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「#エロ」のBL小説を読む
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02


 今日もいつも通りの一日が始まろうとしていた。始業ギリギリにオフィスの扉を潜ると、ツォンさんの刺すような視線が飛んでくる。それに気づかないふりをして、自分のデスクへと向かい、オフィスチェアにどかりと腰を掛けた。ディスプレイの向こう側、正面に座る相棒の、呆れたようなため息。オイオイ、朝からなんだよ、と。間に合ってんだからいーじゃねえの。唇を尖らせたけれど、文句は飲み込んだ。二対一では勝ち目がない。大人しくしておくか。そう考えてから、主任がいないことに気がついた。珍しい。タークスの鑑と言われているヴェルド主任が、始業開始直前のこの時間にここに居なかったことがあっただろうか。緊急の案件か? それにしては、このオフィスに流れる空気が随分と穏やかなような。ディスプレイに映し出された定時連絡や直近の予定をチェックしながら、頬杖をつく。休暇申請、なし。出張、なし。遅刻? あの主任が? まさか。考えても仕方ないので上司に訊いてみることにした。主任の右腕ならオレが知らないことも知っているはずだ。

「ツォンさん、主任、どうしたんだ、と」
「ああ、彼女を迎えに行っている」
「は? 彼女? んだそれ」
「……レノ、聞いていなかったのか?」

 昨日のミーティングで言っていただろう。呆れたような声。追い討ちをかけるように、目の前の相棒が首を振る。いや、覚えてねーけど。主任の彼女? あれ、主任って結婚してたんじゃなかったっけ? 気のせいか? どういうことか全くわからなかったので、再度問おうと口を開いたのと、オフィスの扉が音を立てて開いたのは同時だった。黒いスーツをぴしりと着ている主任の姿に、なんとなく姿勢を正す。自分のデスクへと歩み寄る彼を目で追おうとして、後ろに子チョコボみたいにくっついていくる人物が目に入った。小柄な女。タークスのスーツを纏ったそいつは、硬い表情のまま、まっすぐ前を見つめている。彼女が歩くたびに、アッシュブロンドの髪がふわりと踊った。ああ、思い出した。そういえば昨日の夕方のミーティングで、新人が来るという話をしていたような。そうか、あいつが。デスクの前で足を止めた主任の横で、その女はぴしりと直立不動の姿勢をとる。初めて見る、顔だった。主任の低い声がオフィスに響く。

「おはよう。昨日話したとおり、本日からタークスの一員となったカレンだ」
「カレンです。……よろしくお願いします」
「とりあえず、ここにいるメンバーを紹介しておこう。副主任のツォン、その隣がルード、向かいがレノだ」
「よろしく頼む」
「よろしく」
「おー、」

 よろしく、と口にしようと思ったのに。女の澄んだ瞳に、思わず息を飲んでしまった。まるで森の底にいるような、深い深いエメラルド。強い意志を秘めたその瞳が、オレを正面から貫いた、その瞬間。心臓が、どくりと、変な音を立てたような、気がした。ひらりと振ろうとした左手が、中途半端なところで止まってしまう。なんだ、一体。不自然に硬直したオレを見て、しかし、女は不快そうに眉間に皺を寄せた。それから、仕方ないというように小さく会釈をする。その、あまりに不躾な態度に――カチンときた。は? おいおい、おまえ、いまツォンさんにもルードにも普通に接してただろ。なんかオレにだけ態度違くねえ? 喧嘩売ってんのか?

「カレンは先日神羅軍事学校を卒業したばかりだ。未熟な所が多くあると思うが、うまくフォローしてやってくれ」
「軍事学校? ということは、シスネの後輩、か?」
「はい。シスネにはいろいろとアドバイスを貰っていました」
「ということは、二人目の最年少でのタークス入りか」
「……」
「へぇ? じゃ、相当腕が立つんだろうなァ、シスネと一緒で。首席か?」

 ぎし、と背もたれに寄りかかり、頭の後ろで手を組む。明らかな挑発。視界の隅でルードとツォンさんが呆れたように首を振っていたが、無視した。深いエメラルドの瞳を、じっと見つめる。一瞬見開かれたその瞳が、鋭くこちらを睨んできて、思わず唇の端がつり上がった。へえ、悪くねえじゃん。骨はありそうだった。使えるかどうかは、また別問題だが。

「……首席ではありませんでした。射撃訓練では常にトップでしたが、」
「おいおい、ここは泣く子も黙るタークスだぜ? 首席でもねーのに、大丈夫なのかよ、と」
「……アンタよりは真面目に働くつもりだけど」
「…………あ?」

 す、と細められた眼。突然低くなった声に、ぴくりとこめかみが引き攣ったのがわかった。言葉を吐き出した唇が、歪につり上がっている。先ほどの生真面目そうな雰囲気は何処へやら、敵対心剥き出しの視線がオレへと突き刺さった。へえ? 被ってた猫を引き剥がしてまで、オレに喧嘩売ってくるわけ? タークスのエースに? ハッと乾いた笑いが漏れる。その度胸は買ってやるけどよ、大人の世界はそんな甘くねーんだよ、ガキが。

「止めないか、お前たち」
「でも、…………主任、」
「レノ、お前が認めようが認めまいが、もうカレンはタークスのメンバーだ。挑発するな」
「へいへい」
「カレン、これから世話になる先輩に喧嘩を売ってどうする」
「……だって、尊敬できそうなところが一ミリもない」
「!」

 正面でルードが吹き出した。その横のツォンさんも笑いを堪えている。おいおいおい、誰だよこの女をタークスに推薦したやつ。こんなクソ生意気なガキが同僚? 勘弁してくれ。どうせ女ならもっと色っぽい奴がよかった。胸が大きい女。職場でのトラブルはめんどくせぇから手は出さねえけど。青くさいガキよりは数万倍マシだ。これでもかというくらい眉間に皺を寄せるオレに、女は勝ち誇ったように鼻を鳴らした。はあ? やんのか?

「カレン」
「……はい、主任」
「お前はいい加減自分をコントロールする術を覚えろ。もう子供じゃないんだ」
「…………はい」

 先ほどの勝ち誇った顔が嘘のように、女がしゅんと首を垂れる。どうやら主任は以前からこの女を知っているようだった。窘めるその口調に、“上司と部下”という言葉では言い表せないような、ただならぬ雰囲気を感じ取る。え、娘……じゃ、ねえよなあ。似てねえし。一体どういう関係だ? 下世話な邪推を始めようとした瞬間に、主任の視線が女からオレへと移る。表情からはなにも読み取れなかったが、オレの第六感が警鐘を鳴らした。嫌な予感。おいおいおい、なんですか、と。

「レノ」
「はい」
「このように、まだまだカレンは未熟だ。お前がうまくリードしてやれ」
「は?」
「教育係としてな。よろしく頼んだ」
「なっ、」
「ちょ、主任、待ってくださいよ、と! こういうのはルードの方が、」
「ルードには他の案件を持ってもらっている。それとも、お前がそっちを引き継ぐか?」

 さっと脳内で計算する。ルードが持っている案件も相当重く、しかも定時報告の書類がひどく煩雑なものだった。それから、毎日チマチマと作業を進めるようなもの。正直御免被りたい。オレの性に合わなすぎる。生意気なガキのお守りも死ぬほど嫌だが、書類仕事と違って、こちらは手を抜いてもそれほどどやされることはないだろう。どちらを引いても凶ならば、適度にサボれる後者の方がまだマシだ。ぐ、と押し黙ったオレに、主任は満足そうに頷いた。くそ、思考が読まれている。隣に立つ女も、何か言いたげに口をぱくぱくとさせていたが、最終的に声を出すことなくそれは閉じられた。不満そうに引き結ばれたそれが、完全な諦めを表していて。勝負はついた。主任の一人勝ちだったが。

「では、朝のミーティングを始めよう。カレン、お前の席はレノの隣だ」
「……はい」

 むすりとした表情のまま、女がオレの後ろを通って自分のデスクに着いた。ちらり、と横目で窺うと、女も同じようにオレを見ていたせいでばっちりと目があってしまった。深いエメラルドに、胸のあたりがざわめく。くそ、調子狂うな。少し見開かれたそれが、先ほどと同じように細められる。ほんっと、生意気だな。コイツ。まあ、ここはオレが先輩なわけだしな。仕方ない、折れてやるか。ガキに対しても余裕を持って接するのが大人の対応だ。

「ま、よろしく頼むわ」
「……ふん」

 こいつ、殴ってやろうか。ぐ、と拳を握りしめる。ぶつかっていた視線は、すぐに逸らされてしまった。この出会いが、後の人生にどれだけ影響を与えるのか、怒りに震えるオレは未だ、気づいていないのである。





200710



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