嘴が告げる突然の伝令に、義勇の瞬きが多くなった。 「…承知した。しかしどうしてお前が此処にいる?」 義勇の元へ駆け寄ってきたその表情も、同じように困惑している。 それは紛れもなく名前に支給されていた鎹鴉。 "されていた"と過去のものとしたのは、先日産屋敷輝利哉から届いた文の内容からだ。 元々、鎹鴉は訓練されただけで中身は普通の鴉である。 名前に就くこの鴉には、南へ一山超えた向こうに帰りを待つ家族が存在していた。 昼夜問わず主に就き、指令、または伝達を伝え続けなくてはならない仕事であるが故、その家族の元へ帰れたのはこの数年で片手で足りる程しかない。 その状況が変わったのはおよそ三ヶ月前。 産屋敷邸に戻った鴉に対し、名前は寛三郎との面会の許可を貰う際、こうも認めていた。 "鎹鴉が普通の鴉として家族の元へ帰る事は出来ますか?" 返ってきた答えは是認。 その言葉を受け、厚かましいと知りながらも、産屋敷に鎹鴉への言伝を送る。 自分の好きなように、生きてくださいと。 そうして数日前に送られてきた文には、鎹鴉が家族の元へ帰ると決心したというものだった。 だからこそ、今此処で伝達を伝える姿に困惑せざるを得ない。 もしかしたら寛三郎が伝えられない程に弱ってしまったのかと考えが頭に過ぎるも 「ワタシノ最後ノ伝達デス!寛三郎サンガ譲ッテクレマシタッ!!」 その言葉で杞憂だった事を知る。 ピョンと軽く跳ねると名前の左腕へ器用に掴まった。 「甲ノ隊士ッ!今マデ良ク!頑張リマシタッ!!」 素早く頭を下げた動きに名前も小さく頭を下げる。 「やっと、帰れるね」 にっこりと微笑うとその小さな頭を撫でた。 若干目を細めたものの、すぐに窓の桟の移動するとしなやかな翼を広げる。 「…あ、元気でね!?」 返答はないままだが、急上昇していく動きに身を乗り出し見上げれば、上空で旋回していく。 三度大きく回った後、産屋敷邸方面へ向かっていくのを見えなくなるまで見送ってから窓を閉めた。 雲路の果て 「随分、あっさりとした別れだな」 若干目を丸くする義勇に、笑顔のまま窓掛けを動かした。 「あの子、私が泣くの昔から嫌いなんだ。だからだと思う」 最終選別後、就けられたその存在。 左耳の聴力を失っている事を考慮して当時一番声が通る鎹鴉が宛がわれたと知ったのは、名前が甲にまで上り詰め、初めて産屋敷輝哉と対面した時だった。 溌剌な声と同じくその性格も意気盛んなもので、 「癸ノ隊士ッ!シッカリシナサイ!泣クノヲヤメナサイ!!」 最初こそ叱咤されていたが、いつからか名前が泣いていると遥か上空まで上がり、先程のように大きく旋回し涙を止めてくれていた事を思い出す。 それも、鎹鴉の気の向く時に限られていたが、不器用な優しさはいつの日にも変わらなかった。 だからこそ今も、別れに涙を滲ませてしまう前に飛び去ったのだろうと理解を深めている。 「そうだ、義勇、柱合会議なら隊服準備しなくちゃ!」 思いを馳せる事で涙を溜めてしまう前に意識を別の所へと向けた。 部屋の隅に配置されている箪笥の引き出しを開ける。 数週間前、此処に訪れた縫製係の前田まさおが置いていった真新しいものを手に取った。 「柱合会議は五日後だ」 「そうだけど、もし寸法が合ってなかったら大変でしょう?」 いそいそとベッドの上へ広げると笑顔を見せる。 「着てみて?」 期待に満ちた瞳に渋々そのワイシャツを手に取ってから口を開いた。 「…ずっと見ているつもりなのか?」 困惑する義勇が何を言わんとしているのか気付いた時には頬が桜色に染まっていたが、背を向けた事で視界から消える。 「え?あ、ごめんね!あっち向いてるから!」 それだけではなく両手で顔を覆う動作に口角を上げながらも入院着のボタンを外した。 着慣れた筈のワイシャツに袖を通した瞬間、その感触の違いで失った右腕を顕著に感じる。 一人では留める事が難しいボタンはひとまず置いておく事にして、軍袴を履いてから小さく身を縮める背を見た。 「名前」 「…ん?」 「留めてくれないか?」 振り返ると、意味を理解したように何度も頷きながらすぐに両手が首元のボタンへと触れる。 一番下まで終えた所で見上げる瞳と目が合った事でドキッと心臓が跳ねた。 「裾、しまおっか」 「…いや、良い。自分で出来る」 冷静になろうと左手で軍袴へと押し込もうとするも回される両手に動きを止める。 偏りが出来ぬよう丁寧に収めていく名前に黙って身を委ねた。 腰の留め金を填めた所で 「変な所ない?大丈夫?」 そう訊ねられ、小さく首を縦に動かす。 「平気だ」 「良かった」 微笑むとベッドに置かれていた白いベルトを手にした。 「これって、こっち?あれ…?」 何度もひっくり返しては戻す仕草に手を添える。 「こっちだ」 「あ、そっか、ありがと!」 背後へ回る両手がベルトを通していくと留め具へ触れて、義勇はその光景をただ不思議だ、そう思いながら眺めていた。 純粋に、慣れないという感覚。 今まで何の気なしに袖を通していた隊服も、適当に纏めていた長髪も、今や名前の存在なくては満足に出来ない。 右耳の代わりになると告げた時、確かに全ての覚悟を決めた。 しかし今名前はその義勇の決意を遥かに凌駕する程の決意を持っているのだと痛切に感じている。 後ろへ回ると隊服のジャケットを双肩に掛け半分程しか残っていない右上腕を誘導する両手は酷く優しいもので、嬉しさという単純な感情よりも胸の奥がじわりと温かさで滲んでいく。 金色のボタンを留めた後、襟を正すと僅かながら眉が下がったのを見た。 「…義勇、少し、痩せたね…」 「そうか…?」 「うん」 自分の中でさほど変化を感じないが、名前の中では大きなものなのだろう。 揺れる瞳からそれが伝わってくる。 「筋肉量が落ちた分、そう感じるのかも知れない。すぐ元に戻る」 宥めるようにそう言えば、瞬きと共にゆっくり頷いた。 そうしてすぐふふっと小さく笑う口唇に今度は疑問が湧く。 「義勇の隊服姿、すごく久しぶり」 「それは、自分でも思う」 深めた笑顔が何か気付いたように両手を合わせた。 「そうだ、羽織りも着てみよう?」 義勇の返事を聞く前に、先程隊服を出したひとつ下の引き出しから綺麗に修繕された羽織りを取り出すと、袖を通すよう促す。 義勇が左腕を通したのを確認してから、右手、隊服の袖へ触れると羽織りへ通していく。 正面に回り込むともう一度襟を正してから嬉々とした表情を見せた。 「…うん、カッコイイ!本当にすごいよね。禰豆子ちゃん」 そう言いながら、縫い目を愛おしそうに撫でる。 上弦の鬼、そして無惨との戦いでほぼ端切れに近くなってしまったその形見。 数日昏睡状態に陥った義勇のために何か出来ないかと禰豆子は怪我を負ったその手で、元々の羽織りと遜色がないまでに修復を施した。 その技術は"仕立て屋"と呼ばれる名前を遥かに凌ぐもの。 義勇がその経緯を聞いたのは、朦朧とする意識の中、目を覚ました先、自分に掛けられていた羽織りについて発問した時だった。 最初こそ名前が仕立ててくれたのかと働かない頭で考えてもみたが、左手が使えぬ彼女にそれが出来る筈もなく、自分を見つめる温かい瞳の反対側 「良かったあぁ…義勇さん…良かったぁ」 全身の力が抜けたようにベッドの傍らに突っ伏す禰豆子の存在を視界に入れた事で知った。 「禰豆子ちゃん…、義勇の羽織りをかけてずっと、ずっと祈ってたんだよ」 声を震わせながらも、禰豆子の手前、気丈に振る舞っていたその姿を思い出す。 「…名前に教えて貰ったと、禰豆子が言っていた」 弾かれたように顔を上げると狼狽えるその両手が忙しなく動いた。 「教えた…なんて!ただ寸法とか柄合わせとかそんなことしか…!全然っ私何の力にもなれなくて…!」 産屋敷から配給された中にあった義勇の亀甲柄と臙脂色の反物、動けない自分の代わりに癸の隊士達に運んで貰い、禰豆子に託した際、二、三、質問を受けたので享受をした記憶はある。 だが、それは初歩中の初歩に近いもので、ここまで完璧に仕立てたのは禰豆子の力そのものだった。 例えあの時、両手が使える万全の体調だったとしても、ここまで綺麗に修繕する事は不可能だったと省察している。 もう一度その繊細な縫い目を撫でてから、自然と笑顔が零れた。 元地が少なくなったとは言え、義勇にとって大切な形見がこうして蘇った事に言葉では表しようにない位、感謝をしている。 羽織りから掌へ伝わる鼓動を聴きたくなって、おもむろに右耳を当てる。 「…名前?」 「少し、こうさせて?」 トクン、トクン、と響く音の心地好さに身体を預けると同時、返事の代わりにというように包み込む腕の温かさにゆっくり瞳を閉じた。 どれ位、そうしていたかはわからない。 抱き締めていた左腕が弛んだと思えば、髪を撫でる手の動きで我に返ると顔を上げた。 「あ、ごめんね…!ずっとくっついちゃって…」 離れようとする前にその手でもう一度胸板に押し当てられる。 「構わない」 優しさに満ちた声をすぐ傍で聴いた事で、ふふっと笑声が零れた。 「…おかしいか?」 「ううん。嬉しいの。すごい、義勇の近くにいられてるなぁって」 誰よりも、その愛おしい存在の傍にいる。 その事実を身体全てで感じられる事が何よりも尊い。 「こうしてるとね、義勇の音がして、義勇の匂いがして、義勇のあったかさが伝わってくるんだ」 胸元に添えていた両手で僅かに薄くなった背中へしがみつくように回した。 「…大好き」 込み上げる想いを素直に口に出せば義勇の心音が不規則なものへ動きを変えたのをその耳で聞く。 抱きついていた力を弛めると顔を上げた事で見下ろす群青色の瞳と見つめ合った。 徐々に落ちてくる顔の意味を悟るとゆっくり目を閉じる。 触れ合った口唇が段々と深いものになっていき、その苦しさから顔を反らそうとした時だった。 突然動きを止めた義勇が口唇を離すと 「…誰か来る」 小さく呟く。 「え…?」 その言葉に扉へ向けようとした視線は、そちらに背を向けるように名前の身体ごと角度を変えた事によって遮られた。 また落ちる口唇もすぐに名残惜しそうに離れる。 「…ぎゆ…」 「炭治郎達だ」 「どうして、わかるの…?」 「声がする」 その言葉通り、二回の合図の後 「こんばんは!」 「こんばんは〜!また来ちゃいました〜!」 炭治郎と禰豆子の陽気な声が木霊した。 「あれ?義勇さん、羽織り着てるんですね」 炭治郎の何気ない言葉に顔だけをそちらへ向けるのを見上げる。 「あぁ、五日後に開かれる柱合会議のため試し着をしていた。どうした?」 「夕飯、一緒に食べませんか?って誘いに来たんです!」 義勇に包まれたまま動けずにいながらも、もうそんな時間になるのかと考えた。 「義勇さん達が良かったら私達が配膳するんで…ってあれ?名前さん、いないんですか?」 名前を呼ばれた事で出て行こうと動かした足は更に力を込める腕によって停止せざるを得ない。 「今は出ている」 「……。そうなんですね」 此処にいる事を知られてはいけないのであろうと名前は意識的に気配を潜める。 確かに扉の方からでは、義勇の羽織りで名前の姿も、並べられているベッドでその足元すらも認識出来ないであろう。 「…じゃあ遠慮した方が「いや、此処で食べていくと良い」」 竈門兄妹の空気が明るくなるのを感じながら、困惑するのは名前。 この状態でどうすれば良いのかと模索する前に 「ただ俺も夕飯の前に着替えたい。また後で来てくれないか?」 続く言葉に自然と安堵した。 「わかりました!禰豆子、行こう」 「うん。失礼しま〜す」 早々に閉められた扉に、恐る恐る顔を上げる。 「…義勇、どうして炭治郎くん達に嘘ついたの?」 表情からではその意図が窺えず眉を下げるも、頬を撫でる指背に目を細めた。 「ごまかせたからよかったけど…」 「誤魔化せてはいない。炭治郎は最初から匂いでお前が此処にいるのに気付いてる」 「え…?じゃあなんでそんな嘘…」 また柔らかく滑る動きに反射的に目を瞑った瞬間 「名前のそんな顔を誰にも見せたくないからだ」 耳元で囁く熱い吐息に身体が震える。 「…そ、そんな顔って…っ私変な顔してる…?」 紅潮していく頬とは裏腹にその瞳は不安げに揺れており、義勇は頬が弛むのを感じながらその口唇へ触れるだけの接吻を落とした。 「違う」 囁きながら右耳を甘噛みすればわかりやすく大きく震える肩も項へ舌を這わせれば瞬く間に力が抜けていく。 「んっ…ぎゆ」 艶のある声に口唇を離すと潤んだ瞳を見つめた。 「その顔を見るのは俺だけで良い」 「………」 ゆっくり瞬きを繰り返す仕草で意味を理解していないのは安易に知れたが 「脱ぐの、手伝ってくれないか?」 敢えてそのまま別の方向へ意識を向けさせる。 「…あ、うん!もちろん!」 すぐに無邪気な笑みに変わると背に回る名前は、全く気が付いていないのだろう。 自分が艶やかな表情をしていた事など。 隠し切れない色情がその瞳から、口唇から溢れていた。 それは以前の名前からは見受けられなかったもの。 何度も情事を重ねる事でその身に沁みついた。 どうしてもその熱を持つ艶やかさを自分以外の誰かに曝したくなかった。 炭治郎はどこまで気が付いただろうか。 義勇本人の匂いは上手く隠し通せた。 問題は名前だが、恐らく自覚がないようなのでそれも匂いとしては察知されていない筈。 そんな事をぼんやりと考えていたせいでベルトを弛める両手で我に返る。 「それは自分で…」 コンコン、と先程と同じ音に気付くも今この場では誤魔化す術がないのを察した時には諦めが胸を占めていた。 「義勇さん!配膳車運んでき」 目の前に広がる光景に動きを止めた炭治郎と禰豆子。 そしてそれを視界に入れた名前の 「あれ?二人ともどうしたの?」 バックルに手を掛けたままあっけらかんと言いのける口調に、溜め息すら吐けなかった。 Sudden 譬えるならば天衣無縫 [mokuji] [しおりを挟む] [back] ×
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