森に潜んでいた鬼を討った後、テキパキと片付けを始める隠や他の隊員の様子を若干離れた所から窺っている三人の隊士。 "どうしたら良いかわからない" 心の声がわかりやすく態度に出ていて、名前は片付けていた手を止めるとその姿に歩み寄る。 「お疲れさまです」 穏やかに微笑みかけたが肩を震わしたかと思えば 「…お、お疲れ様です…」 小さく答えて目を逸らした。 「初めての任務ですか?」 優しい声色で尋ねれば僅かではあるが警戒が解けたように思う。 「あ、はい…」 「どうすればいいか全然わからないですよね。ごめんなさい、もっと早く気が付いていれば…」 「…いえ…あの…」 「はじめまして。階級甲、苗字名前と申します」 そうして下げた頭につられて、三人がそれぞれ名前を告げるのを聞いてから、辺りを見回す。 「私たちの仕事は主に鬼を討つ事ですが、事後処理も含まれています」 「…事後、処理…?」 「壊された建物の片付けや犠牲になってしまった方々の埋葬です。今日は被害にあった方はいらっしゃらなかったので、ここの片付けが済んだら帰還予定でいます」 真剣に聞き入る三人の視線を感じながら、一度言葉を止めるとまた続けた。 「あとは…町などで鬼を討つ場合、住人の安全確保なども仕事に含まれています。怪我人が出た際は蟲柱・胡蝶しのぶ様のお屋敷に運ぶこともありますが、それは隠の方々が担ってくれますので、私達の任務自体は鬼を討つ、事後処理をする、毎回それの繰り返しです。最初は後片付けをしながら徐々に慣れていくと良いと思いますよ。私もそうでしたから」 「…はい」 「わからない事がありましたら何でも聞いてくださいね。任務で一緒の時は出来る限りお手伝いします」 「…あ、ありがとうございます!」 多少、不安は取り除けただろうか。 頭を下げる三人に、最後にいつも入隊してきたばかりの隊士に伝える事を言おうとして、動かした口を止める。 「最初は片耳が聞こえないって同情引いて近付いてくるんだよな」 唐突に、頭の中でその声がした。 今まで一点の曇りもなかった名前の表情が変わっていく様を三人がまた不安そうに見つめるのに気付いて、極めて明るい笑顔を作る。 「皆さんも一緒に片付けしましょう」 「はい!」 左耳の聴力がない。 そう、伝えられなかった。 いつもは必要な事だと判断し、何も考えずに言えていたのに。 何故か、何故か急に怖くなってしまった。 自分の弱味を見せる事が。 今此処で伝えなくとも、遅かれ早かれ噂話で知る事になるだろう。 その時に尋ねられたら、肯定をすれば良い。 嘘を吐いている訳ではない、と半ば無理矢理、結論を出して、考える事をやめた。 雲路の果て 「最近苗字さん、元気なくない?」 「出陣が続いてるから疲れてるのかな」 「ちょっとボーッとしてる時もあるし」 隊士や隠の間で、そんな話が出始めるようになる。 溌剌だった彼女が、時折不安そうに目を伏せる事があるのを何人もが目撃していた。 心配になった隊士達がどうしたのかと何度か訊いた事があるものの、いつもの笑顔に戻ると 「大丈夫です。ありがとう」 そう返されるだけ。 同期に至っては、後ろから 「苗字?」 声を掛けただけで肩をビクッと震わせ、酷く脅えた表情で見られたという。 勿論、それで名前の指揮が崩れている訳でもないし、任務自体に支障はない。 だがそのわかりやすい変化は、誰もが感じている。 そしてそれと同時期、階級甲の隊員一人が除籍処分を受けたという噂が広まっていた。 鎹鴉から伝えられる指令を正当な理由もなく意図的に何度も放棄したためだというのは水柱・冨岡義勇の耳にも入っていた。 柱にすら届いている情報は確実に名前にも回っているだろう。 ここ最近は忙しさもあり任務内での短い時間しか顔を合わせていないが、確かにその姿は何か思い詰めていた。 時々、不安そうな表情をしているのもそうだが、一瞬眉を顰めている事もある。 気が付いてはいたが、柱でありながら三日も休暇を取ったため、その反動でゆっくり話す機会も作れていない。 短い時間を縫い訊ねても「大丈夫」の一点張りだった。 この時も、義勇には次の指令が既に来ていたが、少しだけでもと帰還準備に追われている名前に近付けば 「あ、お疲れさま!」 いつもの笑顔を見せる。 「…大丈夫か?」 「うん。もうここを片付けたら終わりだから」 「そうじゃない」 「義勇も呼ばれてるんでしょう?寛三郎さんが困ってるよ?」 苦笑いに変わる名前の頭の上には鴉の姿。 「…義勇…指令…指令ガキトル…早ク、行カネバ…」 一瞬、眉を寄せた義勇だったがすぐに 「あとで用がある。行くぞ寛三郎」 それだけ言うと、答えを聞く暇さえ与えず走っていく。 「……うん、ってもう聞こえてないね…」 既に見えなくなった背中に、名前は微笑みながらそれを見送った。 * * * 「わかりました。あとはお任せください」 いつものように報告と引継ぎを伝えれば、神崎アオイがきっちりと頭を下げるのに少し遅れて名前もお辞儀をする。 キビキビと歩いていくその姿を見送ってから振り返れば、つい先日話をした新人隊士三人とばったりと遭遇した。 「…苗字さん!お疲れ様です!」 「お疲れさまです」 少しは鬼殺隊という集団に順応してきたのか、 この間のようにおどおどしたような表情とは違い、晴れやかなものになっている。 「任務終わりですか?」 「はい!今日は片付けだけじゃなく、町の人達を避難させたり…少しだけですが、皆さんの役に立てました!な!?」 嬉々とした報告と、それに大きく頷く姿に笑顔を深めた。 「力になれたと思うと嬉しいですよね」 「そうなんですよ!それに俺たち同期だから一緒の現場だと勇気出るっていうか、なんかこう、頑張ろうって思えるんですよね!」 「わかります。私も同期や先輩がい…」 「あんなに俺に甘えてたのにな!散々その気にさせたくせに!」 跳ね上がる肩に行き場のない両掌を胸の前で組むと視線を落とした。 「…苗字さん?顔色悪いですよ?大丈夫ですか…?」 隊士の声に我に返ると小さく頸を振る。 「…ごめんなさい、大丈夫です。少し疲れてるみたいで…」 「え…!?お疲れのところすみません!」 「違うんです!そうじゃなくて…。ごめんなさい、気を遣わせてしまって…」 「俺たちの方こそ…。苗字さん、俺たちの事見かけると絶対に話しかけてきてくれるじゃないですか?だから…」 言葉を詰まらせる姿に右隣の隊員がキリッとした目を向ける。 「いつも助けてくださる苗字さんには感謝してもしきれません!私たちが出来る事があったら何でも言ってください!」 「…俺たちまだ入ったばかりですけど…苗字さんのお陰で隊士になって良かったって思えるようになったんですよ…」 そのまた右隣の隊員が弱々しく呟いた。 「…ありがとう、ございます」 深々と頭を下げた名前に、どうしたら良いかわからず黙り込む三人が安心するように微笑う。 「皆さんを見て、少し昔の自分を思い出したんです…。でもそんな事、馴れ馴れしいかなって思うと言えなくて…」 「馴れ馴れしいなんてそんな事!」 「…そうですよ…!」 「苗字さんが入隊した頃って…」 口々に言うその動きが止まったのは、三人の鎹鴉が同時に指令を伝えたからだ。 息を止めた三人に、力強く頷くと 「「「行ってきます!」」」 見事に揃った声に笑顔を深める。 ダダダッと足音を立て消えていった背中に、自分も蝶屋敷を後にしようと歩みを進めた。 「…名前さん」 背後から聞こえた小さく呼ぶ自分の名に反応し振り返る。 「探しました」 囁くような可愛らしい声の主に、何度も瞬きを繰り返した。 「…カナヲ、さん…」 しのぶの継子・栗花落カナヲ。 これまでに何度も蝶屋敷で会った事はあるが、こちらから挨拶をしてもニコリと微笑うだけで話し掛けてこようとはしなかった。 最近は"こんにちは"と言えば"こんにちは"、"こんばんは"と言えば"こんばんは"とそのまま返されるようにはなったが、それ以上の言葉を聞いた事がない。 ましてや自分を探していただなんて、驚く所の話じゃない。 「…師範が困っていて…、来ていただけませんか?」 静かにそう言うと眉を下げたカナヲに 「わかりました」 すぐに返事をすると、小さな背中を追い掛けた。 * * * 「…うーん、どうしましょう…」 診察室の机に向かい、しのぶは顎に手を当てると考えた。 目の前には指令を伝え続ける鎹鴉。 本来ならすぐにでもそれに従わなくてはならない。 それでも動けずにいるのはそれより前に同じ嘴から重傷を負った隊員が十数名、此処に運ばれてくるという情報を伝え聞いたばかりだったからだ。 どちらを優先すべきか。 そう考えれば、確実に言えるのは此処に運ばれる重傷者だ。 いくら蝶屋敷に仕える者が数名居たとしても、薬学に詳しいしのぶの存在なしに十数名もの隊員を捌けるはずもない。 しかし今しがた来た指令も、誰かに任せられる程、単純なものではないのは確かだ。 身体が二つに分かれたら迷わずに済むのに、と非現実的な事を頭の隅で考える。 こういう時に誰か、そう、例えば名前が此処に居たら、と思う気持ちを自嘲気味に笑った。 「…最近、頼りすぎですね…」 毎度毎度、自分が困った時に都合良くその存在が姿を現す筈もない。 仕方なく他の柱に手助けを頼もうと鎹鴉を飛ばそうとしたその時 「しのぶさん!どうしました!?」 バンッ!と勢い良く開けられた戸に思わず動きを止めた。 「…名前さん」 「何かあったんですか!?」 真剣な表情の後ろにはカナヲの姿がある。 それだけで状況を理解するのは容易かった。 「貴方ともあろう人が合図もなしにいきなり戸を開けるとは…失礼にも程がありますよ。やり直してきてください」 「…は、はい!すみません!」 そう言って本当に廊下へ戻ろうとする背中に苦笑いを浮かべる。 「…冗談です。来てくださって助かりました」 柔らかいしのぶの声に、名前が安心したように向き合う。 「…実は」 説明を始めようとするより先に 「任務ですよね?」 その言葉に一瞬だが動きを止めた。 「…えぇ」 何故すぐにわかったのだろうと考えてしまったのは、この状況はカナヲを始め誰にも話していなかったからだ。 それでも眉を下げ悩むしのぶを、カナヲが目にし何かあったであろうと悟り、まだ蝶屋敷に居た名前を呼んだ。 そこまでは確定だろう。 「わかりました。向かいます」 任務や指令においては、普段の穏やかさとは別格な程に察しが良いのも知っている。 だけど、どうしてこんなに… しのぶの鎹鴉から名前の鎹鴉へと伝達を終えたのを見計らって頭を下げるとすぐに走っていく背中に、眉間の皺が刻まれる。 何故こんなに、胸がざわつくのか。 根拠はない。 そんなものはないのに けれど、とても嫌な予感がする──… 「…師範?」 カナヲの声に我に返ると 「…いえ、何でもありません」 一言そう返し、寄っていた眉間を緩めた。 * * * どうしてこう、早く終わらせて戻りたいと思う時に限って上手くいかないのか。 義勇はそんな事を考えていた。 行く手を阻むかのように生える雑木林を器用に避けながら全速で走り続ける。 日輪刀の切っ先が届くか届かないかの距離、逃げ続ける背を追っているが、その鬼を追い詰め切れずにいる。 人間の頃から脚力が強かったと大声で自慢していた男は、豪語していた割に合うくらい、そこだけの能力はずば抜けていた。 だからこそ、余計に苛立ちが募る。 その足を止める事が出来たなら頸など容易に落とせるという事実があったからだ。 一刻も早くこの馬鹿らしい鬼ごっこを終わらせて名前の元へ向かいたい。 その気持ちは義勇の中で焦りになっていた。 踏み込んだ右足、ズッと音を立て崩れていく足元と共に振り返り、ニヤリと笑う口元。 それが罠だった事を一瞬にして悟る。 闇雲に逃げていたのではない。 自分が鬼として弱いのをわかっているからこそ、絶対に勝てる方法を恐らくこの森の中に幾重にも張り巡らしている。 義勇を待ち構えているのは一度落ちたら最後、這い上がるのが不可能な陥穽だ。 素早く『水の呼吸 弐ノ型 水車』を放ち、回転の勢いを利用する事で落下を回避する。 地面に片足をつけるや否や、完全に油断していたその頸へ刃を振るった。 段々と朽ちていく姿も確認せず、すぐに背を向けると走り出したが、風が吹いた事でざわっと音を立てた木々に、足を止めると振り返る。 「…名前‥?」 返事などある筈がないのはわかっているのに、無意識にその名を呟いていた。 Insect 僅かな前触れ [mokuji] [しおりを挟む] [back] ×
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