ラッキーガール | ナノ
忘れ物を取りに部室へ向かう途中。見上げた空に月はなく、先の見えない黒一色にどこか不安を覚えた。けれど寮から部室棟まで続く道のりを、まるで道案内するかのように灯った明かりがそれを和らげる。しかしそこから少し視線をずらすと途端に広がる暗闇に、呑み込まれてしまうのではないのかという錯覚に恐怖する。
やっぱり友達について来てと頼むべきだった。今更後悔したって遅いけど。

夜というのは高校生になった今でも、どこか怖くって不安になる。そんな闇の中からひそりひそりとした話し声が聞こえた気がした。思わず足を止めて辺りを見回すが、人の姿は見当たらない。
怖いけれど、その正体を知りたくなってしまう衝動はなんだろう。怖いもの見たさなのだろうか。正体のわからぬ不安を確かめようと、声のする方へ足を進め次第にはっきりと聞こえる話し声。なんだ、まだ人がいたのか、と声の正体が人間だとわかり安堵したのも束の間。

「前から好きでした」

そんな言葉に一瞬身体が固まり、慌てて回れ右。告白現場だったのかとなぜか私に緊張が走る。邪魔をするわけにはいかないと、急いで足を動かすも「悪いけど」と断りのセリフを聞いてびっくり。だってその声の主は白布くんだったから。

白布くんが告白されてる!?

こっそりと現場を覗き見れば、やっぱりそこにいたのは白布くんであった。白布くんと、見たことのある女子生徒。二人は少しの会話を交わし、女子生徒が小走りにこちらへ向かってきた。隠れる場所もなく、取り繕う暇もない私がしたことと言えば、ただ道の端に寄って俯き、通行人のふりをしただけだった。女子生徒は私の存在に驚きつつも覗いていたとは思わなかったらしく、小さく頭を下げて小走りに去っていった。その背中をなんとも言えぬ感情で見送っていると、「おい」と白布くんの声がした。

「なにしてんだよ」

ビクリと肩が跳ねて、意味もなく眼球を目の縁にそってぐるりと回し「あはは」なんて空笑い。

「部室に忘れ物して」
「ならさっさと行くぞ」

そう言ってジャージ姿の白布くんは、部室棟の方へと足を進めた。

「白布くんも部室に用事?」
「は? ないけど」
「あ……、そうなんだ」

用もないのに一緒に行ってくれるんだ。そう思うと、じわりと指先が熱くなる。優しさに、にやけそうになる。
横を歩く白布くんは、綺麗で格好いい。見た目だけならやっぱり王子さま。そんな白布くんはモテる。モテるだろうなって思っていたけど、現に数分前に告白されていたし。私が知らないだけで、いっぱい告白されているんだろうか。……されていそうだ。

「なに」

不意に目線だけを私に向けた白布くんは、特に表情の変化なく「見すぎ」と静かに口にした。

「白布くんってモテるんだろうなって」

白布くんは前を向いたまま一度眉間にシワを寄せる。そしてふんと鼻で笑ったかと思うと「いい趣味してるな」と意地の悪い笑いかたをした。

「偶然聞いちゃっただけで趣味ではない! 本当に! 偶然聞こえたの」
「ああ、そう」

ああ、そうです。

それっきり白布くんは、肯定も否定もしなかった。モテるよって言われたら、きっと私はもやもやしてしまう。モテないよと言われても嘘臭いし。もしかしたらこの沈黙が一番の正解なのかもしれない。
ただ、モテる白布くんは、どうして私と付き合ってくれたんだろうと疑問には思う。告白現場を目撃して複雑な気持ちになったが、どうして私? と当たり前に不思議に思う。第一位印象はきっとドジな女……、もしくは、パンツの女……だろうし。その後の印象も特に変わってなさそうだし。聞いてみてもいいだろうか。聞かなきゃ一生わからないよな。

部室棟が見えたところで、私は意を決して口を開いた。

「白布くんってなんで私と付き合ってくれたの?」
「ア?」

背筋がビリビリする低い声に「やっぱ嘘!」と咄嗟に言ってしまった。

「ちょっとダッシュで部室行ってくる!」

白布くんの返答を待たずに逃げるように走った。白布くんのあの低音は心臓に悪い。めちゃくちゃ顔歪めてた。綺麗な顔を歪めたときのオーラったらもう、王子さまが愚民、虫ケラを見る目である。


部室の鍵を開け、電気をつけずに外灯の明かりを頼りに室内へ。そして忘れ物である教科書とノートを自分のロッカーから取り出し、もう用は済んだが深呼吸を数回。これからあの寒々とした白布くんの視線に打ち勝つべく、いくつか言い訳を用意しておかなければならない。いや、話題を変える方が得策だろうか。
そうやっていくつか話題を思案していると、ガラリと無遠慮に開かれた部室の扉。

「へー。女子の部室棟もこっちとあんま変わらないんだな」
「白布くん!? ここ、女子の部室!」
「知ってる。誰かさんが戻って来ないから見に来ただけ」
「あ、それは……、ごめん」

考えた言い訳も新しい話題もどこかへ行ってしまった。指先で教科書の角を撫でるしか出来ない私を、白布くんは黙って見据えている。

「お前さぁ、俺が誰とでも付き合うほど暇だと思ってるのかよ」
「え、……思ってないよ」

バレー部のレギュラーだし。一般入試組で勉強だって推薦組より大変だし。暇なわけがないことくらい知っている。

「ならもう下らないこと聞くんじゃねぇ」
「……はい」

乱暴な言葉とは裏腹に、ぶわりと身震いするように私の身体は熱くなった。なんでとか理由とかはわからない。けれど白布くんは暇なんかないのに、私が部室へ行くのに付き合ってくれている。私と恋人でいてくれている。それがどんなに特別なことか。その事実に胸がいっぱいになった。

「す、好き」

白布くんに好きだと口にしたのは初めてことだと気づいたのは、涼しい顔をした白布くんの、いつもは少し欠けている彼の虹彩の縁。その全てを知ってしまったから。
初めて見る白布くんの表情と、初めて言葉にした自分の気持ちに、息が苦しいほどに心臓が騒いで何も言えなくなってしまった。白布くんも白布くんで、固まったまま何も言葉を発しなかった。
そうやって二人で沈黙を共有してしると、何の前触れもなく白布くんが部室の扉を閉め、私の手を掴み強引に下へ向かって腕を引いた。あまりに急なことで、私は前のめりになって床へ手をつき、「どうしたの」と言うつもりで開いた口は、白布くんの手によって塞がれた。近い距離に真剣な表情の白布くん。どくどくと身体を巡る熱を孕んだ血液が、サーっと冷めてしまう音が鼓膜を掠めた。

足音だ。それも一人ではない。

次第に大きくなる足音と共にくすりくすりと笑っているかのような声。次第にその声は男女のものだということに気がつく。そして隣、いや、隣の隣だろうか。とにかく近い位置の部室の扉が開かれる音がした。

「部室ってそういう使い方もあるんだな」

私の口を塞いでいた手が離れ、小声でしかも感心したように呟く白布くんは、馬鹿にしたような嫌な笑みを浮かべていた。

「もう、行こうよ」

密室で人目を避けて密会する男女。いろいろ想像して顔が赤くなり、この場から早く立ち去りたくなった。早くという意味で床に手をついた白布くんの腕を掴む。すると掴んだ腕の筋が張り、重心が動いて力が込められたのだとわかった途端音もなく近づいた距離。

「せっかくだし俺らもなにかするか」
「な、なにかって?」

近い顔に視線を泳がせると、白布くんの指先が私の耳を撫でるようにして髪の毛に触れた。そして後頭部を押え更に鼻先の距離を詰める。

「目、閉じれば」


暗闇に包まれた視界。そっと触れた唇の温度に、暗闇に対する不安も恐怖も生まれない。そこにあるのは、溶けて呑み込まれてしまいたいほどに優し過ぎる闇であった。

とある、優しい夜の日のこと

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