世界にふたり | ナノ
バス停でいつものように他愛のない話をする。この前のお花見から覚くんは、時々考え込むような顔をするようになった。そして今も考え込んでいるのか、妙な沈黙。
「何かあった?」と以前聞いたが「部活がしんどいのヨ」と言われてしまったため、それからは聞くのを辞めた。話したくなったら話してくれるだろう思っていたが、どうやらその気なってくれたらしい覚くん。

「ナマエちゃん大学決めてる?」
「うん、県内の国立。覚くんは? 進学?」
「一応そのつもりー」

そういえば進路の話、今までしたことがなかったな。最近行われた進路調査のことを思い出す。

「推薦狙い? バレーで」
「いや、バレーは高校でオシマイ」
「そうなの?」
「バレーしない俺に興味なくなる?」
「え? なんで?」

どういう意味かと聞けば「いや、うん。そうだよね」と私から視線をそらして、気まずそうな表情を見せた。

「部活したことないからわからないけどさ、引退試合で燃え尽きて、満足して辞めるってのが一般的? だと思うんだけど、二年になったばっかりなのにバレー辞めるって決めている理由が純粋に気になる」
「あー、そうだよネ。うん、そうだよネ」

しばらく一人で「ダヨネ」と繰り返し言ったところでバスがきたが、今ここで覚くんと別れてはいけない気がした。「乗らないの」と驚いた覚くんに頷いて見せると手を握られて、ふうと息を吐いた後に一呼吸置いてから何かを決心したかのように強い眼差しを私に向け口を開いた。

「俺さ、チームが勝つより俺が気持ちのいいバレーがしたいの」
「気持ちのいいバレー?」
「分かりやすく言えば、自己チューなプレーっていうのかな。自分勝手にやりたいのヨ。勿論、負けるよりは勝ちたいけどさ。で、俺の気持ちいいバレーが出来てチームも最強。俺のプレースタイルを認めてくれて、監督にもチームメイトにも恵まれて。ここは俺の楽園なの。これ以上の楽園はもうどこにもないの。だからバレーは高校でオシマイ」

バレーの詳しいところまで分からないから、覚くんのプレースタイルを認めてくれる場所が本当にここだけなのかは分からない。分からないけれど、きっと覚くんはそれでいいんだろう。世界が壊れるのが怖いと言いった覚くんらしい理由。

「そっか。なんかあれだね。結婚相手決めるような感じ」
「んん? え?」
「だってさ、他にもいい人が要るかもしれない可能性はゼロじゃないでしょ? それでもこの人がいい。もしくはこの人でいいやって決めるじゃない? 覚くんも他に楽園があるかもしれないけど、無くていいって思ってるんしょ? むしろ無ければいいって思ってるんじゃないの?」

結婚を失敗だと漏らした母親のことを思い出し、なぜかその言葉が出た。過ぎた過去の記憶の保存方法を間違ったのか、大袈裟に過去の自分の行いを嘆いていた人。そうなってしまわぬように、将来、自分が後悔しない為の選択を、予測して回避することは間違いじゃない。だから覚くんの選択も間違いなんかじゃないよ。そういいたかったけれど、思い付いたままに喋りすぎててしまった。言い終わってから、いや、違うかな。見当違いなこと言っちゃったなと、覚くんの表情を伺えばケタケタ笑っていた。

「面白いネ! 相変わらず新しいネ! あーそうなのかな? そう見える?」
「いや、私部活やったことないから見当違いなこと言ってるかも。ただ、これ以上の変化は求めてないって感じがする。覚くんは案外臆病だよね」
「えぇ。臆病って初めて言われたヨ。でも、まあーそうなのかな? そーなるのかな……。ちょっとへこむー」
「なんで? いいじゃん。自分を大事にできるところ好きだよ私」

そう言って覚くんの手を握る力を強めた。

「ええー! 不意打ち! 不意すぎ! あーもうナマエちゃん好き!」
「ありがとう。あ、勉強なら力になれそうだからいつでも相談してね?」

うんと頷いて強く抱き締められた。

「覚くん」
「ん?」

世界が変わるのが怖い覚くん。

「環境は変化し続けるよ」
「ん、そーだネ」
「だから少なからず、覚くんの世界も変わるよ」

うん、と消えそうな声。

「でもね、私は覚くんの世界に残るよ。変わってもそこには居続けるよ」

どういう意味? と、抱き寄せた身体を離して私の顔を覗き込む。

「変化してもずっといるから。世界に私と覚くん二人いればいいでしょ? だから、バレーを続けるにしろ続けないにしろ。進学だとか就職だとか、全部、全部やりたいようにしていいんだよ」

覚くんの瞳が揺れて、深い溜息とともにさっきよりも強く抱き締められた。

「プロポーズかよ。ナマエちゃん格好よすぎ」
「プロポーズでは、ないかな……」
「どーしてくれの」
「なにが?」
「こんなにナマエちゃんのこと好きにさせて、どーしてくれのヨ。離れられないじゃん」
「離れなければいいよ」
「簡単に言ってくれんネ。やっぱり君は怖い人だ」

ずっと一緒なんて、そんな約束は約束にもならない。ただ、どうしたら二人で一緒にいれるかなって思案して。そうやって二人の世界を共有して、より近しい世界の中にいれたらって思う。

「あーあ、どうしよう。本当に好き」

好き、と繰り返す覚くん。そして「俺の天使。俺の楽園はナマエちゃんがいる場所だったんだネー」そう呟いた声が苦しそうで。覚くんの袖を引いて、初めてキスをせがんでみた。なんだか触れたくなったから。抱き合っても足りないって思ったから。

ゆっくりと触れた唇。角度を変えて、長い長いキスをした。唇が離れたと思えば、覚くんが私の唇をベロリと舐めて急に割り込んできた舌。食べられてしまう、呑み込まれてしまう。そんなキス。このまま溶け合って、本当に覚くんの世界に溶け込んでしまいたいなんて思ってしまう。でも私が溶け込んでしまったら、世界に一人だ。だからやっぱり二人がいい。世界には二人でいたい。

世界にふたり

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