「シハ・トマ事件-5P」


『お前たち、言葉はわかるのか?』
『俺はな』

入り組んだ上り坂を先頭を行く花艶が振り返って尋ねたので、ウェブスターが答えた

『その後ろの奴は?』

花艶は顎(アゴ)でビブセントを指した

『理解してないさ』

ウェブスターは背後のビブセントを一瞬見たあとで、短く返した

ビブセントは最後尾を黙々と歩いていたが、耳慣れない言葉で繰り広げられる会話の内容をおよそ察し、愛想のない目つきで二人を流し見た

『ふーん。おい、そいつって人形みたいに整った顔してるよな。でも愛想がねぇし、尖(トガ)ってて何だか冷たそうなヤツ』

率直な感想に訝(イブカ)しい顔をした裏で、ウェブスターはビブセントが花艶の言葉を理解できなくて幸いだと思った

彼女が繰り出す遠慮のない文句をもしビブセントが聴き取れたなら、それは事実と大いに異なる初対面の人間によるただの憶測で、彼に失礼にあたったからだ

実際ビブセントは自分よりはるかに利他的であったし、内に隠し持つ情の厚さなどは比べものにならなかったのだから


『おやじがさっき言ったとおり、俺の名前は花艶(ファーヤン)だ。お前の名前は何ていうんだ?白髪頭』
『ウェブスターだ……その白髪頭っていうのはよせ』
『だってよ!』

花艶はふてぶてしく叫んだ

『その髪、本物なのか?そんな色をしてる人間は、村じゃあ、俺の婆ちゃんか長老様くらいだったぜ。年寄りでもねぇのに、何でそんなに真っ白なんだ?』
『知るかよ』

物珍しそうに回りをぐるりと一回りして自分の頭を観察する無知な娘を相手に、広大な自然人類学を説くのも無駄なように思えたので、ウェブスターは適当にあしらった

北欧系コーカソイドを祖先に持つからと言ったところで、自分の生まれ育った村の外を何一つ知らない娘を相手に講義する時間と労力を考えると、ぞっとした

それから二人は花艶に連れられて入り組んだ坂道を丘の中腹辺りまで歩いていき、一軒の石造りの宿にたどり着いた

宿泊を願い出ると宿の主は驚いた様子で、部屋は別かと尋ねた

「別で」『一緒で』

その質問にビブセントとウェブスターはほぼ同時に、異なる返事をした

「…」
「何で別だ?」

もちろん民族の言葉で返したウェブスターの返事しか宿の主は聴き取れなかったから、うなずいて二階を指差し、奥から二番目の部屋を使ってくれと彼に言って告げた

古くて部屋の鍵とトイレが壊れているだの、しかしその部屋はベッドが一番上等だのと宿の主があれこれ言い訳がましく説明している間、ウェブスターは部屋を別(ワ)けようとした理由をビブセントに問いつめた

ビブセントは落ち着かない様子で顔も合わせず、生返事を繰り返した

花艶はそんな二人のやり取りをぽかんとした顔で眺めていた

何を言っているのかわからなかったが、問責を受けるビブセントの表情に困惑を見て取った

憂いを感じさせる彼の顔が美しかったのを、彼女は今でも覚えている

言われた部屋に着いてみるとなるほど、滅多に客が来ないのだということがすぐにわかった

がたついた少しだけ頑丈な一枚板の扉を開けると、四面が白一色の石の壁の室内に、簡易ベッドが二つ置かれていた

装飾は皆無で、壁をくり抜いて取って付けた様な小さな窓の際に、さびれた鉄脚のテーブルといびつな形の椅子が一脚置いてあるだけだった

それらはどれもうっすらと砂埃(スナボコリ)をかぶっていて、なぞると指先が白く汚れた

「野戦病院のベッドよりひどいな。俺は気にしないが……乗って底が抜けやしないだろうな」

ウェブスターは粗野なベッドを手で押さえつけるようにして確認しながらぼやいた

彼自身はどんな環境で眠ることも平気であったが、ビブセントの方は術後割と神経質だったから、ウェブスターは彼のために室内を一通り調べて回り、彼の使う方のベッドは埃(ホコリ)を念入りに払い、自分の分として備えてあったシーツをそこへ重ねて幾分か寝心地のいい環境を作ってやった

そんなウェブスターと、それを有り難そうでもなくただ突っ立って眺めるビブセントを見て、花艶は彼らの上下関係を知った

正しくは、それは他律的なものではなく全てウェブスターの自律行為であり、見方を変えれば場の主導権を握るのは彼であることを意味していたのだったが

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