ふたりの世界 | ナノ
夏休みになり、朝は覚くんを予備校まで送るという時間になった。そしてお昼を共にする回数が増えた。
今日もいつものカフェで軽食を食べていると、覚くんがグラスに刺さったストローへ歯を立てながら私の瞳を覗き込む。

「ナマエちゃん夏休み家でなにしてんのー?」
「勉強」
「デスヨネー」

卓上に長い腕を寝せてそこへ顎を置き、「退屈ではないのか」と私の答えなんて分かりきったことを聞く。

「朝は覚くんと会うし。お昼も時々会うし。いつもやってることだから退屈じゃないよ。来年からは長期休みはあってないようなものになりそうだし。これはこれでいいかな」
「ふーん」
「でも短期のバイトするつもり」
「へ? バイト? なんでまた」

ガタリを音を立てて上体を起こし、大きな目を見開いた。お金には困っていないし、必要以上の金額が仕送りという名目で通帳には毎月振り込まれている。けれど「いつまでも親の脛をかじってはいられない」そう言った覚くんの言葉に、今まで考えなかったことを考えさせられた。

「今しないとする機会がなさそうだから」
「はー! 意外とチャレンジャー」
「給料をもらったらそのお金でどこか行こうか」

同年代の人がしているようなことを、覚くんもしたいのではないか。けれどそれは無理だから、せめて近場でいい。今の日常から少し離れた場所へ覚くんを連れ出したかった。だから私がこう言えば、覚くんは罪悪感なく承諾してくれるのではないか。そう思った。

「一日。いや、半日くらいだったら出かけてもいいんじゃない? 駄目?」
「マジで? マージで!?」
「日取りはあわせるよ」

覚くんは私の真似だと言って買った手帳をめくり、「この日がいい」と夏休み最終日付近を指差した。

「うん。いいよ。どこか行きたいところある?」
「どこもかしこも行きたい!」
「なら私が決めていい?」
「いいヨ!」
「一日? 半日」

丸一日と半日。その違いで随分と行ける場所が変わってくる。覚くんの気持ち的にはどちらが良いのだろう。そう思って彼の返答を待っていると、覚くんは暫しの間を挟んで人差指一本を立てて見せた。

「分かった。一日ね」
「一泊したい」
「一泊?」
「うん。ダメ?」
「駄目じゃないけど」

いいのだろうか。私だったら勉強をしない時間を作るのが怖い。そんな怖い時間を覚くんにつくらせるのはもっと怖い。

「勉強、いいの?」
「うーん。良くはないよねー。まあ、勉強道具は持って行こうかな」
「そっか」

私だって覚くんと一緒にいたい。けれど不安要素のあることはしたくない。自分から言い出したにも関わらず、迷いが生まれてしまった。そんな気持ちを察したのか、覚くんは私の手を握って指を絡める。そして私の手の甲を撫でた。

「ナマエちゃん。俺さ、結構頑張ってると思うんだよね」
「うん。思うよ」
「受験が終わるまでの、最初で最後だと思うんだ」
「うん」
「ご褒美チョーダイ。今までのと、これからの。ナマエちゃんはなんにも心配しないでいいからさ。ネ?」

真剣な顔をしているのに、瞳は優しげに私を見つめていた。今まで頑張った分と、これから頑張る分。そう言われてしまうと、否定の言葉が浮かばなかった。

「分かった」
「ありがとう」

にっと笑った覚くんは急に「あ!」と何か思い付いたような顔をして、「これ見て!」と私にスマホを向けた。何かあるのかと少し身をのり出すと、覚くんの唇が柔らかく私の唇を塞ぐ。驚いて顔を離せば、覚くんは意地の悪い笑い方をしていた。人前では嫌だと言ったのに、そう言いかけた言葉をわざとらしく遮る。

「時間がヤバイ! ナマエちゃん、俺先に出てんね!」

慌ただしく席を立った覚くんを追いかけるため、私も慌ただしくお店を出た。しかし時間が無いと言ったにも関わらず覚くんはしっかりと私を待っていて、楽しそうに笑っていた。

「あーヤバイね。楽しみ。楽しみ過ぎてヤバイね!」

ヤバイ、ヤバイ。そう繰り返し口にして歩き出した覚くんに続く。

「うん。でも勉強頑張って」
「そりゃー頑張るって!」
「私これから図書館に行って旅行ガイドブック借りてくる」
「図書館にそんなんあるの?」
「あったと思う。ちゃんと確認したことはないけど」
「そっか。俺はナマエちゃんがいればどこだっていいんだからね? 無理しないでね?」

私も同じだよ。そう伝えたかったのに覚くんが間を開けず「あー本当にヤバイ」と続けるものだから伝え損ねてしまった。だから諦めて同意の言葉を口にした。

「うん。楽しみだね」
「それもだけどさーあー」

不意に足を止めて近づく距離。ゆっくりと高い位置にある視線が同じ位置で交わり、息がかかってしまいそうだ。

「ダメ?」

何がしたいのかは一目瞭然であった。さっきは許可なくしたくせに。けれどきっと、さっきの不意をついたキスは、彼なりにタイミングを見計っていたのだろう。店内といえど店員はレジに張り付いていたし、他の客も周りにはいなかった。それにひきかえ今は人が行き交う場所。今こうしているだけでも充分に人目を引いている。

「駄目」
「えー。誰も見てないよ?」

立ち止まりこちらを凝視する人はいない。けれどチラチラと視線を感じる。当たり前だ。覚くんはただでさえ目立つ容姿だし、こんなに顔を近づけて立ち止まっているのだから。

「駄目」
「チューした後のナマエちゃんのエッチな顔は俺しか見えないよ?」

顔に熱が集まるのが感じられるが、私は必死に強がって表情に力を込める。そんな私の眉間を指でなぞる覚くんは、それすらお見通しのようだ。どうやら今の彼はキスをするより、私を辱しめるのが目的らしい。覚くんの肘が肩へ置かれ、私の後頭部の髪の毛を触りながらまた「ダメ?」と楽しそうな顔をしている。なんだか悔しい。

「一泊するとき」
「ん?」
「いくらでもできるよ」

私の顔は赤くなっているだろう。けれどギョッとした表情を見せる覚くんに、少しは仕返しをできた気持ちになった。

「そーネ!」

ぱっと顔を離したのと同時、覚くんは私の腕を引いて抱き止めた。すると背後から勢いよく自転車が通り過ぎる。空気を裂くようにして走り抜けた自転車の風に乗って、私の耳を覚くんの声が撫でた。

「その言葉、忘れないでいてネ」

全身から発熱しそうだ。そんな私を見て覚くんは、満足げに目尻を緩めてまた笑っていた。

目の前には道がある気がしていた

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