仁亮さんと出会ったのは、私が高校生のとき。
「お兄ちゃん!」
「おお、名前。差し入れサンキュー!」
秀徳高校男子バスケ部に所属する兄のために、差し入れをするのは初めてじゃない。
けど、実際学校で渡すのは初めて。
「ん、苗字・・・そちらは?」
お兄ちゃんと体育館まで向うまでの廊下で、話していると、見覚えがあるような・・・おっさんが通りかかって、話しかけて来た。
「あ、監督。俺の妹の、名前です。」
ああ、そうだ。
部活の監督さんだ。
挨拶しろという兄の目線を感じて、私はどうも、妹の名前ですと軽く会釈をした。
「苗字・・・の妹、ねえ。」
じーっと上から下まで、見られて、嫌な気持ちになった。
この人もまた、私の見た目に何か言うんだろう。
自分で言うのもなんだが、けっこう制服を着崩している。
髪は染めてるし、スカートも短く、ピアスを開けている。
短髪の染めてない髪に、ちゃんと制服を着ている兄とは、正反対である。
「監督、コイツ見た目は派手だけど、良い奴だから見逃してやって?」
兄は真面目な癖して、どこかチャラけてる。
・・・これは、普通に妹思いなだけか。
「いや、・・・もったいないと思ってな。」
「・・・え?」
一歩おっさんが私に近づいて、兄と見比べる。
「やっぱり、兄妹から顔立ちが似てるな。・・・黒髪の方が似合うと思うぞ。
それに、染めると髪は傷みやすくなるだろう。」
うんうんと一人頷いて、おっさんは黒の方が絶対綺麗だぞと言った。
「ほら!名前言ったろ?お前も黒い方がいいんだって!」
染めるのに反対だった兄は、おっさんの言葉に賛同して、染め直そう!と言ってくる。
確かに、兄は黒い髪がよく似合ってる。
「・・・考えときます。」
「黒にした・・・名前を見てみたいな。」
ふっと少しだけ柔らかく笑いながら、おっさんは言った。
「えっ。」
「監督名前呼びッスか。」
「苗字だと、お前と被るだろう。」
「俺のコトも名前呼びにしてくださいよ!」
「なんで、そうなる。」
「可愛い妹が名前呼びなんてっ!」
「・・・苗字妹。」
「は、はい。」
「名前呼びは嫌か?」
「・・・べ、べつにかまいません。」
「だそうだ。」
まだ兄がぎゃあぎゃあ言ってたけど、私の耳には全然聞こえて居なかった。
・・・髪、黒くしよう。
*
「仁亮さん!」
「また来たのか。あと名前呼ぶなと言ったろう。」
「えー、でも仁亮さんも、私のコト名前で呼んでるでしょう?」
仁亮さんが居る部屋に行けば、何か資料を見ていた。
「いや、もう呼ぶ必要ないからな。苗字って呼ぶ。」
「え、・・・なんで?」
「お前の兄はもう卒業しただろう?なら、兄と妹で呼び分ける必要もない。」
仁亮さんは資料に目を通しながら、そう言った。
淡々と、何でもないとでも言うように。
「や、やだ。」
「うん?」
「仁亮さん・・・名前じゃなきゃ、やだ。」
「どうした?・・・おい、泣いてるのか?」
「やだ、やだ、・・・名前がいい。名前って、名前で呼んでよ。」
ぽたぽたと涙を流しながら、座り込む私に仁亮さんは駆け寄って来てくれた。
「・・・どうして、そこまで拘る?」
「・・・・・・それ、聞くの・・・?分かってるでしょ。仁亮さん頭良いもん。」
「・・・。」
そう言えば、仁亮さんは黙り込んだ。
そして、私の肩を抱いて立ちあがらせた。
「とりあえず、椅子に座れ。」
「・・・うん。」
袖で涙を拭きながら、仁亮さんの横のパイプ椅子に座った。
「・・・仁亮さんは、迷惑?」
「うん・・・?」
「こんな、ガキに想われても・・・迷惑、だよね。」
自嘲するように言えば、頭を撫でられた。
「迷惑だとは思わん。ただお前の気持ちには、応えれない。それだけ、だ。」
「・・・私が高校生だから?」
「ああ、それがまあ、一番の理由だ。」
「一番・・・?他にも理由あるの?」
「・・・年が離れすぎだろう。」
「でも、今年の差結婚っての、結構あるよ?」
「・・・名前は俺と、結婚する気か?」
「・・・・あ、仁亮さん、結婚してたっけ?」
「・・・。」
「仁亮さん?」
「・・・結婚してないがー」
「え、ほんと!?じゃあ、私にも可能性ある!?」
顔を上げて聞けば、撫でていた手がデコピンをした。
いたっ!と声上げると、最後まで話を聞け。と言われて、頷く。
「俺はお前のことを生徒または選手の妹、ぐらいにしか思ってない。」
「・・・し、知ってるよ。そんくらい。た、だ・・・可能性聞いた、だけ、だもん。」
また溢れて来た涙を見られない様に、顔を背けた。
「・・・苗字。」
「・・・・・・・・。」
「・・・苗字?」
「・・・・・・・・・・やだ。」
苗字と何回も呼ぶ仁亮さんの声を無視して、首を横に振った。
苗字じゃ嫌なの。名字じゃいや。
名前で呼んで、私だけなの、仁亮さんに名前で呼ばれるの。
だから、呼んで、よ。
私だけの、仁亮さんに呼ばれる、名前で、私を呼んで。
せめて、そのくらい、いいでしょう?
可能性が低い、そんな恋をしてしまったのなら、この学校の生徒の居る間ぐらい、
好きな人に名前を呼ばれる、幸せを味わってもいいでしょう?
はぁと息を吐く仁亮さん。
めんどうだと思われたかな。
呆れられたかもしれない。
それでも、振り向きたくないの。返事をしたくないの。
私ね、仁亮さんが好きで、本当に好きなんだよ。
この気持ちは、恋って言うんだよ。
恋の意味はね、特定の異性につよくひかれること。また、切ないまでに深く思いをよせること。なんだって。
私仁亮さんのこと思うと、切なくなるよ。
深く思いをよせる・・・これは、分かんない。
だって、好きなんだよ。
仁亮さんの姿を見て、声を聞いて、目があって、空気を共有して、時々触れられて、仁亮さんに関わる全てに、私の胸は疼いて、締め付けられるの。
「・・・名前。」
「・・・す、好き。」
「・・・・・それはー」
「いい、いいの。好きで居たい、だけ、だから。言わないで。」
「・・・名前。」
「いい、の、私が勝手にー」
「違う。そのことじゃない。」
「な、なに・・・?」
「髪、綺麗な色に戻って来たな。」
するすると解くように、髪を撫でる指先、固くて太く、カサ着いた・・・男性の指。
「・・・仁亮さんのバカ。」
また、なんで、あなたに対してこの気持ちが、私をあなたへと縛り付ける、この気持ちを増やすようなことをするの
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