心を奪うその瞳 | ナノ
真夜中に漂う珈琲の香り



ローと話た夜から飛躍的にセラはメキメキと回復していき、今じゃ髪も肌ツヤもだいぶ良いものになっていた。変わらず声は出ないが、セラの表情は徐々に穏やかなものになっていく。


「自力で歩けりゃ、十分だろ」

は い

「よかった、良かったねセラー!」


ムギュ、とベポに初めて抱きつかれ、そのモフモフはまるで布団みたいでお日様の匂いがした。


「ベポ、まだ病人だぞ」

「あ、そうだった!ごめんねセラ!」


−ベポさんは、お日様の匂いがしますね−


「えへへ、そうかな?ベポって呼んでよ!敬語もない方が嬉しい」


ベポの言葉にセラは少し困った様にしつつも頷いて、書いたものを見せた。


−努力します−

「ベポ、そろそろ食器片付けとけ」

「アイアイ!またね、セラ」


ヒラヒラと手を振り、ベポを送り出したセラはローへと向き合う。


「日中はまだ無理だろ」


−まだ、他の方にお会いするのに不安があります。すみません−

「…起きれるなら、早朝の時間でも雑用くらいならあんだろ」

−本当ですか?ありがとうございます−


セラは船長であるローに何か仕事をさせてほしいと頼み込んだのだ。そもそも彼女の体調は万全だが、精神面がまだ不安定すぎる。

懸念していたローは散々駄目だと言ったがセラもなかなかの頑固で折れずにいた。

結果、船員達からは想像できないがローが渋々折れたと言うことが先程の会話となる。


「あと3日は休め、そしたら出来そうなやつ見繕う」

その言葉にセラは今日イチの瞳を輝かせる。とはいえ、見慣れたローやベポ以外の人からするとまだまだ表情は少ない。


が ん ば り ま す

強く頷いたセラにローはそっと心のうちでため息をついた。不安要素も残るが、とりあえず思い当たる人物へと足を運んだ。


−−−−−−−−


3日後、セラは待ち遠しくて早朝の1時間前から目を覚まし、準備万端に済ませていた。

服は誰かのお古のTシャツと半パン。あまりにもゆるいので、紐をベルト代わりに縛り落ちない様にしていた。

ベポが眠気眼をこすりながら教えてくれた場所は地下の洗濯室だった。

「僕も手伝うよ」


両手でばつ印を作りセラは首を横に振った。彼女なりの抵抗である。

「わかった。終わったら電伝虫で呼んでね」

ばつ印を再度する。ベポは首を傾げて不思議そうにセラを見つめた。

お ぼ え た

ベポの寝不足の原因になって欲しくなかったのだ。セラはベポをなんとか説得し終えると、足まくり腕まくりをした。

大量の洗濯物。皆が起きて来るらしい時間まであと2時間…どこまでできるかわからないけれどやらなくては。

こうして、セラの秘密の仕事が始まった。



慣れた手つきで着実に片付けていく洗濯の山達、悲しくも彼女にとって洗濯や掃除は囚われていた時代に散々やり抜いた仕事の一つだった。

あの時のことを良かったと思えるほど私は能天気でもないし、前向きでもない。紛れもなく消し去りたいくらいの忌々しい過去ではあるが、重宝することになるとは思わなかった。


1時間半で見事に彼女は洗い終え、洗濯室の掃除を早々に済ますと物音立てぬ様に必死に抜き足差し足で自身の医務室まで歩みを進め無事ベッドにたどり着く事ができた。




「セラ、凄いよ!昨日のお洗濯仕事全部片付けたんだね!船内じゃその話で持ちきりだよ!」

一眠りを終えて目を覚ましたのは昼より少し前。暫くして昼頃に来たベポ言葉にセラは頭を抱えた。褒められるのは良いけれど、船内で持ちきりということは明日から洗濯ができなくなってしまう事になった。

「ククッ、残念だったな」

……確信犯だと、理解しました。


−−−−−−−−


「コックのアシカさんだよ!」

夜中に案内されたのはこの船の厨房。どうやら昨日のうちに話をつけてくれたらしく、夜中の仕込み等の雑務をさせてもらえる事になったらしい。

ただ私の声が出ない為、かえって気を使わせてしまうのではないかという不安や、私がまだあの二人以外の人との関わりに抵抗感を持っている為、ベポさんから聞いたときは少々気が進まなかった。


目の前の恰幅のいい男性は年季の入ったコック帽を一度脱ぎ私を見た。

ビクッ!と背筋が伸び、思わず握ってもらっていたベポさんの手を強く握る。


「悪りぃな嬢ちゃん、こんなナリで怖がらせちまって」

ぶっきらぼうな言い方にも聞こえたが、セラには酷く優しいものに感じ首を横に振った。

そんなセラがガサガサと取り出したのは、いつものノートよりも一回り大きいスケッチブック。作業中の会話は最低限このスケッチブックに大きく書いて簡単にコミュニケーションを取らせるというものだった。

その真新しいスケッチブックにセラはノートに書いていた時よりも大きく書き上げた。


−声が出ず、ご迷惑をおかけしますが−

−よろしくお願い致します−

「コックのアシカだ、よろしく頼むぜ嬢ちゃん」

「セラ、無理しちゃダメだよ?」

−ありがとう、ベポさん−


ベポに頭を軽く撫でられたセラはベポと手を振り別れると、腕まくりをしアシカの指示を仰いだ。

全くもって無表情に近いセラを見たアシカはその奥にある瞳の真っ直ぐさにニカッと笑い、早速作業に取り掛かった。


昨夜の洗濯とは打って変わり、セラの経験の少なさが非常に彼女を苦しめる。

海賊船の様な大きな厨房になど入ったことのないセラはアシカの指示に従うが、皿洗いや片付けをするのに苦戦していた。


「成る程な、昨日の洗濯の妖精とやらはお前さんだったのか」

『!?』


せ、洗濯の妖精…随分とまた不思議な呼び名を付けたものだと驚く。大人の男の人達の口から"妖精"なんて言葉が出て来た事に失礼ながら戸惑いを隠せなかった。


「がっはっはっは!大の大人が妖精なんぞ言いよって、お前さんも気持ち悪く思うわなぁ?」

顔に出てしまったのかと思ったけれど、そうではなくアシカさん自身がそう思ったらしく笑いながらこちらを見て同意を求めて来た。

私といえばどう返せばいいか悩みつつ、首を傾げ肩を上げて見せた。それをアシカさんは読み取ってくれたらしく、とても笑いながら"嬢ちゃん、遠慮なんかしなくていいさ"とまたもや見透かされてしまった。


アシカさんの深夜のお手伝いを始めて一週間、アシカさんはずっと私に楽しい話をして楽しませる様にしてくれていた。

私は声では返せないけれど、ジェスチャーで返したり言葉を書いてそれなりのコミュニケーションを取っていた。

どこか、あの人…記憶の底で大らかに笑う人と似ていて落ち着ける感覚がとてもあった。

少しずつ軽食を作ることも許され、料理に触れるのが酷く懐かしく胸の奥がキュッと苦しくなった。


「てな訳だ、初めてのお使いだな」

アシカさんのお使いはあの人の元へと珈琲を届けるということらしい。


「船長室はわかるな?」

コクンと頷く。この一週間毎日キッチンまで一緒に行ってくれるベポさんが色々回って教えてくれるのだ。

「お前さんが入れてくれた珈琲は美味い、胸張って届けてこい」

少しくすぐったい気持ちになりつつも、それよりもはるかに緊張した気持ちで私は真夜中の船内を歩いて行った。

迷わず静かに、珈琲の入った保温ポットとカップの乗ったトレーを船長室まで届ける。


そして私は立ち尽くす事になる。扉が開けられない、ノックもできないと。

両手を埋めるトレーを見つつどうしようかと悩む。珈琲を置くのにちょうどいい机などない。足でノック?あまりにも非常識だ。ならば頭突きでもしようか…

どう部屋の主にこの存在を知って貰えばいいのかわからず、けれどが珈琲冷めてしまうのも避けたい。

モタモタとしていると、突然扉がガチャリと開いた。


キョトンとしているセラと部屋の主のロー。ほんの数秒の後にセラは慌てて軽く頭を下げ口を開く。


こ ん ば ん わ

「…あぁ、入れ」


数秒黙ったローは扉を開けると、セラを中へと招いた。セラはトレーを強く握りしめ、緊張した面持ちで恐る恐る部屋へと踏み入る。

部屋の調度品達は落ち着きながらも何処と無く高級感が漂う。本が無数に置かれた机や棚に目を向け、彼が今何をしていたのか何と無く想像がついた。

机にトレーを置き、ローが机の前にある椅子に座ったのを確認するとセラは震えない様に慎重に珈琲を保温ポットからカップへと注いだ。いい香りが部屋に立ち込める。

小脇に抱えていたスケッチブックに手を伸ばし、自由になった利き手で文字を書く。


−また、片付けに来ます−

「いや、今日はもう寝ろ」


キョトンと再び呆ける。その真意を読めないセラは首を横に降る。


−まだやる事があるので−

「……命令だ、寝ろ」


彼の低い声にビクッと肩を揺らす。どうやら私は何かをしでかしてしまった様だ。これ以上彼の逆鱗に触れるのはまずいと判断し、すぐに首を縦に振った。

逆らい自身の意見を通そうなど、そんなリスキーで無駄な事をしたところでいい事がないことなどとっくに理解していた。


あんなに仕事をくれと頑固だった姿など見る影もない怯えたセラを見て、ローはガシガシと後ろ手で頭を軽く掻きため息をついた。

ため息でさえセラにとっては相手の不機嫌を伝える材料にしかならず、さらに緊張で強張る顔をしている。


「お前の今日の仕事はこれで終わりだ。調子に乗って倒れても困る」

−すみません−

「あんま遅くならねぇ様に仕事を終わらせろ。わかったな」

−わかりました−


目を合わせるのが怖くなり伏せ目がちに頷き、ポットとトレーを邪魔にならない様に端に寄せて扉へと歩き出す。

扉を開き、最後に挨拶をしようと振り返り私は飛び上がる様に驚いた。


私だけだと思っていたのに何故だか彼まで来ていたのだ。驚かない方がおかしい。


「お前が部屋に戻るのを見張るんだよ」


私が驚き、彼の行動の意図を読もうとしていた事が伝わったのか、そう告げれた。どうやら監視されてしまう様で、私は肩を窄めて頭を下げた。

セラとローという奇妙なツーショットが月明かりに漏れる廊下を歩いていた。

しん、と静まり返る空気に耐え兼ねセラはローを微かに見る。たまたま視線がかち合い、セラは瞳を大きく開き慌てて目線を前に戻した。

凄く驚いた…まさか彼もたまたま見てきていて、視線が合うだなんて思わなかった。ドクドクと心音が痛いくらいに緊張で脈打つ。


とうとうセラの部屋となっている医務室まで着いた。船長室からここまでそこそこ遠いので、ここまでローが黙って来ていた事にもうセラは緊張と申し訳なさですっかり萎縮していた。

「コックはどうだ、平気か?」

そんな考えとは裏腹なローの問いかけにセラは俯いていた顔を上げ、見つめてから大きく頷いた。

それを見て満足したのか、ローはさっさと踵を返す。慌ててセラはローの右手を掴んでいた。


「なんだ」

お や す み な さ い

「…あぁ」

少し大きくわかりやすい様に 伝えると、セラは頭を下げて部屋に入っていった。

ローが部屋に戻ると、珈琲の深い香りが漂っていた。

ふと、纏う雰囲気が柔らかくなりつつあるセラを思い出し今後の事について色々思案して夜は更けていった。

Since:18/12/29


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