雲路の果て | ナノ 蝶と雲


鬼が通った道は、悲惨な現場しか残らない。
建物が壊れたくらいなら、まだマシだ。
どんなに時間が掛かろうと、直す事が出来るから。
けれど人間は、そうもいかない。
鬼によって惨めにも殺された人々は、切り刻まれ食われ、それが飽きたら捨てられ、そのまま腐っていく。
鬼は人間を食糧としてしか見ていないので、それは必然的な行為だった。
綺麗な遺体なんて、それこそ鬼に殺されたばかりか、冬の酷く寒い日に放置され凍ったものくらい。

今日もそう。
転がった遺体に、辺りを包む人間の鉄の臭いと腐敗臭。
最近入隊したばかりの癸(みずのと)の隊士が遠くで胃の中の物を戻しているのを横目に、胡蝶しのぶは慣れた手つきで、凄惨な最期を迎えた者達を地面へと埋めた。
そうして隠や隊士達と共に、その冥福を祈るため手を合わせる。

瞑っていた目を開け、ゆっくり顔を上げれば、その中で一人、涙を流している隊士に気が付いた。
肩を小さく揺らして、声を押し殺しながら未だに手を合わせる姿に
「…苗字〜。また泣いてんのかよ。ほんっとお前は泣き虫だよな〜」
話し方からして恐らく同期であろう隊士がその頭を撫でようとしたのを、自分が差し出した手巾で遮った。

「どうぞ」

眉を寄せたまま一言だけ言えば、隊士は驚いたように身を引いていったが、苗字と呼ばれた人物はポロポロと涙を流しながら、ただしのぶを見つめる。
「初めての任務ですか?」
「…三、回目です」
「じゃあそろそろ慣れた方がいいですね。こんな事、これから日常茶飯事ですから」
出したままだった手巾をもう一度「どうぞ」と差し出せば
「…大丈夫です…!」
無理矢理両手で涙を拭う姿に、溜め息を吐くと隣にしゃがむ。

「貴方は、人前で泣かない方がいいと思います」

他の隊員や隠に聞こえぬよう、小声で言えば
「…すみません!見苦しいですよね…!気を付けます…」
わかりやすく落ち込んでうなだれる横顔に、それ以上の言葉を掛けるのをやめた。


と雲



複数の隊士が重傷を負ったと、柱である胡蝶カナエ、そして妹であるしのぶが救助の指令を受けたのはその三日後の事。

その殆どが虫の息で手遅れに近い中、唯一救えそうな数名を見つけた。
「姉さん!こっちにも…」
そう言い掛けて、どこか見覚えのある羽織に気付く。
すぐには思い出せなかった。
「どうしたの?しのぶ。お知り合い?」
背後から聞こえるカナエの言葉に
「…うん、ちょっと」
そう答えると気を失っているその身体を起こす。
三日前に泣いていたその姿は、ボロボロになって地に伏していた。
傷は深い、がまだ息はある。微かだが全集中の呼吸も使っている。
「どう?助かりそうかしら?」
カナエが他の隊員の処置をしながら訊くと、しのぶは傷の止血をしながら頷く。
「多分。これなら何とかなりそう」
そうして、蝶屋敷へと運んだ。


彼女が意識を取り戻したのは、翌日の夕刻の頃。
ぼんやりと天井を見つめる視界に入るよう、それを覗き込むのは微笑みを湛えたカナエ。
「目が覚めたみたいね」
「………」
確実に視線は合っているのだが、そのまま動かない姿に、しのぶもカナエと同じように覗き込んだ。
「大丈夫ですか?」
「…!大丈、夫です!泣いてません…!」
意識を取り戻した第一声がそれかと、思わず眉を寄せた。
「それは今聞いてないです」
「まぁまぁ、しのぶ。目覚めたばかりなんだから、そんなに目くじら立てないの」
カナエの言葉に黙ると、漸く状況が把握出来たのか
「……助けて、くださって…ありがとうございます」
小さく口を開く。
一瞬カナエがしのぶの方へ視線を向けたが、何も答えようとしないしのぶの代わりに
「どういたしまして。顔色も良くて安心したわ」
にこやかに返事をした。


* * *


「包帯を替えにきました」
淡々とした口調と表情で言うしのぶに
「…お願い、します」
委縮したように起き上がると左足を差し出す。
古い包帯をそっと剥がしてから、また手早く巻いていく。
そこに一切会話はない。
「出来ました」
「…ありがとうございます。…すみません」
小さく頭を下げる姿に、片付けをする手を止めた。
「どうして礼を言ったあとに謝るんですか?」
「……。ご迷惑を、おかけしているので…」
「それなら尚更ありがとうだけで十分では?余りへりくだるのは余計に自分の価値を下げますよ」
「…すみません…」
更に委縮する姿に溜め息だけを返し、部屋を後にした。


* * *


「…姉さん!姉さんってば!!」
しのぶの声が蝶屋敷の廊下に響く。
「なぁに?しのぶ。そんなに大きな声出して」
相変わらずのほほんとしながら歩く背中を負い掛けた。
「仕立ての仕事って何よ!?何でそんな事薦めたの!?」
しのぶが怒っているのは、つい先程の事だ。
退院の挨拶を交わした際、カナエのほつれた脚絆を縫い直した彼女に
「こんなに凄い技を持っているのだから、鬼殺隊でも仕立てとして活かしたらどうかしら?お館様には私からお願いしておくわ」
そう言いだしたのが原因だ。
「え〜?いいじゃない。きっとお館様も許してくれるわよ」
「そういう事じゃなくて!…確かに片耳が聞こえないのは気の毒かもしれないけど、姉さんがあの人のためにそこまでする義理はないでしょう!?」
その言葉に、カナエは立ち止まると振り返る。
「しのぶ?私は気の毒だからという理由で名前さんに仕立てを薦めた訳じゃないわ」
真剣な眼差しに、耐え切れず目を伏せた。
「わかってるわ。わかってるけど…」
「でも、どうしてかしら?」
上げた視線に、またいつもの笑顔が映る。
「名前さんを見てると何だか力になりたくなっちゃうのよね。しのぶもそうでしょう?」
何も答えないしのぶに、大して気にする事なくまた歩き出す。
「今度、羽織も縫い直してもらおうかしら〜」
独り言のようなその台詞は、叶う事はなかった。


カナエが薦めた仕立てという仕事が、徐々に噂として隊士の間に拡まり、安定した数年後。
それは突然、本当に突然の事。
仏壇に置かれた遺影を、まるで現実ではないもののようにぼんやり眺めていた。
「…姉さん…」
か細く呟いても、返ってくる言葉はない。

目を伏せたと同時に
「ごめんください」
玄関から響く声を聞いた。
出迎えれば、小さく委縮した姿。
しかしそれも
「…お線香をあげさせていただいても、よろしいでしょうか?」
深く頭を下げたのを見て
「どうぞ」
短く答えてから部屋へ通した。
焼香をした後、合わせた手が震えたかと思えば、その瞳から流れる涙。
「…すみません…!」
慌ててそれを拭う仕草に、視線を落とした。
「…人前じゃないから、泣いてもいいのでは?」
「………」
「私しか居ませんから」
しのぶの言葉に、堰を切ったようにとめどなく流れる涙。

「名前さんを見てると、力になりたくなっちゃうのよね」

いつだかのカナエの言葉を思い出す。

「…胡蝶様…っ」
泣きじゃくりながら小さく呟く姿に、静かに一筋涙を流した。

あの時、カナエが言った意味を少しわかった気がする。


「…どうぞ」
手巾をそっと差し出せば、ポロポロと涙を流しながら見つめる瞳。
「…ありがとうっ…ございます…」
そうして手巾を受け取ると、祈るように両手で握り締める姿に、あの時と全く同じ事を思った。
「…やっぱり貴方は、人前で泣かない方いいですね」
僅かに上げたその顔が落ち込む前に続ける。
「見苦しいからじゃないですよ。寧ろその逆です」
「………」
「貴方の優しさに、つけ込んでくる人が居るから」

声を掛けていた隊員のあわよくばの下心を思い出す。
自然と制止したのは、無垢な悲しみをそんな事で消費されたくなかったからだ。

「…気を、つけます」
短く答えたその表情も、きっとその意図は理解していないのだろう。


自分より歳上なのに、気が弱くておどおどしていて、でも素直で、だから危なっかしい。

本当に、何故だろうか。
放っておけなくなってしまう。


「しのぶもそうでしょう?」



えぇ、本当、そうなのよ。さん

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