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22


 燃え盛る七番街を後にして、伍番街スラムへと向かう。いつもより口数が少ないのは、ティファもバレットも、俺自身も、同じだった。胸の真ん中に、ぽっかりと開いた穴を抱えて、歩みを進める。プレート支柱での、エアリスの言葉を思い出して、彼女の家へと向かっているところだった。彼女が保護したというマリンの居場所は、他に思い当たらない。ということは、エルミナが何か知っているかもしれない。エアリスのことも――カレンのことも。ウォール・マーケットを抜けて、伍番街スラムへ急ぐ。とっくに日が暮れているにもかかわらず、スラム中心部のモニターの前には大勢の人々が集まっていた。リーフハウスを通り過ぎるとき、ちらりと見上げた窓には、明かりはない。当たり前か。焦るバレットに続いて、エアリスの家の扉をくぐった。

「マリンは! マリンはどこにいる?!」
「バレット」

 嗜めるように名前を呼ぶと、落ち着いたバレットはエルミナに頭を下げた。それでも、はやる気持ちを抑えきれないらしく、二階へと駆け上がっていく。ティファと一緒に、その後をついて行った。マリンの寝顔をみて安心したのか、やっとティファに笑顔が戻る。眠ったままのマリンを起こさないよう、静かにリビングへと戻った。エルミナは、所在なさげに台所に立って、こちらを見つめていた。

「エアリスは、神羅に行ったよ」
「すまない」
「エアリスにマリンのことを頼んだのは私です。知り合ったばかりなのに、とてもよくしてくれて……だから、甘えてしまいました」
「あんたらのせいじゃない。遅かれ早かれ、こうなる運命だったのさ」

 そう言ったエルミナは、力なく椅子へと腰掛ける。そうして、エアリスの過去について語ってくれた。エルミナとエアリスには血縁関係がないこと。エアリスには不思議な力があること。そして、それを神羅が狙っていること。

「居場所を知っているのに誘拐もせずに待つなんて、タークスらしくないな」
「エアリスの自発的な協力が必要なんだとさ。だから、神羅に連れていかれたと言っても、お客として扱ってもらえるはずだ。用が済んだら、すぐに帰してくれるだろうよ」
「……カレンについて、何か知っているか」

 カレン、と聞いて、エルミナの動きが一瞬止まる。ティファとバレットが、息を呑んだのがわかった。深くため息をついて、エルミナが困惑したように漏らす。

「記憶が、ないんだろう? エアリスが連れてきたんだ。教会で倒れていたと」
「タークスたちが、彼女を狙っていた。元タークスだと言っていたが……本当か?」
「……ああ、そうさ。護衛、と彼らは言っていたけれど。エアリスをつけ狙う神羅の中に、カレンの姿もあったよ。ここ数年は、とんと見かけなかったが」
「じゃあ、やっぱり、カレンは、」
「神羅の狗、だったのかよ……!」

 悔しそうにバレットが歯噛みする。握った拳が怒りで震えていた。カレンが、神羅の手先? あいつが? 本当だろうか。

「記憶がないの、演技って言ってた。本当かな」
「本当に記憶がなかったら、あいつなら、あの場所にいるだろうが! 支柱にいなかったってことは、あいつは、神羅の――!」
「捕まってたんだろ」
「けどよ、」
「あいつの、あれが、演技? ありえないな」

 バレットが言葉を飲み込む。彼女の、あれが、演技だと? ありえない。演技にしては、周りの役者が大根すぎる。空き地で彼女にスマホを投げて寄越したルードを思い出す。何度も俺を睨みつけてきた、鋭いレノの瞳も。そして、カレンの、あの、深いエメラルドの瞳。くるくる変わる表情から、いつだって目が離せなかった。嬉しそうに目を細めて笑う顔も、すぐに膨れるあの頬も、不安に揺れるあの瞳も。全てがカレン、そのものだった。演技なんて、ありえない。

「大方、あの黒髪の男が適当に話をでっち上げたんだろう」
「そう、なのかな……」
「カレンも、エアリスも、捕まったんだ。俺は、二人を助けに行く」
「何をしようってんだい?」

 扉に向かった俺を、エルミナが立ち上がって引き止める。必死なその形相に、思わず言葉に詰まった。

「ことを荒立てないでおくれ。エアリスまで失うことになったら、私は、もう……」
「クラウド、お母さんのいうとおり、もう少しだけ、待ってみない?」
「七番街スラムに戻らねえか? やること、いろいろあんだろ」
「うん。ね、カレンと別れたウォールマーケットにも、行ってみよう? なにか情報があるかもしれない」
「……わかった」

 仕方ない。ため息をついてから、ティファとバレットの言葉に頷いた。いつの間にか握っていた拳を、ゆっくりと開く。なにも、ない。俺の手の中には、なにも。風になびくカレンの髪を撫でたのが、ひどく昔のことのように思えた。



***



 意識が、沈んでは浮上する。あたたかいここは酷く懐かしくて、優しくて、そしてなにもなかった。死んだ母親の胎内にいる赤ん坊は、こんな気持ちなのかもしれない。鼓動も、体温も、なにも感じない。感じるのは自分の心臓の音だけだった。なんだろう、何か、考えていたような。うっすらと目を開けると、視界は鮮やかな青緑一色だった。エアリスの、瞳の色に、似ている。そうだ、エアリス。彼女は今、どうしているだろうか。一緒にいたのに、こんな時に思い出すのは、彼女の悲しそうな瞳だった。いつだって、笑顔だった、彼女の。

 エアリスが隠し事をしていることは知っていた。それをあたしに告げなければと思い込んでいることも、告げる勇気が出ずに悩んでいたことも、知っていた。でも、別によかった。エアリスが黙っていると決めたならあたしも自分の態度を貫くつもりだったし、告げてくれるならどんなことでも受け入れようと思っていた。彼女の隠し事は、きっと、間違いなく、あたしの過去のことだ。

 エアリスに、黙っていることがある。それは、彼女に気づかれないように隠していたことだったし、彼女に告げるつもりなど毛頭無いことだった。それどころか、もし何かを察した彼女が、あたしを問いただしたとしても、絶対に口を割らないという決意が、あたしにはある。たとえそれが、結果として、彼女を騙すことになっても。

 あたしの左足には、小指が、無い。それは、先天的なものでは無いとすぐにわかった。きっと、元々は、あったのだろう。それが、不自然に、途切れている。歪な形で再生されたそこは、間違いなく、本人の意図とは無関係に引きちぎられたものだった。

 あたしの右足には、醜い傷跡が、ある。ぐるりと脛を一周するそれは、まるでそこで一度全てが切り離されてしまったかのようだった。いや、きっと、切り離されたのだ。人工的に、無理矢理、切り離されたそれを、乱雑にくっつけた、ものだ。手術などという生優しいものは施されなかった。傷跡を見ればわかる。縫跡など一つもないそれは、皮膚が引きつったままくっついた跡だった。

 あたしの太ももには、刺青がある。人工的な、痣。左側、骨盤のあたりに掘られたそれはたった一文字「f」。ファッションの欠片もない、無機質なゴシック体は、まちがいなく識別番号だ。白衣の男は、言った。“宝条研究室――お前のHOMEだよ”。あたしのHOME。家、帰る場所、生まれた場所。あたしが。

 ここまでくれば、馬鹿でもわかる。人体実験。あたしは、神羅の飼い犬なんかじゃない。ただのモルモットだ。

 あたしの身体は、他人とは違う。マテリアの気配がわかることなんて、些細なものだ。その一番の違和感は、回復力だ。小さな切り傷や擦り傷なら、ものの数分で治ってしまう。まるで、そこに傷なんてなかったかのように、きれいさっぱりと。こんな身体、普通じゃない。普通に生まれて、普通に生きてたら、こんな身体には、ならない。だから、きっとあたしは、神羅の実験により生まれたミュータント――突然変異体だ。

 ただの、神羅の、モルモット。それがあたしの正体。でも、それにしては、タークスは随分と、あたしのことを気にかけていたように思う、特に、あの赤毛の男は。アクアマリンの瞳が、あたしの名前を呼ぶ、その瞳が、いつだって憂いを帯びていたから。全部知っている、と彼は言った。全部って、どこまでだろう。ほんとに全部かな。その上で、あたしを選んだ。そんなこと、あるのかな。本当だったら、あの男、相当の変わり者、だ。だってあたし、神羅の実験体だよ? モルモットで、狗で、反逆者。なんだそれ、笑える。ろくな肩書じゃないや。

 くすり、と笑ったら、口からごぽりと空気が漏れた。たゆたう身体、視界の端に見慣れた癖毛が映る。この髪を、撫でてくれたのは誰だっけな。好きだと言ってくれたのは、誰だっけ。柔らかな睡魔が襲ってきて、ゆっくりと目蓋を閉じる。ごめんね、エアリス。ごめんね、みんな。ごめんね、――。もう、一緒に、いられなくなっちゃったよ。さよなら。心の中で呟いて、意識はまた闇に沈んだ。



***



 突然、意識が覚醒する。なにかの気配。立ち上がって、壁に立てかけてあったバスターソードを手に取った。ウェッジの眠るベッドに寄りかかるようにして、バレットがいびきをかいている。あの後に訪れた七番街の地下実験施設で、倒れていたウェッジを助けたのだった。神羅の実験施設として使われていたそこには、実験動物の成れの果てがゴロゴロと転がっていて。神羅によって繰り返し行われた、血も涙もない実験の数々。囚われているエアリスや、カレンが、心配だと、逸る気持ちを抑えて、体を休めていたのだったが。部屋を出て一階に降りるが、誰もいない。何かに呼ばれるように扉を開け、花畑へと向かった。そこに座り込んでいた人物に、息を飲む。どうして。零れた声に、エアリスは微笑んだだけだった。家の遥か向こう、空が、不思議な色をして輝いている。小さい頃絵本で見た、オーロラのようだった。幻想的なその風景が、あまりにきれいで。そうか、ここは現実ではなく。

「夢、か……」
「さて、どうでしょう」
「無事なのか?」
「この通り。……カレンも、無事、だよ」

 立ち上がったエアリスが、両腕を広げる。そうして、一瞬戸惑うように俯きがちに手を組んでから、静かに続けた。

「わたし、神羅に、協力することに、したの。そうしたら、きっと、カレン、開放してくれる」
「そんなの、おかしい。あんたが我慢しなきゃいけないことなんて、ない」
「本当はね、カレンのこと、ずっと前から、知ってたの」
「……エルミナから聞いた」
「そっか。だからね、秘密にしてたぶん、カレンに、償わなきゃ」
「あいつは、そんなこと、望んじゃいない」
「……クラウド、カレンのこと、よくわかってるんだね」

 そうだろうか。考えれば、誰にだって、わかることのような気がした。いつだってカレンはエアリスが一番だったし、大切にしていた。真っ直ぐな彼女が、エアリスの犠牲の上に成り立つ自由に、決して喜ぶはずがない。遠くの空を見つめながら、エアリスは胸の前で手を組んで、目を瞑った。祈るように、歌うように、エアリスは続ける。

「人は必ず死ぬ」
「……だろうな」
「だから、正しく、ちゃんと自分らしく、生きなくちゃ。一瞬、この一瞬を、大切に」
「覚えておこう」
「うん」

 振り返ったエアリスが、嬉しそうに笑う。そうして、「あのね、」何かを言いかけて、それから、黙ってしまった。その顔が、伏せられた瞳が、悲しみに染まっていて。そんな表情、して欲しくなんかない。きっと、カレンも、同じことを言うはずだ。

「この一瞬を大切に、だろ。あんたは、自分自身も、大切にした方がいい」
「してない、かな」
「カレンが聞いたら、怒りそうだな」
「そうかな……そうだと、いいな」

 どこか遠くを見つめながら、エアリスが、嬉しそうに呟いた。カレンと、エアリス。二人の関係は、不思議とどこかがほつれているようで、それでいて、離れたところで、複雑に絡まっているようだった。俺がふたりと出会うよりも、もっと前から出会っていて。エアリスは、カレン自身すら知らない、カレンのことを知っていて。くるり、と振り返ったエアリスは、ねえクラウド、と楽しそうに俺の名前を呼んだ。エアリスの髪が、ふわりと優しく舞う。花の香りが、漂ってきた、気がした。

「カレンのこと、大切?」
「……ああ」
「わたしのことも? ティファのことも?」
「ああ」
「同じように、大切なの? おんなじ、なの?」
「……わからない」

 同じ、なのだろうか。カレンも、エアリスも、ティファも大切だ。苦しんで欲しくない。悲しんで欲しくない。あの笑顔を、護りたいと思う。同じように。笑顔でいて欲しいと思う。みんなに。でも。でも、エアリスの笑顔を見ても、ティファの笑顔を見ても、胸が締め付けられるような、あの感情は、湧いてこない。カレンが、笑った時にだけ、胸が、心臓が、締め付けられるように痛むのだ。それは、あいつの笑顔が“みんなと違う”からだろうか。じゃあ、どこが違うのか。どこが同じなのか。――答えは、今はまだ、出そうにない。

「カレンね、今、迷子なの。どこにいけばいいのか、どうすればいいのか、わからなくて、一人で、泣いてるの。だからね、クラウド、カレンの手、握って。こっちだよって、ここにいていいんだよって、言ってあげて」
「……ああ、わかった」
「もう朝、行かなくちゃ」
「迎えに行く。あんたも、カレンも、……仲間、だから」
「悔しいけど、うれしい」

 目を細めて小さく微笑んだエアリスが、緑の光に包まれる。一瞬で、目の前が真っ白に染まった。ゆっくりと顔を上げると、窓辺に朝の柔らかい光がかかっている。エアリスの家、眠るウェッジとバレット。今のは、夢、か、現か、それとも。何もない手のひらを見つめて、それから、グッと握った。ないのなら、捕まえにいけばいい。迷子のあいつを、捕まえに。この手のひらは、そのためにあるのだから。


200524



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