第七話


 ふと気がつくと見慣れた様な、でも少し違和感を覚える所に居た。よくあるデパートに置いてある休憩用の椅子に座っている。
 どうしてこんな所にいるのだろう。
 ぼうっとする頭。今まで何をしていたのだったか、と頭をひねった。思い出せそうで思い出せない。
 記憶喪失かと思ったが、自分の名前も住んでいるところも分かる。
 思い出せないのは今まで何をしていたかだけだ。
 それに、なぜ私はこんなに軽装備なのだろうか。ちょっと近所のコンビニへ行く様な格好で、おおよそデパートに来る格好ではない。
 うんうんと唸っているとお姉さん、と声がかけられた。随分と高い声だ。

「うん?」
「さっきからずっと唸ってたけど…大丈夫?それに凄い寒そうな格好だけど…。」

 見れば、眼鏡をかけた小学生くらいの少年だった。どこの子だろう。でも心配して声をかけてくれるくらいだから優しい子なんだろう。
 いい意味でご両親のご尊顔を拝見したくなった。

「えっと…大丈夫、なんだけど…。」
「?」
「ちょっとなんでここにいるのか思い出せなくて…。」
「それって…記憶喪失…。」
「あ、違うんだ…ちゃんと名前はわかるし住んでいるところも分かるよ?でもどうしてここにいるのかが…夢遊病かな…。」

 記憶喪失だなんてこの子位の年の子供にしては難しい言葉が出てきたことに驚いた。最近の子供は違うのか。私の子供の頃なんてそんな記憶喪失だなんてぱっと出てこない。

「そっか…それなら知り合いがいるかもしれないし一緒に探すよ!」
「え!?悪いよ!というか、今更だけどほいほい見知らぬ大人に声かけちゃだめだよ僕!」
「でも、困ってるんでしょ?それにお姉さんは悪い人に見えないから大丈夫だよ。」

 純粋だ。本当に危ない人に連れさらわれないか心配だよ。

「後、僕…じゃなくて江戸川コナンだよ。」

 よろしくね、と笑うコナン君に私も名乗ってよろしく、と応えた。
 思い出した様に、コナン君は言う。

「折角ならおじさんに相談してみない?」

 おじさん、とは誰だろう。この子の親戚なのだろうか。
 

 コナン君に連れられて向かった先に女の子と男性がいた。どうやら、この男性がコナン君の言うおじさん、らしい。

「あ、コナン君!どこ行ってたの?探したのよ。」
「ごめんなさーい!」

 心配そうにコナン君に言う女の子。可愛い子だ。
 その女の子があれ?と私の方を見る。

「あ、蘭姉ちゃん、おじさん!お姉さんが困ってるみたいなんだ!」
 コナン君はさっき私と話した内容をかいつまんで説明していた。驚くほどわかりやすい。頭いいなこの子。
 話終われば、女の子と男性は快く協力すると言ってくれた。この子供も良い子ならこの二人も良い人だ。
 何でも、コナン君はこの人たちの家に居候しているらしい。深い事情があるのだろう。私は深くは聞かなかった。
 そして、この女の子は毛利 蘭、男性は毛利 小五郎というらしい。
 毛利さんと蘭さんは親子だそうだ。

「それで、貴女は今まで何をしていたのかがわからない、と。」
「えぇ…まぁ…。」
「何か事件に巻き込まれて一時的に記憶障害になったかもしれませんね。」

 毛利さんが渋い顔をして言う。しかし、そんな事件に巻き込まれる様なことはしていないはず。多分。
 今まで一度もそういった事に遭遇していないのでありえないきがするが否定もできない。なにせ覚えていないのだから。

「どう…なんですかね…?」

 毛利さんと蘭さん、コナン君に協力してもらってデパートを散策したが何も思い出せなかった。
 もう一度、状況を整理しようと言うことで場所を落ち着いた所に変えようと蘭さんが案を出してくれる。私も訳もわからず疲れただろうと言ってくれた。本当に優しい人だ。
 私の周りには優しい人が多いと思う。仲のいい同僚を思い出した。そして、ざりっとノイズが走って頭の中に声がする。

 “大丈夫か?”

 誰の声だろう。聞き覚えがあった。それに、なんだか胸が締め付けられる様な感覚がする。
 立ち止まってしまった私をみて、コナン君は心配そうに見上げていた。

「お姉さん、大丈夫?」
「うん、ごめん…大丈夫…ちょっと考え事してただけだから!」

 さぁ、行こうと言えばそれならいいけど、とまだどこか心配そうにしているコナン君。
 本当にやさしい子供だ。
 
 蘭さんたちに連れられて歩く。何でも、住んでいるところの下に喫茶店があるらしい。そこなら落ち着いて話せるだろう、と言うことだ。
 だが、まてよ。この道は確か、私の職場へ行く道ではないか。通勤路である。毎日、通っていたのだから間違えるはずはない。
 あれ?と思っていればまたノイズが走る。

 “君の行っている会社は…こちらでは喫茶店だ”

 歩くたびにざりざりと大きくなるノイズ。そして、その度に浮かぶ金髪の男性。

 誰だっけ。

 とても、親しかった様な気もする。思い出せない。もしかして、私が今まで何をしていたのか思い出せない事に関係があるのだろうか。そんな事を思っていれば、目的地に着いた様だ。

「ここです!」

 蘭さんがからんからんと音を鳴らして喫茶店の扉を開く。
 驚いた。まさしくここは私が務めている会社と同じ場所。頭が混乱する。蘭さんは女性の店員さんと軽く話をしている様だ。店員さんと仲良しらしい。まぁ、住んでいるところの下だと聞くし常連なんだろう。
 奥の席に案内されていた。
 その時、またからんと扉の開く音がする。それと一緒に男性の声もした。

「おはようございます。」

 あれ?どこかで聞いた声だ。
 そう思って声のする方へ視線を向ける。その瞬間、ノイズがひどくなった。ざりざりとする記憶たち。
 男性と目が合った瞬間、ひどく驚いた顔を男性がしていた。
 知らない人の筈だ。知らない人のはずなのに知っている。

 なぜ?

 ざりざり、ざりざり。色々な事が頭をよぎった。
 目の前の男性が小さく私の名前を呼んだ。どうして私の名前を知っているのだろう。だが、名前を呼ばれた瞬間に不鮮明だった記憶が、段々と鮮明になっていく。まるで、霧が晴れていくかのように。
 もう一度、名前を呼ばれた。
 そうすればもう、一気に思い出した。

 そうだ、思い出した。この人はれいさんだ。大好きなれいさん。何で忘れていたのだろうか。

「れ、さん」
「っ」

 名前を呼べば、泣きそうな顔のれいさんが私の腕を引いて抱きしめた。いつの間に近くに来ていたのだろう。私を抱きしめるれいさんはなんで、どうしてと呟いていた。私にもわからない。
 思い出した記憶では、確かに私は消えたはずだった。それなのにここにいる。れいさんと同じ世界に、目の前にいる。それだけで今は他のことはどうでもよくなった。

「き、みは…本物、だよな?」
「うん、うん…!本物、だよ。」
「言いたいことは沢山あるが…今は、君が生きているという事実だけで十分だ。」
 
 そう言って、れいさんはきつく私を抱きしめた。それに応えるように私もれいさんの背中に腕を回す。
 鏡ごしではない、本物のれいさんだ。暖かい。訳がわからなかったが嬉しくて、私は泣いた。
 

 ひとしきり泣いた後に離れれば暖かな視線を感じた。視線の先には毛利さん、蘭さん、コナン君、店員さんが居た。
 しまった、そうだ…ここは、喫茶店だった。やってしまったと頭を抱えればれいさんも同じだったらしい。れいさんも頭を抱えていた。
 
「安室さんと知り合いだったんだね。」
「安室さん?」
「あれ?違うの?」

 安室さん…なるほど、それがれいさんの苗字だったか。しかし、なんだかその苗字と名前の組み合わせはそわそわそしてしまう。
 一人納得をしていると、こっとそりれいさんに耳打ちをされる。

「…詳しいことは後で話す。」

 どうやら、事情があるみたいだ。探偵も大変なんだな。

「ううん、知り合いだよ。」
「…そっか。」

 何とも含みのなる笑い方をする。何かおかしい事を言っただろうか。
 分からない私は、首をかしげることしかできなかった。その横で有無を言わせない笑顔で佇んでいるれいさんに更に首を傾げる。何だというのだ。

「そうだ、君…泊まるところがないだろう…まだ時間はあるが…待っていてくれ。」

 うちへ来たらいい、とれいさんは言う。ほぼ同棲と変わらない生活をしていたので特に深く考えずに頷いた。その横で蘭さんと店員さんは顔を赤くしている。何かおかしい事でも言ったか。
 ちなみに店員さんの名前は梓さんというらしい。名前も見た目のとても可愛い。
 

 何のことか分からないが私はれいさんの仕事が終わるまで、ここに居座らせてもらえる事になった。鏡ごしではない動くれいさんに私は顔が緩むのが抑えきれなかった。

 あぁ、れいさんが居る。同じ空間にいる。それだけで何だかんだ嬉しい気持ちになった。
 

***


 れいさんの仕事が終わって、一緒に家に帰る。正確にはれいさんの家なのだが、いかんせん私と同じマンションで同じ部屋だから感覚的には帰る、という感じだ。
 今までは鏡ごしだっということもあって、直のれいさんには慣れない。
 こうやって隣に歩いているのは本当にれいさんなのだろうか。都合のいい夢を見ていたのではないかと錯覚する。
 でも、夢じゃない。現実だ。
 
「れい、さん。」
「なんだ?」
「あのね、もしもれいさんと現実に会うことができたら…一回でいいかられいさんのご飯が食べたかったんだ。」
「奇遇だな…俺も一度でいいから君に俺の作る料理を食べて欲しかった…君、黙っていればコンビニ弁当ばかりだろ。」

 え、それ今言うの?と呆れたがそれでこそれいさんだと何だか笑えてきた。
 いつもの様に、言い返せばれいさんは相変わらずだと笑う。 

「変わらないな…君は、君が消えた一ヶ月前のままだ。」

 一ヶ月?あれから直ぐに私はこちらへ来たはずだが。
 聞けば、あれからもう一ヶ月は経っているのだと言う。その間、何を思っていたのかは分からないし聞けない。
 そういえば最後に告白をしたしされたと記憶している。それは、どうなったのだろうか。

「そう言えば、あの時はいっぱいいっぱいだったけど…両想い、なんだよね?」
「そうだな…まさか両想いだったとは思わなかったがな…でも嬉しかった。」

 れいさんは足を止めて私と向き合う。

「あの時の気持ちは変わっていない…君はどうだ?」
「私も…変わってない…好きだよ。」
「そうか…。」

 れいさんは嬉しそうに微笑んだ。

「なら、君はここに戸籍はない…だから、次の休みに作りに行こう…そして…俺と付き合ってほしい。まだ無理だが…いずれは俺と結婚しよう。」
 
 君が好きだ。
 
 そう真剣な表情でれいさんは言う。
 そんなの、答えは決まっている。

「喜んで!」
 
 そう言えば、れいさんも嬉しそうに笑った。私の手を取るれいさんと見つめ合う。
 どちらとともなく、目をつぶって口を寄せた。
 数秒で離れて二人で笑い合う。
 本当に、れいさんと同じ世界に居るんだと実感した。嬉しくて嬉しくて涙が出てくる。泣き虫だな、なんて言うれいさんも少し泣きそうだ。
 帰ろうか、と手を差し出すれいさんに私の手を重ねる。手を繋いで家に帰る。
 
 恒例だった挨拶。でも今は少し違う。

「ただいま!そしておかえり!」
「あぁ、君もおかえり…そしてただいま。」
 
 
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