〇彼の時間

 日本に戻った頃、誰が話題にしたかは分からない。気付いたら日本の女の話題を話して居て、俺は会話に参加せずグラスを傾けながら、適当に話を聞いていた。ふと、アレンが思い出したように俺に話を振った。

「なあ、ナッシュ」
「なんだよ」
「お前がご乱心だった女はやっぱり良かったのか?」
「…ご乱心」

俺は眉間に皺を寄せれば、それとなく付き合いが長いアレンは眉を下げて、適当に笑うだけだった。本気で俺が怒っていないと分かっているんだろう。もう一つ、純粋に興味と言うものもあるらしい。

別に元々シルバーのように、俺は女好きでもない。たまに甘いものが取りたくなるように、そう言ったものと同じ感覚で手を出していた。似合わないだと言われるが、仲間内の中でも俺はあまり女と遊ぶこと自体が少ない方だ。
女と必要以上に居るなら、ボクシングをしたり、海に行ったりする方がよっぽどいい。女と付き合ったこともあるが、何だか嗜みのような、そんなものばっかりだった。

「別に…」

今に今まで記憶になかった女のことを思い出せと言われても、困る。

セックスと言うより、お遊びのように彼女の身体を弄んだと言った方がいいかもしれない。それよりも一緒に過ごしている内に、違和感がなくなるような奴だった。見知らぬ他人と…五泊六日ほどか?…して、そんなにストレスなく過ごせたことは初めてだった気がする。下手な英語や、度が過ぎた抵抗を除けば、俺の事を酷く苛立つことはしない女だった。

だが、あんな幼い年齢で夜の世界に姉妹揃って、入るような女だ。どの道、遅かれ早かれ…男に食われていただろう。名前も、年齢も、何も知らねぇけど…軽く同情はしてやってもいいかもしれない。

まあ、うるさくもなく、文句は顔に出るが、扱いやすい、…あと、手料理が上手かった、ぐらいだろうか。そこら辺は評価できる。

「とんじる…」
「とんじる?なんだそりゃ、あっちの隠語が何かか?」
「ちげぇよ、料理名だ」

そうだ。彼女の手料理はもう一度食べたいと思うくらい、旨かった。高級食材が使っているわけでもなく、特別料理の腕が良いわけでもないだろう。

彼女の料理は口にすると、気の抜ける…いや、違うな、…ほっとするような味だった。所詮、家庭的な味ってヤツだろう。思わず、内心自分に対して鼻で笑ってしまう。そんなモノを俺は女に求めているのだろうか。バカらしい。

…まあ、彼女は恋人と言うより、結婚する女向きだろう。もし一緒に暮らして過ごす女として考えるなら、彼女のような女がいいのかもしれない。ただ口数が少なくて、何を考えているか分からない節もあったから、そう言った所は言える女の方が楽だろうし、好感が持てる。

「何で食い物なんだ?セックスの話だろう?」
「あ?…あー普通だろ、別に…」

あの真っ白な雪のような肌を踏み荒らすように汚すのは悪くなかったし、日に日に鳴く声が甘くなって、俺に心の隙を見せることが多くなって、そのことを指摘すれば、余計に歯向かって来る、そんな女。

「一週間も飽きなかったのか?同じ女で」
「…」

俺が眉を顰めれ見せれば、アレンはまた眉を下げて笑う。

「そうだな、お前はシルバーと違ったな」
「…」

別に、下種な話が居心地が悪いとかではなく、女遊びに惚けているような言い方が気に入らなかったのだ。

「なあ、ナッシュ!こないだ知り合った、あのねーちゃんどうなんだよ」

後ろから機嫌よさげに声を掛けてくるニックは完全に出来上がっていた。ニックの言う、あのねーちゃんは元NBA選手の、彼女のことだろうが。

「どうもなってねぇよ…それより、こないだのチームのアイツどうなった。
 大分調子に乗ってただろ」
「…ああ、アイツか」

ニックはグラスに残った酒を一気に煽ると、下品な笑みを浮かべる。ああ、これはまた今夜も下らない、面白い話をして夜が更けていく。

ほらな、こんな話の中で、埋もれていくような女だった。もし、また彼女と出会うことがあったとしたら、それはもう神の悪戯と言ってもいいかもしれない。

きっと、彼女はいつかの日のように、盛大に顔を顰めるだろう。あの、子どもっぽい顔をして。

***

ストバスで知り合った元NBA選手に何故か気に入られ、時々絡まれるようになった。話を聞けば、日本で試合をした選手の師匠だと言う。何か得られるものがあるなら、得たいと考えて、話に付き合ったりするが、今のところ役に立つかは微妙である。

そんなアレックスに今日も絡まれ、彼女の家へと向かう。一人暮らしにしては、立派な家だったりする。

「そろそろBBQも飽きたぞ」
「任せろ。今日はとっびきり可愛い女の子の手料理だからな!
 お前惚れるなよ」
「…くだらねぇ」

軽口を叩いてアレックスが扉を開けようとしたとき、扉が開いた。
軽い足音ともに、そして、どこか懐かしい匂いが鼻を掠める。

「アレックスさん、お帰りなさい!」
「お〜名前!お出迎えか〜?可愛い奴め」
「やだ、くすぐったい」

名前と呼ばれ、アレックスに抱きしめられる、女を見て、俺は目を見開いた。小さな背丈、白い肌、この匂い。
紛れもなく、日本で暇つぶしに抱いた女だった。女は俺に気付くと、視線を上げて愛想よく笑いかける。

「お客さんですか?わた…あ」

その笑顔が固まって、俺と同じように目を見開くと、あの唇がなっしゅさん…?と呟いた。懐かしい声色の所為か、彼女に名前を呼ばれた所為か、どちらでもいいが、俺が衝動的になったのは事実だ。

彼女の腕を引くと、あの頃と変わらずに呆気なく俺の腕の中に納まって、唇を奪うことだって簡単だった。ただ予想外なことに、彼女は記憶よりもずっと小さくて、曲げた腰が痛かった。

久々に味わう彼女の唇は記憶よりもずっと柔らかく、美味しい味がした。

ああ、そう言えば、彼女に名前を呼ばれことは初めてだったかもしれない。記憶が正しければ、彼女に名前を呼ばれたことなんて、ない。そして、彼女の名前が名前と言う事も、今知った。そんなことを頭の隅で思いながら、彼女の唇から唇を離す。一センチもない、距離で彼女が俺を見上げる。相変わらずいい匂いを撒き散らしてやがる。

「…とんじる?」
「せ、せいかいです」

彼女の戸惑う瞳に映る俺は酷く余裕がなくて、まるで初めてセックスを覚えたばかりのガキみたいな顔をしていた。
彼女の裸は何度も見た、抱きもした。頬を赤く染めて、喘ぐ姿だって、見たのに。性欲でも暗いどろどろとした支配欲でもない、純粋に彼女がこの腕に居ることが嬉しいと思う。そんな自分が居る。錯覚か本物か。

「ストップ!ストップ!」

アレックスに引き剥がされて、俺も彼女も我に返る。彼女は頬を赤くして、アレックスの背中に隠れて、呆気なく俺の腕から出て行った。

「お前ら知り合いだったのか…?」

あの日、あのホテルの部屋に置いて来た、忘れて来た…気持ちが膨らむ気配がする。どうでもいい、と吐き捨てた、あの気持ち。あの気持ちと言っても、その中身がどんなもので、どんな欲に成長することを見通して、必要じゃないと判断したから、吐き捨てたのに。

「あ?…知り合いも何も…」

俺は不自然に言葉を切らしてしまう。その様子にアレックスが首を傾げて、アレックスの背中から彼女が少し顔を出して、俺を見上げる。その瞳に映る、戸惑いと恐怖が俺の中の何かを擽ったのだ。そして、次々に思い浮かぶ疑問たち。どんな風に成長するのか、なんてどうでもいい。今、目の前に居る彼女に気を引かれていることは事実。中途半端は柄じゃない。

「…日本の奴らと親善試合をしたときに、観光案内をしてくれたんだ。
 また会えて嬉しいぜ?なあ、名前」

崩れた表情を元に戻して、いつかのように彼女を笑って見下ろせば、俺は余計に笑ってしまう。やっぱり、彼女は俺の予想通り、あの子どもっぽい顔をして、思い切り顰めて見せた。


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