世界にふたり | ナノ
お盆休みが終わり、今日からまた学校。蝉の声に、どこかの家の風鈴の音。まだまだ夏の色をした景色だけれど、朝は少し涼しくなった気がする。
最寄駅、改札を抜けてホームへ向かうと、私を待っていたかのように肩から大きな鞄を下げた覚くんが気怠げに立っていた。

「オハヨー」
「おはよう。覚くんも今日から部活?」
「そー。午後からだけど寮に荷物置いたりなんだりやることあるから早めに来たんだよネ」

大きな欠伸をしてまだ眠たそうな表情。偶然か、意図的か。どっちだろうと考えていると、その思考を読まれたのか「会えたらいいなーと思ってこの時間に出てきたんだけど」とサラリと言われた。

「メイワクだった?」

視線を落としてそういうことを言うのはずるいと思う。そんなの答えはひとつしかないではないか。

「迷惑じゃないよ」

本当に迷惑なんかじゃない。迷惑なんかじゃないけれど、覚くんが私にしてくれることで二人の温度差が露になる気がする。覚くんは私の事をいろいろ考えてくれているんだなと知る一方で、私は何も考えていないんだと実感する。覚くんに言われた自分の世界しか見えていないというのは、こういう事なのだろうか。それともこれがlikeとloveの差? わからない。わからないけれど、電車内。隣に座る覚くん。眠たそうにしながらも、他愛のない話をした。バスでも隣に座り、その距離感に私は緊張した。
通い慣れた通学路。いつもは一人で過ごす時間。覚くんが一緒にいると世界が変わったかのように新しい。これは恋なのだろうか。そうであるといいな、なんて思うのはおかしいのだろうか。


------


青々としていた葉が色褪せ、風に舞い、カラカラと音をたてて地面を駆け回る。すっかりと夏の面影が消え、外が秋の色に染まった頃、覚くんと付き合って三ヶ月が過ぎていた。

「ナマエちゃんさ、そろそろ俺のこと好きになった?」
「like、かな……」
「マジかー残念」

心底がっかりしたという顔をされた。正直loveって良くわからない。男の子の中で、今一番好きなのは覚くん。それは間違いない。けれどlikeとloveの明確な違いってなんだろう。それがわからないということは、loveではないのだろうなと思う。

「覚くん手出して」
「え? はい。ドーゾ」

そう言って広げられた手は、指が細くて長い、大きな手。指の所々が固くなっていて、擦り切れている所も多い。その手に自分の手を重ねて、指を絡める。男の人の手だ。そう思うと、自分で握っておきながら凄くドキドキした。

「友達は、こんなことしないよね」
「ソーダネ」
「覚くんのバレー頑張ってる手は好き。こうしてるとドキドキする」

そう言って覚くんを見上げると、目を大きく開いて瞬かせた。

「すぐ照れるくせに時々ダイタンだよネ」
「覚くんのことは好き。でも、きっとまだ覚くんが望んでいるものとは違うと思う」
「んー。そうかもねぇ」
「でも、追い付くから。それまで待ってて欲しい、です」

私の言葉を聞いた覚くんは「そっか」と呟いてから、繋いだ手を自分の口元へ持っていき、私の手の甲へキスをした。

「仰せのままに」

私が顔を赤くして口をぱくぱくさせるまで、あと5秒。覚くんは意地悪く笑った。

「なんてーネ」


------


窓から差し込む光が机を淡黄に染めて、柔らかな暖かさを感じられるような日のお昼。お弁当を持って来なかった為、足早に食堂へと向かう。滅多にこないその場所は、今となっては覚くんと再会をした場所。あの日もお弁当をもっていなかった。もしあの日、お弁当があれば、覚くんと今でも学校で顔を会わせることなく過ごしていたのだろうか。そう思うと感慨深いなと思う。

覚くんはいるだろうか。たくさんの人で溢れている食堂だけれど、目立つ彼の事は直ぐに見つけられた。背の高い人達と共にいる。きっとバレー部の人とお昼を食べているのだろう。声をかけようか。 一瞬そう悩んではみたけれど、そこに私が行くのは場違いだ。そう結論付けて、券売機に並ぶ。

「珍しい。学食?」

そう声をかけてきたのは、同じクラスメイトの男子だった。

「うん」
「学食旨いけど、俺らの教室から遠すぎだよな」
「移動時間を考えたら、皆お弁当を選ぶよね」
「そういえば午後の授業変更なったのきいた?」
「え? 知らない」

食堂に来るために、終業後すぐ教室を出たから知らなかった。変更事項を教えてもらい、ありがとうとお礼を口にすると急に重くなった肩。

「ドーモ」

見なくても誰かわかる。私の肩を抱いて、引き寄せる長い腕。低く刺々しい、そんな声色を出して、クラスメイトを見下ろす覚くんは、機嫌が悪そうに見えた。クラスメイトは私と覚くんを一瞥して、「あぁ」と何かに納得したように頷き、「どうも」と声を少し震わせた。

「授業変更の話、知らなそうな人いたら教えてあげて」
「わかった」

私はなんとなく、クラスメイトに順番を譲って、先に行ってもらった。覚くんはクラスメイトの背中を眺め、私に回した手をそのままに、静かに、けれど大きく息を吐き出す。

「俺ジャマした?」
「ううん」

券売機で日替わり定食のキーを押し、列へ並ぶ。私の肩に回った手は離れたものの、横に付いて歩く覚くんとは視線が合わない。

「食堂にいるの珍しいネ」
「今日お弁当持ってきてなくて」
「自分で作ってるの?」
「お手伝いさんが作ったのを詰めるだけ」

あぁ、と呟いた覚くんの横顔はいつもと違って、真顔。お昼食べ終わったの? とかバレー部の人はいいの? とか、よく私に気がついたね、とか。聞きたきことは色々あるが、聞ける雰囲気ではない。
日替わり定食を受け取り、適当な席に着く。目の前に座った覚くんに表情は無く、頬杖をつき黙ってこちら側を見据えている。いつもと違う空気。それはわかる。けれどそれが何を意味するのかは、わからない。時間が限られているため、とりあえず私は食事を進めた。覚くんはただそれを黙って眺めている。私もただ黙って食べ進めた。
そしてもうじき食べ終わるという時に、覚くんが口を開いた。

「さっきの人と食べるつもりだったの」

そんな約束はしてなかったけれど、そういう流れになった可能性もある。

「その予定はなかったけど」
「けど?」
「そうなってたのかも」

「へー」と低い声で言った覚くんと目が合う。そしてようやく気づいた。それは初めて見る覚くんの、怒りの感情だった。その表情を見て私が感じたのは恐怖に似た高揚感。初めて見る表情に、恐怖する。けれど、恐怖のようなこの高揚感はなんだろう。ゾクゾクする。
怒っている人相手にこんな感情になったのは初めてで、どうしたらいいかわからない。そして、今この場をどう収めたらいいかもわからない。

「次からは気を付ける」
「ナニを?」

首を傾げ、長い指で机を一定のリズムで叩いている。

「表面上だけ解決しようとすんなよ。それともメンドウなの」
「他の男と食べようとした、こと?」
「疑問系かよ。それもムカつくけどさ。俺が言いたいのはさァ」

そこまで言いかけて、覚くんとは口を閉じた。続かない言葉の代りに「アァ」という短い叫びに似たため息をついて、首の後ろを乱暴にかきむしる。

「イーヤもう。この話終わり」

そう言い捨てて、食堂から出て行ってしまった。追いかけようと立ち上がったものの頭の中で、追いかけてその後は? 言いたくないと背を向けた人に無理矢理言わせる? 一緒に居たくないから出ていったのに追いかける? 自分で考える、理解する努力をするのが最善では? とごちゃごちゃ考えがまとまらず、足が止まってしまった。頭で考えたって答えが出る問題ではないとわかっているのに。

理由がわからないまま謝罪する事はできない。それに正直、申し訳ないと思っていない。だから理由が見当もつかない。けれどこの高揚してしまった気持ちは、自分がおかしいのではないかと新たな疑問が生れた。


-----


覚くんを怒らせてしまってから数日後。昇降口に覚くんがいた。表情からもう怒っていない事がわかる。けれど、口を開くことは無い。待っていてくれたのだから、顔を見たくないという事では無いようだ。

「この前の食堂で、覚くんがなんで怒ったのか考えてみたけどわからなかった」

正直に話すと予想通りといった感じで「デショーネ」と抑揚の無い声で返事をされた。

「でも教えてあげない」
「なんで?」

眉間に皺を刻み不満そうな顔で、私を見下ろす立ち姿は、不機嫌そのもの。

「ナマエちゃん頭いーんだから自分で考えてよ」

考えたけどわからないって言ったのに。それでも教えてくれる気は無いらしく、再び口を閉じて顔を背けられた。今わからなくても、いずれわかったりするのだろうか。
バスに乗って、窓から見た覚くんはいつもの様には手を振らず、ただ黙って私を見つめていた。秋の夜空、冷たい空気の中に浮かび上がる赤い髪。そんな彼の姿に目が離せなかった。

名前のわからない感情がある

prev | back | next
×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -