第六話
同僚から話を聞いて、その内容をれいさんに話してから数日が経った。あれから、独自で調べて分かった事がある。
以前、似たような状況になった友人の話をしていた人以外でもう一人、見つけた。
新しく分かった事は少ない。殆どは、似たような状になった人の友人が載せていたものと同等のものばかり。その中で、大きな収穫があった。
どちらかを選ぶ方法。そして、消えるとはどういう事なのか。
一番知りたかった事だ。
まず、選ぶ方法について。どちらか消える方の名前を書いて、鏡を壊す。ただし、鏡の後ろに書かれている数字が0になる日ぴったりに。ただそれだけだった。
始めの頃に、れいさんが殴って割れなかった筈だが名前を書くだけで割れなかったのはそういう事だ。
次に、消えるとはどういう事なのかについて。
それは、言葉の意味そのものだった。私が見た内容では、それを書いた人が残った様だ。相手が消えていく様を、目の前で見ていたらしい。
書かれていた内容では、とても懇意にしていたみたいだ。まるで、私とれいさんの様な関係の様に思えた。
そんな相手が消える様を、その人は一体どんな気持ちで見ていたのだろう。
その消える、というのは不思議な現象だったみたいだ。
相手が名前を書いて鏡を壊した瞬間に映っていた相手の世界が壊れたらしい。何を書いているのかは分からなかったが、雰囲気は掴めた。
私もよく分からないまま、れいさんにその事を全て話したのだ。
「…そうか。」
「ごめん…私もよく…分からなくて…。」
「いや、仕方ないさ…こんな事、誰でも理解するのは難しいだろうからな。」
私を励ます様に、れいさんは言う。これだけ知れたなら充分だ、と。
一方、れいさんの方では何も分からなかったらしい。そもそもの話で、そういった事例は今までにないとの事。それはそうだと思う。こんな事、よくあってはたまらない。
お互いに沈黙した。
「あ、のさ…。」
暗い気持ちになるのは仕方ない事だ。しかし、私には耐える事は難しかった様だ。
この沈黙を破るために口を開く。
「何だ?」
「えっと…その…これ以上は考えても何も進展しないだろうし…取り敢えずご飯食べない?」
一瞬きょとりとしたれいさんは直ぐに吹き出した。さっきまでのぴりぴりした表情ではない。良かった、何時ものれいさんだ。
「そうだな、そうしようか。」
ひとしきり笑った後、いつも通り一緒にご飯を共にする。相変わらず私のコンビニ弁当への当たりは強い。
まぁ、面倒臭くて昨日と同じものにした私の自業自得なのだが。
***
あれから、鏡の裏側を確認するとやっぱり数字は減っていた。前は何だったか。確か、“−50”だった様な気がする。それなのに今表示されているのは、もっと少ない“−30”だった。つまり、あれから20日間が経ったという事で時間の流れが早い。
れいさんと出会ってから余計にそう思う。毎日がれいさんと話ができるというだけで楽しかった。
それももうあとわずがしかない事実に、心が痛くなった。どれを選んでも絶望しかない。私にとっての絶望か、れいさんにとっての絶望か。いや、別に私が消えたとしてもれいさんが絶望するとは限らないのだけど。
れいさんはどう思っているのだろう。
なんとなく怖くて聞けに自分がいる。
「今日はコンビニ弁当じゃないの。」
「まさか、作ったのか?」
「いいえ、お弁当屋さんのお弁当です。」
「…。」
そんな事だろうと思ったよ、とジト目で見てくるれいさん。そろそろ本気で私が作らない事を理解して欲しい。
比べて今日も、れいさんのご飯は美味しそうなんだけれど。いいや、私のお弁当だって美味しそうだ。
ぶっちゃけ、手作りのご飯の方が美味しそうだと思うのは仕方ないと思う。そうだ、そうだよ。私は勝手に一人で納得をする。そうでないと元々折れかけていた心がぽっきりと折れてしまう。
「でも、あいかわらずれいさんのご飯は美味しそうだよね。」
「そうか?まぁ、美味しいと思うけど。」
「え、自分で言う?」
「事実だしな。」
自信ありげに言うれいさん。本当に美味しいのだと思う。この間言っていた、部下の人が羨ましい。
「そういえばさ。」
「うん?」
「やっぱり…鏡の数字が減ってた。」
穏やかだったれいさんの表情が変わる。真剣な表情だ。
「…そうか、俺の方も減っていたよ…。」
れいさんの方も減っていたのか。では、やはりあの事は本当だったのか。
「…あの話が本当だったとして…私はね、れいさんに生きていて欲しい。」
「それは俺だってそうだ…。」
れいさんもそう思っていてくれた事が嬉しかった。それが例えお世辞だったとしても。
「まだ時間はある…どうするべきが最善なのかを考えよう。」
「そう…だね…。」
まだ時間はある。でもそれも無限ではなく有限だ。その時が来れば決めなくてはならない。
”相手が消えるか、自分が消えるか“
”選ばなくてはならない“
その言葉がずっと私の頭の中でぐるぐると巡っていた。
***
仕事に身が入らない。社会人として、社会の歯車としてあってはならない事。でも、私かれいさんかが消えるか選ばなくてはならないなんて事を考えなければならないのだから仕方がないと思う。
ずっと心は沈んだままだ。
心配した同僚が声をかけてくる。午前零時の合わせ鏡の話をしてきた女の子だ。
「元気ないけど大丈夫?」
「あ、うん…大丈夫。」
「…嘘だね。」
真剣な顔で問いかける彼女。そんなにひどい顔をしていたのか。
「何か悩み事があるなら聞くよ。」
優しい彼女の言葉に私は縋るように話した。
本当は、午前零時の合わせ鏡の事象と同じ事が起きている事。
その相手が消えてしまう事が耐えられない事。
「私…れいさんが消えるのは嫌だ…でもかといって私が消えるっていうのは怖い…もうどうしたらいいかわかんない…。」
だって、れいさんと出会ってから毎日が楽しかった。大切な時間だったのに。それが消えてしまう事実が耐えられない。だって、れいさんが大好きだから。
「そっか…そうだったんだ…気がつかなくてごめんね…。」
何で彼女が謝るのだろう。これは私とれいさんの問題だ。それに彼女があの話をしてくれなかったらどちらも知らずに消えていたのだ。感謝しこそすれ責める理由はない。
「でも、一人でこんな悩みを抱えてるなんて辛かったよね…仲良いと思ってたのになぁ…こういう時に気がつけないなんてまだまだだ。」
なんていい子なんだろう。彼女にそう言われて年甲斐なく涙が出てきた。
あやすように彼女は頭を撫でてくれる。それがまた涙を誘って止まらない。
「私も調べてみるから、一緒に頑張ろう?」
ぐちゃぐちゃの顔で、しゃくり混じりの声で「うん、ありがとう。」としか言えない私に優しく笑った彼女。
落ち着いた頃に彼女は爆弾発言をした。
「好きなんだね、そのれいさんって人のこと…恋愛対象として。」
「え?」
「だって、そんなにも想っているんでしょ?」
確かにそうだけども。好きなんだけども。それは、同居人としてであり兄のような存在としてだ。
「違うの?ううん、違わないよね?それに、最近はずっと楽しそうだった…それこそ恋してるみたいだったよ。」
言われて思考が止まった。
今何と言った?私がれいさんに恋している?そんなバカなことあるわけない。
「ないないない!」
「本当に?心当たりはないの?」
思い返してみて、確かにれいさんに恋人がいないという事実にホッとした。れいさんに恋人がいるかもしれないと思った時は心がちくりと痛んだ。
まさか、本当に?
「その顔は思い当たる節あるんじゃん。」
「いや、でも…まさか…え…?」
知り合って間もないのに、知り合い方も特殊だというのにと言えば彼女はそんなの関係ないと笑う。好きになったんだから仕方ない、だそうだ。
そうか、私はれいさんが好きだったのか。
「…応援はするよ。それで、どっちも幸せになれる方法を私も探すから…諦めたらダメだよ。」
そう言った彼女はとても心強かった。
家に帰って今日もまたれいさんと話す。しかし、自覚してしまった。私がれいさんを恋愛対象として好きな事を。
はっきり言って、今まで見れていたれいさんの顔が見れない。生娘かという位に顔が赤くなる。
「…今日は何だか様子がおかしいな…体調でも悪いのか?」
「ぅえ?!そ、そんなことないよ!?いつも通りだよ!!」
「それにしては顔が赤いが…。」
「今日はあっついからね!」
本当に熱い。主に顔がとても熱い。それと一緒に体温も高くなっているのがわかる。
私は本当に中学生か。
「こっちはそうでもないが…そっちは熱いのか…熱中症には気をつけろよ?」
心配そうなれいさんに罪悪感が湧いた。
違うんです。私が熱いのはれいさんに恋している事を自覚したからなんです。そんなことは本人に言えるはずはなかった。
そもそも、恋愛している場合でも状況でもない。しかし、やはりれいさんの顔を直視できなかった。
本当に体調不良だと思っているれいさんから今日は早く寝ろと寝かしつけれらる。そういう優しさが余計に好きになってしまう。逃げるように私は早めに寝た。
***
あの日、れいさんへの気持ちを自覚してからというもの、まともにれいさんの顔が見れなくなった。れいさんには申し訳ないと思う。目を合わせる事ができなくなったのだ。
見つめ合うと素直におしゃべりできない、という言葉の通り。そろそろれいさんに感づかれるかもしれない。それだけは避けたかった。
どうせ結ばれることはない。それに、困らせてしまうだけだ。だから、感づかれてはならない。
今日こそは普通に、今まで通りの私に戻らなければ。
「最近…様子がおかしいが…どうしたんだ?」
「な、何でもないよ!」
「そうか…?」
目線は合わせないし挙動不審だと言われる。ごもっともだと思う。
でも今日は大丈夫だ。きっと、多分、恐らく大丈夫だ。何回もイメージトレーニングをした。
今まで普通に接していたのにイメージトレーニングも何もないかもしれないが。以前の感覚を思い出すという事だ。
「なんていうか…うん…大丈夫…大したことないから…。」
大したことはあるんだがな、と自分で自分にツッコミを入れた。
「…まぁ、君がそう言うなら。」
渋々だが納得してくれたようだ。良かった、本当に良かった。このまま深掘りされたら絶対にボロが出る。そして、うっかり口が滑ってしまいそうだ。それだけは避けなければならない。
「あの、さ…。」
話題をそらすように同僚の話をする。前振りとして、合わせ鏡の話を教えてくれた同僚だと伝えた。
「うちの同僚がね…その…調べてくれたんだ。」
「!それで…。」
「でも…何も…。」
「そうか…。」
残念そうに肩を落とすれいさん。れいさんもあれから色々と調べてくれたらしい。日本の文献から海外の文献まで幅広く。似た様な話は沢山あったとのことだ。
日本だけでも確かに似た都市伝説は多かった。それが海外も、という事はもっと多い。私も、同僚と一緒に調べたりもした。これといって大きな収穫はない。
しいてあげるとすれば。
「そういえばね、凄いファンタジーというかおとぎ話みたいな物は見つけた…けど…。」
「…何だ?」
「えっと…。」
なんとも言えない内容だった。
消えた後の話で、その内容を書いた本人は相手が消えた場合のことを綴っていた。
何でも、相手が消えた後は鏡は普通の鏡に戻っていて数字も消えている。まるで何事もなかったかの様に、だ。しかし、その数ヶ月後に鏡に映っていた相手が目の前に現れて、そのまま二人は一緒に暮らした。
なんともファンタジー要素の強い内容だ。そんな事あるわけないのに。
「そうか…確かにありえない事だな…でも…もしも、そうなったらいいと思うんだ。」
「そう…だね…そうすればどちらも消えなくて、幸せになれるかもね。」
言っていて悲しくなった。そんな奇跡みたいな、都合のいい事なんてあるはずはない。どうせ夢物語。きっと誰かの創作話だ。期待しても裏切られた時の絶望は計り知れない。
でも、少しだけそうなればいいと思った。
結局は何もわからないまま、時間だけが残酷に過ぎていった。こく一刻と終わりが近づいてる。
もう、後何日だろう。
***
どちらかの世界が消える。
その事実を知ってから、ずっと考えていた。私の生きてきた世界を消すか。それとも、れいさんの生きてきた世界を消すか。悩んだ。
もう、考える時間は残りわずか。後3時間。短い。不思議なことに、業務が落ち着いている時の仕事中は長く感じるのに。こんな時ばかり、短く感じてしまう。
こんなに、悩んでいるのにも関わらず心は落ち着いている。焦ってもいる。それなのに、だ。心は穏やかでいる。
「あと、3時間…か。」
時計を見てれいさんはつぶやいた。私は、そうだねと返す。
「…俺は、君には生きていてほしい。」
「それは、私もだよ。私だってれいさんに生きていてほしい。」
れいさんが消えてしまうなんて耐えられない。こんなに素敵な人なのに。消えてしまうのは勿体ない。いいや、違う。勿体ないのではない。私が、生きていてほしいのだと強く思うのだ。
だって、私はれいさんが好きだから。
親愛?友愛?いいや、どちらも違う。私は、この人の事を好きだ。その気持ちはまさしく。愛情。異性として好き。だからこそ、生きていてほしい。
なら、腹は決まった。
「れいさんはさ、まだやり残した事…あるんでしょ?」
「っあぁ」
「なら、私が…。」
消える。そう言おうとした。言えなかった。れいさんが遮ったから。
テーブルを強く叩いた。バン!と大きな音が鳴る。
「やめろ!」
「れいさん…。」
「やめてくれ…頼む…俺はもう…失いたくはない…。」
それはどの意味でだろう。私とは違う意味だということは確か。
「やっぱり、妹の様に思ってくれてるから…だから…。」
そう言ってくれるの?
「…っ違う!俺は、君を妹としてなんか見ていない。」
妹として見てはくれていないのか。せめて、そう思ってくれていたら嬉しかったのに。嫌い、だと思われていたくはない。
誰だって、好きな人には少しでも好意的に見られたいものだろう。
「じゃあ…同居人?友人?」
「…違う…最初は確かにそう、思うていたさ…思っていた。」
「今は?」
「……好きだ。異性として。1人の女性として、君が好きだ。」
今、何と言っただろう。異性として好き?そんな馬鹿なこと、ある訳がない。思い当たる節もない。異性として、好きになれるような要素なんて何処にもない。
混乱する私を置いて、れいさんは続けた。
「最初は…不審者だと思った…だが、話す内に…妹の様に思っていた事もあった…だが、妹…親愛と言うには…違和感があった…でも、1人の女性として好きなんだと、認識したら…驚く程、心が暖かくなったんだ。」
「え、あ…。」
「一度、自覚してしまえば止められなかった。何度も何度も君に言おうと思った。」
だが、と続けた。
「君に伝えて、この関係が壊れてしまうのが怖かったんだ…帰ってくれば、君がいる。君が居て、お帰りと言ってくれる。君には分からないだろうが…俺にとっては心地の良いものだったんだ。」
「それは、私も…私もそうだったよ。帰ればれいさんがいて、お帰りって言ってくれて…私だって嬉しかった。」
そう、だからこそ、私は気がついたらこの人が好きになって居た。
まさか、れいさんも私の事が好きだったとは思わなかったが。そうか、れいさんも、私の事が好きなのか。私の事を、思ってくれて居た。両想いだった。
嬉しい。嬉しいはずなのに悲しい。涙が溢れそうだ。
だってそうだろう。両思いだと分かったのに、どちらかが消えなければいけないのだ。そんなの、悲しい。
でも、だからこそだ。私は、れいさんに消えて欲しくない。
「私を想っていてくれてありがとう。両思い、だったんだね…でも、だからこそ、だよ。私はれいさんに生きていてほしい。」
私は、動揺するれいさんを無視した。俺だって、と言うれいさん。でも、聞かない。聞きたくない。
時間を見ればあと1分。
50秒。40秒。30秒。20秒。10秒。そして、あと1秒。
「れいさんは生きて。だいすき。今までありがとう!」
そう言って私は鏡に私の名前を刻み、鏡を叩き割った。
その瞬間。遠くで何かが割れる音が聞こえた。
バリン。バリン。どんどん近づいてくる音。これがきっと終わりへのカウントダウンなんだ。
「おい!なんで!何で!」
「いいんだよ、これで。」
「良いわけあるか!それに、なんで…!」
なんで、なんてそんなの決まっている。私がれいさんに生きていてほしいから。だから、私は選んだ。れいさんが生きる未来を。だから、ごめんなさい。わがままだというのもわかるけど、どちらかを選びなければどちらも消える。
大好きな貴方に消えて欲しくなんかない。
「貴方に生きていてほしいから。」
「俺だって…君に!」
れいさんの言葉を遮った。上手く笑えているかは分からないけど泣くよりはずっといい。
最後の言葉を貴方へ。
「貴方は生きて。」
その後の記憶はない。
さようなら、だいすきなれいさん。そして私の世界。