Jan 07雑記


雨恋い唄、52話目を上げました。今回、すこしごちゃっとしています。場面がころころ変わるので、もしかしたら、読みづらいかもしれません。いつもより気持ち長めです。真田が、実は猿飛よりもずっとずっと、心配性だったらいい。そわそわ、そわそわ、落ち着かなくなるような。猿飛は、お節介焼き。その場に困っているひとがいたら、こころのなかでちょっと悪態をつきながらも、助けてあげたくなってしまう。まったく、もう。って、云いながらもほうっておけない、みたいな。わたしのなかの真田主従は、そんな感じです。

話は変わりますが、ひさしぶりに自転車に乗って思ったこと。まず、寒い。きょうは特に、風が冷たかったから、尚更。手も頬もぴりぴりするくらいでした。あったかい毛糸の手袋が欲しくなります。そういえば、着けたままでも、スマートフォンなどのタッチ操作ができる手袋があることを最近知りました。携帯を触っていると、知らず知らずのうちに指先が冷えてしまうから、これは画期的。好みのものが見つかれば、ぜひ欲しいです。話が脱線しましたが、まとめると、自転車はいいね、ってことが云いたかった。歩いていたら感じることのない風を、真正面から浴びることができる。自分で風をつくりだしている気分。早く走れるひとは、きっと自転車なんかより、自分の脚で走るほうが楽しいのだろうけれど。でもそれだと、わたしは息が切れて、鼻歌なんて唄えなくなってしまうので。

さて、最近、ふだんの会話が早口すぎやしないか、と云われたので、読点多めを意識して日記を書いてみたわけですが、いかがだろう。ひとの書く文章は、そのひとの会話のテンポだ、というのを、なにかで見たことがある。すこし前の日記を遡ってみても、別段、読点が少ないとは思わなかったけれど、自分のテンポで書いた文章なのだから、当たり前なのでしょう。しかし、早口、というのは損だ。いつも急いていて、怒っているみたい。いい印象は残らない。対して、ゆっくりはっきり喋るひと、というのは、たしかに落ち着く気がする。実際、こうして読点を意識して書いてみると、一文を書くのに、いつもより時間を要する。「、」を打つたび、つぎの文を丁寧に考えるからだ。逆に云えば、勢いは、そが、れ、る。

それにしても、せっかくたくさん書ける日記にしたのだから、もっと楽しいことを書いたらいいのに、心底どうでもいいことばかりだ。なぜだか、いつの間にか「〜だ・である」調になっているしね。お話を書くよりも、「ひとに読んでもらえる」日記を書く方が、難しいのかも知れない。だってお話は、ひとに読んでもらうこと、が大前提なのだ。


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