×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -

26


「もしもし、クラウド、聞こえてる?」

 通信装置に向かって話しかけるティファを見ながら、制御盤前のキャスターチェアに座り込んだ。身体が重く、全身がだるい。まるで拒絶反応のようなそれに、エアリスたちに気付かれないよう溜息を零す。この場所も、たくさんの実験体も、そして、クラウドの手を無視してしまったことも。全てが鉛のように、あたしにのしかかっているようだった。気持ちが悪い。吐き気がする。それを、ぐっと堪えて、顔を上げる。強化ガラスのような仕切りの向こうで、クラウドが通信装置を操作している。その分厚いグローブを、見ていられなくて、やっぱり視線を落とした。あのあと、クラウドを置いて部屋を出てしまってから、一言も話していなかった。みんなと合流してからエレベーターを乗り継いで、この実験施設にたどり着いたのは少し前のこと。薄暗い巨大な空間。中央に大きなプラントポットが設置されており、その周りをダクトが絡まり合いながら伸びていた。ポットの“中身”を思い出すだけで、ぞわりと嫌なものが背筋を駆け上っていく。“それ”は、まるで女の体のようだった。しかし、人間ではないことなど、一目瞭然だった。肌は青く、全身が鱗のようなもので覆われているのか、はたまた血管のようなものが浮き出ているのか。どちらにしろ、薄気味の悪いものには違いなかった。エアリスはそれを“ジェノバ”と呼んだ。その言葉を聞いたクラウドが、フラフラと歩き出して、そう、そして、いつの間にか、ジェノバの前に、セフィロスが立っていたのだ。

「あー、聞こえるかね?」

 突然スピーカーから響いた声に思考が途切れる。この声は、間違いない、あたしをプラントポットに押し込んだ、白衣の男の声だ。名前は確か、宝条。ぐ、と胃を掴まれたように、内臓に痛みが走る。ぜんぜん記憶は、戻ってないけれど。わかる。あいつ、昔のあたしに、何かしてたんだ。拳を握って、深呼吸をする。大丈夫、大丈夫、あたしは大丈夫。

「どうだね、私の実験場『鑼牟』……すなわち世界の最先端の居心地は」

 どうやら宝条は、どこからかあたしたちを観察しているらしい。反吐が出そうだ。口の中の唾をゴクリと飲み込んだ。いつからだろうか。もしかしたら、エレベーターを降りた、あの瞬間から? そうだとしたら、宝条にも、見えたのだろうか。正気を失って斬りかかるクラウドと、身の丈ほどある長い刀を一閃して、足場を破壊したセフィロスを。そのせいで、あたしたちはバラバラになってしまった。幸いティファとエアリスと合流できたものの、クラウドたちとは扉を隔てたままだった。どうやらこれも宝条が色々と仕組んだことらしい。本当、気味が悪い。

「手助けできないぞ。気をつけてな」
「うん、わかってる」
「オレたちはここで待ってる。なにかあったら、すぐ通信だ。いいな?」
「りょーかい」

 通信が終わったのか、通信装置のランプが青から赤に変わる。よいしょ、と立ち上がると、振り返ったティファとエアリスが心配そうにあたしを見つめていた。その視線に耐えきれず、明後日の方向を見たけれど「カレン」とエアリスに呼ばれてしまっては仕方がない。溜息をひとつついて、二人に向き直った。

「ごめん、正直、此処、キツい」
「そう、だよね……」
「とりあえず、二人のサポートでも、いい? ティファが前衛一人になっちゃうけど」
「平気だよ。カレンも、無理しないで」
「わかった」
「じゃあ、行こう?」

 ティファとエアリスと、来た道を戻る。向かうは第三研究室。屋上への道はまだまだ遠い。



***



 音もなく扉が開き、クラウドが先陣を切ってエレベーターから一歩踏み出した。あれから宝条の実験とやらに付き合わされたあたしたちは、数えきれないくらいのマシンやモンスターと戦っていた。正直、ちょっと、いや、かなり、キツいんですけど、あたし。結果として誰一人欠けずに無事合流できたのだけれど、この場の空気が異様に重いのは、先ほどの破壊されたジェノバポットのせいだ。ダクトは引きちぎられ、周囲にはガラスが散乱していた。そして、地面に飛び散った、異様な臭気を放つ液体。ゆらゆらと光るその血痕は、ポットの前から、奥のエレベーターへと繋がっていて。その後を追う形で、あたしたちもエレベーターへと乗り込んだのだった。異様な静けさに包まれた空間を、会話もなく進む。赤いカーペットの上に広がる血の跡を辿っていくと、一際厳重そうな扉の前へと行き着いた。ロックは、されていない。するりと開く扉の、その向こう。広い空間の中央に備え付けられた、巨大なデスク。間違いない、プレジデントの執務室、だ。しかし、人影はない。血の跡は、扉の手前で途切れていた。

「プレジデントの野郎、どこ行きやがった」
「セフィロスは?」
「待て、なにか聞こえる」

 レッドの声に耳を澄ますと、誰かが助けを求める声が聞こえてきた。デスクの背後は一面ガラス張りだ。その右側、不自然に割れたガラスから、びゅうびゅうとビル風が吹き込んでいる。外へと続く扉を抜けた先には、ミッドガルを見渡せる屋上が広がっていた。ぐるりと屋上を囲むフェンスの一部が、ぐにゃりと曲がっていて、その先、足元に、プレジデントがぶら下がっていた。彼の遥か下には、ミッドガルが広がっている。手を離したら、命は――ない。

「助けてくれ」
「こりゃ、愉快な状況だ」
「頼む、手が、限界だ。……謝礼なら、いくらでも、」

 すぐさま助けようと動くティファを、バレットが左腕で制す。そのまま軽々とフェンスを乗り越えて、バレットはプレジデントの顔を覗き込むようにしゃがみ込んだ。限界が来たのか、ずるりと滑ったプレジデントの手を、バレットが掴んで持ち上げる。これで、神羅のトップの制裁与奪は彼に託された。命乞いをするプレジデントの首を絞めるように襟首を掴んだバレットと、それを制するティファとエアリスの声。どちらでも、よかった。あたしは。プレジデントを殺すことでバレットの気が晴れるなら、それでもいいとも思った。殺したところで、なくしたものは戻ってこないし、なにも変わらないけれど。

「おりゃああ!」

 吠えたバレットが、プレジデントをぶん投げた。屋上に転がったプレジデントは、絞められていた首元を押さえながらよろよろとあたしたちから逃げ出した。それを追い詰めていくバレット。その圧に押されるように、プレジデントは室内へ逃げていく。バレットの怒鳴り声が、その後を追った。残されたあたしたちは、顔を見合わせてから、真っ暗な空を見上げる。アバランチ本家のヘリコプターは、まだ確認できない。本当に、脱出できるのだろうか。できるのだとしたら、あたしは。

「ん?」

 怪訝な声を上げたのはレッドだった。耳がピクピクと動いている。そういえば、バレットの怒鳴り声が途切れている。どうしたのだろう。同じように疑問に思ったらしいクラウドが、早足で扉へと向かう。クラウドに続いて室内へと足を踏み入れ、そして、目の前の光景に立ち竦む。バレットに追い詰められていたはずのプレジデントは、どこから取り出したのか、一丁の拳銃をバレットに向けていた。あたしたちに気づいているだろうに、バレットから目を離さずに、その眉間に照準を合わせる。だめだ、隙がない。バレットの銃や、あたしたちの魔法では、発動前に引き金が引かれてしまう。どうすれば。プレジデントの指先に、力が、込められた、次の瞬間。信じられないことが、起こった。

「っぐあぁ!!」

 突然プレジデントを貫いた、一振りの刀。いつの間にか、プレジデントの背後には、男が立っていた。――セフィロス。不敵に微笑んだセフィロスの持つ刀が、勢い良く引き抜かれ、プレジデントは床に倒れ伏す。叫んだバレットがセフィロスに立ち向かっていくが、どこからともなく現れたフィーラーたちに押し戻されてしまう。そして、

「バレット!!!!」

 悲鳴をあげたティファが、バレットに駆け寄る。レッドと、エアリスが、それに続いて。あたしとクラウドは、全く、動くことができなかった。セフィロスの刀に貫かれ、仰向けに倒れるバレットに、フィーラーが近づく。バレットのことなど気にもとめずに、セフィロスは刀で目の前の空間を切り裂いた。雲散霧消するフィーラーたち。そして、振り返ったセフィロスの魔晄の瞳が、あたしを射抜く。その歪んだ唇が、ゆっくりと開かれて。声は聞こえなかったけれど、なにを言っているのか、わかってしまった。「久しいな、カレン。私の――」その顔が、身体が、煙のようなものに覆われたかと思ったら。現れたのは、モンスターだった。クラウドが大剣を構えて、それに対峙する。

「こいつは……」
「あれが、すべてのはじまり」

 触手を振り回しながら、モンスター――ジェノバが、襲いかかってくる。幻覚作用があるのか、そこはもうプレジデントの執務室ではなかった。どうやら、こいつを倒さないと、この空間からは出られないらしい。クラウドがジェノバへと斬り掛かる。なけなしの気力を振り絞って、あたしもバングルを構えた。



***



 ジェノバが体をくねらせながら霧になっていく。濃紺の霧中から現れたのは、黒いローブを着た男だった。その男も、倒れながら消え去ってしまう。残ったのは倒れた人影。いや、これは、人ではない。ポットの中にいた、ジェノバ、だ。確認しようと駆け寄ったが、いつの間にかその脇に立っていた人物に足を止める。

「――セフィロス」

 俺の声など聞こえていないかのように、セフィロスはゆっくりとジェノバを抱き上げた。その視線が、外へと向けられる。なにがあるのか、と一瞬目を離した後にはもう、目の前からセフィロスは消えていた。人間業ではないそれに、息を飲む。どうやって移動したのか、セフィロスとジェノバはガラスの向こう側に立っていた。そのまま、浮き上がるようにして視界から消えてしまう。追いかけなくては。走り出した足が止まったのは、バレットが勢い良く起き上がったからだった。

「バレット?! ケガは?」
「ああ……」
「さだめは死よりも強い、か……」
「……ありがとよ」

 ティファの手を借りて身体を起こしたバレットが、漂うフィーラーに感謝を述べる。まるでそれを理解したかのように揺れたフィーラーが、屋上へと消えていった。それを追って、外へと飛び出す。セフィロスは上へ行ったはずだ。周囲をぐるりと回って見つけた梯子を登った先、通信塔の天辺に、ジェノバを抱いたセフィロスが立っていた。名前を呼ぶと、こちらを見下ろす魔晄の瞳。ニヤリと唇が歪められたと思ったら、その姿はもう、黒いローブの男へと変わっていた。その体がぐらりと揺れて、そのまま、ジェノバと共に、真っ逆さまに落ちていく。そして、ミッドガルの闇の中へと、消えて、いった。……逃げられた。が、闘いは、一先ず終わった。ふう、と息を吐くと、ティファたちがこちらへ向かってくるところだった。空を見上げると、どうやらアバランチ本家のヘリらしきものがこちらへと向かってくることが窺える。あと5分もしないうちに、ここから脱出できるだろう。先頭を歩いていたバレットに声をかける。

「大丈夫なのか」
「おう。……で、やつは?」
「逃げられた」
「ハッ、オレたちもとっとと逃げようぜ」

 アバランチのヘリはどんどん影を濃くしている。ヘリの降下地点へと向かうティファたちの背を追って――ふと、カレンの姿がないことに気がついた。振り返る。闇夜に紛れるように、カレンが、俯いて立っていた。風を受けて靡くアッシュブロンドが、悲しいほどに綺麗で。どうしたのだろう。「カレン?」顔を上げたカレンは、困ったように微笑んだ。微笑んでいるのに、どうして、その顔が、泣いているように、見えたのだろうか。

「ごめん、クラウド」
「なに、が、」
「あたし、そっちには、行けない」

 耳を疑った。遠くでバラバラと鳴るヘリの音に、掻き消えてしまいそうなほど力無い声だった。どうして、そんなことを。

「ごめん、あたし、みんなとは、行けない」
「な、にを、」
「あたし、戦闘苦手だから、みんなの足、引っ張っちゃうし。記憶なくなる前は、タークスで、みんなの敵だった、わけだし。星を救うとか、世界のためとか、そういう思いがあって、ここまで来たわけじゃないし」

 俺たちが立ち止まったことに気づいたのか背後からバレットの呼ぶ声が聞こえる。カレンは俺と目を合わさずに、言い訳のようなものをつらつらと並べていた。その、取り繕ったような態度に、ぐらりと怒りが湧き上がる。なにを、馬鹿なをこと言っているんだ。お前を助けるために、どれだけの人間が、力を貸してくれて、どれだけエアリスが、苦しんで、一体、どれだけ、どれだけ、俺が、

「……馬鹿なこと言ってないで、行くぞ」
「っ、クラウドには、わかんないよ!!」

 強引に掴んだ手首は、すぐさま振り払われた。バシリと弾かれた手が、じんと熱を持つ。自身の拳を、白くなるまで握ったカレンが、泣き叫ぶように吐き捨てた。

「あたしは! ここで生まれた、神羅の実験室で! クラウドも見たでしょ?! たくさんたくさん、ああやって、ポットの中で、育てられて、たくさん、殺されていった! あたしもおんなじだ! 人工的に生み出されて、みんなと違う、神羅のモルモット! こんなあたし、生きてたって、意味がない! あたしなんて、生まれてこなければ、」

 パシン、という、乾いた音。そして、あたりを包む、静寂。茫然とするカレンが、震える手で左頬に触れた。少し、赤くなったそこを、確認するように、撫でる。思い切り張ってしまったからか、俺の右手もじんわりと痛んだ。それ以上に、心臓が、胸が、痛くて。

「そんなこと、言うな」
「……」
「生まれてこなければ、なんて、そんなこと、言うなよ」
「クラ、」

 何か言おうとするカレンを、遮るように。その身体を、強く抱きしめた。初めて触れた彼女はびっくりするほど華奢で、細くて、柔らかくて、そして、あたたかかった。あたたかい。生きている。どくどくと脈打つ心臓が、耳元で聞こえるか細い吐息が、彼女が生きている証拠だった。抱きしめていた腕を解いて、呆けている彼女の手を、両手で包み込むように握る。エアリスが、言っていた。カレンは迷子だと。どこに行けばいいのかも、どうすればいいのかも、なにもわからないのだと。だから、手を引っ張って欲しいと。今、俺はきっと、彼女の小さな小さな闇の部分に、触れたのだと思う。明るい彼女の中にある、ひとりぼっちで、どうしようもなく、寂しくて、辛くて、悲しい部分に。細い指を、ぎゅっと握って、エメラルドの瞳を見つめた。不安げに揺れるその瞳が、きらきらと光って。心臓が締め付けられるほど、綺麗だった。

「あんたが、生きる意味を見つけるまで、俺があんたの生きる意味になってやる」
「え、」
「俺が、あんたを、必要とするから。だから、ここにいて欲しい」
「クラウド、」
「だから、生きている意味がないなんて、もう、言わないで」
 
 ぽろり、とカレンの瞳から、透明な雫がこぼれる。続けて、ぽろ、ぽろ、と落ちた涙に、困惑したようにカレンが眉を下げた。すぐにおさまったそれが、いまだ信じられない様子のカレンに苦笑が漏れる。そのまま、頭に手を置いてぐしゃりとかき混ぜてやった。ビル風に吹かれたカレンの髪が、芸術的な爆発スタイルに変わる。ただでさえ癖毛のそれが、俺の手でぼさぼさになるのは、なんだか気分がいい。

「ちょ、クラウド、なにす」
「はは」
「やめろ! なにを、」
「あんたは、それくらい元気な方がいい」
「!」

 目をまんまるに見開いたカレンに思わず笑いが漏れる。それから、赤く腫れた頬が目に入って口を閉じた。少し、強く叩き過ぎてしまったか。必死だったから、力加減を間違えた。する、と指の背で頬を撫でると、今度は俺の表情の変化に気付いたカレンが苦笑した。

「大丈夫。見た目ほど、痛くないから」
「ああ、でも……」
「おかげで、目が覚めた。ありがとう、クラウド」

 やさしく笑ったカレンに、心臓が掴まれたかのように甘く痛んだ。この感覚がなんなのか、知らないけれど、わかるような気がして。でも、まだ名前をつけることはできなかった。それでも、いいと思った。カレンが、笑っていてくれるなら、それで。背後から、バレットの声が聞こえる。どうやらアバランチのヘリはもう降下準備に入ったらしい。待たせるわけにはいかない。カレンの手を引くと、「あたし、もう大丈夫だよ」とカレンが笑ったけれど。ただ俺がこの手を握りたいだけだ、と言ったら、お前はなんて言うのかな。





200608



[ 26/59 ]