夜の散歩が好きだったのは、その最中だけは俺とセンセが二人っきりになれるからだったのかもしれない。二人っきりというのは語弊があるのかもしれないが、ふたりきりという言葉は魅力的だ。センセ、という風に呼ぶときに、丁度声をかけたのであれば、夜の中で声が震えてしまうようなそんな感覚のある張り詰めた夜の空気の中、ゆっくりとふたりで歩いていく。
「今日は、あんまり起きてる子はいないね」
「そうだね〜」
そうぼんやりと答えながらぽにょを抱き上げて――確かにふたりきりではないのはこの可愛い物体がいるからでもある――そう思いながらもそれをぎゅっと抱きしめた。
センセと夜の散歩をするのは、結構好きだった。昔、眠れない、という話をしたときからこうしてずっと続いている。眠れない夜は欠かさず一緒に散歩をしている。
俺よりも少しだけ背の低い先生のことが、子供みたいに好きだった。
「今日はみんな寝てていい子だね」
「寝てないのは悪い子?」
「言葉くんは仕方ないかなぁ」
くす、くすくす、と小さな笑い声。
手に小さなランタンを持ったぽにょが遠くからぶんぶんと手を振る。そのぽにょが離れていくに連れて、廊下がゆっくりと暗くなっていくのだ。そのくらい廊下は、少しだけ寂しい。
だから、少しくらいいいじゃないか、と思ってゆっくりと指を掴んだ。その細くて柔らかい指をそっとだけ、つまむみたいにして掴んだのは夜の廊下が寂しいからだった。
「言葉くん?」
「……くらいの、得意じゃないから」
言い訳だ。別に暗いのは苦手じゃない。この学園に来るまでは、かなりの間暗い中にいたのだ。だからこそ、別に苦手でもなんでもない。
手をつなぐ言い訳なだけだった。
かなり暖かい手をもう一度、絡めるようにぎゅっと握って。きょとんと俺を見上げるセンセが柔らかく微笑むのに胸がぎゅっと締め付けられる気分になった。恋をすることの苦しさは、どんな本を読んでもわからないものだ。
「センセ」
「ん?」
「今日は、誰もいないね」
「そうだね」
小声で、短い会話を繰り返す。
月の光だけが柔らかく廊下を照らしている。今日の寮は、いやに静かだ。とろりとした甘い月の光。春になると、眠れない子は時々いる。入学したての小さな子たちが、眠れないことがあるのだ。そうしてゆっくりと見回りをして、ゆっくりと眠れるようになればいいのにと思った。
それが少なくなってきたからだろうか。もう夜の見回りは、散歩、というようなものになってきているような気がする。それが不満なわけではなく、ただうれしいのだ。
毎日見回りの終わりは、俺の部屋の前だった。
足元にいたぽにょを拾い上げて、そしてぎゅっと抱きしめる。
「センセ」
「ん?」
「今日、こいつのことセンセだと思って抱っこして寝るね」
そういって笑って、手を離した。少し名残惜しい。
照れたように笑ったセンセの手がゆっくりと俺の頭に伸びてきて、なだめるようにぽん、ぽんと撫でる。柔らかい手の感覚。この手が好きだと思った。俺の手を夜に引いてくれた人の手。
「……おやすみ、遊くん」
「おやすみ、センセ」
部屋の中に消えてから、少し赤くなった顔をゆっくりとぽにょに埋める。今夜だけは眠れる気がした。
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