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【1話】

「ね、連絡先だけでもいいから」
「いや、無理です」
「えー、なんで?」

 彼女はどうして友達とハグれてしまったんだろう、と心底後悔していた。ただ麓の街で、買い物をしていただけだったのに。

 目の前で、迫ってくる黒い制服を着た男子生徒はNRC生だ。常々NRC生の噂はよく聞く。強気なところがかっこいいとか、ぶっきらぼうでかわいいとか。ポジティブなモノもあれば、デリカシーがないとか、乱暴だとか、ネガティヴなモノまである。恐らく、この生徒はネガティヴな方のNRC生なのだろう。

「……」
「ね、だめ?」

 だめに、決まっている。彼女はしつこいNRC生に辟易として、思わずため息をついてしまった。そんな彼女の態度がNRC生の癇に障ったらしく、NRC生はニタニタしていた表情を一転させる。彼女はしまったと後ずさるが、遅かった。強引に腕を引っ張られて、彼女は眉を寄せる。加減もなく握られて腕は痛いし、自分より高い背が遠慮もなく近付いて来て怖いし。最悪だ。彼女は泣きたくもないのに、目頭が熱くなる感覚に、唇を噛んだ。これでは助けも呼べやしない。

 せめて、泣き顔は見られたくない。彼女が顔を俯かせようとしたとき、彼女を庇うように小さな影ができた。

「女の子に乱暴しちゃダメだよ!」
「お前はイグニハイドの……!」
「この子嫌がってるのに、連絡先を教えて貰うのは難しいと思うけど……」
「……」

 彼女はそろり、と顔を上げる。そこには、不思議な後ろ姿があった。彼女の目線よりも少し上くらいだいろうか。ふわふわと揺れる青い炎。メカニックな素材の身体をもつ人型?口調や声質からして、男の子?彼女は下手なナンパをしてきたNRC生のことはすっかり頭から抜け落ちて、じっとその不思議な男の子を見上げる。

「だいじょうぶ?」

 不思議な男の子が振り向く。可愛らしく、でも意思の強そうな大きな瞳が、こちらを心配そうに見つめる。彼女は我に帰って、こくこくと何度か頷いた。

「良かった」
「良かったじゃねぇよ。邪魔しやがって……」

 彼女の頭から抜け落ちていたナンパNRC生が舞い戻って来た。ゆらり、と不思議な男の子に迫るNRC生に彼女は青ざめる。どうしよう、あれ?そう言えば、この男の子の身体ってなんかNRC生の制服っぽく見えるような……

「うちの部員に何か用かしら?」
「あ!ヴィル・シェーンハイトさん!」
「……」

 ど、どういう状況なんだろうか、これは。彼女は次々に登場するNRC生に、目を回しそうになる。不思議な男の子は、特に気にする様子もなく、ハキハキと元気よくヴィルに状況を説明した。ヴィルはオルトの報告に、へえと相槌を打ち、立ち尽くしているNRC生を一瞥する。NCR生はそれだけで後ずさり、バツ悪そうに舌打ちをして立ち去って行った。

「……」
「あなた大丈夫かしら?
 ごめんなさいね。うちのマナーのなってない生徒が迷惑をかけて」
「……い、いえ!助けてもらってありがとう、ございました!」

 彼女はヴィルに顔を覗き込まれて、先ほどのNRC生と同じように後ずさってしまう。ひ、ひ本当にあのヴィル・シェーンハイトってNRCに通ってたんだ!恐れ多いと彼女は視線を彷徨わせているうちに、不思議な男の子と目が合う。

「あ、声かけてくれて、ありがとうございます」
「ううん!困ってるみたいだったから!」

 にこっと愛嬌のある笑顔を見せる男の子に、彼女もにこっと笑い返した。いい子だなぁ……!

「あ、何かお礼……!」
「お礼なんて、こっちが迷惑かけた……あ、そうね。お礼なら、この子……オルトにしてあげて」

 そもそも最初に気付いたのオルトだしね。と、ヴィルは言葉を付け足す。オルトくん。不思議な男の子は、オルトくんと言うのか。彼女がオルトを見つめると、オルトは目を丸くして、ヴィルの言葉に驚いた顔する。胸元に小さな手を置いて、お礼なんて、首を横にふりかけ……何か思案するように、しばし目を瞑る。

「お礼って、なんでもいい?」
「私にできる範囲なら!お金のかかることだと、難しいかもですが……」
「ううん!その心配はいらないよ!」

 オルトは首を振って、元気よく否定する。彼女が良かったと胸を撫で下ろした後に、爆弾を投下した。

「あのね、僕の兄さんと友達になって欲しいんだ!」

 オルトくんのオニイサンと友達……?
彼女が目を見開いて驚くと、オルトの隣に立っていたヴィルも同じように目を丸くしていた。


 近年、いや些か昔になるだろうか。SNS上で、理解が及ばない状態に陥ることを、スペース○○と表現するのが流行したらしい。色んなことに興味をもつ彼女も、その表現はSNSで見かけたことがあった。今まさに、自分はスペース○○状態になっているだろうなと、彼女は頭の片隅で思いながら、オルトの言葉に頷いた。

「こっちが僕の兄さんの、イデア・シュラウド。
 そして、兄さんの友達になってくれるナマエさん!」
「……よ、よろしくお願いします」

 彼女は軽く頭を下げて、チラッと見上げる。やはり、そこには青いタブレットがふよふよと浮いているだけだった。オルトくんは自分のことを、自律型AI搭載の魔導ヒューマノイドって言ってたけど。じゃあ、お兄さんも、ヒューマイノイド?だからタブレット?彼女は色んな疑問を抱くが、尋ねてもいいか分からず大人しく事態を受け止めるしかなかった。

「兄さん?聞こえてる?」
「き、聞こえてるよ、オルト……え、えーっと、ナマエサン?」
「は、はい」

 タブレットからは若い男の声がした。静かで知的な印象を持つ声だった。
大人しく頷く彼女はじっとタブレットを見つめる。

「ギャ」

 イデアはタブレットの向こうの二人には聞こえない程の悲鳴を上げて、ゲーミングチェアの上で縮まり込む。きゅ、と胸元で両手を握って、画面を覗き込んだ。やっぱり、そこには不思議そうにこちらを見つめる女の子がひとり。ほ、本当に女の子がいる……!ダッフルコートから覗く紺色のプリーツスカート。恐らく、賢者の島に属する小さな島にあるNRCと同じ魔法士養成学校の生徒だろう。確か、あそこは女子校だったはずだ。

 本当のことは分かんないけど。いい人そう。優しそう。NRC生と違って、人を陥れるって発想しなさそう。でも、普通の子っぽい。オタク文化知ってるか触れてるか分かんない。女の子分かんない。イデアはむぐむぐと唇を無意味に動かしながら、口を開いた。

「ナマエサンは……マジどきって知ってマスカ?」
「まじどき」

 わー!僕のバカ!いきなり略称で聞くな!せめて、この子がどんな趣味してて、漫画やゲーム、アニメとどれくらいの距離感なのか見るべきだろ!イデアが第一声から失敗したと嘆いていると、彼女はぽん、と手を打った。

「もしかして、マジカルどきどきメモリアルのことですか?」
「ご、ご存知!?」
「はい、ゲーム実況の動画でちょっとだけ、なんですけど……」

 イデアの勢いに、彼女は眉を下げながら申し訳なさそうに言う。そんな彼女に、イデアはまた自室で丁寧にリアクションを返していた。

「ゲーム実況知ってるタイプ!?」

 しかも、自らにわかですみません……的な、この謙虚な態度!良質なオタクの気配!
 イデアは姿勢を正して、次に何を言えば適切なのかと考える。考えすぎて、最短でドン引きされるルートしか見えない。そして、そのルートを回避するために、また考え始める。その一連の流れのせいで、イデアはどうしても、一つ一つの会話の流れが止まりがちだった。その間を埋めるように、オルトが彼女に尋ねる。

「ナマエさんはゲーム好き?」
「うん、好きだよ。自分でやったりするのは少ないけど、見るのとか結構好きかな」
「マジどきは見てただけ?」
「最初見てただけ、なんだけど。面白かったから、自分でやりたいなって思って……」
「あ!もしかして、明日発売の移植版?」
「うん!丁度もってるハードで移植されるって発表あったから、ずっと待ってたんだ」
「兄さんも、移植版楽しみにしてたよね!」

 お、オルト!GJ過ぎる!それに、この偶然出来過ぎでは?ナマエ氏、拙者の運命の相手じゃん!

「ナマエサンはちなみにスッイチ?SP4?」
「スッイチです」
「へ、へえ。ナマエサンはちなみに賢者の島の、とある店が“マジどき”に出てくるカフェのモデルにされてること知ってる?」
「え!知らないです!」
「ま、まあ、中盤のイベントですので、知らなくても無理はないですな。
 そのイベントに出てくるお店や、メニューが現実にもありまして……」
「いいですね!行ってみたいです!せっかく賢者の島にいるんだし!」
「……」

 鴨が葱を背負って来るとは、まさにこのことでは!?
 イデアはテンションが高まって、思わずゲーミングチェアから立っていた。そして、イデアは期待を込めて、オルトを見つめる。オルト!さっきみたいにいい感じに!このまま!流れを持って来てくれ!そんなイデアの気持ちに気付くように、オルトはタブレット越しにイデアを見つめる。そのまま、オルトはにこっと笑った。イデアも、にこっと笑った。つい、つられて。え、謎の笑顔。

「兄さん」
「……」

 ふ、副音声で、自分で言えっていう圧力を感じる!イデアはしょぼしょぼと萎れた花のように、ゲーミングチェアに腰を下ろした。心なしか髪も弱火になってしまった。

「あっ、え、っと……ナマエ氏」
「はい」
「そのモデルになったお店は……先ほども言った通りカフェなんですが、非常にファンシーな雰囲気でして」
「は、はい」
「男子高校生がひとりで行くには、非常に行き辛く……」
「……あ、イデアさんと私が一緒に行けばいいって話ですか?」
「そ、そうです!ナマエ氏には是非、拙者のマジどき聖地巡礼の同伴を頼みたく!」

 ナマエ氏!読み取り能力の天才か?優しいが過ぎる!イデアの全力の返事に、彼女はにこっと笑って頷いた。それぐらいなら、全然付き合いますよという態度だ。オルトは既に気力を使い果たしているだろう兄のために、本日の目的プラス、目的を達成するために必須なことを彼女に伝える。

「ナマエさん、兄さんのお願いを聞いてくれてありがとう!実は、もう一つお願いがあって」
「もう一つ?」
「うん。兄さんは見ての通り、人見知りなんだけど」
「……な、なるほど」

 彼女は頷きつつ、人見知り?と首を傾げそうになるのを耐える。個人差比べるの良くない。そもそも、イデアさんはヒトなのか?外に出るのが難しい人?身体が弱いとか?口調からしてオタクなんだろうなぁとは分かるけど。笑顔ながらも、どこか困惑した様子を隠せない彼女に、オルトはハッと口を閉じる。

「ごめんね。ナマエさん」
「えっ」
「お願いする前に、言わないといけないこと言い忘れてた。兄さんはナマエさんと同じ三年生だよ」
「あ、同い年なんですね」
「……そ、そうです」
「でね、兄さんそもそもあんまり外に出るの得意じゃなくて」

 オルト直球過ぎる!イデアは言葉もなく、虚無だった。先ほど気力を使い果たした所為で、リアクションも取れなくなっていた。

「誰でも不得意なことってありますよね」

 オルトの言葉に、彼女は特に驚くこともなく眉を下げるだけだった。ナマエ氏、優しさの塊か?

「そう言ってくれて、ありがとう!あ、でね、さっきも言った通り、兄さんは人見知りだから、初対面でお出かけはきっと難しいと思って」
「あっ」

  なんだろう。今のナマエ氏のアッに親しみを感じる。気のせいかな。

「ナマエさんには、兄さんが対面でも大丈夫になるように、兄さんと仲良くして欲しいんだ!」
「仲良く……私で良ければ、ぜひ」

 彼女は昨日のように目を丸くして、やっぱり最終的にはニコッと笑って、承諾した。
マ?マジでただのいい人じゃん……。いや、本当のところ分かんないけど。



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