Follow your heart

次の日、目を覚ますと体が重かった。枕元のスマホは、時刻が正午前であることを知らせている。少し寝すぎてしまったなと、寝癖がつき放題の髪に指を通しながら、ローテーブルの上に置きっぱなしになっているビールの空き缶に、昨夜のことを思い出す。次いでソファに投げ出されたジャケットが目に入ると、思わず1人で「あちゃあ」と呟いてしまった。

顔を洗って歯を磨き、気持ちを入れ替えたところで、空き缶を潰してゴミ袋へ投入し、しわのついてしまったジャケットを丁寧に伸ばす。特に予定のない休日だったが、しばらくできていなかった競合店のリサーチがてら、1人で街へ出ようと決めた。しわがなくなったジャケットをクローゼットにしまい、今日着る服を摘み上げた。

部屋着のまま、珈琲を煎れる。ミルで豆を挽くほどこだわってはないが、リラックスしたいときにはいつも、なんとなく決まって珈琲を飲む。朝食は基本的に取らないので、煎れた珈琲をマグカップへ注ぐとベランダに出て、また煙草を吸う。どちらも、すごく旨い。
空は高く青く、初夏を思わせる草木の香りが鼻を掠める。どこまでも眩しい快晴が、昨夜の嫌な記憶を遠くへ連れていってくれるようだった。

もう一度歯を磨いて、ロングスリーブのポロシャツを着た。エクルベージュに、ピッチの細い駱駝色のボーダー。パンツはカーキのドカンパンツ。シルエットにボリュームが出るので、靴はブラウンレザーのコインローファーを合わせ、ボブくらいまで伸びている髪を、色が浮かないように同系色の細いヘアゴムできゅっと結わく。きっと日差しが強いだろうから、キャップを被ろうか迷ったが、くどくなりそうだったのでやめ、かわりにサングラスをかけた。
基本的に鞄は持たない。鍵、スマホ、財布、ハンカチ、それだけパンツのポケットにつっこんで、部屋を出た。


競合店のリサーチと称したウィンドウショッピングは、ひとつの趣味のようなものだった。定期的に特定の店を循環して、次買うものの目星をつけたり、店内のレイアウトをインプットして盗ませてもらったり。これはアパレルあるあるだと思うのだが、入店した時点で同業者と認識されることが多く、そこまでしつこい声かけがないため、ゆっくり回遊できるのだ。

いつも通りのルートを回り終えた。これだけ天気がいいと、このまま帰るのはなんだか勿体ない気がする。ふと、最近よく店に来てくれる顧客のあの子が働く店が、すぐ近くにあることを思い出した。レディースブランドのレイアウトや売れ筋商品を知っておくことは、仕事においてはさらなる強みになる。彼女がいるかもわからないけれど、行って損はないだろう。コンビニで買ったアイスコーヒーを啜り上げながら、突然の思いつきで、俺は彼女の働く店へと歩を進めた。


「我妻さん…!?」
「名前ちゃん、やほー。たまたま近くにいたから、来ちゃった」

俺が店に足を踏み入れると彼女は想定以上に狼狽していたが、困っているというよりは喜んでいる音が聞こえたので、胸を撫で下ろす。
何事かとざわつく他のスタッフに、サングラスをポロシャツのポケットに引っ掛けながら軽く会釈すると、彼女たちの目が一斉にぱっと煌き、思わず苦笑する。自慢じゃないが、何度経験しても慣れない、この瞬間。

「今日おやすみなんですね」
「うん。このへんの店うろついてたの。レディースも見とこっかなあと思ってね」

そうしてしばらく店内で、最近のトレンドや売れ筋、個人的にほしいものの話に花を咲かせる。彼女は俺より一つ年下だが、店内での様子を見ていると任されている仕事は大差ないようだった。
商品を眺めながら、視界の端にレイアウトを組み替える姿を入れて観察してみた。彼女の手によって綺麗なグラデーションで陳列された洋服たちは、色鮮やかでアイキャッチになる。思わず手に取りたくなるだろうな、と感心しながら。やっぱり、来てみて正解だった。

「ねえねえ名前ちゃん、休憩ってもう終わったの?」
「あ、まだです、ちょうどこれからですかね」
「じゃあ俺、ご一緒してもいいでしょうか」
「えっ!?」

素っ頓狂な声が店内に響き渡り俺も驚いてしまっていると、笑いを堪えながら先輩らしきスタッフが近づいてきて「いいよ、苗字さん、行っておいで」と言ってくれた。


俺はなんとなく、仕事の話でもできればと思って誘ってみたのだけれど。彼女のほうはもしかしたら、また別の思惑があるのかもしれないと、空気と音で感じ取った。

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