15話(前編)


ナイトオブラウンズ2名が専用機に乗って戦場に向かっている────その情報に、ルルーシュはナナリーの救出を急いだ。
ゆっくりと歩いてはいられない。
妨害する人間や邪魔者は全てギアスを駆使して迅速に排除し、ゼロらしからぬ全力疾走で艦内を突き進む。
専用機が援軍として現れるのを藤堂達には周知した。
スペックの差はあれど、時間は稼いでくれるだろう。

“メインブリッジ後方の庭園”
ギアスで聞き出した場所、そこにナナリーはひとりいた。

ナナリーだ。
間違いなく、ナナリーだ。
やっと会えた。
やっと……。

車椅子も衣服も全てが違う。
美しく着飾られていた。
血色は良い。
入ってきた物音でナナリーはこちらに顔を向ける。
極限まで緊張しているようだ。肩が少し震えていた。

「そこにいるのはゼロなのですね。
私も殺すのですか?
クロヴィス兄様やユフィ姉様のように」

ナナリーまでコーネリアと同じ事を言う。
ゼロはユーフェミアを殺していない。
撃ちはしたが当たっていないのだ。
真実を隠し、ナナリーにユーフェミアの死を吹聴した者がいる。

「……でも、少しだけ待っていただけませんか。
あなたは……間違っていると思うのです」
「間違っているのはブリタニアだ」

歩いて距離を詰める。
ナナリーが怯えないところまで進み、歩みを止めた。

「皇帝は強さこそ絶対の価値と考えている。
君もそれに賛同するのか?」
「それは……」
「ナナリー総督、君は利用されているだけなんだよ」
「目も足も不自由な私なら、みんなの同情を引けると?」

ナナリーは両手を握る。
震えを、意思の強さで押し殺した。

「違います。
私は自ら望んだのです」

堂々とした声に少し気圧された。

「……あなたが望んだ?」
「世界はもっと、平和に優しく変えていけると思うんです。
だから私はユフィ姉様の遺志を継ぎ、もう一度、行政特区日本を……」
「復活させると?」
「ゼロ、あなたもそこに参加してもらえませんか?」

小さな手を、こちらに差し伸べてくる。
それがかつてのユーフェミアと重なって。

「……!!」

無意識に一歩後ずさるほど、そっくりだった。
ルルーシュの頬を汗が伝う。

「やり直せるはずです、人は」

救出する為にここに来た。
ナナリーはすぐ目の前だ。
なのに動けなかった。

どうすればいい!と頭を抱える自分がいた。
ゼロの正体を明かすわけには!!と逡巡する自分がいた。
しかし、強引に連れて行くのはナナリーの意志を捻じ曲げることになる……!!と反論する自分がいた。
早くしろ! スザクが来るぞ!!と急かす自分がいた。
空のおかげで得た猶予だぞ!!と叱咤する自分がいた。
なんとかナナリーを説得しろ!!と激励を送る自分がいた。

ルルーシュの脳内で、思考が目まぐるしく回転している。
身動きもとれず、一言も発することができない。
空の情報で得た貴重な時間が無為に流れていく。
焦りばかりが募っていく。

手を差し伸べていたナナリーも、沈黙に拒絶されたと思ってしまったようだ。
悲しそうな顔で手を下げてしまう。

「……ゼロ、私の話を聞いてください。
私にはたったひとり、家族がいます」

ピタッと思考が止まる。
ひたすら考えていたルルーシュの耳が、一心にナナリーに向いた。

「今は離れ離れで……会えないけど……。
大切な家族がいるんです」
「その……ご家族は……。
姉君か……?」
「いいえ。お兄さまです。
私に、愛してると言ってくれました。
必ず迎えに行く、と」

電話でした会話を思い出している。
ナナリーの浮かべる笑みは幸せそうだった。
ゼロと向き合う彼女は堂々としていた。

「私は、ただ待ちたくありません。
自分に出来ることをしたいんです。
お兄さまに見られて恥ずかしくない選択をしたい。
だから私は、ユフィ姉様の行政特区日本を復活させます」

新総督の椅子に無理やり座らされたわけではなかった。

ルルーシュは何も言えない。
救出しようと息巻いていた自分がひどく滑稽に思えてくる。

ランスロットの出撃を知らせる空の声を聞いた時、一刻の猶予も無いと悟った。
スザクは必ずここにたどり着く。
それでもゼロとして言える事は何もない。
ナナリーの決意に、ルルーシュは一言も話せなかった。
時間ばかり過ぎていく。

スザクは頭上から現れた。
強引に隔壁を破り、ナナリーをすぐに保護する。
心が悲鳴を上げた。
ナナリーが自分を皇帝に売り払った男の名前を呼び、ランスロットに手を伸ばしたから。

そこから先はあまりよく覚えていなかった。
思考がぐちゃぐちゃして、考えたくもないのに考えてしまう。
助けたかった。でも手を伸ばせなかった。
時間はたくさんあったのに。手が届いたはずなのに。目の前にいた。邪魔する者は誰もいなかった。二人きりだった。スザクが来るまでは。
ああどうして。何だこの体たらくは。
惨めだ。恥ずかしい。情けない。自分がひどく愚かに思えた。
こんな状態で空と話せるわけがない。話せない。話したくない。見ないでほしいこんな俺を。話せない。話せない。話したくない────


────そう思っていたら、願っていたら、本当にいつまでも話しかけられなかった。
名前を呼ばれなくてホッとした。

「(……ああ。きっとラックライトのところにいるんだろう。ちょうどいい)」

今だけは、こんな自分のそばに居てほしくなかった。

深夜、真っ暗な自分の部屋に帰った後、ベッドに倒れ込んでそのまま寝た。
着替えるのも億劫だった。
沼に沈むように意識を手放し、そして夢を見た。
ナナリーが自分を必要としない夢だった。
自分がいなくても、思い描くやさしい世界に。

ハッと目が覚める。
そばにはロロが座っていた。
部屋は夜明けで明るくなり始めている。
服が汗でぐっしょり濡れていた。

「兄さん、うなされてたよ。
何かあったの? 昨日……」

兄を慕う弟の顔。

「……いや。
俺は、何か言っていたか?」
「兄さんは何も言ってなかったよ。何も」
「そうか……」

今日の朝食はロロが作ることになった。
シャワーを浴びながら、これからの事を考える。

ナナリーが望む世界、ナナリーが選ぶ明日。
しかし、それには俺が……ゼロが邪魔だ。
ナナリーの身の安全は保証されている。
ブリタニアの正規軍とスザクがいる。
最悪の敵だが、それだけに信じられる。
そう、かつて俺が望んだ通りに。

「俺が守ってやらなくても、もう……」

シャワーの水音が、その呟きを掻き消した。


  ***


今日は、ラックライトは休みのようだ。
生徒会室でシャーリーとリヴァルは談笑している。
シャーリーはチラシを手に、リヴァルは段ボール箱を探っていた。

「見て見て!
このお寺、1000年前に出来たんだって!」
「それよりさ、水鉄砲知らねえ?
みんなの分も用意したんだけど」

段ボール箱を追加でテーブルに置く会長に、ロロは不思議そうに覗き込む。

「何ですか? これ……」
「網、ろうそく、カツラ、花火、それからタンバリンも」
「あの……修学旅行ですよね?」
「任せといて! 私、2回目だから」
「あ、はあ……」

修学旅行。もうそんな時期か。
パソコンに視線を戻す。
新総督を報じるニュースサイトを閉じ、ため息がこぼれる。

「どうしたの? ルル」

声をかけられ、ハッと気づく。
全員が俺を見つめていた。

「なんか元気無いね……」
「……ああ、いや」
「ソラが休みだからかぁ?」
「そういうわけじゃない」
「わかった! ルル、修学旅行が楽しみで眠れなかったんでしょ」

今の心情を気づかれたくない。
「ああ、そうなんだ。実は」と無難に返せば、
「ルルったら子どもみたい、フフフ」と信じてくれた。

校内放送のチャイムが鳴った。

『間もなく、エリア11新総督の就任挨拶が始まります。
生徒の皆さんは全員、講堂に集まってください』

とうとう来たか。
胸の奥がズッシリと重くなった。

全生徒が講堂に集まった後、巨大モニターがナナリーを映し出す。

『皆さん、初めまして。
私はブリタニア皇位継承第87位、ナナリー・ヴィ・ブリタニアです。
先日亡くなられたカラレス公爵に代わり、この度エリア11の総督に任じられました。
私は見ることも歩くこともできません。
ですから色々と、皆さんの力を借りることと思います。
どうか、よろしくお願いします』

シャーリーとリヴァルはナナリーの顔と名前に反応しない。
皇帝のギアスで記憶を上書きされているのを改めて実感した。

『早々ではありますが、皆さんに協力して頂きたいことがあります。
私は、行政特区“日本”を再建したいと考えています。
特区“日本”ではブリタニア人とナンバーズは平等に扱われ、イレヴンは日本人という名前を取り戻します』

講堂が少しざわついた。
モニターのナナリーを、ルルーシュはもう見ていられなかった。

『かつて、特区“日本”では不幸な行き違いがありましたが。
目指すところは間違っていないと思います。
等しく、優しい世界を。
黒の騎士団の皆さんも、どうかこの特区“日本”に参加してください。
互いに過ちを認めれば、きっとやり直せる。
私は、そう信じています』

ナナリーの就任挨拶が終わり、解散となった。
クラブハウスに帰り、私服に着替え、学園を抜け出した。
ひとりになりたかった。
ここじゃないどこかに行きたかった。
その気持ちが足を動かした。
ホームに来たモノレールに乗り込んだ。

脳内で、ナナリーの就任挨拶が反芻する。
心にも、頭の中にも、暗い影が落ちていく。
そして思った。

もう要らないんだ。
ゼロも、俺の戦いも……。

全てがどうでもよくなって、混雑してうるさい車両内の乗客全員に片っ端からギアスをかけ、静かになった席に座る。
ぼんやりしていたらナナリーの声がよみがえってくる。

「この鶴を千羽折るとね、願いが叶うんですって。
もしお兄さまに叶えたい事があるのなら」
「いや……俺は……」


たった1年前でも、今では遠い過去だ。
懐かしい。
もう二度と戻らない、幸せな日々。

「ナナリーは? 何かないのかい?」
「そうですね。わたしは……。
……優しい世界でありますように」
「おまえの目が見えるようになる頃には、きっとそうなってるよ」
「本当に?」
「約束する」


「……優しい世界でありますように、か。
ナナリーの望む優しい世界は、ナナリーが自分で実現しようとしている。
俺は……必要ないんだ……。
今までナナリーの為にやってきたのは……全て……」

どれだけの犠牲を払っただろう。
それらが全て無意味になった。
今までやってきた事が全部。

ポケットの携帯が震える。
ディスプレイにはカレンを示す“Q”が表示されている。
ゼロをやる意味は、もう無い。
ルルーシュは携帯を折って壊し、モノレールの窓から外に放り捨てた。

車内モニターの映像が急に変わった。
ナナリーの就任挨拶の映像だ。
胃がひっくり返るような心地になり、ルルーシュは次の停車駅で転がり落ちるように逃げた。

走って、走って。ひたすら走る。
街頭のモニターには新総督が大々的に報じられ、どこを見ても堂々としたナナリーの姿がある。
それを避けて、逃げていくうちに、ルルーシュはシンジュクゲットーまで行っていた。
夜の闇に紛れ、貴族の男が日本人を侍らし、ぼろぼろの日本人を囲んでいる現場に遭遇した。

「金が先だって言ってんだろ」
「しつけぇんだよ貧乏人が!! 負け犬め!!」
「やめてくれ!
お前達だって俺と同じイレヴンじゃないか!!」
「これが欲しければ金を持って来ることだ」

地面にうずくまる日本人の男に“これ”と言いつつ見せるのはリフレインだ。
見ているだけで反吐が出る。
蔑みの目を向けたルルーシュに、悪人面の日本人達が全員気づく。

「ん? ブリタニア人?」
「学生かぁ?」
「日本人が日本人を食いものに……。
……それも、ブリタニア人の手下になって」

全員の顔から下卑た笑みが消える。
ケンカを売ってくるように睨んできた。

「ハハ、日本人と言ったか」
「ブリタニア人の同情はいらねえんだよ。俺達はイレヴンだ」
「学生が人の仕事に文句付けんじゃねえよ」

わらわらとこちらに来る。
ルルーシュは鬱陶しそうに眉をひそめた。

「諸君、それぐらいに」

鼻につく声が奥から聞こえた。
人相が悪い日本人達が左右に割れ、貴族の男が前に出る。
近づいてきた。
至近距離まで寄ってくる。

「私に使われることを彼らは納得しているんだよ、学生君」

顎をするりと撫でてきて、ルルーシュの眼差しが絶対零度まで冷え切った。

「触るな! ゲスが!!」
「何?」

コンタクトを外す。
容赦はしない。
ナナリーの目指す優しい世界から排除してやる。

「腕立て伏せでもしていろ」
「分かった」

くだらないギアス。
ただの憂さ晴らしだ。

いきなり腕立て伏せを始める貴族の男に、日本人達は戸惑った。

「コルチャックさん、何を!?」
「そっちは踊ってもらおうか」
「ワーオ! イエーイ! ヘヘッ」

憂さ晴らしのギアスを他の日本人にもかけていく。
ある男にはスクワットをさせ、隣の男には遠吠えさせ、殴りかかろうとしてきた別の男にはその場で足踏みをさせた。
ボロボロの日本人は怯えきった顔で逃げていった。

自暴自棄もいいところだ。
ギアスをこんな風に使うなんて。
でも、もういい。
全てがどうでも良くなった。

「フ、フフフ、ハハハ……ハハハハハ……!!」

哄笑の後、気づいた。
地面にリフレインが転がっている。
使えば過去に戻ったような幻覚をもたらしてくれる。
惹きつけられ、拾い上げてしまう。
『使ってしまおうか』と思った瞬間、幸せそうに笑う空と、嬉しそうに微笑むユフィが脳裏をよぎり。
ルルーシュはリフレインを地面に叩きつけていた。
粉々に割れ、中の薬品が地面を濡らす。

自分の名前を呼ぶ声が一切聞こえてこない。
空は今もラックライトのそばにいるんだろう。
ホッとする。こんな俺を見ないでほしかった。

ルルーシュは記憶を頼りに歩いていく。
廃墟も今は建設が進み、景色が全然違っていた。
ずっと。ずっと歩いていく。
ずっとずっと歩き続けて、ルルーシュは行き着いた。
シンジュクゲットーの、ゼロが始まった場所に。

夜は明けていた。
もう歩けなかった。
建設資材の一角に腰を下ろす。

無気力で、“これからどうするか”を考えられない。
目の前が見えているのに、暗い暗い影が落ちていくようだった。
沈む。どこまでも沈んでいく。

「やっぱり、ここに来たのね」

カレンの声だ。
こんな所まで来たのか。

「ここはゼロが……あなたが、始まった場所だものね。
どうして戻って来ないの? みんな待ってるのに……」

ゆっくりと顔を上げ、確認する。
カレンは団員としての姿じゃなく、私服を着ていた。

「俺は……戻る気は無い。
もう二度と、ゼロには……」
「何よそれ!」

カレンは怒りに満ちた表情で歩いて来る。
歩き方まで乱暴だ。地を踏みしめる音まで大きい。

「一度失敗したくらいで何よ!
また作戦考えて取り返せばいいじゃない!!
いつもみたいに命令しなさいよ!!
ナイトメアに乗る? それともおとり捜査?
なんだって聞いてやるわよ!!」

強く信じている瞳だ。
こんな俺をどこまでも。
どうして軽蔑しない。ゼロを捨てるつもりの俺を。

顔を殴られて、見限られる男を演じたくなった。
立ち上がり、カレンに歩み寄る。
どんな男が軽蔑されるかはよく分かっていた。

“だったら俺を慰めろ。女ならできる事があるだろう?”
そう言おうとして、だけど声にならなかった。
カレンの顎に手を伸ばすことも出来なかった。

なぜだ。空はここに居ないのに。
どうして。

「今のあんたはゼロなのよ。
私達に夢を見せた責任があるでしょう?
だったら、最後の最後まで騙してよ。
今度こそ完璧にゼロを、演じきってみせなさいよ」

俺を凛と見据える青い瞳に、消えない炎が宿っている。
まともに見れなくて顔を背けた。

「ひとりにしてくれ」

うんざりした声を意識して出す。
これなら見放すだろう。
カレンは炎が消えたように静かになった。
望んでいた反応だ。このまま帰ってくれ。

「……そうやって空も遠ざけたの?」

ぐ、と一瞬息が詰まった。
とっさにカレンを見てしまう。
青い瞳の炎はさらに燃え盛っていた。
気圧されてしまう。

「と、遠ざけたわけじゃない。
ここにいないだけだ」
「へーそう。いつから?」

答えられなかった。
唇を結べば、カレンは目を細めて呆れた顔をする。

「私が知ってるあの子なら、絶対ここにいるはずなんだけど」
「分かるのか」
「分からないわ。
私はルルーシュと違って空の声が聞こえないから。
でもあの子のことはよく知ってる」

カレンは少し視線をずらす。俺じゃないどこかを見た。

「私の知ってる空は、今のあんたをひとりにしない」

胸の奥がズキリと痛む。
カレンは再び俺を見た。

「空はルルーシュのそばに絶対いるわ」

今にも泣きそうな顔で、カレンはきびすを返して去っていった。

あれだけぐちゃぐちゃだった脳内が一気に冷静になる。
平常心をやっと取り戻した。

……ああ。そうだ。
空なら、今の俺をひとりにしない。

《空……》
《……ルルーシュ》

呼びかけにすぐ応じてくれた声は、ぼろぼろと泣く空が目に浮かぶ声だった。
胸の内から罪悪感がドッと溢れてくる。

《いつから……俺のそばに……》
《ごめん……》

絞り出す声に、血の気がみるみる引いていく。
いつから。一体いつから俺のそばに。
まさか最初から……?

《話したくないって……ひとりになりたいって……ルルーシュは思ってたのに……。
離れたくなくて……それで……。
ごめんなさい……!!》

焦げるような羞恥が頭頂部まで駆け昇る。
カレンの拳を、顔がめり込むほどの衝撃を、無性に頬に受けたくなった。
胸の奥がギリギリと痛む。

《空。
俺の、俺の手を……》

何もないところに両手を差し出す。
ふわり、手を乗せてくれたような気がして、軽く握った。

《……就任挨拶は聞いたな。
ナナリーは自ら決意して、新総督になった。
俺がナナリーにあげたかった居場所を、ナナリーは自分の意思で手に入れた。
おまえの報告で得た時間はたくさんあった。
なのに、俺は……なにひとつナナリーに言えなかった……》

ああ。それだけじゃない。

《自暴自棄に……なってしまった……。
……こんな自分を見てほしくなかった。
ラックライトのところに行ったのだろうと、都合良く思い込んだ。
空を意識の端に追いやって……考えもしなかった。
寂しかっただろう》

罪悪感が胸の奥から喉元まで迫り上がってくる。ひどく息苦しい。

《俺が悪かった。
ひとりにしてすまない、空》

触れられたらどれだけ良かっただろう。
手を握って、抱きしめて、髪を撫でて。
言葉を尽くしても謝罪しきれない。

《ナナリーの願いは“優しい世界でありますように”だけじゃない。
前に教えてもらったの》

晴れやかに笑う、そんな声だった。
泣き止んでくれてホッとする。

《ナナリーが叶えたい願いは……。
“お兄さまのいる世界が、お兄さまに優しい世界でありますように”……だよ》

まるで清らかな風が吹いたようだ。
頭と心の奥底まで巣食っていた嫌なものが、ひとつ残らず全て消えていた。
目に映る景色が先ほどと全く違う。
美しい夜明けだった。

《俺のいる世界が……?》
《うん。
ルルーシュは自分の為に戦ったらいいんじゃないかな。
ゼロにしかできない事は絶対あるよ。
だから……要らないなんて思わないで》

見えないはずなのに不思議と見えてくる。
俺の差し出した手を両手で握って、笑いかけてくれる空の姿を。

俺の。自分の為に?
困惑の気持ちが湧き上がってくる。

「兄さん」

離れた場所から呼びかける声に苦笑が浮かぶ。
ずっと尾けて来たのか。

「……お前は俺の監視役だったな。
忘れていたよ」

近づいてくるロロの顔は。

「いいじゃない、忘れてしまえば。
辛くて重いだけだよ。
ゼロも、黒の騎士団も、ナナリーも」

まるで本物の弟のようだった。

「ナナリーの為にもなる。
ゼロが消えれば、エリア11は平和になるよ。
兄さんもただの学生に戻って、幸せになればいい」
「俺は幸せには……」

なれるわけがない。
ユフィの意思を歪め、尊厳を汚し、人生を踏みにじり、唯一の願いも潰えさせた。
俺は幸せを望んではいけない。

「何がいけないの? 幸せを望むことが。
誰も傷付けない、今なら全てを無かった事にできる。
大丈夫。僕だけはどこにも行かない。
ずっと兄さんと一緒だから」

弱りきった人間なら、その甘言で幾ばくか心が傾くだろうが、俺には一切響かなかった。
戻る事も無かった事にも出来るわけがない。

ロロに促され、シンジュクゲットーを立ち去った。

《ゼロにしかできない事……それは一体何だ?》
《ごめん、それは分からない。自分で言ったくせにね。
……ルルーシュの心にある願いは?
ゼロが、その願いを叶える手段になると思うんだけど……》
《俺の心にある願い……》

そうだ。人は心にある願いの為に戦う。
“ナナリーの為”じゃない、俺の心にある願いの為に。

《俺の願いは……》

カレンのような火はつかない。
無気力だった心は今もぼんやりしていた。

ロロとの帰路はお互い終始無言だった。
学園に到着する。
朝練の生徒がいるはずの時間なのに、全体が静まり返っていた。

「……そうか。今日は修学旅行だった」
「追いかける?」
「いや。俺は参加は……」

打ち上げる花火の音が聞こえた。

「え?」
「ん?」
《花火だ!》

空の声に空を仰ぐ。
花火がまた打ち上がった。
出どころはルーフトップガーデンのようだ。

「誰が……」

戸惑うロロをそのままに、全速力で走った。
こんな事をする人間はこの学園でひとりしかいない。
いやしかし、いるわけがない。

《ミレイ達だ。絶対いるよ》

喜ぶ明るい声に小さく頷いた。

足を止めずに走り続け、息切れしてひどく苦しい。
喉のあたりから血の味がした。

階段を駆け上がり、勢いよく屋上に出る。
いたのは────

「お帰り、ルル」
「ルルーシュもやろうよ。
学園祭で使ったのの残り」

────会長、シャーリー、リヴァルだ。
いつもと同じ笑顔で迎えてくれる。
どうしてここにいるのか。
ひとつの強い感情が、今にも溢れそうなほど込み上げる。

「どうして? 修学旅行は?」
「俺達だけで行っちゃったら泣くでしょ? 君」

リヴァルのからかう言葉に返事ができない。
なぜだ。あんなに楽しみにしていたのに。

「旅行なんてのはね、どこに行くかじゃなくて、誰と行くかなのよ」
「そうそう」
《ルルーシュ。
シャーリーの手に》

空の声で、俺はシャーリーに視線を向けた。
彼女は青い折り鶴を大切そうに両手に乗せている。
ジッと見つめれば、シャーリーは「ああ、これ?」と両手を差し出してくれた。

「願い事が叶うっていうから作ってみたの」

込み上げてきたものが全て喉で詰まる。

ナナリーだ。
いつか、シャーリーにも話していたんだろう。

「誰に教わったのか、どうしても思い出せないんだけど」

シャーリーは困ったように照れ笑いを浮かべた。
あの男に記憶を書き換えられてもなお、心には残っている。

「何を願ったんだ?」
「もう叶ったよ、少しだけ。
みんなで一緒に花火がしたいなって」
「みんな……?」
「ニーナとカレン」 
「スザクもな」

リヴァルの後、会長まで笑んだ。

「それに、ルルーシュとロロね」
「1羽だけだから、ルルにしか叶わなかったけど」

ニーナ、カレン、スザクとアーサー。
ナナリーと空。

“みんなと一緒に花火をする”────その願いが自分の心に届いた。

『なぁルルーシュ。
幸せに形があるとしたら、それはどんなものだろうな』


思い出したのは、快活なスザクの幼い声。

昔、ナナリーやスザクと話したことがあったっけ。
聞かれてもすぐには答えられなかった。

『俺はな、ガラスのようなものだと思うんだ』

そうだ。
スザクが言っていたように、ガラスのような
ものかもしれない。
だって普段は気づかないから。
でも、確かにそれはあるんだ。
その証拠に、ちょっと見る角度を変えるだけで、ガラスは光を映し出す。
そこにあるのだと、どんなものよりも雄弁に存在を主張するから。
 
“お兄さまのいる世界が、お兄さまに優しい世界でありますように”
それがナナリーの叶えたい願い。

俺は。ナナリー、俺は。
優しい世界はこんな近くにあったんだ。
偽りの記憶に汚されても、なお、透明なガラス色で。
いつも。ずっと、ずっと。

「……ルル?」

名を呼ばれてハッとする。

「なに泣いてんだよ」
「私達の友情に感激ってやつ?
かわいいとこあるじゃん」
「うんうんうんうん」

楽しそうな、からかう笑みに背を向ける。

「違いますよ。
そんなわけないじゃないですか」

心の中で《空》と呟けば。
《うん》とすぐに返事してくれた。
春の晴れやかな青空みたいな声。

「みんな」

「ん?」と後ろで異口同音。

下に続く階段のほうから気配を感じた。
ロロが隠れて様子を伺っているんだろう。
気づかないフリをして、会長達に向き直る。

「またここで、花火を上げよう。
絶対、絶対にもう一度、みんなで」

満面の笑みで会長達は頷いた。
  
そうだ。俺の戦いは、もうナナリーだけじゃない。
何があっても、暗い影には沈まない。
たとえ落ちても這い上がってみせる。

《空。
俺を、俺のそばで見ていてくれ》

今も隣にいる。
目に映らなくても、触れられなくても、空の存在を確かに感じた。


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