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01


 あたしの初めての私物は、一冊の絵本だった。
 タイトルどころか、台詞まで全て暗記するほど読み返したその本は、異国の少女が主人公。両親を失った少女は、継母たちに虐められながらも、健気に前向きに日々を過ごす。ある日少女の元に、お城から舞踏会の招待状が届くのだ。どきどきしながら準備を整えた少女だったが、用意したドレスは継母たちにぐちゃぐちゃにされてしまう。泣き伏すそこに現れた魔法使いが、少女を着飾って舞踏会へと送り出してくれるのだ。金髪碧眼の王子様と恋に落ち、夢のような時間を過ごした少女は、しかし、12時の鐘が鳴り終わる前にガラスの靴を残して王子のもとを去ってしまう。魔法は解け、全ては元どおりのはずだった。ところが、少女に恋した王子様は、国中の娘を訪ね、見事少女を探し出すのだ。城に忘れ去られたガラスの靴が、ぴたりとはまった少女。王子は彼女を連れ出して城へ迎え入れ、二人は幸せに暮らす。そんな物語。まるで夢のような話に、いつもいつも引き込まれた。この絵本をくれた彼女も、あたしと同じことを思っていたのだろうか。健気に、明るく、前向きに生きていれば、いつかきっと王子様が迎えにきてくれる、と。でも、所詮それはただの物語に過ぎない。魔法使いは存在しないし、あたしはここから出られない。彼女は、王子様の迎えを待つことなく、自ら飛び出して行ってしまった。母親と一緒に。あたしにも、誰かがいれば、外の世界へと飛び出せたのだろうか。ひとりぼっちのあたしに、答えは出せない。

「カレン、入るぞ」

 扉がノックされ、ヴェルドが姿を現した。あたしの部屋を訪ねるのは、彼くらいだ。手にしていた絵本を閉じて、デスクに伏せて置く。椅子から立ち上がって、スーツのしわを直して。準備はとっくにできていたので、ヴェルドに向き直って両手を広げた。黒のジャケットとショートパンツ、黒いニーハイソックス。白いシャツは一番上のボタンまで留めて、黒いネクタイはキュッと締める。タークスの制服であるそれを、ヴェルドに見せるのは今日が初めてだった。あたしの顔を見たヴェルドは、驚いたように目を見開く。自然と苦笑が零れた。

「似合わない、かな」
「いや、似合っているが、随分と思い切ったな」

 腰の辺りまで伸ばしていた髪を、潔く切ったのは一昨日のことだ。友人が勧めてくれた美容院は、なんだかきらきらしていて、少し気後れしてしまった。だから、どのような髪型にしましょう、と問われて、一瞬言葉に詰まってしまったのだ。ぽろりと出てきたのは、「バッサリ切ってください」だった。髪を洗われて、鋏でザクザクと切られて、ドライヤーで乾かされて。鏡を前に、息を飲んだのを覚えている。見慣れた灰色の髪が、肩の上で揺れていた。首から背中にかけて、なんだか落ち着かなかったけれど、でも、これはこれで、いいのかもしれなかった。あたしの、第一歩。乗せられたレールの上だけれど、初めて自分で選んだ道。ここから、始まるのだ。全てが。

「準備はいいか、カレン」
「もちろん、ヴェルド……じゃ、なかった。これからは、主任?」
「そうだな。今日から、お前もタークスの一員だ」

 行こうか。そう言ってヴェルドは踵を返した。あたしもそれに続いて部屋を出て、振り返る。まだ見慣れない、殺風景な部屋。プシュ、という空気音とともに、扉は閉ざされた。手を強く握り締め、前を見据えた。ここから、始まるのだ、全てが。こつり、と一歩足を踏み出す。未来が、動き出す、音がした。





200708



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