世界にふたり | ナノ
窓の外では肌を刺すような木枯らしが吹いていた。中庭を歩く人は皆背中を丸めていて、今日は一段と寒そうだなと、暖房の効いた教室でそれを眺めた。
椅子の背もたれにかけたブレザーに袖を通し、ノートとペンを持って教室の外へ出る。すると温度差でぶるりと身体が震えた。そして廊下を進み、渡り廊下、階段と下の階へ進むごとに身が縮こまる。胸の前でノートを抱き抱えるようにして持ち、私は職員室の扉を叩いた。

今日、この日は本当に偶然だった。放課後、質問したい先生の行方がわからず、職員室やら資料室、各教科担当の先生が使う教科室を探し歩いていた時。昇降口でチラリと視界に入った、下駄箱にもたれ掛かるようにしゃがみこんだ、ジャージ姿の見慣れた赤い髪。室内と言えど暖房が効いているはずのない場所。そこはとても、寒い場所。
最初に浮かんだのは「なんで?」という疑問。

今の時刻は、いつも帰る時間より二時間も前。今まで考えたことがなかった。いつも同じ時間のバスに乗って帰るから、覚くんもそのくらいの時間で私を待っていてくれてるのだと思っていた。でもそれは違った。
次に浮かんだのは、「なんで言わないの?」という少しの怒り。

けれどすぐに思い直す。違う。私が言えないようにしていた。勉強の邪魔はしないでって。邪魔になると思ったからいつ頃帰るかと聞くことも出来ずに、ずっとそうやって私を待っていたんだ。
覚くんの側まで近づいても、音楽をきいているようで私に気づかない。イヤフォンをつけた耳は真っ赤になっていた。その耳にそっと触れてみる。

「うっわー!!!! ビビった!!!」
「耳冷たい」

覚くんの耳に触れていた手を、頬へ滑らせる。冷たい。風邪引いたらどうするの? たったバスを待つあの少しの時間のために二時間もここで待ってたの?

「そんなにニラまないでヨ」
「もしかして最初にここで会ったときもずっと待ってたの?」

肯定も否定もせずに、バツの悪そうな顔をして目をそらした覚くん。

「……メイワクだった?」

溢れ出す感情。熱くなる胸。飛び付きたくなる衝動。悲しくないのに涙が出そうになる。次々と、胸の内を叩くようにして、膨らむ。そうか、これがそうなんだ。

「……love」

自然と言葉が漏れて、無意識に冷たくなった覚くんの背に手を回した冬の日。私は彼に告白をした。


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「ルールを変更しようと思う」
「ウンウン」

後ろから覆い被さるようにして、密着してくる覚くん。最近慣れつつある覚くんの体温。私がloveだと口にしてから、覚くんは今まで以上にくっついてくるようになった。

「覚くん何か要望はある?」
「要望? 何でもいいの? 何言ってもいいの?」
「無理なものは無理って言う」

チェーと言いながら、私の首筋に顔を埋める。くすぐったいと身をよじると、首筋に歯を立てられた。

「ちょっと、覚くん?」

少し体を離して振り向けば、意地悪く笑った顔。

「俺の要望ねぇ。もう少し会いたいって言ったらワガママかなぁ」

怒ろうと思ったのに寂しそうな顔をするものだから、言葉が喉の奥に引っ込んだ。

「水曜日のお昼、一緒に食べるのはどう?」
「マジで!」
「水曜日は午後の頭が体育だから、小テストないし大丈夫」

イエーイと離れた体を引き寄せて、またくっついてきた。

「あと、帰りの時間は連絡するから、前みたいにずっと待つのはやめてね」
「へーい」
「覚くんの部活の予定も細かく教えてよ。他にも会える時あるかもだし」

ウーンと唸って、と浮かない顔をした覚くん。喜んでくれると思ったので、その顔にどうしたものかと彼の感情が掴めない。

「何か問題でも?」
「会えるのは嬉んだけどネ。無理してナマエちゃんの成績落ちて、別れるって言われるのはイヤダナーと」

胸の奥がきゅっとする。自分で思っているよりもずっと、私は覚くんのことが好きらしい。それを自覚すると、私を包む覚くんの体温と匂いに何かが腹の底から喉元までせりあがる。それを吐き出すように外へ放たれた息は、普段よりもずっと熱を帯びていた。

「大丈夫。勉強優先は変わらないから」

いつもの仕返しに、精一杯、意地悪く笑って見せる。すると「残念」と言ってまた、私の首筋に顔を埋めて、今度はそこにキスをされた。


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水曜日。急いで食堂へ向かうと、すでに覚くんが入口で待っていた。

「ごめんね。待った?」
「んーん。大丈夫」

久々の制服姿の覚くん。新鮮だ。二人で向かい合って食べるお昼も新鮮だ。見慣れた場所なのに、全てが真新しく見える。それがとても不思議で、なんだか可笑しかった。

「覚くんってあんまり食べないんだね。運動部って山盛り食べるイメージだった」
「コレでも頑張ってるんだヨー。なのにもっと食べろって怒られる」

他愛ない会話。それを日常と呼ぶにはあまりに特別で、けれど、なんと呼べばいいかはわからない。そんな時間を過ごしていると、不意に覚くんの隣に人が座った。

「早いな、天童」

抑揚の少ない声。ぴんと伸びた背筋。キッチリと結ばれたネクタイに、山盛りのご飯。こちらのことなどお構いなしに「いただきます」、そう両手を合わせたのは我が校一の有名人、牛島若利だった。

「えー! 若利くん空気読んでヨ!」
「なんだ?」

そう言って私と目が合うと、私と覚くんを交互に見て「あぁ」と呟いた。

「天童のマイエンジェルか」

真顔で言っていることと声のトーンとのギャップが凄まじい。

「いやー、ほんと若利くんには敵わないよネー。それじゃあ、まずこちら! ご存じ若利くーん。こちら。マイエンジェルでカノジョなナマエちゃん!」

そう紹介されて、お互いに頭を下げた。そのあとは三人でお昼を食べた。牛島くんはイメージと全然違って驚いたけれど、覚くんが他人と楽しそうに話しているのを見て、それが新しい発見であり、嬉しくも思えた。

「あ、そうだ若利くん。ナマエちゃんのこと好きになったらダメだからネ」

思わず吹き出しそうになってむせてしまった。いやいやいや。ないないない。何を言っているんだ。そんな心配は絶対にいらない。

「あぁ」なんて生真面目に返事をする牛島くんと目が合う。初めてまじまじと見た顔は端正な顔立ちで、目力が強い。あまりにも真っ直ぐにこちらを見るものだから思わず照れてしまう。そんな私を見て「ナマエちゃんも! ダメだからネ!」と必死に言う覚くんを、可愛いなんて思ってしまったのは、私が彼のことが好きだからだろう。


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先生に呼ばれ職員室へ行った時のこと。入口で牛島くんとぶつかりそうになった。

「スマン」
「こちらこそすみません。あ、」

牛島くん。そう口にする前に、あぁこの前の、そういった意味合いの瞬きをした牛島くんは軽く手を挙げて、職員室から出ていった。それを見送り、私は先生の方へ向かう。そして先生との話を終えると、ついでだからとクラスに配るプリントを押し付けられた。

「ミョウジ、牛島と知り合いか」

不意に問われ「はあ、まあ」と曖昧な返事をしてしまった事を後悔する。「じゃーこれ持っていってくれ」と渡されたプリント。さっき渡しそびれたからと雑用が増えてしまった。

なんでさっき呼び止めなかったんだと、言えない文句を飲み込んで急いで牛島くんの後を追った。

一年生のクラスが並ぶ廊下で、背の高い牛島くんはすぐに見つけることができた。けれど歩くのが早くて追い付かない。「牛島くん」と呼んでも彼の耳には届いていないようで、仕方なく走って大きな背中を捕まえた。

「牛島くん!」

驚いたように振り向いた牛島くんは「天童のマイエンジェル」と、いつか聞いたフレーズを口にした。あの日と同じで真顔で言うものだから思わず笑ってしまう。

「ミョウジナマエです」
「そうかミョウジか」
「これ、先生に頼まれて」

プリントを受け取り、私の目を見て丁寧にお礼を言う牛島くんは、育ちがいいんだろうなとなんとなく思った。

「クラスにもどるから」と手を振ると黙ったまま私を見送る牛島くん。覚くんだったらここで手を振り返してくれるんだろう。
特進のクラスは離れた位置にあるため、あまり来たことがない他の一年がいるクラスの廊下。覚くんのクラスを見つけて、通りすがりに覗いてみたけれど、目立つ彼を見つけることができなかった。
同じ学校にいるのになかなか会えないものだなと思い、覚くんがかなり努力して私に合わせてくれているのだと知った。


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テスト前、バレー部は自主練というものになるらしく、その合間を縫って覚くんは私の連絡した時間に昇降口に現れた。

「明日の授業ね、殆ど自習になるみたいでね。テスト前って職員室入れないから放課後、学校で勉強する理由がないんだけどさ」
「え? 俺と会うって話? デート!?」
「予定が合えば。あまり長い時間は無理だけど」

そう言って覚くんを見ると、嬉しそうに笑って私にくっついてきた。

「どこで会う!?」
「覚くん勉強しなくていいの? 部活は?」
「俺のヤマハリ外れたことないから大丈夫! 部活は自主練だからーナマエちゃんが帰ってからやるヨ」

夏休み以来のデートだ。本当は一緒に勉強でもする? って聞こうと思ったのに、寮生活で一日中学校にいるためか、学校外で遊びたいと覚くんが言ったところでバスが来た。

「じゃー明日、終わったら連絡するね」

覚くんは私にガバッとバグをして、明日ねーと手を振った。慣れというのは怖いもので、最近はこの急なハグに顔を赤くしたりはしない。勿論、照れるけれど恥ずかしさより嬉しさの方が勝る。
慣れて感覚が変わる。覚くんは私にとって麻薬のような人だと、最近思うのだ。

近づいて近づいて、彼の世界の片鱗

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