「変兆」-2P
ビブセントは相変わらず不機嫌なままだった
ウェブスターは気まずい雰囲気の打開策としてブルツェンスカに東の医者の所へ行けと言い、彼を追い出してしまった
出発する際にブルツェンスカは彼なりにビブセントを気遣かったが、ウェブスターは兄の憂鬱に動じず冷静で、明日には機嫌はすっかり戻っているから気にするなと言った
こうして彼らはブルツェンスカの住家に二人きりになったが話しかけることは一切せず、ビブセントの癪に障らない一定の距離を置いてウェブスターは床に座り込んだ
ビブセントがこのように気難しく落ち込むのは珍しかった
兄はいつも蟠(ワダカマ)りが生じると素早くそれを解決する性分で、元来、決して他人との間に生じた溝を見て見ぬふりをする性格ではなかった
問題が発生すれば、どちらに非があったとしても率先して絆の修復に努めたから、このように相手を放って一人殻に閉じこもってしまう彼の姿にウェブスターは少なからず違和感を覚えたのだった
「…綺麗だな」
どのくらい経ってか、ビブセントが呟いた
ウェブスターは部屋の反対側で静けさに埋もれて黙々と煙草をやっていたので、気付いたように顔を上げてビブセントを見た
「…星だよ。あの天災以来久しく見なかったのに、今夜はやけに綺麗だ」
「… どうしたんだ?」
ようやく喋ったと思ったら兄がいやに繊細なことを言うので、ウェブスターは眉を寄せて不審な目を向けた
ビブセントがそれきり黙ったのでウェブスターは腰を上げて彼の元へ行き、錆(サ)びれたベッドに横たわるビブセントの傍らに座った
そして何を言うでもなく、二人してひどく汚れて曇った窓ガラスの隙間から見える空の煌(キラ)めきを眺めた
ウェブスターはビブセントが星の美しさに感激するようなロマンチストではないと知っていたから、妙な気分だった
兄にそんな感性があったのだとしても、初めて知る一面だった
暗がりの中で聞こえるのは古い真鍮の蝋燭立(ロウソクタ)てに突き刺した、動物の皮下脂肪を抽出して冷やし固めて作った蝋燭に灯る火がじりじりという音と、兄のひそやかな息遣いだけだった
「今朝はお前のことを刺してやろうかと思った」
またがらりと様相を変えたビブセントの言葉はまんざらでもない調子だったので、ウェブスターは神色自若としたその裏で、やっぱり兄の面子を潰したので怒りを買ったのかと考えた
「勘弁しろよ…仕方ないだろう。あのじいさんは言い出したら聞かないし、薬を飲んで黙らせるしかなかった」
ビブセントは上を向いたまま首を横に振った
「もしお前がブルツェンスカの言う通り、女を目当てに町に出かけていたらという意味さ」
「……」
意外な答えが返ってきたので、ウェブスターは目をぱちぱちさせて隣のビブセントを見た
兄は気をもむ自分自身を落ち着かせるように、手術で縫合して間もない胸に静かに手を当て、さするようにした
「馬鹿みたいだな…何故だろう?お前の姿が見えないと不安になるんだ」
「……」
ウェブスターは黙った
ビブセントはすぐに弱さを晒(サラ)した自らを思い直して失笑し、馬鹿馬鹿しいと呟いて目を閉じたが、ウェブスターは観察するような目で兄を眺めた
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