかけているのに気付いた。 「…胡蝶様、ボタンが…」 その言葉に視線で追ってから、気付いたようにまた微笑う。 「あら、ホント。さっきの任務でかな?」 さして気にした様子もない姿に、何か、本当に何か、どんな事でもいい、力になりたいと思った。 「胡蝶様さえご迷惑でなければ、縫わせていただいてもよろしいでしょうか?」 せめてもの、恩返しと言えば足りない。 とても足りないのはわかってはいたが、今の自分に出来る事はそれ以外になかった。 止めようとするしのぶより先に、カナエは両手を合わせると 「ホントに?じゃあお願いしちゃおうかしら〜」 綺麗に微笑った。 「…胡蝶様…」 自分の両目から零れ出た涙に気付き、それが落ちないように慌てて拭う。 同時に、手が止まっていた事に気付き呼吸を整えると、また針を通した。 Recollection 今でも、消えない記憶 [mokuji] [しおりを挟む] [back] ×
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