第四話


 帰り道。いつもより早く帰れたので、スーパーに寄ってみた。
 休みの日には、よくお世話になっている。品揃えは良いと思う。食品以外にも様々なものがある。日用品。酒類。文房具。ペットフードや簡単な衣類も取り扱っている。
 地元の人間からしたらとても有り難い。

 今日は、何を買いにきたか。勿論、お弁当。私が、食材を買って料理なんてするわけがなかった。
前に、カレーを作ろうとして失敗している。もう二度としないと心に決めたのだ。
 目当ての、お弁当をカゴに入れた。その後にふらりと立ち寄ったのは、酒類コーナー。普段はあまり行かない所だ。
 特段、強いわけでもない。弱くもないが。つまり、一般的に飲める。そのくらいだ。
 この時、私の目に入ったのはいつも飲んでいる缶チューハイではなかった。何気なく、手を伸ばしたそのお酒。そういえば、この間の飲み会で同僚が飲んでいたそれ。
 瓶だから、多少重いが仕方ない。一緒にカゴに入れて、会計を済ませた。

 少し大きめのビニール袋。いつもよりも重たい。明らかにこのお酒のせいだ。しかし、後悔はない。だって、どうしようもなく惹かれたのだ。
 理由はわからない。あの人の顔を思い出したら、なんとなく手に取っていた。

 家について、お弁当とお酒を置いた。酒盛りの準備だ。
 明日も、仕事があるがなんとかなるだろう。明日の私がきっと頑張ってくれる。きっとそうだ。だから大丈夫。

 全て準備が終わった後、いつものように鏡をノックした。
 コンコン。おや?反応がない。もう一度。コンコン、とノックをする。
 なんだ、今日はれいさんいないのか。折角、酒盛りの準備したのに。まあ、酒盛りは私が勝手にした事だけれど。少し寂しいものだ。
 ロックグラスに、大きめの氷を入れた。そこに先程、買ったお酒を注ぎ入れる。少し氷が溶けたようだ。中で氷とグラスが、ぶつかる音がする。カラン。
 グラスに口をつけて、ちびりちびりと舐めるように飲む。
 …お弁当を食べるのは、もう少ししてからにしよう。もしかしたら、もう直ぐでれいさんが帰ってくるかもしれない。それまでは、お酒でも嗜んでいよう。

 お酒も三杯目に差し掛かった所。バタバタと鏡の中から音が聞こえた。どうやら、帰ってきたみたいだ。
 もう一度、ノックをした。コンコン、と二回。すると、今度は、すぐに布がとられた。

「れいさんお帰り。」
「あ…た、だいま。」
「?どしたの?」

 今、明らかにほっとした様な顔をしていた。どうしたのだろうか。

「いや、何でもない…少し疲れただけだよ。」

 そう言った彼の顔は、確かに疲弊していた。何時も、そんな所は一切見せない彼。余程、疲れたのだろう。そういえば、探偵だと言っていた。私には、計り知れない程のことがあるのだろう。
 周りに、探偵なる職種の人間はいない。れいさんを除いて。だから、どんな大変なことなのか、わからない。
 私にできるのは、労わりの言葉を投げる事だけだ。なんて、もどかしいのだろう。

「お疲れ様、れいさん。」
「あぁ、ありがとう…君も、お疲れ様。」
「…れいさん。」
「どうした?」
「私は直接、何かをしてあげられないけど…それでも話くらいは聞けるから…何かあったら愚痴でも何でも言ってね。」

 少しでも、楽になれたら良い。私なんかで、役に立つのなら幾らでも話を聞く。もしかしたら、私が悩みのタネかもしれないけど。
 こんな、鏡と繋がっているのだ。プライバシーなんて合ってない様なもの。
 考えたくはなかったが、可能性はある。もしかして、私の所と繋がっているせいで彼女を呼べないとか。もしかして、最近家に呼んでくれないとかで彼女さんがご立腹なのではないか。それはいけない。
 私は、れいさんに土下座をすればいいのだろうか。別に私のせいでは無いんだけども。
 ぐるぐると考えていれば、れいさんが小さく笑った。そんな気がした。

「…ありがとう。じゃあ、少しだけ聞いてくれるか。」
「勿論!」

 本当に、話してくれるとは思わなかった。こんな私でも役に立てるなら本望だ。何でも話して、と胸を叩く。
 これで、本当に彼女がらみだったら私は即座に土下座をしようと心に決めた。

「実はな…本当に疲れた、だけなんだ。毎日、違う自分を演じて…どれが本当の俺なのかわからなくなる時がある。」
「違う、自分…?」

 探偵の仕事で、何かあったのだろうか。

「でも、そんな事…言う資格なんて、無いんだ。俺が、疲れただなんて…そんな事。」
「え…資格が、ない…?」
「あぁ…だって、俺には…やらなければいけないことがある…あいつの意志を…死を無駄にしないために…それに、あいつらにも…。」

 力なく笑うれいさん。目の前のこの人は、何時ものれいさんではなかった。なんだか、とても小さく見えた。そして、何故だかわからないが消えそうだとも思った。
 だから、私はまっすぐれいさんを見た。目を逸らさない。きっと、ここで逸らしたら駄目なんだ。強く、そう思った。

「れいさん。」
「なん、だ?」
「人間が疲れるのは普通のことだと思う。肉体的な疲れ。精神的な疲れ。だから、れいさんが疲れたって言う資格がない、なんて思わない。疲れたら休んでいいんだよ。休んで、元気になったらまた頑張ればいい。少しくらい、休んだってバチ当たらないよ。私は、れいさんが言う“あいつ”も“あいつら”も分からない。だけど、れいさんの言うその人たちは休むことさえも許してくれないの?それなら私がぶん殴る。」
「…いいや、そんな事は言わない。言わない奴らだ。」
「それなら休んだって、いいんじゃない?」
「けど…。」
「けど、じゃない。人間はね、走り続けることなんてできないんだよ。何処かで休まないと。第一に、休まず走り続けることができたら人は過労死で死なない。」
「そう、だな…確かにそうだ。」
「ね?」

 今度はれいさんが私をまっすぐ見つめた。いつもよりも覇気のない顔だ。

「…少し、だけ。」
「うん、そうして!もし、鏡越しじゃなかったら無理矢理にでも休ませてたよ。」

 軽くシャドウをすれば少しだけ何時ものれいさんに戻ったようだ。それは、怖いな、なんて笑っている。
 じゃあ、そうやられない様に今日は早めに就寝することを進めた。れいさんは大人しく就寝の準備を始めた様だ。ごそごそと音がしている。
 おやすみ、と声をかけようとした。しかし、れいさんの行動にぎょっとする。

 目の前で、服を脱ぎ始めた。

 ぴっしりと固まる。しかし、目には入ってくるれいさんの身体。
 服の上から、それも鏡越しではわからなかった。筋肉がすごい。割れた腹筋。とても、綺麗だと思った。純粋に。洗練された、芸術の様だった。
 筋肉は、少なすぎずつきすぎていない。
 しかし、私はすぐに叫んだ。これ以上は何だか見てはいけない気がしたから。

「っれいさん!!!服を!!!!服を着て!!!!」

 そんな悲痛な私の叫びも、あぁすまん、で片付けられてしまった。
 上半身、裸のままで鏡に近づくれいさん。ドアップはやめてほしい。やめてほしいが、言っても聞いてくれない。

「今日は、話を聞いてくれてありがとう。おやすみ。」

 そう言って、やっと鏡に布をかけた。視界からあの暴力的に洗練された、上半身が消える。
 しばらくの間は、心臓がうるさかった。それと、なんだか顔も熱かった。
 酔っ払ってしまったのだろうか。私も早く寝よう。

 氷が溶けて、薄まってしまったお酒を一気に飲み干した。空になったグラスを流しに置いてお酒を片付ける。
 ガラスの戸棚に仕舞った。ラベルに書いてあったのは“bourbon”の文字。


***


 日付を跨いだ。もう、深夜と呼ぶ時間。明日も仕事があると言うのに。
 今日は、残業に加えて電車の運転見合わせ。ついさっき運転が再開された。そこまで、離れていたわけではないから良かったと言えば良かった。

 漸く、自室に入る。

 時間を見て、もうれいさんは寝ているだろう時間。今日は、こんなに遅くなる予定ではなかった。もっと早く帰宅できる予定だったのだ。だから、れいさんには何も言っていなかった。異世界だと分かってからは特に定例会も消滅。お互いに時間が合えば、話そうと言う感じ。
 大分、フランクになったと思う。
 だから、別にれいさんと約束していたわけではない。訳ではないが。毎日の日課がないのはそわそわしてしまう。まぁ、鏡が開通するまではその日課はなかったのだが。

 あぁ、もう全てが面倒くさい。

 今日は、どうせ食べる時間なんて無いだろうとコンビニ弁当は買ってきていない。お腹は減ってる。でも面倒くさい。
 ばたりとベッドに倒れ込んだ。

 目を閉じかけた頃。鏡から音が聞こえた。二回。コンコン、と。音が鳴る。
 一気に覚醒した。飛び起きて掛けてあった布を外す。

「れいさん!?」
「うお、びっくりした。」

 目をまん丸にしているれいさんがいた。

「お帰り、今日は随分と遅かったみたいだな。」
「た、ただいま。まぁ、うん…今日は残業と電車が止まってて…。」
「そうなのか?お疲れ様、大変だっただろ。」
「ううん、大丈夫…ありがとう…じゃなくて!」
「ん?」
「何で起きてるの?!もういい時間だよ!」

 時計を見ればもうすぐ2時半を超える。普通なら寝ている時間だ。この人の生活リズムはよく分からないが。
 もしかして、私が帰ってくる音で目が覚めた?いやそんな馬鹿な。布を被せておけば割と音は遮れる。気にならないくらいの音になるはずだ。

「ん?あぁ…いや…作業をしてたんだが…君が帰ってくるのが聞こえてな。」

 こんな時間まで作業。正気か。れいさんの所の労働条件はどうなっているのだろう。
 もしかして、ブラックなのだろうか。うちも大概だか。

「…それで態々声掛けてくれたの?」
「まぁ、な…。」

 これはもしかして。

「まぁ、なんだ…何時も君と話しているし…それが急に無くなると…その…狂う。」

 私は、一気に気持ちが跳ねた。嬉しい。そして、なんだか目の前の人が可愛く思える。
 こんな奇妙な関係だけど。出会って1ヶ月だけど。さらに言えば、れい、って名前も本名では無いかもしれないけれど。それでも何となく、家族の様に思えてしまった。そんな、彼にそんな事を言ってもらえるなんて。それは、嬉しいに決まっている。

「…私も!私も毎日れいさんと話してるから話せない日があるのは少し寂しかったんだ!」
「!そうか。」

 優しい顔。きっと、れいさんも私の事は悪い様に思ってないだろう。多分。そう思いたい。

「顔も見れたし…ほら、明日も早いんだろ?もう寝ろ。」
「えー!もうちょっと!」
「明日辛くなるのは君だぞ?」
「わかってるよ!でも、ほら、あと30分だけ!」
「はぁ…仕方ないな…30分したらちゃんと寝るんだぞ。」
「はぁい!」

 今日、あった事。ムカついた事。楽しかった事。笑った事。全て話した。
 向こうの世界に、私の行ってる会社がない事をいい事に話した。全て。

 うとうととし始めた。向こうでれいさんが何か言ってるのは聞こえる。

「ほら、眠いならベッドへ行けよ?」
「んー…もうちょっと…。」
「もうちょっとって…もうほとんど目が開いてないじゃないか…あ、こら!こんなところで寝るな!」
「寝てない…よ…。」

 そこで私の意識は途切れた。ごちんと音がした様な気がしたけどきっと気のせいだろう。


「ったく…本当にそのまま寝て…風邪引くぞ……ベッドに運ぶどころか毛布一枚すら掛けてやれないなんてな…もどかしい…。」


***


 今日は宅飲みしよう。それは、れいさんからの発案。珍しい。そもそも、あの人、お酒飲めるのか。

 昨日、聞いた時は割と強いとの事。意外だ。意外過ぎる。
 そうだ。この間のお酒にしよう。確か、"bourbon"だったか。スーパーに行った時に見つけた。偶々、手に取ったそれ。
 色的にれいさんらしくて、ついつい手を出してしまった。アルコールの度数は強いが、私は好きだ。
 おつまみは何にしようか。調べたらチョコが合うという。丁度、先週にチョコを大量買いをした。それをいくつか出しておつまみはいいだろう。先週の自分を心で褒めた。

 ざらざらと音を立てて大量のチョコをお皿に出す。ここで、お洒落に飾るだとか盛り付けるというセンスもスキルもない。悲しい事に。胃に入れば全て一緒の精神なので気にかけたことは無いのだ。
 自論だが「口に入れば味は一緒。胃に入れば等しく消化される。」ちゃんと食べられる物なら、が前提だ。
さて、準備は出来た。れいさんに声をかけよう。
 ノックを数回。直ぐにれいさんの顔が映った。

「お疲れ様。」
「おつかれいさん!」
「…なんだそれは。」
「語呂よくない?」

 納得のいかない顔で、まぁ…と頷いた。完全にやめろとは言わないあたり優しさが出ていると思う。

「さて、今日は酒盛りの準備してきたよ!」
「あぁ、俺もだ。」
「れいさんは日本酒なんだ。」

 意外だ。ウィスキーや果実酒の様なお酒かと思った。それか、カルーアミルク。完全に見た目の印象だけれど。酷い風評被害だとは思っている。

「あぁ!やっぱり日本の者が1番だからな!」

 なんと。日本の物が好きなのか。

「君は?」
「私は…えっと…バーボン、かな。」

 中々、度数は強いが好きだ。バーボンウィスキーの中でも比較的に飲みやすいものを選んだせいもあるだろうが。
 ふと、れいさんを見れば固まって居た。何故だ。

「どしたの?」
「あぁ…いや…聞いてもいいか?」
「うん。」
「何でそれを…選んだ…?」

 何で。最初に手に取った理由。それは。

「何となく…でもなんだかれいさんみたいだなって思って!色とかのイメージ的に。」

 ひどく驚いた顔をしている。そんなに驚く事なのか。
 れいさんは、そうかと言ってそれ以上は何も言わなかった。

「…何でもない。飲むか、折角だし。」
「そうだね!」

 つけることはできないがお疲れ様、とグラスを傾けた。
 その後は、バーボンが美味しいだとか好きだとか言う度にれいさんの顔が赤くなった気がする。強いと聞いていたが、そんなでもなかったのだろうか。

「…君にバーボンを褒められるとむず痒いな。」
「なんで?」
「………………それは…ほら、君が俺みたいだと言っただろう?褒められてるみたいなんだ。」

 何だ。そうなのか。そうだったのか。なら、もっと言おう。
 暫く続けたら、れいさんは真っ赤な顔でやめてくれと叫んだ。仕方ないからやめることにしよう。

 しかし、可愛かった。


***


 困った。非常に困った。何が困っているのかというと、明日着ていく服がない。
 正確には、服はある。しかし、明日着ていける服がないのだ。時間もないので、今クローゼットにある服で間に合わせなければならない。どうしたものか。
 そうだ。れいさんに聞いてみよう。あの人の事だ。きっとモテるだろう。女性の扱いも上手そうだ。女の服を選ぶことなんてきっとうまい。勝手なイメージだけど。
 逆に、女性の扱いが下手かもしれない。それはそれで、可愛いと思う。
 そうと決まれば、さっそく聞いてみることにしよう。
 鏡をノックすれば、数秒後にれいさんが現れる。

「どうした?」
「いやー…ちょっと聞きたくて…。」

 きょとりとした顔で首を傾げる。申し訳ないが、あざといと思う。

「聞きたいこと?」
「うん…明日、着ていく服が決まらなくて…。」

 そう言えばれいさんは成程と頷いた。

「どんな服があるんだ?」
「えっと…待ってね。」

 クローゼットの中にある、着ていけそうな服を全て鏡の前に持ってきた。そして、横に並べてれいさんに見せる。
 少し多かったかもしれない。でも、5着くらいだから許してほしい。
 れいさんは、私の服を一通り眺める。ほんの数分。その間、考え込んでいた。真剣に考えてくれる辺り優しい。本当、こういうところが好きだ。

「そうだな…これがいいんじゃないか?」

 指さしたのは、ワンピース。白地に柄が入っているそれ。確かに、いいかもしれない。上にネイビーのコートを羽織れば色合いも完璧だ。
 これにしよう。明日はこれで行こう。

「ありがとう!これにする!」
「え、そんな即決?」
「勿論!だってれいさんが選んでくれたんだよ?間違いはない。」
「信頼してくれてるなぁ…ありがとう。」
「お礼を言うのはこっちだよ!ありがとう!」

 どういたしまして、そういって笑った。
 本当に助かった。結構、服に頓着しない方だっから選ぶのが苦手だ。れいさんに聞いてよかった。直ぐに決まった。しかも組み合わせるのにも楽だ。

「明日は出かけるのか。」
「うん!」
「友達か?」
「そうだね…まあ数少ない男友達なんだけどさ。」

 肩を竦めて言えば、れいさんはぴしりと固まった。何か変なことを言ったのだろうか。もしかして、私に男友達がいるとは思いもしなかったのか。私にだって、異性の友達ぐらいは居る。れいさんだって、女の友達位いるだろうに。
 まぁ、この人の場合は女友達というより狙ってくる女の子が多そうだけど。

「男…なのか…?」
「え?あ、うん…そんなに意外?」

 しどろもどろになりながら肯定する。

「え、あぁ…まぁ…。」

 何だというのだ。本当に。
 その後、ずっと気持ちふてくされている様だった。むすり、と。口数も何時もよりは少ない。
 何がそんなに、れいさんを不貞腐らせているのだろうか。わからない。

 当日、帰ってきてからもれいさんの機嫌はあまり変わっていなかった。
 楽しかったか。何もされなかったか。そんな言葉ばかりだった。そんなに、私の男友達に信用が無いのか。確かに、れいさんからしたら知らない人。信用できないのも分かる。しかし、少しくらい信じてやってほしい。かわいそうだから。
 この日、私はれいさんの事を母親ぽい、ではなく父親かと思った。
 純粋に心配してくれるのは嬉しかったが。
 後日、何だかんだ機嫌が直っていたのでよしとしよう。あの日の不機嫌、ふてくされ具合は何だったのだろうか。聞いてもはぐらかされてしまって理由は分からずじまいだった。


***


 今日も鏡越しに、れいさんと話す。

 初めて、れいさんが仕事の事を話している。れいさんの部下の事。こんな話は初めてだ。少し気を許してくれたことに嬉しくなった。

「今日の朝、朝食を作りすぎてな…食べきれなくて弁当につめて部下に渡したんだ。」
「作りすぎちゃったの?!しかもそれを部下の人に渡したんだ…。」

 朝からそんなに作る時間があるのか。はっきりってすごいと思う。料理をしない私からしたら本当にすごいことだ。そう、別に料理が出来ないわけじゃない。やらないだけ。カレーですら作れないが。いや、別に作れないわけないのだ。焦がしただけ。途中までは上手くできた。多分だけど。
 作ったという朝食を聞いた。そして、驚いた。朝から作れる量ではない。それに、聞けば聞くほど私の感想は旅館か?というものだった。
 そもそも、家庭でフランベなんてできるものなのだろうか。火災報知とかならないのだろうか。上手くやれば問題ないとのこと。その時点で私にはできないと悟った。そもそも私がやったらボヤ騒ぎになる。絶対にやらない。

「見た限りだとれいさんのご飯ってどれも美味しそうなんだよね…部下の人はどうだった?」
「あぁ…美味しいと言ってくれたよ。」
「そうなんだ!やっぱりね…おいしそうだなって何時も思ってる。」

 少しだけその部下の人が羨ましい。私だって、れいさんのご飯を食べてみた。それもかなわない事なのだけど。
 気が付かないうちに口に出していたのだろう。

「そうだなぁ…残念な事に直接、干渉ができないもんな…。」

 悲しい。せめて、それくらいは干渉できたっていいじゃないか。
 そもそもの話。こうやって鏡が繋がって話が出来るだけでもすごい事なのだけど。でも、それはそれとして。
 やっぱり、れいさんの料理は一度でいいから食べてみたい。

「俺だって、一度とは言わず毎日でも君に料理を作ってやりたいよ。」
「え?」
「だって、君…毎日コンビニ弁当じゃないか…体に悪い…。」

 そこか。そこなのか。何度も言うがコンビニ弁当だっていいじゃないか。私だって毎日同じものを選んでいるわけでないのだから。
 肉系、魚系、麺類…意外と毎日ちゃんと選んでいるのだ。

「でも…ほら…ちゃんと毎日バランスよくだね…。」
「それでバランスいいわけないだろ?!前も言ったが、基本的に30品目は解く様に!」

 やっぱりお母さんのようなことを言う。

「お母さんか。」
「誰がお母さんだ。君がちゃんと自炊をして、バランスのいい食事を取るなら俺だって言わない。」

 正論すぎる。
 でも、言わせてほしい。ボヤ騒ぎになるのとどっちがましだと思う。私は、安全牌を選ぶ。つまり、コンビニ弁当が一番いい。さって、使うのは電子レンジだけ。
 食費がかさんでいくのが財布に痛いのだが。

「まぁ、チョコレートだけで済ましていた俺の部下よりはまだマシだがな。」
「え?れいさんの部下の人…ごはんがチョコなの?女子?」
「いいや、男だ。」

 身体が資本なのに、と少し怒っているようだ。

「あんなんじゃいざという時に動けないし身体に悪い。」

 あぁ、不器用ながらも部下の人を心配しているのだな。いざという時が分からないが。
 確かに、腹がすいては戦は出来ぬとことわざにもある。そんなでは、頭も体力も使う探偵業は務まらない。

「優秀ではあるんだがなぁ…。」
「れいさんがそういうならきっと凄い仕事ができる人なんだね…。」
「まぁな…いつも助かっているよ。」

 調査とかなのか。
 その部下の人は知らない。きっと、一生知ることも会うこともないだろう。でもれいさんがこんなにも言っているのだ。きっとすごい人なんだ。
 なんだかんだ言って、れいさんもその人の事を信頼しているのだろう。
 こんなに思ってくれる上司の下で働けるのは幸せなことだと思う。私だって、上司がれいさんだったら良かったのに。
 仕事中のれいさんの事は知らないが。でもきっと、厳しいと思う。それでも、信頼をしてくれる。

 今の上司と来たら。思い出しただけでも嫌悪する。

「そっかぁ…いいなぁ…私も上司がれいさんだったらよかったのに!」
「え?」
「だって、絶対れいさん…厳しいけど信頼してくれそうじゃん!それに、ちゃんと部下を見てくれる…そういう人って中々いないんだよ…?」
「そうか…?」
「そうだよ!」

 れいさんがいいと地団太を踏みそうになる。子供の様に。れいさんの迷惑になるからやらないが。
 でも、駄々をこねる様に何でれいさんが上司じゃないのとテーブルを叩いた。

「でも俺は君が部下なのは嫌だな。」

 心にダメージを受けた。私が部下なのは嫌だ。何故。どこが駄目だというのだ。コンビニ弁当だからか。食生活がよろしくないからか。
 駄目だ。ダメージが大きすぎる。

「な、なんで…?」
「あー…俺の部下になるって事は…君が危険な事をしなければならなくなるという事だ…。」

 危険な事?一体どんな仕事なのだ。
 一応、この人の職業は探偵だったはずだが。探偵とはそんなに危険な仕事だったのか。

「危険…?」
「あー…っと、ほら…調査の段階で事件に巻き込まれることもあるしな。」

 探偵の仕事ってそういうものなのか。それならば、れいさんだってあぶないのではないか。事件に巻き込まれるだなんて。

「れ、いさん…そんな…え…大丈夫なの…?」
「大丈夫だ。ボクシングもやってたしな。」
「ボクシング?!」

 この顔でボクシング?失礼なのはわかる。でも、れいさんがボクシングをやっていたなんて思いもよらなかった。
もしかして、筋トレをしているのはボクシングをやっていたからなのか。その身体を維持するために。なるほど。納得はした。
 しかし、頭脳明晰、容姿端麗、スポーツ万能。神はこの男に何物を与えたのだろう。この世は不公平だ。

「何かと物騒だしな。」
「まぁ…そうだろうけど…でも、すごいよね…れいさんて何でもできそう。」
「そうか?ままならない事の方が多いぞ。」
「嘘だ〜。」

 本当だって、と笑うれいさん。どことなく寂しそうだ。
 れいさんにもままならない事ってあるのだな。そうだな。この人だって同じ人間だ。

 また1つ、れいさんを知れた。それだけで私は、嬉しくなる。
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