真意と思い出の匂い 売るつもりがない。そう言った彼は、私をどうしたいのだろう。 お世辞にも大人の女に見えない自身の容姿。ひいてはこのボサボサ頭やヒョロヒョロの体。…あれくらいの賞金首ならば選り取り見取りの立場だと思う。 ありえなさすぎる想像にもはや笑いが込み上げてきそうな感覚を覚え、頭を横にふる。それなら何故だと次に思考を巡らせた。 お人好し?いやいや、海賊だ。ありえない。 雑務?もっと生きのいい男達がごまんと居るはず。 私のこと、知っている…? ゾワッと寒気がして体を慌てて起こす。逃げなければと警告が頭の中で何度もベルを鳴らすように響く。 ダメだ、こんなものを知られてはまずい…どうして?海軍だって知らないはずなのに…! 恐怖からガチガチと体が震える。遠い記憶がフラッシュバックで蘇る。 このせいで、私はどんな目に遭った?あの島はどうなった? …だ、いやだ…いやだ、やだやだやだ!!! 慌てて覚束ない足取りで立ち上がるが、体は衰弱していた所から回復し始めたという初期段階。無論立ち上がることも容易ではないし、ましてや支えなしで歩くことすらままならない。 ガチガチと震えから歯が鳴り、出口へと向かう。鍵が閉まっている事すらもう頭にはなかった。 涙で視界がぼやけ、距離の取れないままドアノブに手をかけようとした次の瞬間、扉は無情にも開け放たれていた。 扉の支えがなくなり、グラリと傾く体を容易く支えた人物に私は驚きで言葉を息ごと詰まらせた。 「っと、脱走か?元気なやつ…おい、どうした!?」 ヒューヒュー、と過呼吸を起こす私の顔は真っ青で体は非常に冷たくなっていた。 ローは尋常じゃない事態を察しセラを慌てて抱きかかえベッドに降ろす。それでもなお対抗心から腕を押しのけ逃げようとする。 「っ、おい、見ろ。俺の目を見ろ!」 『はっ、はっはっ…!』 浅い呼吸を繰り返し苦しさから目に涙が浮かんだせいで歪む視界の中彼の瞳を見つめ返した。 「何もしねェ、痛い事も苦しい事もねェ。落ち着け、なるべく深く呼吸しろ」 いつの間にか小さな紙袋が口元に当てられ、ガサガサという音と共に呼吸が徐々に回数を減らし長くなっていく。 「もっと深く、呼吸だけに集中しろ」 ガサ、ガサ、と紙袋と呼吸音だけが部屋の中で響いていた。 呼吸が完全に落ち着いたと判断したローはセラの涙を丁重に拭う。もう、セラの頭の中は訳がわからなかった。 どうしてこんなにも優しい手つきなのか、どうしてここまでしてくれるのか…理解できなかった。 「落ち着いたか。ったく…何もしねぇよ」 『……っ…ど う し て』 「あ?あぁ、そうだな…何となくだ」 肩から力が抜けるとは、この事だと頭の隅で思ってしまった。 『…っ……』 「何があったか知らないが、寝とけ。変に考えんな」 今にも壊れそうなセラの頭を撫でようとして、ローはふと手を止める。今触れればそれこそ本当に壊れそうな気がした。 らしくない思考に苦笑うローの心情を知る由も無いセラは疲労から早々に意識を手放し夢に落ちていった。 −−−−−−−− 一晩中眠り、翌朝目を覚ました昨日よりもちょっとだけ顔色がいい気がした。 今日はパン粥っていって、パンをミルクでコトコト煮たやつらしい。コックが蜂蜜のいい匂いを漂わせるそのお皿をオレに渡してきた。 パンが嫌いなキャプテンでも、これなら食べられるかな?だなんて考えて、これはセラ用だと思い出す。セラ、喜んでくれるかなぁ? 「セラ、おはよう!」 『…お は よ う』 「!!!」 声は出ていないけど、確かにセラはオレの挨拶に口で返してくれた!! 嬉しくて嬉しくて、でもパン粥持ってるしセラを驚かせちゃいけないから飛び跳ねたり抱きしめようとするのを必死に我慢した。 「今、今ね!セラがおはようって言ってくれたのわかったよ!嬉しいなぁ!」 心の素直なままにそう述べたベポに、セラは徐々に心の棘が取れていくような気がした。 「今日はね、ジャジャーン!パン粥って言うんだよ、セラは知ってる?」 湯気が立つパン粥を見せると、セラは何だか少し悲しそうに目を細めていた。も、もしかしてキャプテンみたいにセラもパンが嫌いなのかな…どうしよう!今からでも変えてこなきゃ! −蜂蜜の、いい匂い− サラサラと鉛筆で書かれたそれにオレは顔を上げてセラを見た。 とっても優しそうな目元。まだまだシャチやペンギン、クルーの皆みたいにニカッ!て笑いじゃ無いけど、それでも昨日よりももっと笑ってくれたセラに、冬島が近づいて雪が甲板に積もってるのを見つけた日の朝とか、好物の肉が夕飯で出て来た時よりもさらに嬉しい気持ちになった。 「とっても美味しいってコックが言ってたよ!ゆっくり食べてね」 コクリと頷き、セラは再び今度は確かに"いただきます"と口を動かした。 −−−−−−−− 優しい匂いに、昔を思い出した。 そういえば、熱を出した時にこれが食べたいとせがんで、母が不在の中父が不器用に作ってくれた。 ジュク、と胸の奥が疼いた。目の前の彼は必死に私に思いを伝えてくる。その好意を素直に受け止めるには抵抗があった。でも……美味しいって、久々に思えた。 ごちそうさまてましたと言葉を紡ぎ、スプーンをゆっくりと置いた。 彼は再び嬉しそうに食器を私からサイドキャビンの上に移動させ、ノートと鉛筆を渡してきた。キラキラと光らせる瞳が、私と会話したいと訴えてきているのは自意識過剰でも何でも無い。 「セラはどこから来たの?」 早速の質問内容に心臓が嫌になるくらい騒いだ。彼はきっと純粋に聞いて来ただけだと誤魔化し、適当に返した。 −海の向こうから− 「そっかぁ、オレは北の海からだよ!セラ、冬は好き?」 特に気にもとめず次の会話に進む。それに安堵しつつ、冬自体は知識場で知っているが見たことはあっても触れたことがなかった。 −よく、わからない− 「そうなの?冬はね、寒くてそれでいてとっても楽しいんだよ!セラも元気になったら一緒に行けで遊ぼう!」 −雪って、あの白いモノ?− 「雪も知らないのかぁ、そう!フワフワして冷たくて、雪合戦とか雪だるまとか…沢山遊べるよ!」 −見たことは、ある。窓の向こう側で− 「じゃあ、絶対遊ぼう!楽しいよ!あ、でもセラちっちゃいし真っ白だから見失っちゃいそう…んー…あ!マフラーはオレンジ色にしよう!絶対見つけられそう!」 −あなたも真っ白よ− 「オレは大きいからね!それにオレンジのつなぎ着てるしね!」 ふふん!と得意げに胸張りつなぎを見せて来た彼に確かにオレンジは目立つと独りでに心の中で頷いた。 気がつけば、一ページを埋まりそうなほどの会話を彼としていたことに気がついた。とはいえ、ほとんど喋る彼に返事している言葉が9割だ。 「あ、ごめんね!セラ、安静にしなくちゃいけないのに…オレ、セラとお喋りとても楽しくて…ごめんね?」 −いえ、平気− 「ありがとう!それじゃあ、オレは行くね?あ、トイレとか大丈夫?」 −平気− 「わかった!いつでも呼んでね?駆けつけるから!」 ドン、と胸を張る彼に頷くと食器を持って姿を消して、扉の閉まる音が響いた。それを最後に耳が聞こえなくなったのでは無いかと疑いたくなるほどの静寂が部屋を覆い、逃げるように私は眠りについた。 Since:18/12/14 [*prev] [Back] [next#] [しおりを挟む] [感想を送る] |