ぜろいの | ナノ


◆君を知らない  




 言葉遊がいなくなった。栂ノ尾刀牙が知らないうちに、彼の幼馴染のひとりが消えた。死んだのではない。消えたのだ。昨夜まで馬鹿な話をしながら寮の共用キッチンで夜食を作り、自分が眠れないくせに誰かを寝かしつける阿呆を部屋まで送り届け、そして眠ったにもかかわらずいなくなった。いなくなった理由はわからなかった。帰る実家も存在していなかったはずだった。それなのに、栂ノ尾刀牙の目の前から言葉遊はいなくなった。
 登校してこなかった彼を不審に思い、部屋に訪れたのが事の発端だった。いつも通りの古い本と埃臭い部屋。掃除をしていないのは毎回困るな、と思いながら眠っているはずの彼の布団まで歩いて行き、布団をひっぺがして、刀牙は形の良い眉をひそめた。言葉遊が、そこにはいない。携帯電話はあり、財布も置きっぱなしだ。それどころか鞄が普通においてある。布団は全く乱れておらず、室内もいつも通り。襲われた形跡はまるでない。どこかおかしい、何かが変だと思ってしまった。何も言わずにいなくなるはずはないのだ。
 しかしどこかで納得したのは。
 言葉遊が、霞のように消えてしまったという事実に対してだった。捉えどころのない彼は時折、ふ、といなくなってしまう気がしたのだ。だからこうしていなくなってしまったとしても、それはそれである意味仕方がないのかもしれないと、その時だけはそう思った。
 異変に気付いたのは次の日からだ。
「言葉先輩? 誰ですか、それ」
 風を巻き上げる少女が言った。
「言葉? そんなやつ学校にいねえだろ」
 部屋でラットを撫でる少年が言った。
「言葉、くん? ごめんね、聞いたことがないな。新入生?」
 不可思議な生物を生み出しながら教員は言った。
 言葉遊という存在自体が、この学園に存在していなかったことになっていたのだ。この前まではあんなに楽しそうに話していたにも関わらず。彼がいたときは、友人や良い後輩、教員であったはずの人々が揃って「言葉遊」の存在を否定した。どういうことだ、と栂ノ尾刀牙は思案する。そんなことがあるわけがない。
 彼の中には幼い頃からの言葉との思い出が残っていた。それは例えば恥ずかしいような話でもあるし、本当に柔らかい思い出であることも詰まっていた。混乱する脳の中でなぞるのは、言葉がゆっくりと微笑んでいた光景だった。
 何かにつけて、捉えどころのない男だった。
 それでも、そこに「いなかった」わけではない。
 主不在の言葉の自室にて、刀牙はどっかりとベッドに腰掛ける。そこには暖かさも残っていない。冬特有のひやりとした、心臓の止まるような冷たさだけがあった。この部屋は、なぜかここにあるよくわからない用途の部屋とされていたけれども、それでも刀牙にとってこの部屋は言葉の部屋だ。主人がいないだけでがらんどうになったような気すらした。
「言葉」
 名前を呼んでみる。ひょっこり現れそうだと思ったのに、それでも現れなかったのは、どこか狂おしいほどにどうしようもない気分になった。鋭化させた手で本の山を切り崩す。この胸の中の何かを吐き出さないと仕方がなかったのだ。異能者の攻撃なのかもしれない。しかし、異能の痕跡はどこにもなかったらしい。
 ではこれは。
 一体、なんなのだと。
 ぐ、と唇を噛み締めれば、いつのまにか鋭化されていた歯が唇の皮膚をぶつりと噛み切った。痛いような熱いような、かゆいような感覚。甘い血の味が口の中に広がるせいで、これが悪い夢なんかではないと再認識してしまう。言葉遊はいなくなり、そして誰も彼の存在を覚えていない。
 それが、叫び出したいほどに苦しかった。

   × × ×

◆資料:428ヴィラン襲撃事件
 4月28日、ヴィランの集団と思わしきものが学園を襲撃。
 現場にいた3年生により殲滅は完了。一応の解決はみたが、被害はかなりのものであった。教室は半壊しており、別校舎もしくは寮での授業が検討されている。もしくは物質創造・修復系の異能での修復となるが、そうだとしても破壊の規模からかなりの時間がかかるだろうと思われる。
 異能を意図的に暴走させられた生徒が1名、死者が1名。
 暴走させられた生徒は栂ノ尾刀牙、死者は言葉遊。どちらも3年A組所属である。
 栂ノ尾に関しては、「言葉遊の殺害」を(意図しないものではあるものの)暴走が終わった直後に認識。異能が再び暴走しそうになったところを教員によって取り押さえられた。以降、精神干渉系異能者により強制的な睡眠をとらせている。これに対しての対策は別紙を参照のこと。精神干渉系異能者によって取り押さえられているため、現在3年A組の戦力が一時的にかなり下がっていることに注意すること。

   × × ×

◆資料:精神干渉系異能者について
 精神干渉系異能者の中には、幻覚・幻像を見せるもの、悪夢を見せるものなどがいる。
 しかし、それは対象の精神に干渉して見せているものであり、幻覚であろうとも悪夢であろうとも術中にある人間にとってそれが現実と化してしまう危険性がある。これは一般的な催眠術と違い、「異能者」としての特性であると言えるだろう。
 術中にある人間が「それが現実である」と認識した場合、「そうであるもの」と精神の構造が書き換わってしまう危険性がある。
 それに注意して使用するように指導することが求められる。

   × × ×

「なぁ、言葉の。ことだけどさ。お前、大丈夫だったのか、よ」
 少し心配そうにトカゲは彼に問いかけた。
 いつも通りぶっきらぼうに。いつものように面倒そうに。剣呑な瞳を細めると、栂ノ尾刀牙は口にする。
「誰だよ、そいつ」
 刀牙は、誰からもらったのかわからないネックレスを指先で玩びながら、はっきりとそういった。
 



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