ふたりの世界 | ナノ
珍しく覚くんから“夜会えない?”と連絡が来た。なので地下鉄を降りて、予備校へ行こうと足を進める。けれどその足は、すぐに止まることとなった。なぜならコンビニで背中を丸め、立ち読みをしている覚くんを見つけたからだ。
ガラス越しに彼の目の前に立って、控え目に指の第二関節を打ち付ける。すると眼球だけを持ち上げ、こちらを一瞥した覚くんは私の存在を確認すると、首を上げて流れるような動作で人を避けながら私の目の前へ現れた。

「大学お疲れサマー!」

覚くんはニッと歯を見せて笑い、指先にひっかけたコンビニの袋を揺らした。

「覚くんも勉強お疲れ様。休憩?」
「そーなの。なーんか甘いの食べたくなっちゃって。そんでせっかくだからナマエちゃんの顔見て癒されようかなーって」
「そっか。なら予備校まで歩く?」
「いんやー。今日自習室混んでてさ。後は家でやるー。つかナマエちゃんを一人で帰すわけにはいかないヨ!」

それならとマンションまでの、そう遠くない距離を歩いた。青々しい草花。虫の声が夏を思わせる。
大学生の夏休みは長く、私の学部の先輩は留学へ行くと言っていた。授業の関係で長期留学は難しいのだとか。それより上の学年になると研究が忙しくなり、研究室へこもりきりになるらしい。来年は留学するとして、今年の夏はどうしようかと覚くんへ視線を向けると目があった。どうやら覚くんはずっと私を見ていたらしい。

「どうかした?」

そう訪ねると、「いやー?」と呟いき視線はそのまま。じっと向けられた赤い瞳を私も黙って見据えた。すると覚くんは私の手を握って大きく揺らした。前後にゆらゆらと揺らして生ぬるい風を切る。

「どっか遊びに行きたいネ」
「そう?」
「え! 行きたくない!?」

行きたいし、行かなくてもいい。覚くんと一緒にいれるなら今のこの瞬間も、一緒に出かける時間も同じくらい大切に思える。そう思えるから、無理はしないで欲しいと思った。後から後悔をする思いや、将来この時間を恨むようなことにはなってほしくない。

「現実的じゃないよね」
「ひゃー、正論でなんも言えない!」
「今はそうだけど、これからはいつでも出かけられるよ」
「そーネ。そうなるように頑張る」

ため息をつきながら夜空を仰いだ覚くんの指先には、ペンのタコができていた。細く骨張った中指の皮が厚く、固くなっている。バレーをしていたときとは違う手だ。

「ナマエちゃん、受験の時しんどかった?」
「どうだろう。中学受験の時は辛かったかな」
「あぁー、……そっか」
「大学受験は落ちても浪人すればいいと思ってたし」
「え? そうなの?」
「うん。親戚の人も何年か留年した人結構いたし。でもお母さんと弟が一緒に住むってはなしだったから、焦ってはいたかな」
「なるほどねぇ」
「覚くんもそんなに思い詰めないで頑張ったらいいんじゃないかな」
「いや、俺は最初で最後だし。何年も浪人してられるほど親の脛かじってらんないからねー」
「そっか」

受験、試験、課題に成績。そういった心配はあったけれど、金銭面で心配をしたことはない。考えたこともなかったな。

「覚くんのご両親てどんな人?」
「え? フツーよ? フツー」
「普通」
「あー。サラリーマンの父ちゃんとパート勤めの母ちゃんデス」
「職種じゃなくてさ」
「んんー。なら今度さ、うちに遊びに来たらいいヨ!」
「天童家訪問」
「そうそう! 天童くんのお家に来てよ。ナマエちゃんは分かんないけど、父ちゃんと母ちゃんは絶対ナマエちゃんのこと気に入るから」
「そうだといいな」
「そうだって。だって俺の好きな人なんだもん」

そういうものなのだろうか。覚くんと私は互いの時間を共有して、積み重ねがあって今がある。それがない人に気に入られるなんてあるのだろうか。無条件に受け入れる感覚が私には分からない。仮に自分の両親に覚くんを紹介したとして、その時どうなるかなんて想像したことがない。お父さんは狼狽えそうだ。ただお母さんのことは全く想像がつかない。

誰にも干渉されたくない。私の世界に覚くんがいてくれれば、それでいい。そうなれるようになりたい。いずれは自立して、親から離れる。そうなれば世界に二人を実現できるのではないだろうか。
自力で生きていくことができれば、なんでか自由になれる気がした。今が不自由だと思っているわけではない。けれど何も背負いたくない。家族という鎖から、解放されたい。

「私も頑張るね」
「えー、充分頑張ってんじゃん」
「二人でいれるように頑張るの」

私の言葉に覚くんは目を丸くて、ただ「そっか」と呟くだけ。私の言葉が彼を焦らせたかなと少し申し訳なく感じた。けれど私はどうしたら覚くんと一緒にいられるのかを考えることが、純粋に楽しかった。日々が充実していた。成績ばかり気にしていた今までとは違う。勉強をする先に、覚くんがいると思うと苦痛にはならなかった。覚くんの世界を想像して、そこに自分がいるのが嬉しかった。


マンションへつくと、覚くんの手はすぐに離れた。掌に空気が触れる。それが少し寂しかった。

「寄っていく?」
「んー! 実に魅力的なお誘い! でも男連れ込むなって言われてるんでショ?」
「そうだけど、少しは出掛けた気になるかなって」
「はあー。俺のカノジョまじ天使」

そう言って覚くんは私の背中へと手を回した。こういった触れ合いは久々である。薄い背中。覚くんの香り、鼓動。ゼロの距離が心地好い。

「浪人が終わるまではズルしない」
「そっか」
「ぜってーもう勉強できなくなっちゃうもん」
「わかった」
「ごめんネ」
「大丈夫」

毎朝会えている。少しの距離を、私が単語帳を読み上げて覚くんがそれに答える。そうやって歩く朝の道は好きだ。週に一度の食事も楽しい。けれどたまにこうやって、イレギュラーに彼と会うと欲張りになる。我儘が現れる。でもそれも全部覚くんのことが好きだから。そう実感するとそんな自分を許せる。
静寂の中、交わる瞳。私と覚くんはどちらともなく唇を重ねた。溶けるような柔らかさと温度。今日はこれで我慢しようと思う。

すべてを裏切ってしまいたい衝動

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