心を奪うその瞳 | ナノ
穏やかに眠る君を、(Low side)



シャワーから出ると、あいつの姿はどこにも見当たらず無意識のうちに舌打ちをしていた。

あいつには確かに風邪を引くと面倒だと伝えたはずだが、案の定俺の目を盗むように出ていったという結果は火を見るより明らかだろう。


ここにいる義務などないが、あいつの部屋はおそらく冷えている。頭の濡れた状態で戻るとはいい度胸だ。

ベッドへ腰をかけ、髪から滴る水滴が床に落ちた。



コンコン、と小さな音が聞こえる。

それは船員達の鳴らすようなものとは思えない小さいノックに気がつくとそのままの格好で扉を開けた。

扉の外にはトレーを持ち、肩にタオルをかけたままのセラの姿。


キョトンと呆け、視線が俺の顔から少し下へと滑る。ピタ、と止まり数秒後、口をパクパクさせてその後一文字に閉じると視線を思い切りそらす。

部屋から溢れる明かりで見えるその顔は、とてもシャワー上がりだからと思えないような赤さが滲む。


「何赤くなってんだよ、おい」

ふ く を


今のローの格好は下はラフなズボンを身につけているが、上半身は何も身につけておらず、肩にタオルがかかっているだけだった。

セラは視線を泳がせ、決してローを見ないように必死になっていた。それを見たローは喉を鳴らし、セラの様子をからかうように笑う。

そんな彼の様子に気がつき、セラは目を瞑り小さくため息を漏らした。


「ほら、冷えるぞ。何勝手に部屋から出てんだ。頭濡れてるじゃねェか」

セラの手から自然な仕草でトレーを取り上げ、もう片方の手でセラの手を掴みローの部屋へと戻る。

トレーを机に置き、互いに自身の髪を乾かす。セラの方が先に乾かしていたこともあり、早々に終えた彼女はカップに琥珀色を注ぐ。


いつもとは違う色、香りにセラを見つめてくる彼の視線から逃れるようにスケッチブックに手を伸ばす。


−アールグレイです。少しブランデーを入れました−


ベッドに座り髪を乾かす俺の隣にあるサイドキャビネットに静かに置いたセラ。あいつの分もあるコップが視線に入り、先程の苛つきに近い感覚は静かに息を潜めている。

ブランデーとアールグレイ、睡眠効果のあるものにあいつの考えが手に取るようにわかった。


"あぁ"と短く返事を返し、頭を乾かす手を止め一口。甘くないそれに、一息つく感覚が巡る。

しばらく髪を乾かしながら本を片手にベッドに腰掛けていると、気がつけば静かな寝息が聞こえてきた。

飲み終え、静かな寝息と共にソファに身を鎮める人影。


肩が小さく規則的に上下に動くその姿。ため息をしながら立ち上がり近づくが、起きる気配など見せない目の前の姿。隣に座るも全く乱すことのない寝息。

しばらく見ているが、起きる気配のないその寝顔に自然と指が伸びる。さらりと前髪がこぼれ落ち、無防備な横顔が現れた。

頬を軽く滑るように撫でるとチリ、と指先に伝わる感覚。その微細な感覚に思わず眉を顰める。何故、いつもこの感覚が走るのか理解ができない。


すっと頬骨から顎、首筋に指を滑らせる。ふるふると一瞬セラの肩が震えるが、それを境に再び寝息が規則正しく始まる。

ここまでしても起きないこの熟睡さにため息をこぼさずにはいられない。


「…少し前まで、あんなに牙剥いてたろ」

小さく零す言葉、こいつには全く聞こえてねェんだろうな。


口元近くに置かれた手の人差し指に俺の指を絡ませる。キュッと条件反射のように握ってくる手は小さく細い。

武器など握ったことのないような、細い手。しかし跡がなかなか消えない手首の痣。その相反する二つのものに言葉にできないような感情が湧き上がり、気持ち悪ィ。


顔が少し動き、指とは違う柔い感覚が自身の指に触れる。すっかり色味も潤いも取り戻した唇が指に沿うように触れてきている。


軽く押し付け、柔い感覚がさらに指から伝わる。触れる指先からチリ…と感覚が伝わる。

頭がくらりとぼやける感覚が巡り、今日は飲み過ぎたと冷静を取り戻す。

指を外すと心なしか名残惜しそうに掴んでくる指に再びため息をこぼす。


ガシガシと頭を後ろ手で掻き、慎重に持ち上げる。あの日よりも重くなったそれはまさに命の重さに似ている。取り戻した生きる力が確かに腕から伝わった。

自分と同じ匂いが、腕の中からも香る。全く同じはずだが、何故か腕の中の中で眠るセラからは甘い香りが舞い上がり、鼻に触れた。


ベッドに降ろし、ストーブを消し横に自身も横たわる。

嫌気の起きない状況。島でその場限りの女とでさえ同じ部屋の同じベッドに留まるという選択すら端からないはずだ。

「まァ…まだ"女"とは言い難いが」

丸くなるその姿を見て、呟く。次第に重くなる瞼に逆らうことなくそのまま目を閉じた。

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