雲路の果て | ナノ 41


走っても
走っても
目の前を覆う闇が晴れない。

進んでいるのか止まっているのかもわからなくなる感覚に足を止めた。

このまま闇に呑まれてしまうのではないかという恐怖に、周りを見回すも真っ黒いだけで何も見えない。

いつだったか、これに似た絶望を味わった。

耐えようと無意識に蹲ろうとした身体を深く息をすると止め、真っ直ぐ前を向く。

「…還らせて」

お願い…
どうか

「義勇の所に…還りたいの…ッ!!」

自分の叫び声だけが木霊す中、そっと背中へ触れる温もりに気付き、振り返ろうとした瞬間、押し出される強い力。

「……さ…び、…と…?」

懐かしく感じる温かさに、自然とその名前を呼んでいた。



雲路の


「苗字さん!気が付きましたか!?」
涙を浮かべた女隊士をぼんやりと視界に入れる。
急速に蘇ってくる記憶に目を見開いた。
「…じょ…うきょうは…?よ、あけ…まで…?」
「夜明けまであと五十六分です!鬼舞辻無惨はまだ…」

静か、過ぎる。

突発的に起き上がるその身体に激痛が走った。
「…無理しないでください!!右足も左腕も、あと肋骨も折れてます!!」
「…か、怪我、人の救助にあ…、あたります!」
「苗字さん!!駄目です!!動いたら…!」
右足を引き摺りながら目の前に広がる光景に息を止めた。
「…ひ、悲鳴嶼、様…」
瓦礫を背に項垂れる姿の前、隊服を着た見知らぬ少年が包帯を手にしているのに気付いて駆け寄る。
「…て、手伝い…、ま、ます!」
名前の声に振り返ったその気配と瞳に思わず後ずさった。
(…鬼…!)
反射的に日輪刀を抜こうとした所で
「俺は敵じゃない。手伝うならこれを持て」
乱暴に木箱を投げられる。
右手で受け取るのを確認してからその姿が立ち上がった。
珠世が作った鬼、愈史郎は横目で名前を一瞥してから歩き出す。
見た所、だいぶ損傷は激しいが柱達のように手足がごっそりなくなった訳じゃない。
利き手らしい片腕も残っている。
柱が回復するまでの間の繋ぎにはなるかも知れない、そう考えた。
「こっちだ」
愈史郎は小走りで瓦礫に埋まる柱の元へ向かうとしゃがむ。
(こいつは右手…。利き腕なら厄介だが悲鳴嶼よりはまだ戦えるか…)
上腕にきつく布を巻きつけながら
「…その中に血鬼止めが入ってる。身体に打て」
背後に立つその存在に指示をするが、返事がない所か反応すらない事で眉を寄せると振り返った。
「さっさとしないとコイツが死ぬぞ!」

「…ぎ、…ゆ、…ゅう…」

地面に突っ伏す姿は紛れもなく、名を呼んだその人物。
見間違う事などある訳がない。
それでも間違いであって欲しいと願ってしまった。
「…う、…う、腕…っ」
たった数日前に大きいと重ねた、温かった筈の右手が地面に転がっている。
勝手に震え出す身体も、
「…聞いてるのか!?」
その言葉で別の事実に気付いた。

まるで自分が水中にいるような感覚に。

愈史郎は苛立ちながらも、悲痛だった表情が自分の一言で訝しいものへ変わる違和感を瞬時に考えていた。
「…お前、もしかして…」
その両目はこちらの目ではなく、口唇、その一点に集中している。

「耳が聞こえないのか?」

案の定小さく頷く名前にやはりそうか、と眉を寄せた。

考えてみれば、先程からやけに吃音が強かった。
声がしゃがれているのも相まって単純な損傷によるものだと考えていたが、耳が聞こえないとなればそれも頷ける。
どもってしまうのは自分の声が外へ発されているか音で確認が出来ないからだ。

話が通じていたのは愈史郎の口の動きで読んでいただけで、背を向け指示をしてもそれに何の反応を示さないのは当然。

出来る限りわかりやすく、そして簡潔に口を動かす。
「こっちに、こい」
「…は、はい!」
「これを、此処に打て」
隣にしゃがみ込んだ目がこちらに向いているのを確認し、木箱を指差してから義勇へ移す。
すぐに箱を開け、それを切断された右腕へ打つ手が必要以上に震えているのに気付いた。
硬く目を閉じるその表情に、そういえば先程も、恐らくではあるがこの男の名前で呼んでいた、と考える。
「お前の…」
言いかけてこちらへ向くよう肩を叩く。
不安げに開かれた瞳が今にも泣きそうになっていた。
「恋人か?」
指を差しながら出した問いによって見る見る内に涙が溢れていく。
言葉は返ってこずとも、それが答えなのは考えずともすぐにわかった。

珠世様…

「それなら尚更目を背けるな。動揺するなとは言わない」

愛しい人を失う恐怖に冷静でいろ、なんて口が裂けても言えない。
そんなのは無理に等しいと、愈史郎自身が痛い程に理解している。

だけど、だからこそ

「しっかりとその両目で見ろ。良いか?お前が、コイツを、救うんだ」

その口の動きを読み取ったのだろう。
力強く頷いたその瞳からは涙が止まっていた。
「…毒の回りが思ったより早いな。もう一本、打て。その後、傷の処置だ。お前は細かい傷。俺は、右腕。わかるな?」
手の動きをつけて指示すれば、すぐに血清を手に取る名前から目を逸らすと包帯を持つ。
打ち終わった血清を箱にしまい、義勇の上に乗る瓦礫をどかす姿に巻いていた包帯の手を止めると動きだけで来るように指示する。
「耳、診てやる」
それだけ言うと器用に手を動かしながら大人しく差し出す右耳の中を覗き込む。
何の道具も必要としないのは、愈史郎が人間ではない、それだけだ。
「…鼓膜が」
言いかけて、一度手を止めるとまたその視線に合わせ手の動かし、こちらを向くように指示をする。
「鼓膜が、破けてる、だけだ。時間と共に、治る」
しかし夜明けまではあと三十五分。
柱の処置があらかた終わったら名前を無惨討伐に向かわせようと思っていたが、それまでに鼓膜の回復は期待出来ない。
耳が聞こえないのなら、例え動けても戦力としては無力どころか足手まといだ。
「…あ、りがとう…ご…ございま、す」
たどたどしく礼を言った後、致命傷ではないが深い傷の処置を始める名前に、巻き終えた包帯を縛りながら眉を寄せた。
その視界に入るよう左人差し指を差し出し自分の左耳を差す。
その意味を理解したのか
「…ひだ、左耳は…も元か、から聞こえ、ません」
早口で答えようとしたため余計に吃音が酷くなったが、愈史郎はあぁ、だからか、と抱いていた疑問を解消していた。

人間が突然、耳が聞こえなくなったとしたのなら我を忘れる程狼狽していてもおかしくはない。
しかし冷静に口の動きだけでそれに従ったのも、愈史郎の言葉を読むまで耳が聞こえないという事実に暫く気付かなかったのも、それで全ての合点がいく。
ならば少しは柱が回復する間、使えるかも知れない。
無惨と相対する炭治郎の元へ向かわせようと口を開いた瞬間、グッと袴を掴まれた感覚に視線を右下へ向けた。
(……コイツ…)
意識が戻っている訳ではない。
それでも、その左手は確実に愈史郎を制止しようとしていた。
しかしそれも、すぐに力なく地面に落ちたのを眉を寄せてから視線、そして口元を名前へ向ける。
「コイツは、大丈夫だ。じき意識も、戻る。お前は、他の怪我人を、みろ。無惨には、近付くな」
耳が聞こえずともそれくらいなら役に立つだろうと指示をすれば
「…は、はい」
力強く返事をした。

* * *

「…ここに生存者は、…いません…」

一人一人確認してから、女隊士は報告するためわかりやすいよう大きく首を横に振る。
耳が聞こえないというのは先程戻ってきた名前自身に聞いた。
「…そう、ですか…」
「苗字さん、あっちには行きますか?」
トントン、と肩を叩くと人差し指を遠くへ差す。
それは無惨が向かった先。
あと僅かで夜は明ける。
音を全く拾えない状態でこの三人を連れて無惨に近付くのは命取りだと経験が告げている。
この状態で守り切れる自信もない。
右手を握るも、痙攣する五本の指に目を伏せた。
刀を握れるのは、恐らく僅かな時間だろう。
そして無惨を止められるであろうのは命を賭したとしても刹那的だ。
先程『無惨には近付くな』そう言われたのは、自分の状態を読み切っていたからなのだろうか。
そういえば名前を名乗るのも訊ねるのも忘れていた、こんな時に…いやこんな時だからこそふと、そう考える。
冷静に、ならなくてはいけない。

「向かいます」

真っ直ぐに答えた。
無謀、だというのは歴然だというのに、それでも可能性を探るのは、ひとつだけまだ太刀打ち出来る術が意識の底に落ちているからだ。

「お願い、があるんですが…」
「何ですか!?」
「私の、羽織りを裂いて、そ、それで、右手と柄を縛って…ください」
「…こ、こうですか?」
明らかに加減をされる力に首を振った。
「もっと強く…お願い、します。絶対に、取れないように…」
「……はい」
縛り上げる力がグッと強くなった事で一瞬痛みに眉を寄せたが
「…ありがとう、ございます…」
息を吐いて立ち上がる。

思うように動いてはくれない右足を「大丈夫ですか?」と支える女隊士と共に、歩を進めた。

まもなく、夜が明ける。

白み始めた空にドォォンッ!と地鳴りが響いた。
衝撃波とその余韻に三人の足が自然と竦む。

「…鬼舞辻、無惨…」

二度目に相対したその鬼は、日光に苦しみながら必死にもがく赤ん坊の姿をしていた。


Finally
死に際の末路

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