雲路の果て | ナノ 04


「…被害状況、確認出来ました!ここから更に西へ向かった先に、重傷者が数名います!」
「わかりました。そちらに隠の方々を五人配置、鬼が居た場合に備え、甲(きのえ)の隊士も二人向かわせます」
「お願いします!苗字殿!」

山に潜む鬼を討伐し事後処理をするため、隠に指示を出すのは鬼殺隊、階級甲、苗字名前隊員。
詰襟の上着をきちんと首元まで閉め、軍袴に身を包んだその足元には動きやすいよう真っ白な脚絆が巻かれている。
隊服の上からは、自分の着物を羽織っているため見えないが、背中には例に漏れず刻まれた『滅』の文字。
ベルトに差された日輪刀は、御空色を宿していた。

柱の次に階級が高いとされる甲の隊士の一部は、討伐を目的にする柱の補助に入る事が多く、現場を指揮する事も許されている。

「…お疲れ様です!冨岡様!宇髄様!」

隠が皆、次々と頭を下げる中、二人は涼しい表情のまま颯爽と歩いていく。
今回倒した鬼は、鬼舞辻無惨の血が濃いものではなかったが血鬼術を使うため、柱も招集されていた。
甲から下の人間がいくら束になっても敵わなかった鬼を、この二人は眉ひとつ動かす事なく頸を落とした。
柱と言われる所以は、その強さにある。

「お疲れ様でした!」
名前の横を通り過ぎようとするその姿に頭を下げると
「おー、お疲れ!今回は弱すぎて派手に!とはいかなかったなぁ」
天元はケラケラと笑いながら手を軽く振ったが、後ろへ続く義勇はただの一瞥もくれない。
「……」
その背中が見えなくなってから、頭を上げた。
「… 苗字殿。こちら怪我人の搬送が完了しました。次のご指示を」
「…では、亡くなった方を埋葬しましょうか」
「はい!」
悪戯に食い散らかされ、放置されたまま山積みにされた人々に、少しだけ苦い顔をした。
この惨さは、何度見ても慣れない光景だ。
両手を合わせて目を閉じる。
どうか安らかに…
そうして空を見上げると、小さく息を吐いた。



雲路の




鬼殺隊に入隊して、何年が経つだろうか。
最初は癸(みずのと)だった階級も、今は柱の次、甲にまで登り詰めた。
名前の実力は、柱に敵う程ではないが、産屋敷さえも認めるものとなっている。
それ故に、隠は現場の指揮をとる名前に全面の信頼を置いているし、柱も言葉にはせずとも、事後処理のやり方は全て彼女に任せていた。

ここまで登り詰めたにも関わらず、未だに義勇と言葉を交わした事はない。
言葉を交わすどころか、視線を合わせる事さえなかった。
何度も、声をかけた事はある。
しかしそれも無視され続け、義勇が柱になってからはその立場に気後れし続けている。

『お前のような人間は生き残れない』

何年も前の台詞が、脳内で再生されて無意識に頭を横に振った。
義勇はまだ、自分の事を認めていないのだろう。
ならば、柱になれば、嫌でも肩を並べようと思ってくれるだろうか?

柱になれば…

「処理完了しました。これから全隊帰還へ切り替えます!」

そこにいる全員に聞こえるよう、声を張り上げると「はい!!!」と威勢のいい返事が返ってきた。

* * *

まだ救える被害者達を蝶屋敷へと運び込み、名前の仕事はひと段落を迎えた。

「…以上です。どうぞ宜しくお願いいたします」
「わかりました。ありがとうございます」
胡蝶しのぶに仕える神崎アオイという少女に深々と頭を下げ、帰路につこうとする。

「あー、もう夕方じゃん」
「ちょっと手間取ったね」
ふと聞こえた恐らく丁(ひのと)の隊士であろう会話。
「苗字さんが指揮してくれたからこれでも早く片付いた方ですよ」
「そう〜?」
「あの人次期柱候補なんて言われてるけどさ、知ってる?」
何となく嫌な予感がして、早々と立ち去ろうと歩みを速めたがそれも
「左耳が聞こえないんだって」
吐き捨てられた言葉に、思わず足を止めた。
「…え?そうなの?そんな風には見えなかったけど」
「まぁ…隊士の間じゃ結構有名な話だよな」
「何で?何で聞こえないの?」
「最終選別の時に負った怪我の後遺症?とか?本当の所はどうかわからないけど」
「だから柱候補って言われてるのにここ何年も甲止まりなのよ」
「…へぇ〜」

耳が聞こえないのは、事実だ。
今、隊士が噂していたように、名前は最終選別で最初に戦った鬼に厄除の面と共に、左耳を壊されている。
それも厄除の面がなければ耳だけでは済まされなかっただろうが。
外傷性のものではないので、見た目は普通とは変わらない。

呼吸を使う事でその欠損を補っているため、日常はおろか、戦いに支障はないが、気候や体調によっては、低音や高音の耳鳴りが続く。
ごく稀にではあるが、それが邪魔をする可能性もあるため、鬼殺隊として入隊する時も、新しく隊士や隠が補充された時も予め伝えるようにしていた。
この左耳のせいで、誰かに危険が及んだりしないために。

柱になれないのは……

「…あ!」
ふと声を上げた隊士と目が合い
「お疲れ様でした」
穏やかな笑顔を作り、早々とその場を後にする。
「……やば。聞かれてた…?」
「いや、わかんない」
「聞こえてないんじゃない?だって私達左側にいるし」
小さい笑声を背に名前は息を吐くと空を仰いだ。
「……。右耳で、聞こえてるんだけどな」


* * *


蝶屋敷を出た所で
「……カァーッ!」
鴉がけたたましい鳴き声を上げ、次の指令を伝える。
「西北西!西北西!二鬼ノ住ム町アリ!スグニ向カイナサイ!」
一つの指令が終わり、間髪入れずにすぐ次の指令がくるのも今では日常茶飯事だ。
「冨岡義勇ハ既二現地ヘ!甲ノ隊士!至急柱ノ援護ヲシナサイ!」
「…了解!」
呼吸を整え、走り出そうとした瞬間
「…あら、また出陣ですか?」
穏やかで可愛らしい声が響く。

「…しのぶさん!」
その人物に気付いた瞬間にはすぐに膝を折り、頭を垂れていた。
「もう〜、何度言ったらわかるんですか?かしこまらないでください」
「…ですが!」
「あ、でもようやく様はつけないようになってくれましたね」
少し嬉しそうに口元を上げるしのぶの表情は柔らかいもの。
「実は、名前さんに折り入ってお願いがありまして」
「…はい」
聞き入れようとしている姿に安心したように、しのぶはその小柄な身体でしゃがみこみ、視線を合わせた。
「先程、宇隨さんには怪我人のための治療薬を追加で持たせたのですが、冨岡さんはそれを受け取る前に出ていってしまいまして…」
そうして少し眉を下げる。
「私はこれから重傷の方を見なくてはならないので此処から動けないんです。届けてもらってもよろしいですか?」
一応、選択肢があるように質問として口には出しているが、そこには逆らえない何かがあった。
「鎹鴉や隠の方より、名前さんの方が速いので」
ニッコリと微笑うしのぶに少し恐怖を感じる。
「……しのぶさん、お、怒ってますか?」
「いいえ〜。ただ先程、薬を追加するので帰る前に寄って下さいねって冨岡さんには伝えた筈だったんですよ?何考えてるんでしょうねぇ?何で人の話聞かないんでしょうねあの人」
「……す、すみません」
(こ、これはものすごく怒ってる…)
「と、とにかくこれを届ければいいんですね!?いってきます!」
なかば逃げるように包みを受け取ると走り出す。
「いってらっしゃ〜い」
笑顔を崩さないまま手を振るしのぶに、振り返る事は出来なかった。

(しのぶさん怖い!ほんっと怖い!!怖い!!めっちゃ怒ってた!!)
全速で走りながら、ふと気付いた。
(あ…、でも…。これで少し話が出来るかもしれない…)

途中、何度か行く手を阻む鬼を倒しながら、向かったのは小さな田舎町。
そこでは既に、冨岡義勇により鬼は滅殺されていた。

後処理のため、隠達が忙しなく動く中、義勇の後ろに近付いてから考える。
どう、声を掛ければ良いのかと。
(義勇…なんて、いきなりそんな馴れ馴れしく呼んだら隠の方達がビックリするよね…柱なんだし…)
恐らく、名前が後ろにいるのは気付いているだろう。
しかしながら言葉を発する事のない姿に、その右足が去ろうとする。
「……あ!」
慌てて口にしようとして
「…義勇っ様!!!」
思い切り、裏返った声が出た。
隠達がピタリと動きを止め、義勇へと一斉に視線を向ける。
(一番変な呼び方しちゃった!)
それでもその呼び方が功を奏したのか、義勇はゆっくりと振り返った。
久しぶりに合わせたその顔。
いつも冷淡な表情がこの時ばかりは何とも言えない、呆れにも似た色を宿していた。

ふと、感じたその温かさ。
あの時、狭霧山で感じた温かさだった。
錆兎と共に、修行していた頃の。
義勇は、今も義勇のまま。
そして次に気付いたのは額に流れる血。

「怪我してる…!」

出血量の割に傷は深くないのはこれまでの経験からわかってはいたが、思わず自分が持っていた手巾で怪我を抑えようとすれば
「……問題ない」
軽く手を払われた。

一瞬、感じた温かさは何だったのだろう。
そうであってほしいと願望が見させたのか、そう錯覚させるほど、払われた手はとても冷たかった。

「…あの…。胡蝶しのぶ様から薬を預かってきました」
頭を下げ、ただただ事実のみを伝え、包みを差し出す。
「………」
義勇は特に何も言う訳でもなく、名前の手元からそれを受け取ると、踵を返し、去っていった。




私は

今も、ずっと後悔している事がある。

何故、私は鬼に襲われた時、両親を呼んでしまったのだろう、と。
鱗滝さんは言った。
仕方がなかった事だ、と。
それでも私が何もしなければ、恐怖に怯えて隠れていれば朝日が昇るまで両親が切り刻まれる事はなかったし、殺されるにしても、もう少し楽に死ぬ事が出来た。

何故、私は
最終選別の前だからといって、いつもはしなかった町に買い出しなんて事をしてしまったのだろう。
熊が親子だからといって私には関係なかった。なかったんだ。
そのせいで錆兎、義勇と一緒に最終選別には行けず、さよならすらも言えなかった。

何もしない方が
私は、何もしない方が世の中はうまく回る気がした。

だからあの時
ボロボロになっても生き残った義勇に、泣きそうな顔で旅立っていく義勇に、私は何も言わなかった。

何も、しない方がうまくいくから。

だけど、一言でいい。
何か伝えていたら…
「義勇のせいじゃないよ」ってずっとずっと思っていた事、伝えられていたら、何かが変わっていたんじゃないかって。

結局、何をしても
何もしなくても
残ったのは後悔だけ。

こんな事になるならってもう、何度思っただろう。



Repeat
そうやって繰り返す

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