心を奪うその瞳 | ナノ
陽の光に海は煌めいた



トクン、トクン、と心臓の音が波の音に混じり聞こえる。それはまるで海と同化して脈打つような感覚。

覚醒していく感覚に違和感を覚えた。しかしその違和感を確認する前に視界が開き、様々な視覚情報を私の未覚醒な頭へと叩き込もうとノックをする。


それが頭痛に変わり、眉を顰めながら周りを目だけ動かして確認する。

木の、天井。ギジリとたまに軋む音。微かに聞こえる波の音。紛れもなく、船の中。


どうやら自分は死ねなかったらしい。もしくは死後の世界もこんな船の中なのかな…そうはらばとんだ地獄だ。死んでも尚、私は船に乗っていなきゃいけないのだから。

乾いたため息のもと、少女は一度瞬きをした。それはゆっくりとした動作で、次に彼女は一つ呼吸を漏らす。それは決して安堵なのではなく、絶望に近いため息。


呼吸ができている…握り締めた掌に爪が食い込み痛みが走る、つまりは生きている。生きているのなら、ここはあの船か、または別の船。

死んでも生きても、どちらにせよ私は地の底に落ちるしか、なかったみたい。この絶望から逃げ出せなかったのだ。


下唇を噛み切るくらいの勢いで歯を立てる。当たり前のように、ズキズキ痛む唇に胸の奥までジクジクと痛みが広がった。

ついには鉄の味が広がり、嫌でも生きていることをまざまざと思い知らされたところで、ガチャリと扉の開く音にひどく似たモノに私は目を開いた。


背が高く、今まで見てきた卑劣な海賊達よりも線の細い男性。なのにその眼光は刀の切っ先のように鋭く、私を見ていた。

目が合い、しばらくして男は目を見開く。それに対して私はどうして見開いたのか理解ができずに睨んだままだ。

男の口から舌打ちが聞こえ、条件反射のように背筋が凍る。本能が逃げろと警告をしていて、それに従うように体を動かそうにも、私の体じゃないみたいに重く動き辛い。もはや逃げ場などないと悟る。


ふと、冷静になる。逃げてどうするのだ、と。そして次にはあんなにも死にたいと懇願したのに、醜く生にしがみつこうとしている自身に吐き気を覚えた。

ギリリ、と唇を噛んで…再び血の味が口に広がる。


「口、噛んでんじゃねェ」

その声とともに、布のようなものが私の口元に触れる。荒々しい言葉と相対する柔い布とその動作。しばらく理解のできない頭は固まり、数秒間すぐそばの男の顔を凝視した。

「逃げたがるってことは、死にたくねェってことだろ」


核心を突かれ、自身の醜さをまざまざと見せつけられた。ニヤリと口を上げた男の顔を見て憎らしささえ浮かぶ。

死にたくない、本能には勝てないと。無様で醜く生に縋った私をこの男は嘲笑ったのだ。


「生憎、お前の言う通りになんざしてやらねェ。死にたくても人間、自分の舌噛んで死ねるほどヤワな作りしてないからな、無駄な事はやめとけ」

クツクツと笑う男に少し頭の隅で考えていたことを見透かされた気がして、目くじら立てて睨んだ。それさえも目の前の男は楽しげに笑う。不愉快極まりない。何なんのだろうか、この男。

「飯を食わなくたって、栄養はこれで事足りる。残念だな、餓死も望めねェぞ」


そう言って男が指差すのは透明の液体の入った袋。それは透明の細い管を伸ばし、やがて布団の中に沈んでいっている。


私は、ベッドに寝かされていると言うこと…?


視界に広がる部屋も粗雑さはなく、清潔に包まれている。自身にかかる白い布団も清潔そのもの。

どう言うこと?別に男は海軍ではなさそうな出で立ちだ。とても行商人にも見えない。どう見たって刀を所持していて、人相も良心的とは言えない。十中八九、海賊だと見ておかしくない。

そんな男が、海賊がどうしてこんな薄汚れた女を介抱する必要がある?


な ん な の 、あ な た

ひゅ、と虚しい空気だけが漏れる。思わず口を開いてしまった事に気がついた時には遅かった。


少女の口から鳴らない音に男は顔を顰める。少女は目を見開き、動揺から瞳を揺らし唇を強く噛んで視線を逸らした。

それを男は更に顔を顰めてタオルを少女の口に押し当てる。


「それ、やめろっつてんだろ」

少し苛立ち混じるその声色に少女は怯えを含んだ瞳を男に向ける。男は溜息をつき、自身の目元に手を当てた。


「ったく、あんな状態じゃ声も出なくなる、か…」

バレてしまった。声の出ないことにデメリットなんて幾つでも浮かび上がる。前の海賊は声のないことに気がつかなかった。なのに、こんなにも容易くバレてしまうだなんて…

今後の最悪な状況を想像し、背筋が凍る。

「外傷がないなら、精神面か…ったく、厄介だな」

次へ売られるのも時間の問題だ。売られること自体にはもう抵抗も抱かない。しかし声が出ないことがバレるのは別だ。

声の出ない女など、何処ぞの異常性癖者じゃなければ買い手はない。むしろその異常性癖者に買われた時が最後だ。


どうにかして、楽に死ねたら…


「とりあえず寝ろ。寝て動けるくらいまでしない事には声も戻んねェだろ」

も ど ら な い


「あ?治す気がなくてもその気にさせてやる。シけたツラすんな、クソガキ」

ガキ呼ばわりされたことよりも、治すという言葉に引っかかったが、唇の動きを読み取ったこの男と会話もしたくない。

瞳を閉じると、男は満足そうに笑った。瞳を閉じてても目に浮かぶあの顔に胸のムカつきは増幅するばかり。

カチャカチャと何か音がして、しばらくして男が立ち上がったのか椅子の床を擦る音が聞こえた。


「くくっ…不貞寝とは随分素直だな。残念だがこの扉は外からしか鍵を開けられない構造、逃げ出そうなんて考えるだけ無駄だ」

目を開き、キッと睨む。男は更に満足そうに笑い白衣らしき白い服を脱ぐと肩にかけていた。


「そんなくだらない事に頭使うな、寝ることだけに集中とけ。おっと、点滴も取ったって俺が来る回数が増えるだけだ。嫌ならやめとけ…来て欲しいってんなら好きなだけ取れば良いがな」

全部見透かされて、ムカムカと胸の内が苛立つ。こんなにも手のひらで転がされ、嘲笑う。現実から逃げたくて、もう一度目を瞑ると私は男を視界から消し去った。

扉が閉まり、鍵をかけた男が満足そうに笑ったのを彼女は知る由もない。


−−−−−−−−



目を覚ましたあいつは、やけに反抗的だった。それはある意味良い兆候。

初めは虚ろで、生きることを諦めた色が次第に俺に対する苛立ちへと姿を変えた。


鋭い目が、窓から溢れる太陽の光によって黒ではなく鮮やかなネイビーと気付かされた。それはまるで深海のようで、夜の空のように深い色だ。

その目に、海賊なら誰もが抱く海へ手を伸ばしたくなるような、欲求にも近いゾクリとする感覚を覚えた。


しかし、声が出ない事に思わず苛立ちを覚える。身体中の痣や傷跡。しかもそれは肩や膝より内側、ご丁寧な事に商品としての価値がある見た目に傷を残さぬそのやり口に反吐が出た。

それに加え真新しい額の切り傷と手首の赤黒い手錠か縄のような、締め付けられた痣。それらを見たら自ずと声の出ないコイツの生い立ちは大まかにだが想像できた。

死を懇願するほどの絶望。そんな状況下に体はまず心よりも前に、心を守るため声を捧げたのだろう。


不貞寝した様子を見て、少しでも寝てくれと考える。そこで、ふと思う。何故ここまでこのガキに構い助けようとするのか。

……いや、簡単だろう。医者に死を懇願したことが何よりの屈辱だと。



「……ある意味俺も、ガキか」



「キャプテン、どうかした?」

「…ベポ、あいつを見張っとけ。少しでも目ぇ離すと死のうとするからな」

「へ?……うぇえぇ!?何で何で何で!?」


部下の一匹が大声で慌てふためく。黙れと一蹴りにし、見張れと再度言えば何を思ったのか、偉く使命感に掻き立てられた顔をしていた。


「絶対、死なせたりしない!あんなに綺麗なのに勿体無い!!」

どこか観点のずれた白熊に肩の力が抜けるが、本人がやる気になるのならなんだって良いと頭で考えため息ひとつこぼして廊下を後にした。


そんな決意に満ち溢れ鼻息荒々しく自分の部屋に向かってくる白い塊を、すでに寝息の立てた少女は気がつくことなどないだろう。


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