「スマホ…素晴らしい」

私はバスルームに放置されていたハンドバッグから、
スマホを取り出して、天を仰いだ。
急いで充電を確認すると、奇跡的に僅かに残っていた。
お姉ちゃんからの通知がすごい数で、申し訳ない気持ちで胸がいっぱいになる。
緩む涙腺と震える手に叱咤しながら、私はお姉ちゃんに電話をかけた。

「おねえ」
「良かった!」

控えめなノックの音に扉を開ければ、お姉ちゃんに抱き着かれた。
感動の再会になるかと思ったら、服を渡されて、ナッシュさんと会ったの日のように、
背中を押されて急かされる。
それもそうだ。いつでも、こんな所に居ていいはずがない。

身体に残るナッシュさんの匂いや体温を振り切るようにして、
私は部屋の扉を閉じた。

***

ホテルのフロントまで無事に着き、後は電車に乗って家に帰るだけ。
力強く私の手を握るお姉ちゃんをこんなにも頼もしく感じるのはいつぶりだろう。
ずんずんと前を進むお姉ちゃんの背中に隠れて、少しだけ口元緩ませた。
妹として頼りにされたいって言う気持ちは本当。
でも、少しだけ、この背中に甘えたままで居たい気持ちもまた本当。

そんな背中が急に立ち止まって、固まる。

「おねえちゃ…」

お姉ちゃんは私を隠すように、私の手を引っ張る。
状況が分からずに、混乱するが、微かに鼻を掠めるあの匂いに、
数歩先に、ナッシュさんが居ることに気付く。

「…短い逃走劇だったな?」
「い、妹は返してもらいます。貴方がしてることは」
「あんたのあの店潰してやっても、いいんだぜ?
 俺たちの噂は聞いてるだろ?」
「…」

お姉ちゃんは目を見開いて、下唇を噛む。
悔しそうにナッシュさんを下から睨み上げるお姉ちゃんに、ナッシュさんは心底楽しそうに、
口元を歪めて、お姉ちゃん越しに私を見下ろした。

「妹と、自分の店でゆれ」
「お姉ちゃん、帰って」

ナッシュさんの言葉に被せるように言えば、ナッシュさんは予想通りとでも言うように、
目を細める。私が自ら残ると言うことは、確信していたに違いない。

「…で、も」
「いいから、帰って大丈夫だよ。ねえ、今日も出勤なんでしょ?
 早く行かないと遅刻しちゃうよ?」
「ねえ、待って」
「いいからっ!」

ぐいぐい、と背中を押して、こちらを何度も振り向くお姉ちゃんに、
大丈夫って笑って見せる。
ナッシュさんたちがお店でしていることは、お姉ちゃんずてに聞いている。
お姉ちゃんの大事なお店をあんな目に遭わせるわけにいかない。

お姉ちゃんがホテルから出た所を確認して、私は一息つく。

「薄情な姉だと思わないのか?」
「特に何も。
 それより…お帰り早くないですか?」

嫌味をたっぷり言ってこようとするナッシュさんをあしらうように、
そっぽを向けば、ナッシュさんは何かを思い出したように舌打ちをする。
何か気に入らないことでもあったのだろうか。

ホテルのエントランスで私たちは酷く目立つ気がした。
きっと外国人が居ること自体は珍しくないんだろうけど、ナッシュさんは外国人の中でも、
背が高いし、身体がしっかりしている上に、見た目だけなら王子様…っぽく見えない、
ことも、ない。たぶん。

こんな王子は嫌だ。

「…せ」
「え?」
「温泉を探せ」
「…」

私は目を丸くして、首を傾げる。
そんなウォーリーを探せみたいな、ノリで言われても…。

***

タクシーの中で、ぶつぶつと文句を言うナッシュさんの言葉に只管頷いていた。
前も思ってたけど、ナッシュさんわざわざ狭いタクシーの中で、
足組むのやめて欲しい。しかも、背もたれに絶対腕を乗せる。
その座り方しか出来ないのか。癖なのか、不思議である。

「…刺青くらいで、大袈裟なんだよ」
「…」

郷に入っては郷に従えって、言葉もありますよ。
と、言い掛けて口を噤んだ。
要するに、あの怖いお兄さんたちと観光目的で温泉に行ったらしいが、
刺青をいれているナッシュさんはお店の人に拒否されたらしい。
ナッシュさんなら、お店の人の拒否なんてものともせずに、入りそうだけど…。
騒がれるの嫌だったのかな。

ただでさえ窮屈な密室は、ご機嫌ななめのナッシュさんの所為で、
圧迫感が増すばかりだ。
窓から見える景色が、ビルや住宅街ではなく、郊外に出て自然なものに変わった頃には、
既に私は窒息寸前だった。

タクシーを降りて、私とナッシュさんは身体を伸ばすように、
背伸びをした。
顎で当然のように、付いて来いと示されて、私は慌てて旅館は入っていく
ナッシュさんを追いかける。

「あ、先ほどお電話した…」

旅館へ入ると、優しい笑顔で女将さんが迎えてくれた。
ナッシュさんは何を考えているか読めない表情で私の後ろに立っている。
面倒なことは全部私にやらす気満々なんだろう。
何と空気の読める女将さんだろうか。
先ほどのタクシーのおじさんは外国人の中でも、ナッシュさんのようなタイプは珍しいのか、
話しかけていたのに(それで余計にご機嫌斜めだった)、
女将さんは必要以上に干渉せず、すぐにお部屋へ案内してくれた。

ありがとう、女将さん。これがおもてなしの心。

***

ナッシュさんはこちらが引くくらい、行動力がある人だった。
部屋を一通り確認すると、私の服をバナナを向くように慣れた手つきで脱がしたと思ったら、
自分も服を脱いで、さっそくお部屋に付いている温泉へ入ろうとするではないか。
まって、一人で入っても良いのでは…?

「…!」
「…なるほどな」

露天風呂から見える景色に感動する私に対して、ナッシュさんは品定めするような目で、
空間全体を見渡す。
せっかくの温泉なら、純粋に楽しめばいいのに…って、私は付き合わされてる身だから、
楽しんじゃだめなんだけど。

「…何してんだ?」
「え?・・・湯船に入る前に、身体洗いません…?」

珍しいようなものを見る目で、瞬きを繰り返すナッシュさんが一瞬年下のように見えて、
私は少したじろいでしまった。
変な所で幼さを出すのはやめてほしい。

こういうのって、異文化交流の一つなのかな…。

***

景色を楽しみながら、開放的な空間で風呂に入る。
思っていたより気分がいいものだった。
濡れた前髪をかき上げて浴槽の淵に、両手を投げ出す。
お湯は少し熱めだが、それすら心地が良い。

浴槽は足が余裕で伸ばせるほどに広く、連日サイズに合わないことが多々あったので、
好感が持てる。この島国の住民に合わせていたら、サイズが合わないのも当然だろう。

ふと視線を向けると、景色に夢中な丸み帯びている後頭部が見える。
俺と違って浴槽に座り込むと、間違えば沈んでしまうほどのサイズの彼女は、
より一層ミニサイズのようだ。

浴槽の大部分を俺が占領しても、彼女のサイズならさほど問題がないらしい。

温泉と言ってもお湯は透明で、昼間の比較的明るい時間帯のおかげで、
ホテルの部屋よりも、はっきりと彼女の身体を見ることが出来た。

小さいことには変わりはないが、思っていたよりも色が白く、細く頼りない、
そして、綺麗だった。
別に美しいとかそう言ったことではなく、何も手を入れていない、自然のままの状態。
真っ白で汚れを知らないような、丸っこい背中に、既視感を覚える。

俺はこれを知っている…?

「…おい」
「…」

声を掛ければ、大袈裟に肩を揺らして、恐る恐ると言った様子で、彼女はこちらを振り向く。
火照った丸い頬はいつもより彼女を幼く見せて、ガキと風呂に入っている気分になった。
こい、と手招きをすれば、表情を固くしながら、素直に俺の方へ寄ってくる。

じりじりと少しずつ距離を詰める彼女に苛立ちを感じ、強引に腕を引っ張れば、
呆気なく彼女は俺の腕の中へ。

「…!」
「面倒なことすんじゃねぇよ」

お仕置きだと言うように、肩に歯を立ててやれば、
彼女は息を呑んで痛みに耐えるように両手をぎゅう、と握った。
ますます子どもっぽい仕草に呆れつつも、付けた歯形を舌先でなぞりながら、考え込む。

そう、昨日も彼女が声を漏らさないために、自分の指先を噛んでいた。
白い指先に残る、弱弱しい赤い痕。

「…」

あ、…思い出した。
幼い頃から、俺は妙に綺麗で洗練されたものが嫌いだった。
いや、嫌いになったと言う方が正しいのかもしれない。
まあ、今はそんなことはどうでもいい。

降り積もったばかり柔らかい、あの白い雪のようなのだ。
目の前の彼女は汚れなんて知らない。まだ誰にも手を出されていない。
生まれたばかりの、赤ん坊がそのまま大きくなったような、そんな感じがする。

降り積もったばかりの雪は呆気なく汚れる。
面白くて残念なぐらいに、一歩踏み込めば、足跡がついて、泥と混じって汚くなる。
俺は昔からそんな雪を踏み荒らすのが好きだった。楽しかった。

「…な、なん」
「…」

マナーだからと言って、髪をまとめている所為で丸見えの耳元に触れる。
白くて柔らかい耳たぶには穴なんて、開いて居なかった。

どこもかしこも、そのまんま。まだ踏み荒らされていない、真っ白な雪のような女。

「…」

よくよく見てみると、彼女の指先に薄らと見える赤い小さな歯型に俺は内心首を傾げる。
胸の前で組まれている手の、指先に痕が残っている。
遠慮なく彼女の手首を取って、見てみればやはり、昨日彼女が声をもらさないために噛んでいた噛み跡が残っていた。

あんな弱々しい力でも残るもんなのか…?

「…お前」
「…」
「もしかして、痣とか残りやすい方か?」

俺の問いかけに彼女はショックを受けた顔をしながらも、こくりと頷いた。
俺は彼女の返事に、つい口角が上がってしまう。

彼女の腹の前で両手を交差し、軽く拘束する。
彼女は驚いて肩を揺らすが、下手に動いた方が怖いと思ったのか固まったまま動かなかった。

俺にとっては好都合だ。
逃げるよう前傾姿勢となって俺の目の前に差し出される、白い背中に唇を近付けた。
これから感じるものに興奮して、ぞくぞくと背中に何かが走る。
誰も踏み荒らした事の無い、雪を踏む瞬間はとてつもなく気分が高揚とする。まるで、気分は吸血鬼のようだった。
飢えを渇きを、潤すように、無我夢中で目の前の身体を貪りたくなるような衝動に襲われても仕方ないくらい、俺は今興奮している。

濡れた背中は無味無臭で、無駄な水分を吸って、ダイレクトに肌に唇を押し当てる。
しっとりと、少し熱いくらいで、どこまでも柔らかくつい歯を立てたくなる。
痛いと喚かれても面倒なので、そこは我慢して代わりにキツめ吸い付くことにした。

「…いっ、た」

チクッとした痛みを感じたのか、彼女が逃げようとする。
既に見越して、拘束してあるので特に意味の無い抵抗に終わった。

「……」

唇を離して、彼女の背中を見れば、白い背中には不似合いな赤いキスマークがちゃんと付いていた。
まだ、だ。
ほんのり感じる満足感を見ないふりをしながら、俺はもう一度彼女の背中に唇を押し当てた。

***

「ん…」

ナッシュさんが唇で背中に触れるたび、言いようのない刺激と、緊張感に襲われた。
態勢は違ったとしても、昨日のように背中にナッシュさんの身体があって、触れていて、
たださえ温泉でぼーっとしているのに、余計にくらくらとしてきた。

ナッシュさんは男の人の身体だった。
熱くて固い、私が暴れてもビクともしない、そんな身体で抑え込まれたら、
逆らえるはずもない。
けれども、そんな力の差とは関係なしに、私はだんだんナッシュさんに逆らえなくなってきている。

「…」

繰り返しナッシュさんに背中を唇で触れられて、気付いたら足をすり合わせている自分が居た。
与えられる刺激が快感に変わって享受することに夢中で、
自分がどんな状態になっているか考えていなかった。

もしかして、わたし…

「ひ、あ」

完全に油断していた所を、わき腹を撫でられて変な声が出た。
ナッシュさんは呆れるように、バカにするように鼻で笑って、そのまま太もも手を滑らせて来る。
私は急いで足を閉じるが、ナッシュさんは気にしもせずに、無理やり足の間に、
手をねじ込ませてきた。もうそんな、強引な触れ方にすら、反応する自分の身体が恨めしい。

そして、ナッシュさんの指先が初めて触れられた夜のように、私の秘部に触れる。
決してお湯ではない、湿り気を指先で確認したナッシュさんは喉を鳴らすようにして、笑って、
もう片方の、お腹に回している手にぐっと引き寄せられた。

「俺の唇はそんなに良かったか?それとも、…」
「…や、あ」

薄い唇が背中をつう、と滑って、ときどき軽く歯を立てられた。
背中の刺激に意識を取られていると、ナッシュさんの指先が私の中に入って来ようとしている。

ナッシュさんの指が容易く入りそうなほど、濡れている自分が憎かった。
だって、それは…

「…俺に触れられるのが癖になって来た、とか?」
「ち、がッ…あっ」

全てお見通し。ナッシュさんの手のひらの上。

「…きゃ」
「暴れんな」

いきなりナッシュさんが私の腰を支えたまま、立つからびっくりした。
ナッシュさんは湯船の淵に座って、私もナッシュさんの足の間に座るような形になる。
お湯の中ならまだしも、こんなことをされたら、丸見えになる。
足を閉じようとしても、ナッシュさんの足に邪魔されるし、明るい所で足を開かされるって、ありえない。

湿った音がして、自分の中に何かが入ってくる感覚に耐える。
意外に最初の方が痛みがないと思ったら、奥へ進もうとすればするほど、
内側の方が鈍痛のような、どんどん痛みが大きくなっていくような、そんな痛みを感じて首を横に振る。
絶対に目は開けないし、自分が何をされているかを受け止めれるほど、
私はこの行為に慣れないのだ。

きっと、ナッシュさんは私が痛みを感じていることに気付いている。
止めてくれる気は毛頭ないだろうが。

ナッシュさんの手の大きさは分かっていたつもりだけど、こんなに時間が長く感じるほど、
指が長くて、圧迫感があるなんて思わなかった。
途方に暮れそうになったときに、ナッシュさんの指の動きが止まって、
指の付け根の部分と、手のひらが私の恥骨に当たる。

「…う、…」

それで終わりのはずもなくて、中を探られるような指の動きに、
思わず呻き声がもれた。

身体の内側を、中から他人に触れられる。そう思うと、せっかく温かくなった身体が冷えていく気がした。

「…緊張するな。指が動かしにくい」
「ん、…」

ずっと中に入っていた指が引き抜かれる。
その瞬間、ずっと感じていた圧迫感がなくなるのと同時に、何とも言えない感覚に薄目を開いた。

「…」
「んう…」

引き抜かれた指がまた入って来たと思って、圧迫感に眉間に皺を寄せたけれど、
痛みを感じた瞬間には指が引き抜かれて…、ナッシュさんの指が私の中を出たり入ったりしていた。
至って単純な動作のはずなのに、繰り返されるほどに感じ方が変化していく。

ナッシュさんに指を止めて欲しくても、ナッシュさんの指がぐりぐりと意図的に擦るから、結局何もできない。
内側からそんなことをされても、痛みしか感じないはずなのに、痛み以外にも、何か感じ始めている。
太ももがぴくぴくと揺れて、ああ、この前兆を私は知っている。

この男の人に、教えられたもの。

「言っただろう?
 今日はここで感じさせてやるって」
「…や…こわい」

思わず零した本音にナッシュさんは手を動かして、腰から下腹部へ。

「ちゃんと意識しろ」
「…?」
「ここを中から触れられて…お前はどう感じてる?」
「…」
「俺の指が」

下腹部の肌の上を長い中指がくるくると、踊る。
気付いた私は頭を上下に揺らした。

「俺の、どの指がお前の中に入ってる?」
「…ナッシュさんの、なかゆび」
「正解だ」

機嫌のいい声と、散々受けたチクッとした痛みをご褒美とでも言うように、肩に感じた。

「ちゃんと、自分が何処をどう触られてるか見てろ」
「…そしたら、どうなるの?」

湯あたりでもしたのだろうか。
ぼーっとして、見ろと言われても、湯煙に覆われたようにだんだん視界が狭くなって来た。
下腹部に触れるのが指だけはなくなって、大きな手のひらになって、
私を引き寄せて、今日で一番互いの肌がぴったりとくっ付いた。

「もっと、乱れたお前が見たい」
「…や、や」

呂律が回らない。
湿った音が激しくなって、身体に力が入らない。
だって、ナッシュさんの…中指が私の、あそこを出たり入ったりするたびに、やらしい音がして、
何より、こんな指一本で、状態にされて、恥ずかしいくないわけがない。

「…ん、あっ」

ゆるく、でも確実に迫ってくる息の苦しさに溺れることがどんどん怖くなくなっている
自分に気付いた。
刺激はそんなに強くないのに、身体が痙攣でも起こしそうだ。
やだ、やっぱり、この浮遊感にはなれない、こわい。

でも、力強く抱き留められて、その熱にさえ感じてしまうけれど、
その熱に対して安堵してしまうのも事実だった。

***

「や…ああっ」

とびきり高い声を聞けるかと思えば、まだまだ控えめな鳴き方をして、
彼女は気を失った。

湯船の淵から落ちそうになった彼女を支えながら、彼女の中から指を抜く。
ねっとりとして温かく、まだまだ狭い。
指にたっぷりと絡みついてた。気を失っているが、これだけ感じたんだと教えるために、
彼女の太ももに指を押し付ける。
白い肌が汚される感覚に、また俺の口角は上がる。

そして、取り敢えず彼女の身体を運ぼうとして、気付く。
自分とは違って、何も彫られていない白い首筋から肘にかけての部分がやけに目についた。

「…」

俺は倒していた身体を起こして、すうすうとこれまた無防備に寝ている彼女を見下ろす。
白いキャンバスのようだった肌に点々と残る、赤い痕。
見ようによっては、痛々しい。

真っ白な雪を踏み荒らすだけではつまらない。
踏み荒らして、その雪の下で春を待っているような芽まで、踏み荒らして、希望なんて持たせない。
絶望させる、そこまでやって、やっと楽しめるんだ。

「夜は期待させろよ?」

- ナノ -