「理由」-5P
ウェブスターは彼に寄り、頼りなく薄暗い明かりの中でも互いの表情がはっきりと見えるまで顔を傍へ近付けた
「もう大丈夫だ…見つけたよ。お前の新しい心臓を」
それは息を飲むほどの優しさが込められた一言だった
長年連れ添ったビブセントでさえ、まだ見ぬ彼の一面に遭遇したと感じたほどだった
「手を汚すような真似はしていない。だから俺を信用して、手術を受けてくれ」
その言葉を受けて切なさを孕(ハラ)んだ瞳の輝きは、ビブセントの隠れた純真を具現化していた
彼の持つ心身の美しさは、しばしば人を分別のつかない恋の発作におとしめたが、ウェブスターは彼に対して極めて理性的であり、それ以前に彼は家族だった
ずっと衣食住を共にしてきた家族相手に恋心が芽生えるなどと誰もが考えないように、ウェブスターの場合も同じだった
無論この二人は同じ血筋にはなかったが、ビブセントが呆れるほど恋に無頓着なことをウェブスターは知っていた
兄には女性への熱に浮かされる習慣がなく、その経験もなかった
むしろ女嫌いであった
積極的に恋の相思相愛を願い出た女たちをビブセントは異質なものを見るような目で冷ややかに見つめた
時には同性からの願い出もあったが、それは彼の失笑を買うだけで結果は同じだった
唯一彼に恋の相思相愛を命じることができる人間がこの世にいたとすれば、それは"最愛の人"だけであったろう
ビブセントの彼への愛はそれほど特別なものだった
職務に置いて上官であり親友でもあり父親の役を担った"最愛の人"は、ビブセントという世界において絶対の法律であった
「どうやって、どうやって見つけた?」
自分の救いの綱である新しい心臓の出所をビブセントは知りたがったが、ウェブスターは静かに微笑むだけだった
「…愛してるバックス。お前が必要なんだ」
終(シマ)いには馬鹿に真剣な顔で囁いたこんな文句でウェブスターは兄を黙らせてしまった
こうしてビブセントは東の医者の元で心臓を取り替える手術を受けた
幸いなことに心配された拒否反応もなく心臓は新しい主の体内で元気に息づき、彼は持ち前の強靭な精神と生命力でみるみる回復した
この手術こそが後に二人を苦しめるあの忌(イ)ま忌ましい発作の始まりであり、ブルツェンスカの住家で行われた東の医者とウェブスターの会談こそが発作の理由そのものである真相を握っていたのである
というわけでウェブスターはビブセントを苦しめる発作の原因を知っていた訳であるが、彼にそれを打ち明けることは頑としてできなかった
真相を告げれば彼が再び重い心の病にかかり、精神を病んで今度こそは回復しないだろう予測ができたからである
さて
この"理由"がいつか明るみに出るのか
それとも永遠に闇の中に閉ざされるのか
ご静聴の皆様には若い二人の複雑怪奇な愛憎劇の末路をいつかどこかで違う形でお聞かせすることにしよう
詩人ノーティンラートの語らい
第一の章「理由」
−終幕−
2010.11.18
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