「義勇さん、名前さん、こんにちはっ!」 「こんにちは〜」 扉を叩いてから開けられた先、竈門炭治郎と妹の禰󠄀豆子の姿を捉え、義勇は動かしていた筆を自然と止めた。 「もう出歩けるのか?」 「はい!少しずつですけど、機能回復訓練の一環も兼ねて動くようにしてます!」 無惨との戦いからゆうに二ヶ月が経とうとしている。 約一ケ月眠り続け、目覚めた後も最初こそ病室から出られなかった炭治郎も、順調に回復の兆しを見せていた。 「あれ?名前さんは?」 部屋を見回す炭治郎の足元、黒猫が近付いていくのに気が付いた禰󠄀豆子はしゃがみ込むと笑顔でその頭を撫でる。 「蝶屋敷の補佐だ」 「え!?もう働いてるんですか!?」 炭治郎が驚くと同時、 「紋次郎!お前早く入れよ!」 背後から聞こえた怒号。 「あぁ、ごめんな、伊之助」 一歩足を踏み入れた瞬間、雪崩れ込むように部屋へ入ってきたのは善逸、伊之助、カナヲの三人だった。 雲路の果て 「随分大勢だな」 「すみません…。義勇さん達のお見舞いに行くって伝えたら皆来たいって、ついてきちゃいました…」 「別に構わない」 それだけ言うとまた視線を手元に戻す。 「名前も恐らくもうすぐ戻る。ゆっくりしていくと良い」 表情の変化こそないものの、穏やかな口調に炭治郎の笑顔が深まる。 「はい!」 「…じゃあ俺椅子持ってくるよ」 部屋の隅に置かれた三脚分の椅子を見止めて、善逸がそう言うと、一度部屋を出て行くのを余所に、伊之助は無遠慮に義勇へ近付いていく。 おもむろに手元へ目を凝らした。 「何してんだ半々羽織」 「見ての通りだ。文字を書く練習をしている」 質問に答えてから、馬鹿にされるだろうかと一瞬過ぎった考えも、押し黙る猪頭に一度顔を上げた。 「………」 直接顔を見ている訳じゃないが、その被り物の下が悲痛な表情をしているのに気付き、視線をまた紙に移す。 義勇の右手が失くなった事に責任の一端を感じているのだろう。 「あれから…字は書いてるか?」 気にしなくて良い、その言葉の代わりに発問をした。 「…あ?お、おうよ!少しずつ上手くなってるぜ!!何なら俺がお前に教えてやって良い位だな!!」 「そうか」 いつもの伊之助らしい言葉に僅かに口角を上げると筆を滑らせていく。 「お待たせ」 戻ってきた善逸の声で炭治郎達が椅子に座る気配を感じ、一度筆を置こうとする義勇に、伊之助は口を開いた。 「仕立て屋の名前、書かねぇのか?」 「…名前の?」 「お前が書いたらあいつ、喜ぶんじゃね?」 それだけ言うと炭治郎達の元へ戻っていく背中を見つめながら考える。 嬉しそうに綻ばせる表情を容易に想像が出来て、弛んでしまう自分の頬を無理矢理止めた。 名前が部屋に戻ってきたのはそれから暫くしてからの事。 いつものように合図をしてから開けた扉、炭治郎達の姿に気付き驚いた表情も、見る見る内に笑顔で溢れていく。 「みんな!来てたの!?」 「こんにちは!名前さん!」 炭治郎の言葉の後、次々に声を出す一同に圧倒されながらも扉を閉めた。 膝の上に乗る黒猫を撫でながら、禰󠄀豆子は言う。 「名前さん、足、良くなったんですね」 数日前に炭治郎の病室へ訪れた際には、まだ松葉杖を突いていたが、今は若干引き摺りながらもしっかりと歩行する事が出来ている。 「うん。もうすっかり」 「すっかりでもない。無理をすると後でガタが来る」 制するように出した義勇の言葉に何度か瞬きをすると 「…ん?」 首を傾げると右耳を差し出した。 「無理すんなっつってんぞ!半々羽織が!」 代わりに答える伊之助の声に小さく頷く。 「あ、うん。大丈夫だよ」 ニッコリ笑うと自分のベッドへと向かう背中に義勇は溜め息混じりに筆を進めていく。 ここ数日人員不足の蝶屋敷のためにと一刻から二刻程、怪我人の介助や食事の配膳などを進んで行うようになっていた。 まだ全てが完治した訳でもないのにそうして動き回る姿は、亡き胡蝶しのぶの為なのは義勇も理解はしているため、口には出さぬようにはしていたが、今しがた扉を開けたその表情は疲れの色が色濃く見えた。 それでも炭治郎達の手前、気丈に振る舞おうとする姿につい強めの口調で苦言を呈したのを若干後悔はしている。 心配そうに眉を曲げる炭治郎には、敢えて視線を向けない事にした。 「大丈夫ですか…?」 静かに発問したのは今まで大人しく炭治郎達の話を聞いていたカナヲ。 ベッドの縁へ座ると不思議そうな表情を見せる名前に聞こえるよう、少し声を張り上げる。 「顔色が、あまり良くないので」 それに続いたのは善逸。 「そうですよ!名前さんいつもと音が違います!絶対疲れてますよね!?」 全員分の視線を受けて居心地が悪そうに縮こまると 「少し、無理しすぎちゃったみたい…」 困ったように小さく笑った。 「あ、でもね!本当に大丈夫だから!多分お腹空いてるからだと思うの!食べたら元気になるよ!」 慌てて両手を振る姿に筆を動かす義勇の口唇が堪え切れず上がるのを、カナヲは見逃さなかった。 「腹減りは厄介だな!!俺も腹が減ると思うように動けねぇ!!」 「いや、一緒にしたら名前さんに失礼だから。何言ってんのお前」 冷静に突っ込む善逸に禰󠄀豆子が堪え切れず噴き出す。 「あははっ!名前さんも伊之助さんも面白い!」 大口を開けて笑うのに誘われるように名前も口元を押さえ小さく笑い始め、炭治郎達は安心したように微笑んだ。 それから昼餉の時間までの四半刻程、近況や思い出話を話した所で、炭治郎が「あ」と声を上げる。 義勇と名前の視線を受け、言葉を続けた。 「俺達、退院の許可が出たら家に帰ろうと思うんです。今日はその報告に来ました」 「…そうか」 短く答えた義勇の後、名前が驚いたように身を乗り出す。 「炭治郎くんのお家って遠いの?」 「いえ、ちょっと距離はありますけど…」 どう説明をしようか迷っている顔に静かに口を開いた。 「行けない距離じゃない」 「ん?」 「行けない距離じゃねぇってよ!!」 伊之助の代弁にその首が大きく動く。 「そうなんだ!じゃあまた会えるね!」 嬉しそうに両手を合わせると目を細めた。 「もう会えなくなっちゃうのかと思ったから…良かったぁ」 「まだ此処にはいますし、俺達もまた遊びに来ます!」 「うん、楽しみにしてるね」 嬉々として頷く名前に、次に沸いた疑問を口にする。 「…義勇さんと名前さんは、鬼殺隊に残るんですか?」 「………」 流れた沈黙の中、見つめ合う二人だったが図った訳でもなく同時に炭治郎達へ視線を戻した。 「義勇は柱だからいなきゃいけないけど、私は…どうかなぁ…」 無意識に右耳を抑える表情が余り浮いたものではない。 「でも思ったんだけどさ、鬼は全部倒した訳だろ?それなのに鬼殺隊って…在る意味あんのかな?」 善逸の疑問に全員が納得をするも 「全てはお館様の一存に委ねられている。今此処で考えても意味がない」 義勇は淡々と答えながら手を動かし続ける。 「お館様は何ておっしゃってられるんですか?」 炭治郎の質問に答えるのも義勇だと考えていたため、突然黙り込む横顔に出遅れつつ慌てて口を開く。 「今はとにかく隊員達の怪我が完治するのが優先だっておっしゃっていられて、多分これからどうするかはまだ決まってないみたい」 その旨が認められた文が義勇の元へ届いたのは、割と最近の事。 寛三郎を蝶屋敷に向かわせてくれた謝意を代筆した所、義勇達の体調を気遣う文でそう悟った。 「そうなんですね」 視線を落とした炭治郎がすぐまた義勇達に戻したのは、無言で名前を手招きする左手と驚いたように丸くする目に気付いたため。 何なのだろう、と思ったのは名前本人も同じ。 「…何?」 小さく答えながらもベッドから降りると義勇の傍らへ向かう。 座る事を視線だけで促され、縁に腰を下ろせば右耳へ近付く口唇にドキッと心臓が脈打ったものの左手で口元を隠した義勇に 「炭治郎達に告げても良いか?」 そう耳打ちされ、瞬きが多くなった。 「…え?えっと、何を…?」 同じく忍び声になりながら僅かに上げた視線の先、黙ってこちらを見つめる五人分の双眸に自然とまた下を向く。 「夫婦になるという話だ」 「…あ」 突然黙り込んだのは、その事を考えていたのかと理解して、小さく頷いた。 「うん、話そう?」 その答えを聞いた後、スッと離れた身体が炭治郎達へ向けられる。 「俺達からも報告がある」 口元を見なくてもすぐ隣で響く声は耳に入ってきて、同じように炭治郎達、正確には禰󠄀豆子の膝で丸まる黒猫を見つめた。 「俺と名前は、婚姻することと相成った」 嬉しいのと、多少の気恥しさが入り混じって無意識に胸元で組む両手も 「そうなんですか!?おめでとうございます!」 「わー!すごい!おめでとうございます!!」 立ち上がり同じ反応を見せる竈門兄妹に耐え切れず笑顔が零れる。 「こんいんって何だよ?」 「結婚するって事だよ。ほんとバカだなお前」 「俺はバカじゃねぇ!!けっこんって何だ!?」 善逸と伊之助の会話からカナヲへ視線を向けた名前と目が合い、ニコッと微笑んだ。 「じゃあ祝言も上げるんですよね!?」 「しゅうげんってなんだ?」 「結婚のお祝いだよ」 「何でけっこんを祝うんだよ?ワケわかんねぇ!」 未だ会話が止まない二人を後目に、名前の表情が曇ったのに気付き、義勇は口を開く。 「祝言は上げないと二人で決めた」 「え?どうして!?」 禰󠄀豆子が驚いた事で両手に抱かれていた黒猫がぴょんっと飛ぶと床に四足を着く。 「…あ、ごめんね、クロちゃん」 すぐにしゃがむと頭を撫でる右手にゴロゴロと喉を鳴らした。 未だに目を伏せる名前を一瞥してから、炭治郎の左手を見つめたのは、無意識から来たもの。 「余りにも、多くの犠牲の上に成り立つものだからだ」 名前が何も言わずともその胸中をわからない程、愚かでもない。 一体どれだけの命を奪われ、一体どれだけの人生が歪み、一体どれだけの哀しみと負の連鎖を繰り返してきたか。 ましてやあの日から僅か二ヶ月、大切な存在を失った者達ばかりの中で、祝言を上げるなど、どの口が言えよう。 「でもそれって…義勇さん達が悪い訳じゃないですよね!?」 「死んでいった者達へのせめてもの配慮と考えている。それに関しての気遣いは無用だ」 淡々とした口調で言う義勇に 「はぁ?」 伊之助の低い声が響いた。 "音"の変化に気付いた善逸が止めようとする前にその右足がドンッ!と床を踏む。 「死んだ奴に配慮!?んな事してどうすんだよ!?満足すんのは生きてるお前らだけだろ!?」 「伊之助!お前何て事!」 「こんいんもけっこんもしゅうげんもめでたい事なんだろ!?だったらすりゃ良いじゃねぇか!何で遠慮すんだよ!何で死んだ奴のせいにすんだよ!?」 「…伊之助!」 「あん時!ギョロギョロ目ん玉が死ぬ前に言ってた!胸を張って生きろって!!前を向けって!!」 今でも覚えている。 あんなにも、心が抉られる事はもうきっと二度とない。 そう言い切れるだろう。 「死んだやつが何を望むのかは考えてやんねぇのかよ!?お前らが笑ってて恨む奴がいんのかよ!?」 「伊之助!落ち着け!」 炭治郎の言葉にまだ出そうとしていた言葉をグッと飲み込むと粗雑に座った。 苛立ちを隠すように猪頭を深く被り直す。 「…すみません、義勇さん、名前さん」 俯いたままの二人に頭を下げてから続ける。 「でも、俺も…伊之助の言う通りだと思います」 真っ直ぐ見つめる瞳に 「お兄ちゃん!」 「炭治郎!」 禰󠄀豆子と善逸が止めに入ろうとするも、その空気に圧倒された。 「俺がもし、あの時死んでいたとして、お二人の事を苦しめていたのなら、それは…辛く悲しいです。死んでしまった事を悔やんでも…悔やみ切れないと思います」 重苦しい空気が部屋中を包んだのも束の間 「だから祝言、上げませんか!?」 あっけらかんと言い放つ炭治郎に義勇と名前が同じように瞬きを繰り返す。 「お二人が上げないと言うなら、俺達に上げさせてください!」 その言葉に五人分の温かな眼差しを受け、義勇の視線が名前へ向けられるが、その瞳はカナヲを見つめていて、自然とそれを追った。 言葉こそないものの、笑顔で頷くカナヲに涙を滲ませるのを感じた。 「…そうだな、頼む」 小さく呟いた言葉に名前が反応する。 「嫌か?」 「ううん、嫌じゃない!」 大きく首を横に振る姿を穏やかな瞳で見つめる義勇。 温かい空気を纏う二人を炭治郎達は安心した表情で眺めていた。 Happiness 心からの慶祝 [mokuji] [しおりを挟む] [back] ×
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