雲路の果て | ナノ 49



「名前さん、顔上げてください」

アオイにそう言われて、無意識に俯いていた顔を意識して動かした。
目の前の雛鶴と目が合って、ニコリと微笑まれる。
「緊張しないで。目閉じてね」
「…は、はい」
「もうちょっと力は抜いてくれない?」
ギュッと強く瞑る目に今度は苦笑いが零れるも、慣れた手付きで目張りを入れていくのと同じく、アオイがその髪を結っていく。
傍らで見守るのは女隊士。
徐々に着飾られていく姿は、最後に紅を加え完成を迎える。
「どうかな?」
「良いと思います」
ゆっくりと目を開けた鏡の先、白無垢に身を包んだ自分の姿を捉えた事で、驚きに満ちるその表情がわかりやすいと小さく笑うアオイと雛鶴が見つめる中、女隊士は
「…苗字さん、すごい、素敵…」
感嘆に似た息を吐いた。


雲路の


蝶屋敷の一室、目の前に並べられた御膳を前にしながら、炭治郎と禰󠄀豆子は今か今かと逸る気持ちで襖を眺めている。
「これもう食って良いのかッ!?」
「駄目に決まってるだろ!?主役が出てくるまで待ってろよ!」
左横から聞こえる善逸と伊之助の会話を聞きながら、禰󠄀豆子は周りを見回すとある一点で止まった。
「…お兄ちゃん」
「何だ?禰󠄀豆子」
「鱗滝さん、まだ来てないね」
間隔を空け、向かい側に並べられた御膳、そこに座る筈の人物の姿がない。
三つ分空けた隣には、そして宇髄天元、まきを、須磨が腰を下ろしているのを視界に入れた。
「本当だ。どうしたんだろうな。鱗滝さん…」
狭霧山から此処までは距離があるとは言え、今日この日は突然決めた訳ではない。
名前が事前に文を送ったとは言っていたが、そういえば返事が来たかどうかの詳細は訊ねていなかった事を思い出す。
スッと開かれた扉に、今思い浮かんだ人物ではなかったが、
「不死川さん!こんにちは!不死川さんも来てくれたんですね!」
つい嬉しくなってその名を呼んだ。
炭治郎達と同じく入院着に身を包みながら、罰が悪そうに視線を落とすと天元と目が合う。
「お、お前も呼ばれてたのか。座れ座れ」
そう言って一つずつ席を移動した。
「あとは、鱗滝さんだけか…」
小さく呟いた炭治郎の右横に座るカナヲが視線を送る。
「炭治郎の師匠?」
「うん、そうなんだ。カナヲにはまだ言ってなかったな。鱗滝さんは…」
言葉を遮るように扉が開き、天狗の面が顔を出した。
「鱗滝さん!」
目が合っているかはわからないが、こちらを向いたかと思えば、すぐに忙しなく辺りを見回す。
「席はそこです!」
少し身を乗り出して指を差せば、無言ながらもそこに腰を下ろし、小さく息を吐く。
漂ってくる匂いで、天狗の面の下が若干張り詰めているのを知った。

「オイまだかよ!半々羽織と仕立て屋は!!腹減った!」
伊之助の叫びについ苦笑いが零れる。
「伊之助、もうすぐだ」
それだけ言うと、期待に胸を膨らませながら二人が出てくるであろう襖を見つめた。

* * *

トントン
控えめな合図の後、戸の向こうから
「冨岡さん、準備出来ました」
同期の声が聞こえ、女隊士は名前に手を差し出すとゆっくりと立たせた。
「苗字さんも大丈夫」
その言葉を聞き、開けられた向こう、黒紋付きに身を包む義勇を視界に入れる。
「…苗字さん、めちゃくちゃ綺麗」
「うん、すごい…綺麗です…」
癸の隊士二人が圧倒される中、名前が照れながら「ありがとうございます」と微笑んだ。
しかし何度か瞬きを繰り返すだけでそこから動こうとしない義勇に眉が下がっていく。
「…似合わない、かな?」
不安そうに揺れる瞳で我に返ると距離を詰める。
「似合う」
「本当?」
「本当だ。思わず言葉も出ない程に見惚れていた」
誤魔化す事なく心の内を伝えればその瞳が嬉々として輝いていく。
「ありがとう」
ふふっと口元を隠した右手が動いて義勇の紋付へ触れた。
「義勇、すごくカッコイイ」
「…そうか」
弛まりそうになる頬は
「お二人の世界に浸ってる所悪いんですけど、そろそろ行きますよ。皆さん待ってますから」
アオイの言葉で遮られる。
「じゃあ私も天元様の所へ戻るわね」
「あ、雛鶴さん!ありがとうございました!」
「どういたしまして」
音もなく消える姿に若干驚きつつ、後ろへ回り込むアオイに視線を向けた。
「私が名前さんの裾を持つので貴方は前で歩く補助をお願いします」
「わかりました」
「そんな!二人掛かりじゃなくても歩けますよ!?」
「こけますよね絶対に」
「私もそう思います」
意見が一致した二人に、同期は小さく笑う。
「さぁ、行きましょう」
アオイの声で引き締まる気持ちに名前は姿勢を正すと歩き出した。


この日を二人の祝言としたのは、丁度一ヶ月前の今日が、義勇の誕生日だった事が大きい。
あの時、置かれた状況から祝われたい、などという気持ちなど微塵も沸いてこず、誕生日ながら粛々と過ごした義勇に対して、名前は何らかの形で"祝いたい"という想いがずっと心の奥底にあった。
炭治郎達が祝言を上げさせて欲しいと提案した時、真っ先にそれを思い出し、強く希望した今日この日は折良く"大安"でもあった。
厳かな式ではないが、念のため産屋敷家にお窺いを立て許可を得た事で、蝶屋敷が主立って準備も進め、今を迎えている。
天元や実弥に声を掛けたのは、他でもない炭治郎。
義勇と名前が大々的な集まりは避けたいと希望したため、二人を良く知る必要最低限の人物だけに留めた。
あくまで"祝言を上げる"のではなく、内輪のみで"お祝いをする"という形を取ったのも、思慮深い二人の負担にならないようにという炭治郎達なりの気遣いだった。

準備を手伝っていた雛鶴、少し遅れ癸の隊士がそっと席に着いた事で、そろそろ二人が出て来るのであろうと悟り、自然と空気が引き締まる。
しかしそれも
「…きゃっ!」
小さい悲鳴がした後、襖にガンッ!と響く衝撃に空気が固まる。
「大丈夫か?」
「大丈夫ですか!?」
「何で裾下ろした途端に転ぶんですか!一歩しか進んでないですよね!?」
「…ご、ごめんなさい…」
明らかにまごついている裏側、というより名前の姿を想像してカナヲが耐え切れず小さく笑う。
一度静寂が訪れた後、静かに開けられた襖の向こう、正座をし頭を垂れていた二人がゆっくりと顔を上げた。

「………」

瞬間的に息を呑んだ一同も
「名前さん!キレイッ!!」
「お、なかなかサマになってんじゃねぇか冨岡ァ」
次々と歓呼の声が上がる。
当の義勇と名前は面映ゆい表情でお互い目を合わせると小さく微笑った。



「まぁ、呑めよ。ご両人」
天元は二人の前に座ると、盃に日本酒を注いでいくとドン、と音を立てて瓶を置く。
「…頂戴いたします」
口にしたと同時、名前が思い切り眉を顰めたのに気付いた。
「何だ、酒呑んだ事ねぇのか?」
「…はい」
「まぁ、そうか。鬼殺隊やってりゃそうだなァ。無理すんな」
「ありがとうございます」
言葉の通り、盃を御膳に置く名前から義勇へ視線を移すとその盃が空になってる事に眉を上げた。
「お、お前はイケる口か。よし、苗字の代わりに冨岡、派手に酔っ払っちまえ」
「宇髄様…!それは困ります!」
一升瓶を傾けようとする天元と、黙ってそれを受けようとする義勇に慌てて止めに入る。
「何だァ、良いじゃねぇか。もう指令も任務もねェんだから酔い潰れるのも記憶を失くすのも自由だぜ?」
「義勇はまだ傷が治りきってなくて…アオイさんからあんまりお酒は呑まないでくださいって言われてるんです…」
「あん?何だそうかよ。それなら先に言えっての。お前も黙ってないで断りゃ良いじゃねぇか」
「盃返しを断るのは失礼に当たると聞いた事がある」
「良いんだよ。正式な祭儀でもねぇんだから。あいつらだってただ食って騒いでるだけだぜ?」
一瞥した先、賑やかに笑い合う炭治郎達を眺めてから自分の盃へ酒を注ぐ。
おどおどと手を出そうとした名前は打っ遣って口を開いた。
「お前、幻肢痛は良くなったか?」
「直後に比べればだいぶ落ち着きはした」
「今…二ヶ月とちょっとか…。あと長くて半年、そんくらいで気になんなくなるぜ」
「…そんなに…ですか?」
名前が悲痛な面持ちをしたのは、苦しむ義勇が鮮明に蘇ってしまったからだ。
「ま、俺の場合な?冨岡の場合もっと早く治まるかも知んねェよ?」
「…宇髄様の左腕はもう痛まないんですか?」
「たまーにだ。天気が悪かったりすると似たような痛みを感じる時はあるな」
「…完全に治るわけじゃないんですね…」
俯いた表情に天元は眉を上げる。
「わりィ。めでたい席で話す事じゃなかったな」
「いや、大丈夫だ。後遺症が残る事は既に覚悟している」
「…義勇」
「ま、お前には苗字がいんからな。あぁ、もう苗字じゃなくて冨岡か」
その一言でポッと赤らむ頬に目を細めると
「末永く幸せにな。たまには遊びに来いよ。嫁が喜ぶ」
そうして一瞥するは、取っ組み合いの喧嘩をしている須磨とまきを、それを止める雛鶴。
「ったく、あいつら…」
それだけ言うと天元は盃を片手に自分の席へ戻っていった。

目の前に用意された御膳、尾頭付きの焼き鯛を口に運ぶ名前の視線が目の前に腰を下ろす実弥に向けられる。
煮物を頬張る義勇も同じようにそちらを見た事で、罰が悪そうに小さく舌打ちをすると顔を逸らした。
「…不死川が来るとは思わなかった」
「俺ァ行かねぇっつってんのにアイツがしつけーから仕方なくだよッ!」
親指で差すのは後ろで大口を開けて笑っている炭治郎。
「炭治郎の執念には誰も勝てない。俺も前に四日間付き纏われた」
「ほんっとにな!俺なんか七日だぞ!?何なんだアイツ!」
ふふっと小さく笑う名前を横目で見つつ、溜め息を吐く。
「宇髄も挨拶して来いってうるせェしよ。別にオメェに言う事なんざ何も…」
二人分の眼差しを向けられ、眉を寄せると視線を逸らした。
「…めでてェとは思うけどよ」
ボソッと呟いた一言に義勇は一度視線を落としてからまた実弥へ戻す。
「不死川が来るのならおはぎを用意しておくべきだった」
「あ、そうだ…!作っておけばよかった…!」
「お前らなァ…!」
浮き出た青筋も二人を包む空気に溜め息を吐くだけで抑えた。
「まぁ良いや、じゃあな」
早々に引き返していく背中を見つめながら、名前が口を開く。
「さっき不死川様、なんておっしゃってたの?」
その言葉に、あぁ耳に届いていなかったかと
「…めでたいと思う、と言っていた」
短く答えればその頬が嬉しそうに弛んだ。

実弥と入れ替わるように義勇達の前に訪れたのは癸の隊士三人。
「苗字さん、冨岡さん、おめでとうございます!!」
代表して女隊士がそう言って頭を下げると隣に座る二人も同じように深々とお辞儀をする。
それに応えるため、義勇と名前は半歩膝を後ろへずらすとゆっくりと頭を垂れた。
「祝いの言葉、痛み入る」
「ありがとうございます」
そうして顔を上げた先、三人が瞳を潤ませているのに気付いて目を見開くも、すぐに嗚咽混じりに流れていく涙に狼狽える。
「…ほんとにっ…!ほんとによかった…!」
「幸せになってください…!!」
「……グス…ッ…うぅ…っ!」
声にならない声に、名前の瞳にも涙が滲んだと同時
「泣いてるだけだったら退け!邪魔だッ!」
後ろから乱入してきた猪頭にそれが止まった。
「伊之助くん!」
「お前何やってんだよぉぉぉッ!!こういうのは順番があるの!俺達は次だって言っただろ!?何で待てないワケェ!?」
善逸が全力で止めに入るも思い切り背中を踏み潰された女隊士が起き上がるや否や伊之助の入院着の襟を掴む。
「何すんのよ!このイノシシ頭!大体アンタ誰!?」
「鬼殺隊で嘴平伊之助様を知らねェとはテメェさては潜りだな!?」
「鬼殺隊!?こんな奴が!?信じらんない!」
「純然たる事実だ!しかもお前より先輩だからな!遥かに!悠遠に!崇め奉ってもいいぞ!」
「…誰がアンタなんか…!」
クスクスという笑声が聞こえ、言葉を止める。
視線を向けた先には口元を押さえる名前。
「すみません苗字さん!おめでたい席でこんな…!」
「…ふふっ…違うの。面白くて…ごめんなさい…っ…あはは…」
耐え切れず笑い出す姿に弛んだ手を戻すと女隊士は
「どーぞイノシシ先輩」
ぶっきらぼうに言うと、二人に頭を下げ戻っていく。
「俺は猪じゃねぇ!伊之助様だ!」
「お前だって人の名前覚えないくせに良く言うよ…」
呆れた声で呟く善逸の横で、隊士二人も頭を下げると席へ戻っていくのを視界に入れた。
伊之助は一瞥する事もなく義勇達の目の前にドカッと音を立てて粗雑に座る。
「で?何言や良いんだよ紋逸」
「お祝いの言葉だよ。っつかお前もうそれわざと間違えてるよな?絶対わざとだよな?」
「今のお前らの何がめでてぇのか俺にはサッパリわからねぇ!!」
力強く両人差し指を差され、また小さく笑う名前と、呆れたように目を細める義勇。
「お前はほんっと失礼なんだよ!!いい加減にしろォォ!!」
その両手を止めようとした所で伊之助の
「だけど幸せそうなのはわかるぜ!めでたいのは幸せだからなんだろっ!?」
続くその言葉に動きを止める。
「…うん」
笑顔を深める名前に納得したように鼻息を荒くさせる伊之助を余所に、善逸は正座を直すと頭を下げた。
「この度は誠におめでとうございます…」
それに倣い、二人が深くお辞儀をする。
「俺も早く二人みたいに祝言を上げたいなって思いました。妻の禰󠄀」
「よっしゃ行くぞ!紋逸!!まだ鯛を食ってねェ!!」
「はぁ!?俺まだちゃんと挨拶してないんだけど!!おまっふざけんなよホント!!」
襟足を掴まれ引き摺られていく善逸を苦笑いで見送った。


Banquet
酣を迎えて

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