cruelty
僕はクルエリティ。
その名前は、リア爺から与えられた。
本当の名前?
そんなものは、ない。
物心ついた時には、僕は小さな村で飼われていた。
僕は身寄りのない子供なのだと、僕の教育係ーーすなわち血の繋がらない【両親】みたいな男女二人が言ったんだ。
この小さな村は、身寄りのない子供を奴隷として仕立て上げる為の村だと言った。
それぞれの子供達には親代わりに教育係が宛がわれる。
それが、僕の【家族】。
赤ん坊だった僕は、浜辺で拾われたのだそうだ。
なんの衣服も纏わず、生まれたてのような姿で。
でも、普通の赤ん坊のように泣くことはなかったらしい。
僕の顔はおかしい、普通の子供達とは違った。
真っ黒な、空洞のような目。光のない目。
僕の教育係ーー【両親】は、僕を気味悪がった。化け物みたいな子供だと罵った。
早く奴隷に仕立てあげて、早く追い出さなければと。
教育って、なんだろう?
奴隷って、なんだろう?
子供の頃の僕には、思考さえなかった。
物事を考えることが出来なかった。
言葉を教えられてもそれがなんなのかわからない。
字を見せられても読めないし書けない。
出来損ないの気味が悪い化け物。
それが、僕。
だから僕の【両親】はいつしか僕を教育することをやめた。
やめて、僕を殺そうとした。
殴って殴って殴って、蹴飛ばして蹴飛ばして蹴飛ばして。
食事も与えられなかった。
ーーでも、それでも僕は生きていた。
普通なら餓死してしまいそうなのに、僕は、なぜか生きていた。
いつしか、痛みを感じた。
痛い、痛いなぁって。
だから、ずっと、痛かったことに気付いた。
頭が、痛かった。
毎日、毎日、知らない声がしていたことに、気付いた。
『殺してごめんなさい、殺してごめんなさい、私のせいで、私のせいで‥‥』
ーーと。
僕は言葉を理解できなかったのに、その声に気付いた途端、僕は初めて言葉を理解した。
そして、思った。
この声のせいで、僕は苦しんでいるんだーーって。
この声の主が、僕を助けてくれなかったんだと、なぜか、理解した。
何をしても死なない僕は、【両親】によって、高い高い崖の上から、海に投げ捨てられた。
嗚呼ーー‥‥
今思えば、僕は始まりからずっと、海を漂っていたんだね。
そうして辿り着いた先が‥‥
あの集落での物語だ。
「生きた人間じゃな。はて、どうしたものか」
魔法使いみたいなトンガリ帽子を被り、口から首元まで真っ白な髭を生やし、サングラスをかけたーー‥‥チョキチョキと、両手がハサミの形をしている男が、浜辺で僕を見下ろしている。
まるで、化け物みたいなそれに、僕は驚かなかった。むしろ、救いを求めた。
「ぼ‥‥く、は‥‥た、す、け‥‥」
僕は、生まれて初めて言葉を発しようとした。
あの時、学ばされて理解できなかった文字の羅列が、急に脳裏を巡ったんだ。
ーーでもね。
「ふむ。子供は煩いしのぉ。言葉を話すのは邪魔かもしれんな」
なんて、男は言い、
「ーーッ!!!?」
眼前に飛び散る赤。
止まらない、止まらない、止まらない。
僕の右目に、男の手が、ハサミが突き刺さっている。
ぐりぐりぐりぐりと、僕の右目の奥を掻き回している。
あ、ああぁ‥‥ああぁぁああぁぁアアァァァァァアアアアアァァーーーー!!!!?
これまで感じた、どんな痛みよりも痛い、痛い、痛いーー‥‥
「いーい、いーい、イーイ、いーい、いーい、イーイ、いーい、いーい、イーイ、いーい、いーい、イーイ」
痛いのに、僕は叫べなくなってしまった。
こんな言葉しか出なくなってしまった。
「まあ、これで良いじゃろう。これでお主もこの集落の一員じゃ。名前は‥‥そうじゃの。子供は残忍と言うしのぉ‥‥」
右目から溢れ出て止まらない血を抑え続ける僕を男はまじまじと見つめながら、
「【cruelty】‥‥クルエリティ、とでも文字って呼ぼうかの?残虐、残忍、冷酷、無残、無情、凶悪性ーーどうじゃ?子供にはピッタリじゃろう?」
男ーー悪魔が、そう、僕に名を与えた。
集落の、まるでお伽噺の中の住人達。
彼らは優しかった、でも、おかしかった。
彼らは同じことを繰り返すのだ、同じ毎日を繰り返すのだ。
だから、誰も僕を助けてはくれなかった。
右目が痛むのに、誰も気付いてくれない。
後に、囚人という、本物の人間がやって来て、僕は訴えた。必死に訴えた。
「いーい、いーい、イーイ、いーい、いーい、イーイ、いーい、いーい、イーイ、いーい、いーい、イーイ」
(ぃたいいたい、いたい、イタイ、いたい、いたい、イタイ、イタイ、いたいーー!!!!!)
でも、ダメだった。
気付いて、くれなかった。
皆、優しい。
リア爺以外は、皆、僕を傷付けない。
でも、僕の痛みは、消えなかった。
(たすけて‥‥たすけてよ、だれか、たすけてよぉぉおおおおぉぉぉぉおおおーー!?)
リア爺の【遊び】によって、僕は言葉も右目も右腕も、奪われたんだよ‥‥?
最後には、魔女さんに海に投げ飛ばされたんだよ?
ねえ?それなのに、なんで‥‥?
僕、悪いこと、何かした?
ねえ、なんで‥‥?
『お前も‥‥俺が面倒見てやる。見捨てないぜ、絶対に』
嘘つき。
『みーんな、大好きな家族。クルやんも!』
嘘つき。
みーんな、嘘つき。
「なん‥‥で?」
揺れ続ける大地で、あの日から青年になってしまった、本当は子供のままの彼は、子供みたいに幼稚な文字の羅列で自らの過去を吐き出した後、震えた声でそんな疑問を吐き、
「なんで、なんでなんだよ!?皆、口だけだ!なんで‥‥誰も僕を助けてくれなかったんだよ!なんで、僕の本当の声に、気付いてくれなかったんだよ!?なんで僕を傷付けたり裏切った皆ばっかり幸せになって‥‥なんで僕だけが幸せに生きれないんだよぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!?」
そんな彼を見て、システルは泣いていた。
自分の兄やフェイスとクルエリティの関係を初めて知り、ミモリやシャイがしたことを知り、
「‥‥っ」
クルエリティの気持ちが、痛いほど伝わってくる。
当然だ。彼が、裏切られた、見捨てられたと思うのは‥‥当然だ。
たとえ、本当は愛されていたとしても‥‥これは、あまりにも。
「ああぁぁぁぁああああ!!!!なんで死ねなかったの?なんであの時、もっと早くに死ねなかったの?!そうしたら!!!期待なんかもたなかった!そしたら、そしたら!あの集落で‥‥
シアワセに生きた夢なんか見なくてすんだのに!期待なんかせずに‥‥ぁぁあああああぁぁぁぁぁぁぁ」
喚くように、悲痛な叫びを上げ続ける彼に、
「‥‥もういい」
ずっと彼の話を聞いていたディエは静かにそう言う。
「もう、いい。クルエリティ」
そう言って、ディエはクルエリティの体を包み込むように抱き締めてやった。
「お前が言う、誰の責任でもない。全ての責任は、俺のあの日の行動にある。お前が憎むべきは、俺だ。囚人だとか、シャイだとか、ミモリだとか、集落の奴らじゃないーー俺だ」
そう伝えるも、
「違う!!お前は誰だよ!?お前なんか、知らない‥‥!!!!」
クルエリティは包み込まれた腕の中で、もがくように体を動かす。
「お前が言った【両親】は【両親】なんかじゃない。わかるだろう?お前の親は俺だ。俺が、お前の人生を壊したんだ」
「ーーっ!!!!」
理解できない、したくない。そんな風にクルエリティはもがき続けた。
この事実を受け入れてしまったらーー今までの憎悪が、復讐の意味が、覆されてしまう。
「僕が生きてきた理由は、復讐する為だ!その為に‥‥ここまで生きてきた。大切なものを何一つ作らずに、何も愛さずに‥‥閉じ込められた深淵で、僕を拾った奴らや、あの集落のことだけを考えて来た‥‥!全部、壊す為に‥‥だって、誰も僕を、選ばなかった‥‥!どうすればいいんだよぉぉぉぉぉ!?死ぬんだろ?僕、このまま死ぬんだろ?!なんの意味があった?ねえ、僕の人生って‥‥なんなんだよーー!!?」
「‥‥っ」
システルは溢れ出る涙を拭うことはしなかった。
彼の話を聞いていると、自分はなんて幸せだったのだろうと感じてしまう。
だって、クルエリティのように異常に狂ってしまったのに、ロスとヴァニシュはシステルを見捨てなかった。ディエはこうして、傍に居てくれる。
でも、クルエリティには、居ないのだ。
今、傍に居てくれる、誰かが。
喚き散らし、クルエリティは肩を上下させ、荒い呼吸を整えようとしている。
そんな彼を抱き締める腕の力を強くしながら、
「‥‥どんな形であれ、生きていてくれて、ありがとう。お前が生きていることで、勝手な話だが‥‥俺は、俺達は、救われた」
ディエはそう言い、
「‥‥そうだ。それでこそ、俺の‥‥息子だ」
そう、小さく笑って続けた。
「え‥‥あ‥‥ぁ?」
それに、クルエリティは動揺する。左目を大きく見開かせて、わなわなとディエの腕の中で震え出す。
「ち‥‥違う。違うんだ、僕‥‥僕、こんな‥‥つもり、じゃ‥‥」
クルエリティの左手には、彼愛用の、毒が塗り込まれたナイフが握られていて、それは迷うことなく、ディエの心臓の位置を正確に捉え、突き刺していた。
「あいつは‥‥それが出来なかったからな。殺す殺すと口だけで言って、心臓に突き刺せなかった。だが、お前はちゃんと出来た。だから‥‥お前は俺に似たんだな‥‥」
そう言って、クルエリティの頭を数回撫でてやる。
「ちが‥‥僕じゃない‥‥体が、勝手に?!」
「‥‥」
本気で困惑しているクルエリティの姿に、ディエはミモリの【名前を支配する力】を思い浮かべた。
きっとそれが、クルエリティを捕らえて離さないのであろう。
「‥‥くっ、はは。俺もダメになっちまったな‥‥ここでお前を一緒に殺してやれたらいいのかもしれねーが‥‥それが出来ねえ」
ディエは苦笑し、
「仕方ねーから、信じるしかないな。なあ、システル」
そう言って、この状況にぼろぼろと涙を溢し続けている彼女に目配せし、
「あの馬鹿共が言ってた‥‥『奇跡』なんて、くせぇ言葉をよ」
「ディエさん‥‥」
「だからよ‥‥」
再びクルエリティに視線を戻し、
「幸せに生きた夢なんかじゃねえ。現実で幸せになんなきゃ意味ねーだろ、クルエリティ」
「‥‥え?」
「お前は、裏切られた、見捨てられた、誰からも選ばれなかったんだろ?ここまで来て、俺はそんなことしねーよ‥‥奇跡があるなら、俺がお前を幸せにしてやる。お前の母親はな‥‥クッキーばっか食わしてくるぞ。なんなら、そこに居るシステルだって、お前の話を聞いて、こんなに、泣いてくれてるんだ‥‥お前の味方をしてくれるかも‥‥しんねえな」
そこまで言って、ディエは可笑しくなってきた。自分が柄にもない言葉をベラベラ紡いでいるからだ。
「‥‥っても、俺も頭が追い付いてねーけどな。息子‥‥か。はは‥‥あいつと俺の、か。いいな、それも‥‥」
「‥‥」
クルエリティは何も言えず、システルと同じように泣くことしか出来なくて‥‥
「お前に謝り続けてた声は‥‥きっと、お前の母親の声だ。お前を殺してしまった時の言葉が、お前の脳裏に焼き付いていたのかもな‥‥でも、あいつを恨まないでやってくれ。全部、俺が悪いんだ‥‥あいつはな、ずっと後悔してた。だからきっと、お前のことを知れてたら‥‥どれだけ‥‥喜んだことか‥‥」
「‥‥」
「‥‥もう、いいな。さあ、ナイフを抜け、クルエリティ‥‥話すことは、話した」
しかし、クルエリティはぶんぶんと首を横に振り、
「そうやって、裏切るんだ?死んで、僕を、置き去りに‥‥」
「‥‥ひねくれた考えだな。頑固なのは、あいつ譲りだ‥‥悪いなシステル‥‥俺が死んだら‥‥多分こいつはまた‥‥暴れ出す。だが、後は‥‥」
システルはようやく涙を拭い、真っ直ぐにディエを見つめて、
「ふふっ!ディエさんは、悪くないですよ!元はと言えば、私の兄が悪いんですよ‥‥!ミモリさんを助けて、シャイさんと死んじゃって!その人を放ったらかしにしちゃって‥‥私のこともまた、置いてっちゃって‥‥」
システルは泣きながらも笑顔を作り、
「‥‥私だって、弱くないですよ。それに、何もしなきゃ奇跡は起きない。だから、ゆっくり休んで‥‥信じて待ってて下さい。ディエさんも、ロスも、ヴァニシュも‥‥シャイさんも、兄さんも、ミモリさんも、フェイスも、知らない人達もーー誰かが私を救ってくれたように、今度は私が救う番。私‥‥頑張るから‥‥だから、今度こそ、幸せに生きましょう!それぞれが、それぞれの人生を!」
その、彼女の言葉にディエは薄く笑い、
「お前も、柄にもないこと言うようになったな‥‥だが、任せたぜ‥‥お前は、やると言ったことをきっちりやる奴だ‥‥だから」
ディエは、突き刺したナイフを握ったままのクルエリティの左腕を掴み、
「‥‥ふ。悪くは、ないな」
そう言って、何を思っているのかは知らないが、涙を流しているクルエリティの顔を見つめ、そのまま、心臓に深く突き刺さったナイフを引き抜いた。
クルエリティはそんなディエの行動に絶句する。
その姿は、あの日のヴァニシュに瓜二つだ。
まるで本当に、システルが狂ったあの日のようだな、なんてディエは思う。
でも、違うのはーー今度は本当に死ぬということだ。
消え行く意識の中で、クルエリティが叫んでいるのが聞こえる。
「いやだ、いやだ、死なないでよ‥‥死なないでよ‥‥おとうさん、おとうさん、おかあさんーー!!!」
そんな、子供の、声。
(は、はは‥‥父さんに、母さんだってよ‥‥あり得ないよな‥‥ほんと、笑えるな‥‥だが‥‥お前にも、聞かせてやりたいぜ‥‥お前はどう思うんだろうな?まあ、やれることは、やったぜ‥‥らしく、ねーけどな‥‥だから、たまには褒めろよな、昔みたいに、よ‥‥)
・To Be Continued・