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- ナノ -

28


 エントランスホールは水を打ったように静かだった。遠くから、微かにヘリのホバリング音がするくらいで、まるでお互いの息遣いすら聞こえてきてしまいそうだ。階段の上からあたしを見下ろしたレノは、その透き通った瞳を細めた。唇が、ゆっくりと開かれる。低く響く声が、ホールに木霊した。

「見つけたぞ、と」
「っ、レノ」
「おっと、闘いに来たんじゃない」

 咄嗟にバングルを構えたあたしに、レノは手を振って敵意がないことをアピールした。闘いに来たんじゃない? 神羅の社長が現れる様子はないから、きっとまだクラウドは闘っているはずだ。彼を倒してきたわけでないということは、置いてきた? 上司と二人きり、屋上に? 何のために。相変わらず、冷めた色をしたその瞳からは、何も伺うことができない。あの部屋での出来事が、嘘みたいだ。油断を解かずに、口を開いた。

「何しにきたの」
「あー、意思確認?」
「え?」
「お前、本当に行っちまうのか、と」

 あいつらと。レノの眉間に、僅かに皺が寄る。まるで、行って欲しくないようだ。いや、そういう命令、なのかもしれないけれど。たぶん、あたしには、捕縛命令が出てる。それは、元タークスとしてというよりも、元実験体としてのものらしかった。研究員たちの台詞からも、それは明らかだ。でも、この男は、レノは、すぐにあたしを研究員に引き渡すことはしなかった。本当は、そうしなければ、いけなかっただろうに。あの部屋に閉じ込めていたのも、今思えば、あたしを護るため、だったのかもしれない。彼は言った。「おとなしくしてろ」と。結果的に宝条の実験室に連れて行かれてしまったけれど、それがなければ、あの部屋は、あたしの“檻”ではなく、“城”になっていたのかも、しれない。それでも。それでも、あそこは、あたしの居場所じゃない、それだけは確かだった。今さら、神羅に、戻るつもりは、ない。

「……あたしの居場所、ここにはないから」
「そっちにはあんのか?」

 そっち。頭をよぎったのは金色の髪と、まっすぐあたしを見つめる魔晄の瞳。クラウドは、あたしが生きる意味を見つけるまで、あたしの生きる意味になってくれると言った。こんなあたしに、居場所をつくってくれた。でも。それでも、あたしは自分で見つけたい。誰かに与えられた場所じゃない。自分の目で見て、自分の足で歩いて、自分の居場所を。

「まだ、わかんない。でも、いろんな世界、見てみたい」
「…………そうか」

 きっと、この神羅ビルを抜け出せたとしても、スラムには戻れないだろう。ミッドガルは神羅のテリトリーだ。だから、多分、あたしたちは、ミッドガルを出て行かなければならない。伍番街スラムで、エアリスが言っていたことを思い出す。あの壁の向こうに、大自然が、広がっているのだ。人間に管理されていない世界。動物が、植物が、思い思いに、命を咲かせている、世界。そんな世界を、この星の生命を、あたしは、見てみたい。そうして、一歩ずつ進んで、あたし自身を、見つけたい。あたしがあたしであると、他の誰でもない、これがあたしなんだと、胸を張って、言えるように。

「だから、決めたの、あたし。前に進むって」
「……あんたらしいな。餞別だ。受けとれよ、と」
「え、わ、なに、」

 レノが投げて寄越したものを、咄嗟に受け取ってしまう。あっぶない、落とすところだった。投げられたものをしげしげと見つめる。神羅製の電磁ロッドのようだった。見慣れた赤いロゴに、黒いグリップ。レノの持っているものよりも、たぶん一回り小さい。マテリア穴が、五つも空いている。物理防御に適した頑丈な作りだった。

「懐かしいか? おまえの、持っててやったぞ、と」
「あたしの?」
「そ。特注品」

 黒いグリップを握る。細かい傷がたくさんついたそのロッドは、不思議とあたしの手に馴染んだ。そっか、これ、昔のあたしが、使ってたんだ。レノが持っていてくれてたのか。マテリアはどれも今のあたしが持っていないもので、かなり育てられているようだった。昔のあたしが、育てたのかな。試しに、右手に握って振ってみる。空気を切る音。使い込んでいたのが、感覚でわかる。そっか。お前があたしの相棒か。

「メンテナンスは自分でしろよ」
「うん」
「じゃあ、早く行け」

 通路の端に寄ったレノが、クイと顎で屋上を差す。そうだ、クラウド。早く加勢に行かなければ。階段を駆け上がり、レノの隣を駆け抜けようとした瞬間、ふと香る、血の匂い。思わず立ち止まって、レノを凝視してしまう。よく見ると、身体中傷だらけだ。開きすぎた胸元も、申し訳程度の応急処置がされていた。というか、それしかされていない。顔を見上げると、怪訝そうな瞳があたしを見下ろしていた。その頬にも、擦り傷がついている。「あんだよ」レノが片眉を上げた。

「怪我、してるの」
「あー、ちょっと、な」
「……見せて」
「あ?」
「治して、あげる、から」
「……どういう風の吹き回しかな、と」
「さっきの、お礼」
「ふーん」

 レノの胸に手をかざし、ケアルを唱える。指先がじんわりあたたかくなって、緑の光がレノとあたしを包み込んだ。無数にあった擦り傷が、みるみるうちに消えていく。表面はすぐに治ったけれど、内側はそうもいかない。どうやらあばらが折れているらしい。もう少し時間がかかりそうだ。ふ、と小さく息を吐き出すと、レノの香水が微かに感じられて。あの部屋での出来事を思い出して、じわじわと顔が熱くなる。あ、たし、抱きしめられた、気がする。この胸に抱きしめられたのかと思うと、なんだか死ぬほど恥ずかしい。しかも、キス、そうだ、キスもされた、かも。いや、された、しかも、二回も! う、とあたしが息をつまらせたのと、レノが小さく呟いたのは同時だった。

「……七番街プレート」
「ん?」
「落としたのは、オレだ」
「えっ、」
「オレが、落とした」

 突然の告白に、言葉を失った。プレート崩落作戦。七番街スラムは壊滅状態だったと、バレットたちが言っていた。レノが、プレートを。では、これはその時に負った傷だろうか。バレットや、ティファや、クラウドと、闘った時の。目を瞑ると、七番街スラムでお世話になった人たちの顔が思い浮かぶ。マーレさん、ジェシーたち、アイテム屋の兄さんに、マテリア屋のおじさん。たくさんの人が、苦しんだのだ。そうか、レノが。不思議と、憎しみや怒りは湧いてこなかった。どうしてか、レノの気持ちが、手に取るように分かったから。今、顔を上げてはいけないと思った。きっと、レノは、見られたくないはずだ。

「……何か、言えよ」
「別に。仕事、なんでしょ」
「まぁ、な」
「あ、そ」
「……なんだよ」
「したくないことも、やらなきゃいけないんでしょ。タークスって」
「仕事だからな」
「じゃあ、あたしから言うこと、何もない」
「……そうか」

 責めて欲しいように、見えた。酷く傷付きたがっているように、見えたから。どうしてだろう。彼は、きっと、きっと、望んでその仕事をしたわけではないのだ。いつだって、そうだったのかもしれない。あたしを捕まえた時も、部屋に閉じ込めた時も、結果的に実験施設に連れて行かれた時も。現に今、レノはあたしを捕らえようとはしていない。この距離で、あたしが、レノに敵うはず、ないのに。それでもレノはあたしを捕らえることもしないで、あまつさえ武器まで渡して、仲間のもとへ行かせようとしている。わかりにくいそれが、たぶん、レノの精一杯、だ。もしかしたら、本当は、実験室に閉じ込められたあたしを救いに来たかったのかな、なんて、それはちょっと自惚れすぎか。

「はい、おしまい」

 大体、いいだろう。かざしていた手を引っ込めて、レノを見上げる。眉間に皺を寄せたレノが、複雑そうな表情であたしを見下ろしていた。は? なに? 同じように眉根を寄せて見つめると、「はァー」と呆れたようにため息をついたレノが頭をがしがしと掻いた。え、なあにその態度。こちとら完全なる善意で治療してあげたのに、その態度はないんじゃないの。むっとして睨みつけると首の後ろを左手で摩ったレノがまたため息を零した。

「はー、」
「な、なに」
「ほんっと、おまえ、そういうとこだぞ」
「はぁ? 急に、なんなわけ?」
「口に、出てる」
「え? 何が?」
「なあ、もう一つ、“お礼”くれよ。“おまじない”」
「は? なにそ、」

 れ、は唇に飲まれた。素早い動きでレノがあたしの顎をすくったと思ったら、目の前にレノの顔が迫っていた。じっと見つめてくるアクアマリンの瞳が、きらきら輝いてるみたいだった。抵抗する暇すら、与えられなかった。厚い唇が、ちゅ、という可愛いリップ音を立てて離れていく。ニヤリと笑ったレノが、あたしのおでこに自分のをくっつけてきて。な、今、今の、うそ、三回目、

「な、なにす、んの!」
「だ、か、ら、“おまじない”。んで、これが、」

 がぷり。噛み付くようなキスに、思わず目を瞑ってしまった。あたしの唇を柔く食んでから、レノの舌がぬるりとそこを這う。突然のそれに、抵抗するように唇に力を入れると、ふ、とレノが笑ったのが分かった。頬を伝った指先が、あたしの髪に触れる。そのまま耳を撫でられて、ぞくりと背中が粟立った。あたしの耳の裏をくすぐるように弄んだ指先は、するりと首筋を触れるか触れないかのタッチで降りていき、鎖骨にたどり着いた。爪の先で、カリ、と甘く引っ掻かれる。びくりと跳ねる身体。離れようとレノの胸を押したけれど、いつの間にか腰をがっちりと抱きしめられいて身動きが取れなかった。チャリ、あたしの指輪と、レノのシルバーがぶつかって音を立てる。執拗に唇をこじ開けようとする舌に目眩がした。鎖骨を引っ掻いていた指先が、肩を滑って、背中へと回されて。腰のあたり、上着の中に侵入した左手が素肌を撫でて、思わず声が出た。

「ひゃ、んんぅ、」

 虎視眈々と機会を伺っていた舌が、すぐさま侵入してきた。噛み付いてやろうと思ったのに、背中を這う手の感触に力が入らない。あたしの口内でレノの舌が暴れ回る。ねっとりと歯列をなぞられて、中をざらざらと擦られて、もう訳がわからなかった。鼻にかかった甘い声が、自分じゃないみたいだ。我慢しようとしても勝手に漏れ出るそれに気を良くしたのか、レノの右手がお尻をいやらしく撫で回した。それに気を取られた一瞬で、ずっと逃げ回っていた舌がレノのそれに捕まってしまう。ぴりぴりと痛むほど激しく絡めとられて、舌先が甘く痺れた。服の中に侵入した手のひらが、さわさわとあたしの腰のあたりを撫でて。もう、本当に、どうにかなって、しまいそうだ。じゅるり、と吸われたと思ったら、レノの唾液が口内を満たして。占領する厚い舌に促されるように、こくりと飲み込んでしまった。はあ、と吐息を漏らしながら、レノが唇を離す。うっすらと目を開けると、ちろりと覗いたレノの赤い舌から垂れた銀色の糸が、ぷつりと切れたところだった。…………な、な、なに、いま、の、き、キス? され、たの?

「何おまえ、その顔、エロい」
「ばっ!! あんたこそ、なに、今、なに、無理やり、なにして、なんなの?!」
「んー、オレの、愛?」
「な、な、な、」
「じゃあな、カレン。浮気するなよ、と」

 そう言ってニヤリと笑ったレノはあたしを解放した。ふらつきながらなんとかその場に立って、レノを睨みつける。ニヤニヤといやらしく歪む口元が憎たらしい。な、なんなの、なんなのこいつ! なんなの! 浮気とか、意味、わかんないし! あたし、誰とも付き合ってない!! 火が出てるんじゃないかってくらいに、顔が熱い。こいつのせいだ!

「っ、あたし、アンタの恋人じゃないんだけど!!」
「“今は”な。そのうち好きになる」
「な、」
「また惚れさせてやっから、覚悟しとけよ、と」
「ば、かじゃないの!!!!」

 自信たっぷりなレノに思いきビンタをかましてやりたかったのを、グッと堪えた。こいつのことだ、ビンタなんぞしようとしたらその手首を掴まれて、掴まれて、今みたいな、キス、キス、を、…………無理!!!!! 唾液に濡れた自分の唇を、手の甲で乱暴に拭う。ほんと、コイツ、なに考えてるか、わかんない!!! 楽しそうに細められた瞳を睨みつけてから、思い切り顔を逸らす。いや、もういい、こいつにもう用はないし。怪我も治してあげたし、そう、あたし、行かなきゃ、屋上、クラウド、待ってるし。くるりと踵を返して、屋上へと駆け出そうとした瞬間だった。二の腕が、強い力で掴まれて、引かれて、次の瞬間には、後ろから、レノに、抱きしめられていた。レノの香水と、触れる髪と、聞こえた息遣いに、一瞬身体が硬直する。痛いほどあたしを抱きしめたレノが、耳元に唇を寄せた。

「……死ぬなよ」

 掠れた声。すぐに腕は解放されて、背中をとん、と押される。よろめいて二、三歩前に進んでしまい、慌てて振り返ると、レノはもうこちらに背を向けて歩き出していた。階段を下りるたびに、尻尾のような赤い毛が左右に揺れる。レノの左手が気怠げに挙げられて、ひらり、と振られた。無言でそれを見つめてから、前を向いて駆け出す。どうしてか、声をかけてはいけない気がした。声をかける必要など、ない気がしたのだ。レッドカーペットが敷かれた階段を二段飛ばしで駆け上がり、屋上で闘う、クラウドの元へ。前だけを見据えて、進んで行こう。あたしはもう、振り向かないと、決めたのだから。





200613



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