ふたりの世界 | ナノ
無事大学に合格し、手にいれた一人暮らし。三ヶ月ほど経って漸く生活に余裕が生れたというよりかは慣れた。
親と一人暮らしをする上での約束。学問を優先させること。自炊をすること。長期連休は実家へ顔を出すこと。部屋に男を連れ込まないこと。それらを守りつつ、今のところ問題なくやっている。

以前のように一日の大半は勉強をして過ごし、お手伝いさんがやっていた家事を自分でこなすとすぐに一日が終わる。そして覚くんは宣言通り進学も就職もせず、浪人生となった。そんな覚くんとの時間は高校生の時より少し増えたと思う。お互いに遠回りであるが朝、待ち合わせて短い距離を一緒に歩き、週に一度は覚くんと食事を共にしている。大体はお昼、時々夜。ごく稀に朝。
そして今日はその一緒に食事を食べる日。覚くんの予備校の側にあるカフェ。すっかり馴染みになったお店で、私は昔と変わらずノートを広げてペンを走らせていた。


「ゴメンー! 待ったよネ!?」

肩を上下させ、短い息を吐く覚くんは、瞳を隠すように下がった髪の毛を煩わしそうにかきあげた。

「大丈夫だよ。特に予定もないし」
「はぁー。ゴメンね」

最近覚くんは勉強に息詰まっているらしい。最初こそ目に見えて良くなる点数に「俺天才かも!」と明るく私に話てくれたが、この頃は思うように行かないと言っていた。もともと頭の回転が早い覚くんだから、私なんかより地頭は良いのだと思う。けれどある程度成績が上がれば停滞するのは当たり前。そのことが彼を焦らせているようだった。
現に食事をしていた最中も、食べ終えた今でも会話が途切れると重たい息を吐き、視線を天井へと向けて泳ぐように宙をさ迷わせていた。目が合うと明るく振る舞っていてくれているが、それが私に気を遣っての行動だということくらい分かる。

そんな彼を励ませるかは分からないが、今日の私には考えがあった。

「覚くんにプレゼント買ってきたの」
「え! マジで!? 暗記できるパンとか!?」
「暗記できるパン?」
「あ、いや。なんでもないデス」

暗記できるパンってなんだろうと考えながら、ここへ来る前に買ったものを覚くんへ渡す。

「どれがいいか分からなかったから、とりあえず一通り買ってきた」

覚くんは紙袋を摘まむようにして、器用に指先だけで袋の口を開き、中身を観察するように忙しく瞳を動かして目を大きくさせた。そして紙袋へ手を突っ込んでひとつずつ中身を取り出す。

「ねじねじしてるけど、それヘアゴム。跡がつかないんだって」
「スプリングゴムだネ!」
「それはバッチンするやつ」
「ヘアクリップだネ!」
「前髪上げるやつ」
「カチューシャだネ!」

覚くんは一度テーブルに並べた物をひとつずつ自身の髪の毛につけて嬉しそうに笑ってくれた。

「最近覚くん髪の毛上げないから、勉強するとき邪魔かなって思って」
「うわー! ありがとネ! しかもなんか全部派手色だし。俺のこと考えて選んでくれたんだ?」
「うん。一応覚くんの好きそうなのを選んだつもり。大丈夫だった?」
「ナマエちゃんがくれたものだったら何でも大丈夫だヨー」
「そっか、よかった。少しは元気でた?」

大きな目をパチパチと瞬かさせ、「落ち込んでるように見えた?」と驚きを見せる。

「うん」
「そっかぁー。なんかさ、最近全然頭が働かないのヨ。問題解いててさーあー。コレ知ってる! この前見た! ってことは覚えてるんだけど、答えがでてこないのヨ。もーそんなんばっか」

コロリと転がったヘアクリップを指先で遊ばせながらテーブルに突っ伏し、今度は隠すことなく大きな溜息を吐いて見せた。

「暗記系はさ、頭と身体で覚えるつもりでやるといいよ。まあ、私の場合だけど」
「頭と身体?」
「そう。例えば運動をするときとかさ。何も考えないで動くときってあるでしょ?」
「勘でいいってこと?」
「覚くんは勘がいいから感覚的に解ることが多いかもしれないけど、本来それは解らない人の方が多いんだよ」
「んん?」

どういうこと? と困惑の表情。

「具体的にいえば、バレーするときっていちいち考えないでしょ? 右足出して膝曲げてって」
「それは……そうネ」
「でも考えるときもあるよね? 相手は何が得意で、何が好きかとか。それを覚くんは勘がいいから感覚で理解しているかもしれないけど、私だったらいちいち書いて統計ださないと分からないの」

昔から覚くんは感覚的に判断することに優れていると思う。バレーでもよく「勘」という言葉を使っていたし。覚くんのバレーの練習というのは、感覚的に動きたいと思ったときに、その通りに身体を動かせるようにするためのものだったのではないかと思う。だから勉強も理解が深まり、コツをつかめばすぐにできるのではないだろうか。

「勉強も本筋を理解できてくれば、勘で解けるようになるよ。だから今はそこに行くまでの準備段階だと思って、結果が出なくても頭が動かなくても、身体に覚えさせるつもりでやったらいいよ。そうしたら考えなくても、感覚でできるようになるよきっと」
「なんか難しい!」
「そう? 要はさ、覚くんに足りないのは経験かなって」
「つまりは勉強しろってことネ!」
「うん。まあ、そういうことなんだけど……」

励ましたかったのに、私は覚くんに「もっと勉強しろ」としか言えなかった。力になってあげたいのに、どうしていい言葉がでてこないんだろう。

「はぁー、そっかぁ。勉強って言ってもいろんな考え方があるんだネ。いかに俺が今までもの考えないで生活してきたかわかるよ」
「感覚で理解できちゃうからだよ。それは悪いことではないでしょ? むしろ才能だよ」<

褒めすぎだと笑った覚くんの顔が、少し晴れやかになっている気がした。少しでも気持ちが軽くなったのならいいのだけれど。

「ごめんね」
「ん? なにが?」
「励ましたかったんだけど、上手く言えなくて」
「え? 今のアドバイスでなくて励ましだったの?」

アドバイス。言われてみるとそちらの方が近い気がした。励ますつもりであったのに、なんて偉そうなのだ私は。覚くんの言葉でそれを実感し、落ち込んでしまう。そんな私を見て覚くんは「励ましってのはこうやるんダヨ」と両手に拳をつくり、曲げた肘をそのままにブンブンと上下させた。

「覚くんなら大丈夫ダヨ! ファイトファイト!」

そんな覚くんの行動を凝視していると、ほらやってみてって目が言っている。なので「覚くんなら大丈夫だよ。ファイトファイト」と動作も真似してやってみた。するとギャーと叫びケラケラと笑った覚くん。どうやら彼は凄く元気になったらしい。

「再現度たけー! ヤッバイもう一回やって! 動画録りたい!」
「それは恥ずかしいよ」
「お願いお願い! 落ち込んだとき見て元気だしたいのヨ」

ね? いいでしょ? ね? ね? お願い! と私に反論する隙を与えてはくれない。

「これで元気になるの?」
「なるなる! ちょーなる!」
「……じゃあ」

ピッと鳴った携帯に向かってもう一度先程と同じことを繰り返えす。

「覚くんなら大丈夫だよ。ファイトファイト」

携帯の画面を見つめた覚くんは、明明とした表情で笑っていた。そして「閉じ込めちゃった」と携帯の画面をこちらへ向けてきて、私自身と目が合う。なんて羞恥心を煽るのが上手いのだろう。そう言ってしまいたかったのに、久しぶりに覚くんの長い指が私の指に絡み付いてきたので、黙ってこちらに向けられた携帯を伏せることしかできなかった。

明日、元気になあれ

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