トントン、トントン 疲れていたのか、久々に深い眠りに就いた気がする。 玄関を叩く音に、すぐに反応出来なかった。 まだ開き切らない瞼を擦りながら、陽の出を少し過ぎた頃だと、鳥の鳴き声と差し込む光で認識する。 「……はい」 寝巻きに一枚羽織を肩へかけてから、引き戸を開ける。 そこには隠が数名、人間を背負いながら青白い顔で立っていた。 瞬時に、何かが起きたのだと察知する。 「どうしました?その方達は!?」 「那田蜘蛛山で犠牲になった人々です!余りにも多い犠牲者に胡蝶様の御屋敷では受け入れきれず、苗字殿の御屋敷を貸していただきたいと胡蝶様が…!」 「わかりました。ひとまず中へ!」 中へ踏み入れた途端、酷い悪臭に思わず鼻を抑える。 「…これでも軽傷者なんです。胡蝶様の御屋敷には人の形でなくなった者が何名も…」 青ざめたままの隠の姿が、どんな酷い惨事だったのかを物語っている。 「大丈夫です。とにかくこの方々を寝かせましょう。今布団を敷きますから」 極めて優しい口調で諭せば、隠の顔色が少し、安堵したものへと変わった。 雲路の果て 名前の屋敷に運ばれたのは隊士五人。 いずれも胡蝶しのぶが作った薬で多少、回復傾向にある者達。 隠が共に持ってきた薬を一日朝昼晩と飲ませるのが、名前に与えられた役割だった。 徐々に回復していく隊士や様子を見に来る隠から、那田蜘蛛山で何が起こったかを伝え聞き、ほんの一部ではあるが把握した。 そこにしのぶと共に義勇が関わっていた事、そして、鬼を連れた剣士が居た事。 柱が裁判にかけ、産屋敷の計らいで認められたとまでは聞いたが、その後の情報はピタリと止んでいた。 どうなったのか、気にはしながらも、しのぶに処方された薬を隊士に投与してから微笑う。 「…これで最後の薬です。今日で帰れますよ」 他の四人はそれぞれ、別日に床から回復する事が出来ていた。 「……うっ…うぅ」 涙をとめどなく流しながら何度も頭を下げるその姿は、きっととてつもない恐怖に支配されたのだろう。 伝え聞いた話だけでも、身の毛がよだつ。 もし名前がその場にいたら生きて帰れたか保証はない。 「…ありがとうございました」 涙を流した事で少しは落ち着いたのか、隊士は頭を下げるとしっかりとした足取りで屋敷を後にした。 それだけの恐怖を体験した後だ。 これから先、隊士として生きていくのか本人すらまだ道は見えていないだろう。 実際、その恐怖に打ち勝てず、隊士を辞める者は正直、そんなに少なくはない。 鬼殺隊自体を恐怖に感じてしまう者、何かしら力になりたいと願いながらも恐怖が消えず隠や柱の遣いになる者。 それぞれの人生を、産屋敷は何ひとつ否定する事なく認めている。 自分も、もう、決めなくてはならないのかもしれない そう思わない日はない。 隊士を見送ってから、扉を閉めようと振り返った所で、隊服を来た少年を見止める。 「……こんにちは!」 目が合うと同時、頭を下げる姿に 「…もしかして、竈門炭治郎くん?」 噂になっていた剣士の名を口にした。 * * * 「ありがとうございます。いただきます」 少年、竈門炭治郎は真っ直ぐな瞳でお礼を言うと出された茶を一口飲んだ。 傍らには、先ほど大事そうに置いた木箱。 「美味しいです!」 ただの緑茶に対しての感想にしては、大きなリアクションに名前は人知れず笑みを零す。 「…ご要件は?」 炭治郎の向かいにそっと腰を下ろすと問いかける。 「…あ、あの!名前さんは着物の仕立ての仕事をしてらっしゃるとしのぶさんから聞いて来ました!」 懐から取り出したのは緑と黒の市松模様の布。 「これを直していただけませんか?」 失礼します、と断りを入れてから広げてみれば裾が大きく裂けていた。 「…え?これは…無理…」 「えええ!?無理ですか!?」 「直すのはごめんなさい…無理です。鬼との闘いで破れちゃったの?」 「いえ!ちょっと屋敷で、あの、釘に引っ掛けてしまって…その、裂けました」 照れくさそうに言う炭治郎に、笑いを堪える。 「…新しく作り直す事なら出来るけど…」 「お願いします!」 バッと頭を下げる炭治郎に、また頬を緩めた。 「わかりました」 頷いてから立ち上がると、呟きながら自分の部屋へ向かう。 「…あ、でも生地あるかな…」 (確かこの間届けてもらったものが…) 考えながら引き戸を開けて、大きなつづらを引っ張り出す。 「…手伝いましょうか?」 後ろから飛んできた声に振り返らないまま微笑った。 「大丈夫」 軽々とそれを抱えると、炭治郎の元へ戻り蓋を開ける。 途端に驚いた表情を見せた。 中には色とりどりの反物が所狭しと並べられていて、どれも見覚えがあるものばかりだ。 炭治郎が行き着くであろう疑問に先回りして答える。 「お館様に用意していただいて、鬼殺隊の方々の反物は常に常備されてるんです」 「…凄いです!ここから名前さんが仕立てるんですか?」 「うん。でも柱の着物を仕立てることはあまりなくて…皆さんがお強いっていうのもあるけれど、思い入れが強い方も多くいらっしゃるから」 そこには勿論、冨岡義勇の反物もあるが、名前がこの仕事を始めてから依頼が来た事はただの一度もない。 「…炭治郎くんのは…多分この間届いた包みに…」 独り言のように呟きながらゴソゴソと中を漁る。 「あった」 その包みを取り出して開けてみれば全く同じ緑と黒の市松模様の生地。 「わぁ!俺のもあるんですね!あ!禰豆子のも!…善逸のまで!」 喜々とした表情で驚く姿に名前は更に頬を緩めた。 「新しく鬼殺に入隊した方のものも、すぐこちらに届くんです。生地があれば今日中には仕立てられますよ。早速寸法を測らせてもらえますか?」 「…あ、はい!」 巻尺を片手に立ち上がる名前につられて、その場に勢いよく起立する。 「隊服と違って細かくは測らないので力を抜いてね」 微笑みながら手際良く巻尺を滑らせていく姿に 「はい!」 と大声で返事をするが、明らかに近くなった距離に赤くなる頬を隠せなかった。 「…次、両腕を水平に」 それでも真剣になっていく表情に圧倒され言う通りに動く。 左腕の裄丈を測るため向き合う形になった名前に一瞬声を掛けようとしたが、口を開きかけてやめた。 「はい、お疲れ様です」 暫くして、巻尺を元に戻す共に掛けられた声に、炭治郎は気を張っていた背中を少し緩める。 「しのぶさんから門限などは決められてる?」 生地を広げながら突然飛んだ発問に、しどろもどろになりながら 「え?いえ!何も!ただ名前さんの所を訪ねるよう言われただけで!特には!」 慌てて答えた。 「それなら今日は此処に泊まっていかない?仕立てあがるのは明朝になるし、もう日が暮れるから」 「いいんですか?」 「勿論!炭治郎くんさえ良かったらだけど」 何度も瞬きをしながら名前を見つめる。 「……でも」 瞬間的に不安そうに木箱を見つめる炭治郎が何を言いたいのかは、すぐにわかった。 「…あの、禰豆子は…!」 「大丈夫。陽の光が入らない部屋があるから」 そうして続ける。 「もうお布団敷いといた方がいいかな?…えっと、禰豆子ちゃん、だっけ?ずっと箱に入ってるのは窮屈でしょう?あ!」 思いついたように手を叩く。 「禰豆子ちゃんの着物は?仕立て直さなくて大丈夫?」 立ち上がりかけて、炭治郎の表情が見る見る内に歪んでいくのに気付き、慌てて両手を振った。 「ごめんなさい!迷惑だった!?帰りたいなら帰っていいよ!?着物なら明日蝶屋敷に届けるし!!そんな知らない人間にいきなり泊まっていけって言われても嫌だし断りづらいよね!?ごめんなさい!」 一息で言った後、炭治郎は首を横に振る。 「…違うんです。ありがとうございます」 「………」 無理に作った笑顔に、思わず眉を下げた。 「禰豆子は、大丈夫です…。でも」 一度落とされた瞳も、また名前へ向けられる。 「禰豆子を、鬼じゃなくて…禰豆子として見てくれて、ありがとうございます!今日一日お世話になります!」 真っ直ぐに垂れた頭は、どれほどのものを抱えてきたのだろう。 気を抜いたら、泣きそうになってしまう程に伝わってくる。 カリカリッと音を立て、木箱がゆっくりと開き始める。 「…禰豆子!」 炭治郎の喜々とした声に、丁度陽が沈みきった辺りかと暗くなった空を眺めてから、木箱へ視線を戻せば、いつの間にか可愛らしい少女がそこに立っていた。 「…初めまして。禰豆子ちゃん」 そう言って微笑めば、トトトッと走り寄り名前の腕の中に飛び込んでくる。 「………」 「すみません!禰豆子は懐くとなんていうか!こうで!何かもう!ほんと!急にすみません!!」 狼狽する炭治郎と無表情ながらもしっかりとしがみつく禰豆子が、何故だかとても可笑しくて、堪えきれず顔を綻ばせた。 Grad その真っ直ぐさが嬉しい [mokuji] [しおりを挟む] [back] ×
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