義勇はいつも 本当にいつも、温かく包み込んでくれる。 私が明らかに間違った道を選んで、鱗滝さんが正した時も、錆兎が叱った時も、ずっと傍で味方になってくれた。 責める事もせず、ただ隣で寄り添おうとしてくれた。 狭霧山から離れて年月という距離を置いても、それは何も変わらなくて、私はその心地良さから、またいつ離れていってしまうかわからなくても、いつの間にか優しさをくれる義勇に頼り切っていたの。 命が奪われそうな時、何も出来ずただ息を止めていたなんて剣士として最低なのは自分で嫌という程わかってた。 鱗滝さんと錆兎が見ていたらきっと凄く怒られるし、呆れられる。 それでも義勇はその優しさで、私に寄り添おうとしてくれるんじゃないか。 責めないでいてくれるんじゃないか。 そう、期待をしてしまう心に気付いてしまった。 そんなの、知られたくない。 鬼に殺されたかけた事も 優しさに縋ろうとしている事も こんな最低な私を 知られたくない。 雲路の果て 「…ふーむ」 名前の右耳を覗きながら、しのぶは首を傾げる。 「外傷は見当たりませんね…」 そうして向き直った。 「痛む時はありますか?」 「…いえ、耳鳴りがするだけです」 「それ以外の症状は?」 その言葉に、眉を寄せ考える。 「…たまに、眩暈がする時があります」 「そうですか。正直…はっきりとした病名はわかりかねますが…、疲労や心因性からくるものかもしれません」 「…疲れてると耳鳴りがするんですか?」 「耳鳴りは外因性のものより心因性の影響の方が大きいんですよ?最近の名前さんの働きには目を見張るものがあります。ですが、精神的な負担も大きいのではないかと…ちゃんと休めてますか?」 眉を下げるしのぶに何度も頷く。 「はい。それは…はい。ちゃんと、寝てます」 「そういう意味ではなくて」 瞬きを繰り返す表情に、溜め息が出たのはこれもまた無意識だ。 「まぁ、いいです。気休めにしかなりませんが、お薬出しておきますね?」 ありがとうございました、と一礼してから蝶屋敷を出る。 自分の屋敷へ向かう途中、またその音に足を止めた。 今度はキィ―と高い音。 「……」 耳へと触れるが、それはすぐに消えた。 * * * 「…クロ、ただいま」 名前は引き戸を開けるなりそう言うとしゃがみ込んだ。 「にゃー」 返事をするように擦り寄ってくる頭を撫でてから立ち上がる。 「ごめんね遅くなっちゃって…お腹空いたでしょう?」 そうして餌を用意すれば、それを食べ始めるのを暫く眺めた。 窓から朝日が差し込んでいるのに気付いて (今日も忙しいのかなぁ) ふと考える。 また夜になれば、ひっきりなしに招集がかかるだろう。 今の内に仮眠をとっておかなければ、と立ち上がった所で、突如響く耳鳴りに右耳へ触れた。 「…そうだ、薬」 思い出して、処方された薬を出すと水で流し込む。 耳鳴りのせいで、鬼に殺されかけた。 しのぶにさえ、その事実を伝える勇気が出来なかった名前を隣で見ながらも、その気持ちを察してくれたのか、カナヲは何も言わないままだった。 本来ならば、この事を速やかに産屋敷へ報告すべきだろう。 しかしそれも今や寝たきりになってしまった身体に、更なる負担をかけるんじゃないかという危惧もあった。 どうしたらいいのか、また決めかねている。 フゥ、と溜め息を吐いて 「お風呂入ってこよっと。そしたら一緒に寝ようね」 まだ餌にくらいつくクロに微笑いかけた。 * * * 隊員達の経過を冊子に認めるしのぶの横、椅子に座ったまま身じろぎひとつしない姿が逆にとてつもなく気になり眉を寄せる。 「何ですか?黙ったままでいられると余計気になるんですが…。何か用があるから此処に来たんですよね?」 若干苛立つ口調に義勇は一点を見つめたまま 「言葉の意味を考えていた」 淡々と言い放つ。 「…言葉の意味?なんですかそれ?」 質問をしているのにまただんまりを決め込む義勇に、更に眉間に皺が寄っていく。 「私と会話をするつもりがないならお帰りいただきたいんですけど」 きつめの口調で言うもその姿が出て行こうとする気配はない。 言葉を返す気がない人間に構ってはいられないと冊子を書く筆を進めるも、暫くしてもやはり其処に座ったまま。 痺れを切らし、わかりやすく溜め息を吐いてから筆を置いた。 「名前さんの事ですか?冨岡さん、何したんですか?」 「何もしてない」 そう。本当に、"何もしていない" しのぶの指示通り西北の山へ全速で向かったが、義勇が着いた時には既に事後処理が開始されていた。 いつもならば自分の姿を見ると 「義勇!」 必ず笑顔を向けてくれていた存在は伏し目がちに背を向けて、それだけで不穏な空気を察知したのに、逃げるように、ではない。 実際に逃げていった名前の表情が何を考えていたか全くわからない。 唯一掛けられた言葉は「ごめん」だけ。 あの言葉にどんな意味があるのだろうと考え続けているが、未だに答えは出ない。 そのまま再度動きを止めた義勇を横目に、しのぶは考える。 肯定したという事は名前に何かを言われたのは間違いない。 そうして思い出すのは名前がカナヲと共に蝶屋敷へ帰還した時。 勝手に出て行ったカナヲを窘める前に名前は庇うように事の経緯を話し出した。 カナヲが鬼の頸を斬ってくれた、と。 最初こそ作り話ではないかとも疑いはしたが、真剣な表情に真実だろうとそれを受け入れた。 結果的に考えれば、あの虫の知らせのような胸騒ぎは気のせいだった訳だが、それが今も消えた訳じゃない。 耳鳴りがすると相談してきた彼女は何かに酷く追い詰められているようだった。 「何があったのかはわかりませんが、此処で時間を潰していても意味がないと思いますよ?」 未だ動きを止めたままの義勇に視線を向ける事なく、また筆を滑らせる。 「言葉の意味を知りたいのなら正解を握っている人に訊ねれば万事解決じゃないですか」 「誰だそれは」 「誰って…、名前さん本人以外考えられません」 わかりやすくまた固まる姿に苦笑いが零れた。 「この際、玉砕覚悟で見事に散ってきては?」 これ以上此処でグズグズされても仕事が進まないとニッコリ笑った。 「当たって砕けろ、ですよ?ファイトです冨岡さん」 * * * ガタゴト、と音を立てて押し入れからつづらを引っ張り出す。 自分の着物地を手にすると床に広げ、型紙を当てていく。 名前が仮眠から目が覚めたのは昼日中の事。 隊服と予備に仕立てておいた羽織に袖を通し、昨日裂いた羽織の代わりを縫おうとした所で手を止める。 一度考えてから自分の着物地はそのままに、つづりからもう一つの反物を持った。 綿で織られた真っ白い生地は栗花落カナヲのものだ。 命を救われた礼として仕立てようと今しがた思いつき、反対側にそれを広げる。 直接寸法を測らせてもらってはいないが、カナヲの場合は羽織ではなく外套(がいとう)なので、ある程度の目測がついていれば仕立てる事はさほど難しくはない。 巻尺を手に取るとそれを伸ばした。 仕立てに集中すると、何時間でもそうやっていられる。 カナヲと自分の仕立てが終われば、今度はしのぶの羽織を仕立てようか。炭治郎達の羽織はまたボロボロになっていないだろうか。 とにかく手を止めたくない一心で、次へ次へと仕立てを進ませようとする。 「ほんとクソ女だな!!」 聞きたくない。 「疲労や心因性からくるものかもしれません」 考えたくない。 「…頼ってくれ…」 知られたくない。 ザ────────ッ 雨のような雑音が中で響く。 お願い 助けて 両手だけではない。 呼吸法どころか息をする事すらも止まっていた。 「苗字さんのお陰です。ありがとうございました」 「…しっかり、しなきゃ」 息を整え、針を動かす。 「…にゃー」 左横で小さく鳴いた声も、ただただ仕立てる糸を見つめる瞳が向けられる事はなく、伏し目がちに視線を落とすと、広げられたままだった名前の着物地へ寄り添うように座り込むと目を閉じた。 Break 噪音を立てながら [mokuji] [しおりを挟む] [back] ×
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