心を奪うその瞳 | ナノ
言葉に翻弄される



ただ虚ろに点滴の一滴、一滴落ちる様子を見る。あの後再び深い眠りにつき、目を覚ました頃には夕暮れ時だった。

先ほどあのベポとかいうシロクマが来て、トイレに案内されトイレからの脱出も望めぬと理解して脱力していたが、自分の体がかなり衰弱していたことにも酷く落胆した。

一人でまともに歩くことさえできない。何度フラつき白熊に支えられたことか。屈辱、とまではいかなくともいい気はしなかった。


点滴が終わった頃を見計らい、あの男が来た。


「よぉ、よく眠れたか」


……見なければ良かったと思う。あのニヤッと笑った口元が私の中で苛つきに変わるのだ。


「そう睨むな。針抜くから暴れるなよ」

粗雑な言葉とは裏腹の丁寧なこの手つきも、私には混乱や苛つきの材料に他ならない。何をどうしてこんなことになったのか、理解できない。


「名前、教えろ」


意図の読めない言動に怪訝そうに見つめ返せば、男はククッと喉を鳴らし笑う。

セラは先程のシロクマにでも聞いてくれと言わんばかりに、ノートを指差す。また書いたりするのが面倒だ。


「ほら、手のひらに書け」

利き手を掴まれ、男の手のひらに書かせるように指を押し当てられる。セラはさらに怪訝そうに眉を顰め男を見る。

何がしたいのだ、そう言わんばかりのセラと男の無言の見つめ合いというにはあまりにも甘さのカケラもないものが暫く続いた後、観念したようにため息を吐いた。

ため息を吐いたのは、セラの方だった。


人差し指だけを伸ばし、男の大きな手のひらを滑らせ短く書いた。

セラは気がついていないだろう、男が読み取りやすく丁寧に文字を書いているその自身の気遣いに。

男からすると、丁寧に書き綴るその指が優しいものだととうに気がついている。更にはベポから聞いているので男は彼女の名前がなんなのかも知っているのだ。


−セラ−


「セラ、か」


少々白々しい男の呟きにセラは気がつかず頷いた。その目は相変わらず好印象を向けたものではないが。

「トラファルガー・ローだ」


ひゅ、と息が喉の奥に吸い込まれセラは目を見開きそして…盛大にむせた。

唾が気管に入ったらしく、ローから背を向け体を折るように咳を何度も繰り返す。その背中はとても痛々しそうに小さい。


驚きからむせてしまった私は何度も咳を繰り返し、しまいには涙が出てくる程に苦しさを覚えた。けれどそれを労わるように、私の背中に伝わるさすっている手にどうしていいかわからない。

賞金首億越えの海賊が、どうして…?


セラの謎は解けぬまま、咳は収まり何度か荒い呼吸を整え終えると恐る恐る振り向いた。

男、ローは振り向いたセラの瞳に恐怖が宿っていないことに気がつき満足げに口元を上げている。睨む鋭さも少しは丸い。


「噎せるってことは、俺が誰だか理解したみたいだな。お前を捕らえてた船は沈めた。お前を売ろうなんざ思っちゃいねぇよ」

セラの呼吸が止まった。息が止まるとはまさにこのことだろう。目を見開き、理解しがたいといった顔をする。


「生憎そこまで金に困ってない。残念だったな悪趣味な奴らに売ってやれなくて」


高圧的で、それでいて挑発的な言葉。なのにセラは瞳を揺らし唖然とローを見つめるばかり。

布団を握る手に力が入り、とうとうセラの瞳には涙が浮かんだ。

ど う し て

空気だけが抜けるその唇は昨日よりも血色が良く、所々切れていた跡が痛々しく残る事以外は潤いも戻りつつあった。


「知りたきゃ治せ」

その言葉を最後に、ローは器具を片付け部屋を後にしようとする。


セラは反射的、かつ無意識に手を伸ばし男の黒い上着を掴んでいた。

驚きで目を見張るのは、ローだけではない。セラさえも自分の行動に理解しがたいと言った様子で目を見開いている。


「寂しくなったか?」


その言葉にバッ!と手を引っ込め慌てて背中を向けて布団に潜った彼女をローは至極満足そうに笑っていた。

ロー本人さえ気がついていないだろう。その笑みを背を向けたセラが見れるはずもない。


「明日、ベポが朝食を持ってくる。ちゃんと起きて食え。じゃなきゃ無理やり俺がねじ込むからな」

とんでもない脅し文句にセラは背筋が凍り、布団の中でビクッと震わせた。

小動物を思わせるその行動にローは声を押し殺し笑い、そのまま"良い子にしろよ"と子供扱いをして部屋を後にした。



−−−−−−−−


ベポから聞いた名前と、手のひらに指で書かれた感触。

俺の上着を掴んだ時の表情は、もう死を懇願するような絶望に沈む目ではなかった。


俺の名前を聞き、売る意思のない言葉を聞き、治せと言われセラと名乗ったあいつは相当混乱しているだろう。

理解しがたいと目が訴えてきているほどに。

あそこまで言ってもなお、安心した表情にもならず頼ろうとしない様子から闇の深さが垣間見えた。


「声が戻るまで、骨が折れそうだな」

少しの希望と、まだまだという困難。頭をガシガシと掻きつつ上々な滑り出しにローはかすかに口元を持ち上げた。


−−−−−−−−


次の日の朝、コックからスープを受け取ると冷めないうちにと急いで医務室に向かった。

まだ固形物はやめたほうがいいんだって。セラも早く一緒にご飯が食べられるようになればいいなぁ。

コンコン、ガチャと早々に開くとセラは起きていたようで、既にベッドの上に座っていた。


「おはよう、セラ。もう一人で起きれるようになったんだね」

セラはこちらをチラリと見て暫く何も反応をしなかったけど、かすかにコクリと頷いてくれた。


「ゆっくりと飲んでね。まだ硬いのは食べちゃダメなんだって!あ、スープ熱くないから大丈夫だよ」

そっとセラの足を挟み込むようにベッドの上用の机を置くと、そこにスープを置いた。

暫くスープをじっと見つめ、スプーンを取らないセラ。お腹空いていないのかな…?そう考えながらどう食べてもらおうか悩んでいると、そっと細い手がスプーンを手に取った。


−−−−


セラの口が動いたけれど、オレには何を呟いたのかわからない。キャプテンならわかるのかな?

カチャ、とスプーンをお皿の底に当てて掬う。前髪が邪魔らしく、真ん中に分けて耳に器用に片手でかけて口にスープを運んだ。

嬉しくて、飛び跳ねたくなった。けど我慢、セラを驚かしちゃダメ。ウズウズと手を握ったりして落ち着かせる。

一口、飲むとセラは目を細めた。それは苦しそうとかそういう悪い感じじゃないのは見てすぐにわかった。



「熱くない?大丈夫?」

セラはオレを見て、かすかに頷く。そしてゆっくりゆっくり一口ずつスープを飲んでくれた。

飲み終わるのにとっても時間はかかったけど、ゆっくり飲んだほうがセラの胃に負担がかからないからってキャプテンが言ってたし、オレも長くセラといれて嬉しかった。


「よかった!」

−−−−−


またセラが口を動かす。でもオレには分からなくて首をかしげた。するとセラはノートを手に取り、新しいページに何かを書いた。


−いただきます−

−ごちそうさまでした−


いただきます、とはご飯を食べる前に言う言葉で、ごちそうさまでした、はご飯を食べた後の言葉だ。

セラがご飯を食べてくれる気になったことだとわかり、凄く嬉しくなった。

食器を片付けて、先程の事をキャプテンに報告するとキャプテンは"良くやった"と褒めてくれ、とても誇らしく思えた。


キャプテンに褒めてもらえたことも嬉しかったけど、セラがちょっとずつオレの言葉に反応してくれることが何よりも嬉しかった。

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