偽りない気持ち 航海先の理由で賞金首3000万ベリーの"毒蛇のガジン"の船を襲い、船長が少女を助けてから三週間が経過していた。 一度だけ見たその子は月明かりも相まって、青白く透けているのではないかと思われるくらいに儚かった。 面会は診察する船長と何故かベポのみとなり、それ以外の船員は俺を含め三週間が経過した今もなお、顔合わせなど出来ていなかった。 一部の船員が怪訝そうしつつも、そこはやはりと言うべきか船長の絶大な信頼により事なきを得ている。 しかし、このまま得体の知れない少女が船長と接触し続けても平気かと頭を悩ませつつあった。 名前も知らなければ瞳の色も知らない。知っているのは性別と小柄な体と白と呼ぶには余りにも難しすぎる、煌めく髪を持っているということだけだった。 タッタッタッタッタ−− クルーの足音にしてはやけに軽く、そして歩幅が狭いのか短い間隔でそれは聞こえてきた。 月が丁度隠れてしまい視界も悪い。目を凝らすと小さな灯りが甲板を走りこちらに向かってきている気がした。 侵入者だろうか、それにしては船はどこにも見当たらない。 目を凝らして、それが何なのかを見る。しばらくして登ってくる音が聞こえると、俺は目を見開いた。 小さな充電式ランタンを持ち、夜の波風に髪をはためかせ立つ少女は紛れもなく三週間前にこの船に乗船した人物だった。 「君、は…」 ペコ、と頭を下げて彼女は早々に大きめのカバンから見慣れた銀色の保温水筒と長方形の箱を取り出した。それを俺に渡すと、今度は再びガサガサとカバンから毛布を取り出す。 そういえば風が冷たさを含むようになってきている。秋島に近づく気候だと考えての防寒はしてきたつもりだったが、目の前の人物はさらに毛布を渡してきたのだ。 そもそも、何故か厨房の奴らの誰かがやる差し入れ当番を目の前の子がしている? 色々と聞きたいことを考えまとめ、俺が口を開こうとした次の瞬間、少女は自分の毛布を頭から被りつつ顔と手を器用に出すと、一つのスケッチブックを俺に見せてきた。 月明かりがなく仄暗い見張りのこの場所に、ほんのりと明るさを灯すランタンを挟み少女は一枚ページをめくった。 −こんばんは、あなたがペンギンさんでしょうか?− 何故、彼女はスケッチブックに言葉を書いたのか…思案しつつ頷き、その直後疑問が一つの仮定に変わる。その仮定を確認しようとしてもう一度スケッチブックを見ると、その仮定は正しかったと理解した。 −私はセラと言います。声が出ない為、こんな形ですみません− 声が出ない、失声症を患ってしまったと思われる彼女はセラと言うらしい。あの海賊船から出てきた時の憔悴しきった少女の寝顔と服装の質の悪さから、きっと彼女はあの船に客人や船員として乗せられていたわけではなかったと察した。 ましてや、人身売買を生業としていると黒い噂が流れるような奴の船だ。こんな年端もいかないような子がそんな被害者であるならば、世の中の腐りきった部分に反吐が出そうだと思った。 「あぁ、俺がペンギンだ。セラ、か…ありがとな、届けてくれて」 本当に被害者か、どこか心の奥底で疑ってしまう自分にも呆れかえってモノが言えない。ここまで疑ってもなお、そんな様子を表に出してはいけないと自身に言い聞かせ、なるたけ優しく接する。 −いえ、私が無理にアシカさんにお願いをして届けさせてもらいました− よく見ると、彼女の筆跡はとても学のない字とは思えないほど整っていて、目を見張る。こんな少女なのに学がある。と言うことは、売られてしまう前は裕福な家庭にいたのだろうか。 そんな文字一つからでもこの目の前の少女の素性を探ろうとしているあたり、やはり船員達や船長に火の粉が降りかかることを恐れている自分に気がつく。 「なるほど…どうしてまた?」 −昨夜聞きました。部屋を用意してくださったのが貴方だと。なので、お礼が言いたかったのです。ありがとうございました− 頭を下げ、丁寧にお礼を言う律儀さと謙虚さ。少女らしからぬその姿勢。今目の前にいる彼女に薄暗い過去があったとは信じがたい。 いや、正確にはこんなか弱そうな少女が世の中の掃き溜めの被害者になっていたと思いたくないのかもしれない。 「いや、気にしなくていい。何か必要なものがあったら船長にでも言ってくれ。こっちで用意するさ」 その言葉に彼女は首を横に振る。そしてまた何か書き出そうとしている。 「隣、来れるか?」 急な申し出に目の前の少女はビクリと肩を震わせた。怯えさせてしまっただろうか。ただでさえ、男が恐怖の対象かもしれない、もしくは他人というもの自体に恐怖を抱いているかもしれない相手に、自分の発言は軽率だったと後悔する。 しかし、そんな俺の心情を裏切るようにギジリと床の木が軋み真横にストン、と影が落ちた。 隣に、少女が躊躇いがちにだが座ってきたのだ。 驚きから少女を見るタイミングとともに雲が途切れ満月が顔を出す。 月明かりに照らされ、潮風に吹かれ揺らめく髪がどこか現実離れしているように幻想的に思えた。そして顔を隠していた前髪が風向きで彼女の後方へと流れ、その瞳が姿を現わす。 どこか夜空を彷彿させるような瞳は深く、しかし月明かりで黒ではなく藍色にも見えた。 −コーヒー、飲まれますか?− 見つめられて居たたまれなくなったのか、脈絡もなく話を始めた彼女に俺は慌てて二つ返事をする。俺に水筒のコップを持たせ、丁寧に注ぐ姿はとても甲斐甲斐しく思える。 鼻に抜けるその香りはいつもと少し違うような気がしたのは、気のせいだろうか。 「ありがとう」 フルフルと横に首を振り、彼女は何かを書き出した。その手元は横に座ってきたお陰で見やすく、彼女もまたわざわざ持ち替えてこちらに提示する必要がなくなって会話のスピードが少し上昇している。 −お口に合いますか?− 「……!いつもより酸味が少ないな…」 いつもよりも酸味が少なく、コクが深い。香りも丸い感じがするその珈琲の味は好みが分かれるが俺は好きだと思った。 −ごめんなさい、好みに合わず− 「いや、違う」 慌てて誤解を解こうと首を振り、少女を見やる。少女の表情は少なく読みにくい。しかし表情以上にその弱々しくなった筆跡が物語っている。 「酸味が少なくて、コクが深い。うん、好みの味だ。君が?」 その言葉に彼女は安心したように小さく息を漏らし、頷いている。"ありがとう"と言えば、少女は素直に受け取らず首を横に振っていた。 謙虚、と言えば聞こえはいいが遠慮しすぎなところが垣間見えた。 それから数分して、サンドイッチも彼女が作ったらしく不安そうに見てくるので少々食べにくくはあったが、夜食には手軽で美味しく食べられるので素直に感想と礼を言う。 またしても少女は首を横に振る。こればかりは彼女の性格だからと特に咎めたりすることなく、ふと会話を再開した。 「そう言えば、体はもう大丈夫なのか?」 −はい、先週から夜中のみですが厨房のお手伝いをさせてもらってます− 「夜中のみ?」 そのふとした疑問符を呟くように述べると、少女はピタリと手を止めてしまった。数秒しても返事が来ず顔を覗き見ると、先ほどの無表情とは打って変わり、悲しそうな顔をしていた。 よほどの事情があるのだろう、別の会話を、と切り返そうとしたが、それよりも前に彼女は俺の呟きの答えを書き出していた。 −気を悪くされたら、すみません。私はまだ、人と関わる事が怖くて、なので、ごめんなさい。少しずつ慣れていこうと− 途中から纏まりのなくなってきた文を見ると、必死に言葉を探しながら書いていることに気がつく。そんなことに気がつくなら、最初に彼女の身に何が起きたのかおおよその目処を立てていた時点で気がつくべきだろうと自分を殴りたくなった。 「悪い、言いにくいこと言わせた。恐怖を感じてる事に関しては気にしなくていい。少しずつとあるが…急に俺のところに来て大丈夫か?」 彼女は俺が言い終えるのをしっかりと待ち、そして丁寧に、けれど素早く書き出す。 −怖くない、と言えば嘘になるかもしれません。ごめんなさい。でも、それよりも貴方にお礼が言いたかったから、会いに来ました− 本当に健気だと、思った。プラスな事は素直に、けれどマイナスな事は直球にならないように包み伝えてくる。 そんな彼女にいつしか警戒していた自分の肩に力がないことに気がついた。それからしばらく、セラと俺は少しずつだが会話をして別れた。 終始セラが俺の言葉に返事をしているようなものだったが、それでも真剣に聞いて考え返してくる。 そんな十分程度だがとても内容の濃いものとなった体験に、不思議と今日、偶然不寝番になってよかったと心の何処かで思っている自分がいた。 Since:19/1/20 [*prev] [Back] [next#] [しおりを挟む] [感想を送る] |