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「#エロ」のBL小説を読む
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05


「名前ーっ!」


 振り向いたら、友人が駆けてくるところだった。もう3限目の講義は始まっている時間だから、きっと彼女も空きなのだろう。そういえば久しぶりに会うな、と、最後に彼女と会った時のことを思い出す。帰ってきたのは一か月前だけど、今日まで全く会うことはなかったから、改めてキャンパスは広いとひとり頷いた。同じ大学に通っていても、学部が違うだけでこんなにも会わないものなのか。「ひさしぶり」走ったため息を整えている友人に、にっこりとあいさつする。髪、結構伸びたなぁ。わたしの感想は、彼女と同じだったらしい。膝に手をついていた友人は、顔をあげてからにっこりと笑った。


「ひさしぶり、名前! しばらく見ないうちに髪、伸びたね!」
「そりゃあ半年ぶり、だもんね」
「あ、どうだったの? 留学。いつ帰って来たの?」
「ちょうど一か月前、かな。たのしかったよー」
「まじでか。カナダか〜。あたしも早く行きたい!!」


 どこ行くんだっけ? イタリアだよ! イタリア! 久々の会話はひどくぎこちない気がした。それでも、楽しそうに話す友人に思わず笑みがこぼれる。くるくると表情が変わるのは、見ていて飽きない。見つめているわたしに気付くことなく、友人はぺらぺらとしゃべり続けている。


「でもさー、外国の何が嫌だって、漫画もアニメも観れなくなっちゃうんだよねー」
「ネットとかで観れるんじゃないの?」
「えー、やっぱり生で観たいじゃん!」
「そう言ってるけどさ、留学するきっかけになったのって漫画じゃなかったっけ?」
「そうなのっ!!」


 瞳を輝かせながら身を乗り出してきたので、必然的にわたしはのけぞった。そんなわたしにおかまいなく、彼女はマシンガンのように単語を口から発射する。曰く、イタリア語すてき、だの、マフィアかっこいい、だの、今週のジャンプはヤバかった、だの、とどまるところを知らない。高校からの付き合いである彼女は大の漫画好きで、わたしも高校時代にはよく借りていたものだ。とくに少年漫画がお好きなようで、家は漫画であふれかえっていたのをふと思い出した。


「ワンピースもいいけどさ、やっぱりリボーンだよね! 超ツナがアツイ!」


 え?
 ずきり、と頭が鈍く痛んだ。同時に呻いた心臓は、瞬く間に心拍数を上昇させる。背筋がひやりと冷たくなって、額に汗が浮かぶ。にこにこと笑う友人が、世界が、ぐらりとゆがんだ、気がした。その幻影にしがみ付くように、友人の肩をがしりとつかむ。「ど、どうしたの?」驚いたような友人の様子は無視した。


「主人公、」
「え、主人公? が、どうしたの?」
「いまの、漫画、主人公の名前、教えて」
「今の漫画って……REBORN!の、こと?」


 リボーン。頭の中で反芻させると、呼応するように頭痛が走った。めまいがひどくて、気持ちが悪い。ど、どうしたの? だいじょうぶ? 心配そうに顔を覗き込む友人に、返事をしてやることすらできない。ずきり、ずきり、頭が痛む。そういえば。そういえば、この友人の名前は、


「名前? 医務室行く?」
「大丈夫だから、ね、名前、主人公の、」
「名前、」




 ねっとりとしたその声に、思わず息を呑んだ。あたりが真っ暗になって、めまいのひどくなったわたしはその場に倒れた。いや、倒れてなどいないのかもしれない。平衡感覚が伴わない世界には、上も下も存在しないのだから。真っ暗なその空間には、わたしと彼女のふたりきり。わたしが彼女の腕をつかんでいたはずなのに、気付けばわたしが彼女につかまれていた。指一本すら動かせない。金縛り。目の前の物体に視線を遣ると、それはもう“人”ですらなくなっていた。ぐにぐにと変形するそれは、ニィ、と唇の端を釣り上げた。口どころか、人間を構成するパーツなど存在しないのに、にやりとわらいながら“それ”はわたしに笑いかける。


「あたシよりサぁ、名前のほウがさ、詳シいんじゃナいの?」
「な、なにが、」
「主人公ノ名前はネ、――――――――」
















「―――――っ!!」


 飛び起きた。
 はっはっと浅い呼吸を繰り返しながら、視線を部屋の隅々まで走らせる。液晶テレビ、コンポ、カーテン、キッチン、ローテーブル、ススキ色の髪の毛。見慣れたリヴィング、で、あった。綱吉の寝顔を見つめながら、深い呼吸を意識する。ぽたりと、季節に合わない冷や汗が髪から滴り落ちた。体中がびっしょり汗をかいていて、ひどく気持ちが悪い。瞼を下ろしたら、先程の出来事が鮮明に浮かび上がってくる。それから逃げるように目を見開いて、また何かを探すようにあたりを見回した。わたしの右手を握って眠りについている綱吉。ずきりとまた米神が痛んだ。


「ゆ、め、」


 声はわずかに震えていたものの、呼吸音、心拍数、体の震えはあらかたおさまった。どうやら深い眠りについているであろう綱吉は、そんなわたしの異変に気づいていないようだった。それに安心して大きく息をつく。それでいい。なにかと勘のよいこの弟は、わたしになにがあったかなど瞬時に見抜いてしまうだろう。


「ブラッド・オブ・ボンゴレ、か……」


 それがわたしにも流れているのだから、事実は小説よりも奇なり、だ。それとも、現実は漫画よりも奇なり、なのだろうか。さきほどの夢がフラッシュバックして、わたしはそれを振り払うようにかぶりを振る。忘れようとしていた真実を、突き付けられたかのようだった。ふと、綱吉が手に力を入れる。眉間に寄せられた皺、それを見つめながらわたしはぽつりと呟いた。


「つなよし、」


 左手で優しく髪をなでる。ふわりとしたわたしとおそろいの髪が、ひどく心地よい。テレビのついていない静かな部屋で、わたしは綱吉の頭をひたすら撫ぜる。ときどき、怖くなる。もし彼に、綱吉に、拒絶されてしまったら、わたしはどうなってしまうのだろうか。綱吉に拒絶されることは、世界から拒絶されることと同義だ。世界から拒絶されたら、生きていけるはずがない。綱吉に拒絶されたら、生きてなどゆけない。


「つなよし、」


 眠っている綱吉の、握った指がピクリと動いた。なにか夢でも見ているのだろうか。願わくば、願わくば、それが悪夢ではありませんように。ゴロゴロという音につられて、顔を上げる。重く垂れた、鉛色の空。雨が、降り出していた。











120222  下西 ただす





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