ふたりの世界 | ナノ
道端に鮮烈な赤を見つけて、自然と足が止まった。確か夏の終わり、秋に咲く花。名前は何と言ったか。思い出せない。ただ、風に揺れるその姿が、なんだか彼に似ていると思った。
花をじっと眺めていると、風が登り上がるようにして吹き抜ける。目に見えぬ風を追うようにして、空を見上げた。変わり始めている空の色。日が暮れるのが早くなったと感じる。
手首を揺らし、視線を腕時計へ。待ち合わせ時刻まであと少し。私は花の名前を考えながら再び歩きだした。

日曜日の夕方。覚くんといつものカフェでの待ち合わせ。彼より先に到着した私は、スマホで赤い花の名前を調べようとしていた。すると機械音と共に手元が震え、覚くんからの「ごめん。遅れそう」という文字が表示される。「大丈夫だよ」と返信して、再び赤い花の名前を探そうと画面の表示を切り替えた。“赤い花”そう検索ボックスへ入力しようとすると、ふいに背後から「赤い髪」という単語が聞こえ、無意識に動きが止まる。

「え? 誰のこと?」
「ほら、アンタがいいなって言ってた赤い髪の人」
「天童くん?」
「そう、天童だ! この間さ、天童の彼女が予備校に来たらしいよ」
「本当に?」

覚くんは目立つ人だ。人の目を惹き付ける。それに私が予備校に行った日、人目につくような行動をした。だからこういう話が不特定多数の人に囁かれることは、自然なことかもしれない。けれど気がかりなのは、覚くんに迷惑がかかるようなことが起きていないか、ということ。

「そっかー。本当に彼女いたのかぁ」
「あれ? 知ってた?」
「知ってた。連絡先聞いたら彼女がいるからごめんねってあしらわれた」
「へー」

ただの噂話。この人たちの会話からは、そういった印象だけが感じられた。もう聞き耳を立てるのはやめよう。そう思うのに、聴覚への意識はやめられない。私の知らない覚くんの素行に、好奇心が掻き立てられている。
駄目だ。気を紛らわそうと、スマホへのキーワードの入力を再開した。

「これは本人から聞いた話じゃないんだけど、彼女、○○大らしいのね」
「めっちゃ頭いいじゃん」
「そう。それで、同じ高校だったんだって」
「どこ?」
「白鳥沢」
「あぁー、そりゃ頭いいわ。え、てか天童って白鳥沢なの? じゃー頭いいんじゃん」
「いいんじゃないのかな? 彼女と同じ大学志望らしいし」
「それで浪人か」
「しかも医学部志望なんだって」

スマホの画面にたくさんの赤い花の画像が表示された。その中から、弾けるような曲線を持つ花。道端で見た花を指先で触れる。鮮やかなその赤は、やはり覚くんに似ていると思った。


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破裂してしまいそうな、強烈な感情が腹の奥底で滾っていた。

「ごめんネ! お待たせ!」
「大丈夫だよ」
「アレ? 勉強してないの珍しいね。何してたの?」
「花の名前を調べてた」
「へー? 何て花?」
「彼岸花」

どんなの? そう言って私のスマホを覗き込む覚くんに、「ここに来る途中で見つけたの。覚くんに似てると思わない?」そう言おうと思っていた。そう思っていたのに、口をついて出た言葉は別のものだった。

「覚くんは医学部志望なの」
「へ?」

時が止まったような、不自然な動きの静止。最初、覚くんは唸るようにして言葉を濁したが、「ウン」とすぐに肯定した。

「なんで?」
「将来そーいう職種につきたいから」
「どうして?」
「大義はないけどキョーミがあるから」
「なんで教えてくれなかったの?」
「ナマエちゃんは怒るかなー思って」
「なんで」
「んー。でもホラ、怒ってる」

腹で滾り、せりあがってきた感情。それが口から姿を現した。その正体は紛れもなく、怒りだ。そんな私の怒りを目の前にしても、覚くんは落ち着いているように見えた。まるでこうなることがわかっていたかのように、落ち着き払っている。

「イヤ?」
「嫌ではないよ。覚くんがやりたいと思っていることなら。でも私の家と関係しているなら、嫌だ」
「どうして?」

どうして。そんなの、それが覚くんにとっていいことに思えないからだ。私の親の影響を受けている。その影響は、私と覚くんの世界を干渉する。それが今後一生続く。そう思うと、それは耐え難い。

「私の家が医者だから医学部志望なの?」
「仮にそうだとして、それはイケナイこと?」
「どうして覚くんの将来に、私の親の職業が関係あるの」

徐々に大きくなってしまう声。早口で覚くんを責め立てるような口調。そんな私の態度とは対照的に、覚くんは「それは、まあ、親だから」と冷静に、穏やかな口調で話した。

「親だから永遠に子どもに干渉し続けるの? 私は世界に二人だけいればいい。それだけでいい。それだけでいいの」

それ以上は何も求めない。求めないから、もう何も奪われたくない。その想いから覚くんの手を握った。
私の我が儘だと、頭の片隅で理解しながらも彼に受け入れて欲しかった。私の想う世界と、覚くんの想う世界が同じだと、肯定して欲しかった。私を否定しないで。怒りの根底にあるのは、そんなすがるような想いだった。

「俺もそうだよ。ナマエちゃんがいればいい。でも、だからって他のものを蔑ろにしていいってわけじゃないでしょ? 仲良くしようとか、わかり合おうとか、そういうことじゃない。ただ、今ある繋がりを断つのは違うと思うんだ」
「覚くんが、やりたいことならいい。そうじゃないなら、私は……」

私は、なんだろう。私は自分を受け入れて欲しいくせに、覚くんの想いを、真意を受け入れることができない。
変わらない現実があるとするならば、私が何を言おうと決めるのは覚くんだと言うこと。覚くんの意志が絶対だ。それなのに、どうしてこんなに腹が立つんだろう。どうしてこんなに胸が苦しく、悲しい気持ちになるのだろう。覚くんに裏切られた、なぜそんなふうに感じてしまうのだろう。

「俺のやりたいことだから」

私は覚くんの手を強く握っていた。覚くんも、手を握り返してくれた。私の手のひらには、二人の世界があったはず。それ握っていたはずなのに、砂のようにこぼれ落ちていく。崩れる。失う。それは身体の一部が欠落していくような感覚で、私は覚くんの手を握り続けることができなくなっていた。


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「変化することが怖い」

高校生の時、覚くんはそう言った。私は「覚くんの世界に居続ける」と言った。変化しても、私は不変だと言いたかった。その通りに、私は不変的にあったと思う。たぶん覚くんも根底は一緒のはず。けれど、同じ場所にいても、見ている世界が違った。それが裏切りのように思えて、私は彼を拒絶した。

「試験が終わるまで、会うのはやめよう」

そう言ったのは私だった。覚くんはいつも通りの表情で、「ウン、わかった」と頷いた。それっきり彼の声を聞いていない。
覚くんと会わなくなっても連絡は毎日とっていた。「おはよう」と「一日お疲れ様、おやすみ」という一日二通のメッセージ。時々「一日お疲れ様」の部分が近況報告をするものだったりするけれど、短い文章のやりとりには変わりない。
しかし、それも気付けば、私の一方的なものになっていた。

“おはよう”
“最近寒くなったね。おやすみ”
“おはよう”
“一日お疲れ様。おやすみ”
“おはよう。今朝は雨が凄いね”
“おやすみ”

私がひとりでメッセージを送っている。翌日には既読を知らせる表示が確認できるため、一応はメッセージに目を通している、と思いたい。
メッセージを送る行為をやめようか。それを考えないわけではないけれど、やめてしまったら繋がりが完全に断たれてしまう気がして、やめることができずにいた。
独りよがりな文字が、日々増える。それが積もり積もった、私の言葉だけの世界。それを傍観している覚くんは、何を想うのだろうか。返事がない理由を考慮せず我を押し付ける私を、無関心な人間だと言うのだろうか。なら、そう言ってくれればいいのに。
今日も私はひとり言葉を綴る。

“おはよう。今日は冬の匂いがするね”

無神経な不変

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