「エドという男」-2P
周囲の人間の死に対してある程度の免疫を持つビブセントの屈強な心に痛手を負わせたトーマス・モースは、ビブセントとはいくつか歳の離れたよく笑う若者で、誰も知りこそしなかったが、ビブセントとは故郷が同じだった
しかし二人が出会ったのはこのベトナムで、それまでは同じ町に住んでいようと、二人は互いの名前も顔も知らなかった
意気揚々とベトナムにやってきた能天気な風な話好きのトーマスがある時、ビブセントに身の上話をしたことが、互いの共通点を知るきっかけとなった
トーマスの、聡明で明るい性格は劣悪なこの地での生活にもくすむことを知らなかった
まるで歳のいかない子供のように、他愛のない話をビブセントに持ちかけては歯をむいて喜んだ
警戒心の強いビブセントは初め、馴れ馴れしいとも思えるトーマスの態度を蔑(サゲス)んだが、二人の間には次第に大切な絆が芽生えた
トランプが好きで、いつも、その辺にいる兵士にポケットに忍ばせているトランプを持ち出してはゲームをしようと声をかけていた
そんなトーマスには、ささやかながら夢があった
兵務を終えて生きて祖国に戻り、想いを寄せているキャシーを妻にして子供を二人授かることだった
そんなありふれた夢を、トーマスはむさくるしいほど熱心にビブセントに語った
同じ話を何十回と聞かされたが、その時いつも決まってビブセントは隣で何も言わず静かに笑い、気の済むまでトーマスに話をさせた
そしてトーマスが日夜鮮明に描いたその夢は、無残にもDEROS(帰還日)の11日前に散ったのだった
感化されまいと努めてもそれは難しく、トーマスの死は陰湿にビブセントの心を蝕(ムシバ)んだ
あの時、手に受けた戦友の流す血の温(ヌル)さと天を向く蒼白な顔はこの先ずっと、生涯忘れることはないのだ
失望や絶望、喪失感など何度も味わってきた
それらはもう友と呼べるほど、身近にいた筈だった
けれどもここへ来てその顔馴染みたちが彼に、更に長く鋭い牙を向いて襲いかかった
「ウ…ッ」
強い酒を勢いに任せてあおったが、間もなく激しい吐き気に襲われてビブセントは立ち上がり、窓枠にもたれて震えをきたす全身を力を込めて抑制した
「ビブ」
それを見ていたウェブスターは馬鹿になって騒ぐ兵士を押しのけて彼の元に駆けつけ、窓の外に向かって嘔吐を繰り返すビブセントの背を摩(サス)った
「大丈夫か?」
「信じられない レオ、何故あいつは死んだ?」
「ビブ…らしくないぜ お前はたまたま傍にいたんだ
それだけだ、自分がどうにかできなかったかなどと考えるな」
「…あの馬鹿野郎、一方的に約束をさせておいてテメーがくたばるなんて、一体どうなってる」
ビブセントが吐いた言葉からウェブスターは二人がどんな約束を交わしたのかをおよそ推察し、過去一度も見なかった、冷静な親友の露骨な変調に表情を殺(ソ)いだ
「ウゥッ、」
「まだ吐きそうか?」
ウェブスターは息を荒げて前のめるビブセントのその体を横から支えた
吐き出すものなどもうなかったが口を硬く噤み、彼の問いにビブセントはニ、三度頷いて応えた
窓辺で親友を介抱していると背後が俄(ニワ)かにざわついて、ウェブスターは振り返った
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