かなしみはもっと甘いよ


 俯くわたしの表情を覗き込んで確認したあと、准くんは明るい笑顔でスマホの画面を指さしで見せてくれた。

「『旅行に行こう!』っていわれた」
「『お前はついてくんなよ』って俺は嵐山からいわれてる」
「准くんはそういうことしない」
「実際してんだろうが」

 諏訪さんが乱暴な動作で押し付けるように見せてきたスマホの画面には『二人きりで行きたいので、彼女が頼んでも断ってください』という内容のお願いが、丁寧な言葉遣いで書かれている。

「今回は……わたしの方がちょっと常識ない、からこういうメール送るのも仕方ない、からセーフ」
「アウトだよてめえらどっちも」

 お前らはいい加減俺を挟んでごちゃごちゃすんのをやめろ、と不機嫌な顔をする諏訪さんが、目を細めてわたしのこめかみを人差し指で圧迫してくる。

「で、ちゃんとフってきたのか?」

 わたしは何も答えない。それでも諏訪さんはそのまま会話を続けて、一方的に打ち切った。行くまでどんだけ悩んでも、結局楽しく遊んで帰ってくるのがお前だろ、そんな無礼な言葉をもたせてわたしのことを置いていこうとする。

「でも、友だちでしょ、諏訪さんは」
「恋愛ごとで友だちは頼りにするべきじゃねえってことだよ」

 もう失敗するなよ。なんて狡っからいお説教と、おまけとばかりにコーヒーのクーポンがついたカフェのレシートを受け取る。
 なんてしみったれた男なんだ。もう諏訪さんなんて頼ったりしない。わたしはコーヒーに六百円くらい払える女になったんだから。

「じゃあな」
「……わたしが記憶喪失になったらさ」
「お前にゃ無理だろ」
「もし出来たら?」
「お前はしなくていいんだよ、そんなのは」

 暗闇の中、足先の痺れを確かめながら目をつむる。隣に座って眠る准くんは、夜行バスに乗ってからずっと、おしゃべりなんかすることもなく沈黙している。
 高速道路を走る車のエンジン音は小さくないけれど、前後に座る知らない人の咳込みは大きく聞こえる。そんな車内では、恋人同士が親交を深めるために話し込むなんてことはマナー違反というわけだ。

 カーテンの隙間から漏れるオレンジ色の光が、准くんの頬の上で滑る様子を見つめていると、ゆっくり開いたまぶたに続いて、男の口が静かに動く。無音の質問に、わたしは首を横に振って答える。自分の返事を証明するために、緑色の瞳の前で目を閉じる。
 不思議とわたしの心は凪いでいた。狭い車内に大勢の知らない人たちと押し込められて、落ち着いた気持ちで眠りを選ぶことができた。
 わたしと准くんは、恋人なんかではなく、偶然隣の席に座っただけの他人に見えているのかもしれないということに安心していた。わたしの膝を温めてくれている、准くんの右手の重さを受け入れられた。

 バスから降りて、こちらを振り向く准くんが指差しで荷物と体調を確認する。

「ちゃんと眠った?」
「うん」
「すっごく元気?」
「うん!」

 知らない土地で迎える朝は、わたしが知っている朝よりも数段冷たく、静かで、良いものに感じられた。准くんの声がまっすぐ耳に届くのが嬉しかった。

「チェックインの前に、探検しちゃおうか」
「カバン重くない?」
「重そうにみえる?」

 見えないなあ、とわたしが呟くのを聞くが早いか、准くんはわたしの手を強く掴んで歩き出す。

「君と来れてよかった」
「そのセリフはちょっと早いと思うよ」

 それは旅行の最後に言うやつだよ、というわたしのツッコミに、准くんはからっとした笑顔を見せた。

「じゃあその役割は君に任せることにしよう」
「楽しかったらいうね」
「うん、そうしてくれ」

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