「西北東ノ町デ!鬼ガ町デ!暴レテイル!直チニ向カイナサイ!」 屋敷に到着する少し前、急に鎹鴉が鳴き始めた。 まだ休暇の時間内ではあるが、管轄に戻れば鴉は容赦なく指令を伝えるらしい。 「ちょっと待ってね。野菜だけ屋敷に置いていきたいから」 「早クシナサイ!早クシナサイ!」 喚くその声に、右耳を塞ぎながら屋敷へ走った。 雲路の果て 鬼殺隊の管轄は、流動的だ。 柱や隊員が入れ替われば、その都度更新されていく。 管轄を受け持つ範囲は、一番実力を持つ柱から順番に、狭められていく。 更に地形や土地柄、風習によって、鬼の出没しやすい地域、出没しにくい地域に差があるため、特に出陣が多いとされる場所には、すぐに柱が数人集結出来るよう、管轄が重なる所が複数存在した。 そして、隊士や隠の統制が取れるよう、甲(きのえ)、または乙(きのと)の隊士が満遍なく配置されるよう決められている。 名前が受け持つ範囲は、蟲柱・胡蝶しのぶ、水柱・冨岡義勇、そして補助として、音柱・宇髄天元が関わる管轄だ。 「…遅れてごめんなさい!」 名前が到着した時には、町は半壊した状態で、すっかり士気を失くした隊士達が建物の陰に隠れていた。 「…あ!え!?苗字さん!休暇中だった筈では!?」 「…終わりました!それより状況は!?」 「お、鬼は一匹…!」 「私達も来た…ばかりで…仲間があっという間に七人…」 「他の隊員はどこにいるかも…!」 (…全く統制が取れてない。柱も見当たらない…) 「わかりました。私が鬼の注意を引きつけます。その間に町の人々を安全な所へ運んで下さい!」 答える事が出来ないまま、ガクガクと震える隊員達に片膝をつく。 「…今すぐでなくても大丈夫。鬼が見えなくなったら、確実に助けられると思った人を連れて、安全な所へ一緒に行ってあげてくれませんか?すぐに応援も来るから、大丈夫」 「……は、はい」 わずかながら治まった震えを確認し、走り出した。 それは隊員達にとって 「……消えた!?」 と錯覚させる程の跳躍。 「……ぐおオオオ!!!」 名前の三倍はある鬼。 我を失ったかのように雄叫びを上げながら暴れ狂う様は、ただ単に飢餓状態というよりは何かに関して酷く癇癪を起こしているように見えた。 またひとつ、何の罪もない人間の家が跡形もなく壊されていく。 「…何に対して怒ってるの?」 答えが返ってくるとは思っていないが、そう問い掛ければ鋭い爪が身を引き裂こうと振るわれれた。 それを寸での所で避け、考えを巡らせる。 これほどまでに大きくなった鬼は総じてそれに比例して頸も硬い。 名前の力量では一つの型では頸を切るまでに至らないだろうという事も、これまでの経験で知っている。 最低でも二つの型を組み合わせなければならない。 単調な攻撃を交わしながら、反撃できる隙を狙う。 徐々に近づきながら、鬼の死角になるその足元へ片足をつけた。 その瞬間の左側、確かに横目で見た。 横たわる小さな白い猫を。 間髪入れず、上から迫ってくる鬼の右足。 「…踏んじゃダメッッ!!!!」 喉が切れそうになる程に叫んだ声も、グシャッと踏み付けられた音に掻き消された。 「………」 悲痛な表情に変わる名前につられる様に、鬼は自分の右足を上げると、その裏を覗き込むようにしてから動きを止める。 その隙を狙い、後ろにいた隊員が町の人々を助け出したのを気配で感じた。 鬼が止まっていた時間は、とても長いように感じたが実質、数秒にも満たない。 「…ガァァァァアアアアアア!!!!」 途端にがなり出す声に堪え切れず、右耳をかばった。 「…シロぉぉオオオオl!!!シロオオオオ!!」 何かを振り払うように繰り出される攻撃は、もはや名前を標的とすらしていない。 一人でもがくその姿は、辛そうだった。 「…シロ、ちゃんは、貴方が飼っていたの?」 真っ直ぐ、目を見て聞いた。 濁った眼から涙のようなものが次々と溢れ出す。 「…シロオオぉぉぉ!!!!ウガアアアア!!」 突き刺そうとした右手を抜けて、呼吸を整える。 『雲の呼吸 肆ノ型 絹雲(けんうん)』 繊維状の白雲を纏うようにその首に突き刺してから 『参ノ型 群雲(むらくも)』 へ変える。 群がり立つ雲のように力を集中し、その頸を落とした。 その身が消えるまで、 「…シロ…シロぉ…」 呟き続ける姿を見るのは正直、心が痛む。 鬼が跡形もなく消えた後、周りを見渡せば怯え切った隊士と隠があちこちに隠れているのが見えた。 スゥ―っと息を吸って、明るい声色を作る。 「鬼は倒しました!隊士の皆様!隠の皆様!お力を貸してください!私1人ではどうにもなりません!どうか、お願いです!助けていただけませんか!?」 その言葉に呼応するよう、恐る恐る建物の陰から現す姿に名前は微笑むと 「ありがとうございます!」 深々と頭を下げた。 * * * 「…今日は何故、柱は一人も来られなかったんですか?」 犠牲になった人々を埋葬しながら、乙(きのと)の隊員に訊ねれば、苦い顔をする。 「そのちょっと前に、鬼による村へ襲撃が起きて…、柱はそちらに招集されてしまったんです…」 「…そうですか」 体制が崩れたのはその為かと納得してから、亡くなった方に手を合わせる。 そうして 「…あとは隠の方々にお願いして、私達は帰還の準備に入りましょう」 名前がそう指示するのを、冨岡義勇は遠くから眺めていた。 帰還準備をする隊士が 「…うわっ!水柱!?」 声を出して驚くのも構わず、スタスタと歩みを進めれば 「凄いよなぁ…苗字さん」 「…でも何で此処に来たんだろうね。休暇中だった筈なのに」 「さぁ?」 瓦礫の片付けをしながら話す隊士達に足を止めた。 「その休暇も育手に結婚の挨拶をしたんじゃないかってめっきり噂になってるけどね」 「結婚するんですか!?苗字さん!」 「確か同じ甲の隊士が結婚申し込んだって言ってましたね」 「…まぁ、でもおかしくはないでしょ」 「え?じゃあ鬼殺隊やめちゃうんですか?」 「そこまでは知らないけど…」 「…あ、水柱…」 存在を気付かれたところでまた歩を進めた。 そうして、炭治郎が煉獄との任務に向かう際に言っていた台詞を思い出す。 「…名前さん、とても悩んでいました」 それだけを言われた。 それだけしか、言われなかった。 それだけを言われて、理解する人間が居るだろうかと、思った。 しかし、もしかしたら 炭治郎が言っていたのは、この事だったのではないかと気付いた。 * * * 名前が蝶屋敷へ訪れた時には、他の任務に出ていたしのぶも既に帰還していて、重傷者を手当てしているところだった。 「隊員から報告は受けてますよ。折角の休暇でしたのに…。でも、お陰で被害が少なくて済みました」 会話をしながらもその手は素早く隊員の腕へ包帯を巻いていく。 「…やはり名前さんがいると、とても助かります」 穏やかな笑みに、一瞬ドキッと心臓が波打った。 しのぶのこういう表情は、同性の自分から見ても、とても綺麗だと思う。 「いえ!そんな…!私なんて大した事は…」 「そんな謙遜なさらず。事実ですから」 「……」 「…で?その足元にいるのは?」 しのぶの言葉に、自分の足元を見る。 「…にゃー」 右足にまとわりつく姿に、一気に血の気が引いた。 「すみませんすみません!外で待たせておいたはずなんですが…!!何で入って来たの!?」 しのぶが毛の生えた動物が苦手であるのは重々承知している。 「離れます!!!」 猫を抱き上げてから十分すぎるほどの距離をとれば、ようやくその額から青筋が消えた。 「…鬼が、飼っていた猫ですか」 床に横たわる次の隊員の元へ移動しながら、しのぶは酷く冷たい表情で言う。 それは、事後処理を終えた隠からの報告だった。 あの鬼は、人間に擬態してその町に住み着いていたという。 そういう鬼は、さして珍しくはない。 病弱等という理由で、昼間は日の光を避けたり、騒ぎにならない程度に上手く人間を攫っては喰う事が出来るからだ。 しかしこの鬼の驚くべき事は、人間に擬態した上に、猫を二匹飼っていたのだ。 それが名前が鬼と対峙した時、足元に横たわっていた白猫。 そして今名前に抱き上げられている黒猫。 鬼の姿が跡形もなく消え、白猫の血だまりだけが残った場所に手を合わせた所、ひょこりと出てきて足に擦り寄ってきた。 あの鬼が怒り狂い暴れたのは、あの白猫が死んでしまったのが原因だろうというのは、鬼の隣人による話だ。 「…それで、どうするつもりですか?それ。随分懐かれてるみたいですけど」 「…貰い手を、探そうと思っています。それでも見つからなければ私が引き取ります」 「…鬼が、飼っていたものを?正気ですか?」 先程から全身に感じている。 肌をピリピリと突き刺す程の怒りを。 それでも、一吸いの呼吸の後、振り返るしのぶ。 「…まぁ、名前さんが決めた事なら私がとやかく言う事はありませんね」 ニッコリとした表情は、作られたもの。 「…申し訳ございません」 深々と頭を下げ、これ以上しのぶを不快にさせないよう、早々に部屋を後にした。 Anger 交わらない、怒り [mokuji] [しおりを挟む] [back] ×
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