これは私とあなたの物語ではない、私たちの希望から始まる夢物語なのだ。


赤髪の魔女が支配する海を永い時間さ迷い、時間に囚われながら冷たい海を漂うしか出来なかった小さな僕の体。
いつしか時間に囚われた海の中で、僕は体だけが大人になった。

ようやくそれから解放され、辿り着いた見知らぬ浜辺でマーシーと出会う。

漂う海の中で、着ていた子供サイズの服は破れ去ってしまい、なんの衣類も纏わず地面に這いつくばるように倒れた僕を見つけた彼女は、当然驚いていた。

「お兄さん、大丈夫?!」

慌てるようにそう言って、小さな手を差し伸べてくれる。
僕は弱々しく顔を上げ、彼女の顔を見た。
その少女の背格好は、フェイスお姉ちゃんととても似ていたのだ‥‥
錯覚に陥った僕は、

「お、お姉ちゃん‥‥顔が、できたの?」

思わず、そう聞いてしまう。
少女は、マーシーは見知らぬ僕の話を静かに聞いてくれた。僕は話しながらえんえんと泣いた。
だって、本当に辛かったから、本当に‥‥皆に裏切られて、辛かった。
漂う海の中で、見せられたから。

囚人やフェイスお姉ちゃん達が、リア爺を赦す姿を。

ーーどうして?
僕は此処にいるよ?僕‥‥苦しいよ。苦しいのに、どうして?
どうして僕を苦しめた人が‥‥幸せになれるの?

マーシーは僕を『クルエリティ』と呼んでくれた。
でもその時の僕はマーシーとフェイスお姉ちゃんを重ねすぎてしまって、思わず吐き気を催してしまう。

「違う‥‥嫌だ、気持ち悪い。その顔でその名前を呼ぶな‥‥!!」

僕はそう叫び、近くにあった花瓶をマーシーに投げつけてしまった。
花は無造作に飛び、水と花瓶の破片がマーシーに降りかかり、彼女の肌が数ヵ所、裂けた。血が滲む。
けれど、マーシーは悲鳴を上げなかった、怒らなかった‥‥

ーー彼女が毎日、両親から受けていた仕打ちとなんら変わりないから。

マーシーは理由すら聞かない。ただ、僕を怯えさせないよう、優しく、満面の笑みをして、

「‥‥じゃあ、クッティ。クッティ、なんてどうかな?!」

それから、彼女だけが僕をそう呼ぶようになった。

マーシーと僕は同じ境遇だと言う。
マーシーは両親から虐待を受け、僕は育ての親から虐待を受け、リア爺に奪われ、皆に裏切られた。

だから『違う』と思ったんだ。
マーシーはただ『虐待』を受けていただけ。
たくさんたくさん苦しんだ僕と同じなんかじゃないって。

行き場のない僕たち二人は共に旅をするようになり、リア爺によって名前を支配されていた僕はなんの躊躇いもなく人を殺めることが出来た。
だから、旅をする為の金銭には困らない。

僕と同じだと詠いつつ、満面の笑顔で幸せそうに生きるマーシーを見て‥‥
僕はマーシーのことも殺そうと決めた。
すぐに殺すんじゃない。
【僕と同じ】だと言うのなら【僕と同じ】ように苦しんでしまえばいいと。
彼女にじわじわと毒を盛り、余命などと嘯(うそぶ)いて‥‥
僕が裏切られた痛みを、マーシーにも与えてやろうと思った。
裏切られることは、こんなにも苦しいんだよって。

ーーけれども。

「‥‥ねえ、クッティ。あたしね、ずっと治らなくてもいいって思ってた。なんの病気かもわからないし‥‥でもね‥‥元気になってみようかなって思うの。じゃなきゃ、クッティ、ひとりぼっちになっちゃうもんね!」

マーシーは、知っていたのだと言う。
『なんの病気かわからない』と言いつつ、僕に裏切られていたことを知っていたのだと。
それでも彼女は、

「どんなにつらくても、いつか、生きてたら、あきらめなかったら‥‥幸せになれるよね。あたし、お友だちを作りたい。遊びたい。それに、クッティのことも、ちゃんと知りたい。歩いてばかりで歩き疲れちゃったし、元気になったら、どこかでゆっくり暮らしたいね!」

彼女は、未来の話をするのだ。
彼女の未来の中に、クルエリティが共にいる話をーー。

◆◆◆◆◆

「マーシー‥‥マーシー。マーシーが‥‥死んじゃった‥‥マーシー‥‥」

システルに手を引かれながら、クルエリティは泣き続けていた。
システルは何も言わずに、マーシーを腕に抱き、ただただ城の外を目指す。
ようやく最後の階段を駆け降りーー城の外には、まばゆい光が無数に広がっていた。

その光の中心に、見知らぬ銀の髪をした少年と、リフェの姿があった。

「‥‥終わったんだね」

と、少年のその声に、

「あっ‥‥あなたは、コア!?」

声だけであった存在の彼の姿が、はっきりと見える。

「君も、今だけではなく、未来を見れるようになったんだね、システル」

そう言って、コアは笑った。

「ぼくはコア。核であり、真髄である者。大概の人間は今を必死に生きてる。今だけを見て。でも、今この瞬間を生き、死ぬべき者ではなく、先の未来を思い描く者に僕の姿は捉えることが出来る。だから‥‥死に近いのに、それでも未来を夢見ていたマーシーにだけは、ぼくを捉えることが出来たんだ」

コアは寂しそうに笑い、システルの前へと歩み寄る。そして、その腕に抱かれた、まるで眠っているようなマーシーの頬に触れ、

「お帰り、マーシー。君の心に、ゆきどけは訪れたんだね‥‥よく、頑張ったね、本当に‥‥よく‥‥」

言いながら、コアはその場に泣き崩れ、

「はは‥‥たった数日の友達なのに。君のお陰でぼくは逃げることをやめたんだよ。マーシー‥‥君は本当に、強い女の子だ」

そう、彼女に礼の言葉を述べた。
後ろで、ザッーーと、雪を踏み締める音がして、次にリフェがこちらに向かい、クルエリティの前に立つ。
リフェは彼をキッと睨み付け、

「どうしてこんな最低なことが出来たのーー!?あなたのせいで、小さな命が消えてしまったのよ、クルエリティ‥‥!」

言われて、しかしクルエリティは戸惑うように視線を泳がせるのみである。

「あなた達を待っている間にコアから聞いたわ‥‥クルエリティ、あなたの境遇も。システルさん、あなた達のことも‥‥」

リフェはそう言い、

「だから、クルエリティ‥‥あなたがまだ、子供だということは理解したわ。でもね、命は、軽くないのよ。あなたは知っていたわね、私の父の‥‥この国の王の有り様を」

リフェは自身の産まれた城を見上げ、ゆっくりと語った。

忘却の地の孤独の城の物語。
昔は城も国も国民も街も、全てが機能していた完璧な城。
数多の技術を駆使し、生活は全て機械が補ってくれた。
しかし、王は突如、異常な行動を取るようになった。
生きること、生に執着しすぎてしまった。
自らの娘を機械のゆりかごに閉じ込め、娘はその中で生かされていた。
ずっと、ずっと、眠りながら、機械の中で。

機械仕掛けの生の中。
彼女はそれが正しいことだと思っていた。
疑問を抱くこともあったが、それでも王はーー父は正義なのだと思っていた。
だから、王が死に、城から全ての人間が去り、国民も死に絶え、機械の中で生きる娘だけが残り‥‥

『いきなさい』

父が最期に放った言葉だけが木霊していた。

生きなさい、なのか。
行きなさい、なのか。

生に執着した彼は、最期まで生に執着し、娘に生きろと言ったのか。
それとも最後の最期に過ちに気付き、もはや一人となる娘に行きなさいと放ったのか。

「ある日、赤髪の女性が機械を開けたわ。それは、赤髪さんのお姉さん‥‥赤髪の魔女だったのね‥‥彼女がどうして私を機械から出したのかはわからないわ。ただ‥‥この城を彼女自身の最期の地にする為に、私を追い出しただけかもしれないわね。ここはーー生前、赤髪の魔女がコアと出会った場所らしいから‥‥」

それから、リフェはもう一度クルエリティに向き直り、

「マーシーちゃんはね、この城に入る前に、あなたは間違ったことをしているから、友達としてあなたを叱って、あなたを赦してあげるんだと言っていたわ。そうしないと‥‥あなたはどこにも帰れないからって」

リフェはクルエリティの肩に手を置き、

「クルエリティ‥‥あなたは本当に、素敵な友達に、恵まれたのね」

涙ぐんで、そう言われて。

「あ‥‥あっ‥‥あぁ‥‥」

クルエリティは、システルが抱いているマーシーの体を抱き寄せ、その小さな体を抱き締めながら赤い赤い雪の大地に崩れ落ち、

「誰か‥‥だれかっ‥‥マーシーを、マーシーを助けて下さいっ‥‥僕はどうなってもいいから‥‥!僕の大事な友達を‥‥助けて‥‥」

そう、泣きながら懇願する姿に、

「‥‥クルエリティ。マーシーはそんなこと望んでいないよ。マーシーは、自分の道を、願いを、遂げたんだから」

そうして、周囲に広がる光を見回し、

「この無数の光は魂だよ。この夢物語で生きた人々の。ぼくらの知っている人達も‥‥ここに居る。ただ、ヴァニシュとミモリの魂は消滅してしまったけれど、強い願いがあれば‥‥もしかしたら‥‥」
「な、なんの話‥‥?」

コアの言葉についていけず、システルは疑問を返す。

「世界はまもなく終わってしまう。ぼくにはもう魂の声は聞こえないし、リフェさんも命の色はもう見えない。クルエリティも‥‥もう、ミモリの術は解けているよ」

それを聞き、システルはクルエリティを見た。確かに、先程からクルエリティはまるで、子供返りしていたから。

「ぼくは核としての最後の力を使った。魔女アブノーマルがかつて滅ぼしてしまった本当の世界。でもね、僅かだけれど、断片的に残っているんだ。うまくいけば‥‥そこで、やり直せるかもしれない‥‥」
「え‥‥!?じゃあ、じゃあ‥‥皆、生き返るの!?」

システルが目を大きく開けて聞けば、しかし、コアは神妙な顔をしていて、

「それは、わからない。こんなこと、出来るかもわからない。それに‥‥その為には、この夢の世界に誰かが残らないといけない。ぼくはもう、消えてしまうから」
「え‥‥!?」

驚くシステルに、

「だから、コアさんの代わりに、誰かがここに残り、この夢物語が完全に崩壊するのを見届けなければいけないらしいの。じゃなきゃ‥‥夢から覚めた時、本当の世界で生きることが出来ずに、魂もろとも、全てが消滅してしまうわ」

リフェがそう教えてくれた。

「待って‥‥じゃあ、じゃあ‥‥?残った人はどうなるの?」

そのシステルの問いに、コアもリフェも視線を落としてしまう。システルは言葉を失ったが、

「でも、安心して。私が、残ることにしたから」

そう、リフェが微笑んで言うので、

「なっ‥‥」

システルは絶句した。

「夢の世界でも、それでも。私が『いきなさい』と、ここで父に言われたから。私はこの命で、ここに生きるわ」
「でも‥‥そんな」
「あなたにはやるべきことがあるんでしょう?囚人さんの、妹さん。だから、あなたはあなたのことを考えて。他のことは心配しなくていいから」

そう言われ、システルはマーシーを抱き締めて泣いているクルエリティを見つめる。
そして、

「わかりました。私は‥‥私達は‥‥!」


・To Be Continued・

空想アリア



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